一話 催眠魔法の使い方《後》
本日二度目の投稿です。
「――よし。催眠完了っと。最後に確認だ」
秘密結社イビルのとある訓練室。
だだっ広い大部屋にワズンと組織に属して日の浅い戦闘員たちの姿があった。
ワズンは目の前に整列した強面の男たちを睨めつけると、
「魔法少女と戦うときは?」
「生活に支障がでる怪我は絶対に負わせません!」
戦闘員たちが腰の裏側で手を組み、胸を張って声を張り上げる。
「よし! 戦場で魔法少女と俺の家族との戦闘を見かけたときは?」
「それとなくご家族の戦闘を邪魔します!」
大音声が室内に木霊する。
「いいぞ! 魔法少女の大切な人を見かけたときは?」
「必ず非戦闘地域まで誘導します! 人質にはとりません!」
ワズンは戦闘員たちの前を横切るように往復する。
「その調子だ! 魔法少女が俺たちを倒せそうになかったら?」
「偶然を装って私たちの弱点をバラします!」
自分の催眠魔法に満足がいった様子。口元に浮かぶ笑みを隠しきれていなかった。
「そうだ! 魔法少女の魔力が切れそうになったら?」
「可能であれば、魔法薬をさりげなく提供する、それができなければ何かと理由をつけて撤退します!」
立ち止まったワズンは、両手を左右に広げた頭上へと掲げた。
それはまるで、天に祈るかのように。実際にワズンにとってはこれは神事といっても過言ではない。
「素晴らしい! これで最後だ。魔法少女は?」
「世界の宝!」
催眠の成果に満足そうに頷くワズンの後ろへと近づく一つの影があった。
「今期の新人たちを集めて何をやっているかと思えば、また例の催眠ですか? ご主人様」
「あぁ、何かあってからじゃ遅いからな。組織に入る奴らの性格はアレだが、実力は折り紙付きの者ばかりだ」
「本当に困った奴らですよね」
「お前も立派な一員だよ、駄メイドが」
ワズンは振り返って、部屋へと入ってきたミュウへそう告げる。
そ、そんな。と無表情のまま泣き崩れるふりをするミュウに、
「おまえ、医務室には行ってきたのか?」
ワズンは冷め切った視線を送った。
ワズンの言葉にケロッと佇まいを正したミュウは、
「はい。それはもう念入りに精密検査を受けてきました」
「それで?」
「医療長より超健康優良体のお墨付きを頂きました」
「なるほど。つまり、救いようがないと」
ワズンは天を仰いだ。
天の存在を信じないワズンだが、天を仰がずにはいられなかった。
「このあとはいかがされますか? ご家族さま方から、ご主人様との面会のご要望が届いておりま――」
「全部却下だ」
「かしこまりました」
ワズンはミュウを引き連れて大部屋を後にした。
「今日は例の新人の見舞いへ行く」
「こちらがその新人の入院されている魔法協会の治療院の住所と、滞在許可証です」
「お前は性格さえまともならなぁ……」
冴えわたった推察力と手回しである。
これがミュウの性格がどんなに終わっていても、ワズンが彼女を重宝する理由の一つであった。
「では行くぞ」
「かしこまりました」
ワズンはミュウを引き連れて秘密基地を後にするのであった。
§
「――よし。これで肉体回復の促進、精神面の治療は完了だ」
病室に横たわる少女の顔に翳していた手をどける。
そのまま瞬きをせずに虚空を見つめる彼女の瞼を下ろした。
ふぅ、と一仕事を終えたワズンに、
「つくづく催眠とはすごい力ですね。治療を促進する効果があるなんて」
「病は気からと言うだろう。気の持ちようが体に及ぼす影響というのは、案外馬鹿にできないものがある」
催眠魔法とはその気持ちは手助けする。または、方向性を与える魔法。
「ご主人様と出会うまでは、催眠とは相手を混乱させたり、言いなりにさせたりするものだと思っていました」
ワズンは呆れたように、
「言いなり? それは不可能だぞ」
ミュウはキョトンとした顔で首を傾げると、
「そうなのですか? お言葉ですが、先日魔法少女に催眠魔法で盗聴器と髪飾りを交換させませんでしたか? それに本日行われた新人への催眠教育も」
ワズンはミュウの問い掛けに首を振ると、
「あれらは思考の誘導だ。誘導と支配は似て非なるものだ。催眠に相手の感情や理解を抜きにして従わせる力はない。本気で魔法少女を憎んでいる者には、あの程度の催眠など効きはしない」
「なるほど、一つ勉強になりました」
ミュウが恭しくその頭を下げた。
「俺はこの催眠魔法に可能性を感じている。この力を使って俺には叶えたい夢がある――」
ワズンはここで言葉を区切った。
「――俺は英雄になりたいんだ」
それを聞いたミュウは器用に眉だけをひそめた。
「悪の純血のようなご主人様が?」
両親や兄弟姉妹、祖父母に親戚一同犯罪者。
犯罪に手を染めていないものがいないほどの悪の血統。それがノックス家。
特にその直系ともなれば、その悪事は有史に残るほどのものであった。
「道が険しければ険しいほど、乗り越えた先で得られる喜びも大きいのさ」
ふっと笑うワズン。
その道の険しさは他でもない本人が一番理解していた。
「英雄なんてものはそんなにたいそうな存在ではありませんよ」
「――と言うと?」
「味方にとっての英雄足れば、その者は敵にとっての悪夢になりえませんか?」
「なるほど、それはおもしろい考えだな。それなら――」
ミュウの纏う空気が突如として変わった。
「――ご主人様。緊急事態です」
「どうした?」
ワズンの表情も真剣なものへと変わる。
「治療院に魔法少女が現れました」
ミュウの報告にワズンは苦い顔を浮かべると、
「なんだと? 予定では彼女たちによる見舞いは明日だったはず」
「どうやら予定が変わったようですね。二人分の気配が真っ直ぐにこちらへ向かってきます。いかがなさいますか?」
「手を出すなよ。ここには身動きの取れない新入りもいる」
それからほどなくしてワズンの耳にも二人分の足音が聞こえてきた。
その足音は部屋の前で止まる。
「お見舞いにきたよ――ってワズンッ!」
「こんなところに? 驚きなの」
現れたのは二人の魔法少女だった。
しかし、その服装はいつも見かける戦闘服ではなく私服。
以前見たときと変わらず金髪をツーサイドアップで結んだレオナと、その後ろに立つのは、褐色の肌に濃紺の髪をギブソンタックで纏めたエータ。
勝ち気なレオナの碧眼の輝きと異なり、見舞いの花束をもつエータの空色の瞳は揺れていた。
「くくく、まぁ、まて。レオナ、エータ。今回は戦いに来たのではない」
二人の魔法少女はワズンの存在に気がつくと身構えていた。
「あんたが言うことをわたしたちが信じられるとでも?」
「くくく、本当だ。信じてくれ」
ワズンはそう言って、二人の瞳を交互に真っ直ぐと見つめた。
「……そう。たしかに考えて見たら、戦うためにわざわざ新入りのところにワズンが来るのも変な話よね」
「……うん。レオナちゃん。それにここで戦ったら彼女を巻き込んじゃうの」
いささか平坦な声で二人の魔法少女はワズンの言葉に同意すると、臨戦態勢を解いた。
「くくく、そうだ。俺もそこの新入りを――身動きの取れない小娘に手を上げる趣味はない。だから、この場はお互い見なかったことにしよう」
「……じゃあなぜワズン。あんたはここに?」
退室への一歩を踏み出したワズンの足は、レオナの言葉に縫い留められた。
俺をまだ疑っている、ワズンにはそれが手に取るようにわかった。
「くくく、それはな、レオナ。お前を待っていたんだ」
「わたし?」
レオナはワズンの言葉に自分を指差して目を丸くした。
「くくく、お前は過去の戦闘で、我が秘密結社イビルからとある魔具を仕込まれている。俺はそれを取り上げにきた」
これがそうだ、と言いワズンは懐からレオナの本物の髪飾りを取り出した。
ワズンは後頭部に、どの口が言うんだ、という視線が飛んでくるのを感じていた。
もちろん自身のメイドからのその視線は無視した。
ワズンはミュウに髪飾りを手渡すと、ミュウが進み出てレオナへと髪飾りを差し出した。
レオナはそれをひったくるように手に取ると、
「…………なにが目的? 仮にあんたの言っていることが本当だとして、あんたのお仲間が仕込んだ魔具をわたしから取り上げる理由はなに?」
ミュウが再びワズンの後ろに控える。
ワズンは笑った。
「くくく、それじゃあ――つまらないだろう?」
「なにを……?」
レオナは後ろのエータを守るようにして一歩後ずさった。
エータの顔にははっきりと恐怖の感情が浮かんでいるのが見えた。
「くくく、なに。俺は俺のやり方で、お前たち魔法少女と向き合う。ただそれだけのことだ」
ワズンは二人のいる部屋の出口へと歩き出す。
ミュウがその後に続いた。
二人の魔法少女はワズンの姿が見えなくなるまで、手を出すことはしなかった。
こうして二人は戦うことなく堂々と正面から魔王少女を切り抜けるのであった。
§
秘密結社イビルの秘密基地。
間接照明で薄暗い自室へと戻ったワズンはミュウへ上着を手渡すと、部屋の中央に設置された豪華な椅子へと座る。
それからしばらくして、上着を片付けたミュウが飲み物をもってきた。
「とんだ自作自演でしたね。一つ質問をよろしいでしょうか」
ワズンがやったことと言えば、自分で仕掛けた盗聴器を恩着せがましく取り外しただけである。
差し出されたグラスを受け取り、鷹揚に頷くと、
「さきほどのやり取りで見せた魔法少女たちの不可解な行動は――」
「もちろん催眠魔法だ」
そう言ってグラスの中の液体で喉を潤す。
「いつの間に……?」
「過去に彼女たちへ催眠をかけたときに保険で『俺が目を見て信じて欲しいと言ったときは信じるべきだ』という催眠もかけていたんだ」
戦闘面では他の魔法に比べて数段に劣る催眠魔法。
ワズンはそれを根回しや、支援に回すことでその力を最大限に発揮していた。
「本音を言うと、レオナの髪飾りは俺の収集物に加えておきたかったんだがな。あの場でレオナを納得させるにはあれが最善だった。それにしても、レオナの髪飾り……あぁ、惜しいものを無くしたなぁ……」
ワズンは椅子に座りながら、遠い目をして宙に手を伸ばす。
ミュウがスッと自身の髪飾りをその手に差し出すと、彼女の手は髪飾りごと叩き落とされた。
ミュウは叩かれた手をさすりながら、
「味方には弱体化、敵には強化。悪の秘密結社イビルの次期総帥だというのに組織に仇なす行為。やはり最高にイカレてますねご主人様」
「悪にとっての悪は、正義だろ?」
ワズンはここで言葉を一度区切ると、
「――これぞ正しい催眠魔法の使い方、というやつだ」
そう言ってニチャァと笑う。
ミュウはその笑みを見て、ゾゾゾとその背中を震わせるのであった。
●ミュウに関するこぼれ話
イビルの組織内でもその美貌は評判。特に被虐性愛のある構成員からは、感情の見えないその冷たない眼差しに一定の定評がある。