十話 催眠魔法の限界《前》
ワズンは窮地に立たされていた。
運動のせいでうるさいほどに脈打っていた心臓が、今度は違う理由で激しく脈打っていた。
魔法刑務所の中でも、重犯罪者を拘束している地下区画。
その最奥の通路の角、袋小路でワズンは三人の魔法少女たちと向き合っていた。
平素であれば、願ってもいない状況。
魔法少女を推してやまないワズンにとって、推しが自分を認知してくれている、という状況は垂涎もの。
ただし、今このときだけは違った。
汗腺という汗腺から汗が流れ出ている気がした。
吹き出た汗の重さに耐えかね、雫が額を横切りその頬をつたった。
エリダの銀の瞳が冷たく突き放す。
「ワンさん――いいえ、ワズンさんと呼んだほうがよろしいですよね?」
小さく震える歯を食いしばり、生唾を飲み込んで、抵抗を試みる。
――まだだ、まだ……!
「なんの、ことだ?」
魔法少女たちによるブラフの可能性もある。
ワズンが選んだ選択肢は、しらを切って探りをいれるということであった。
「貴方の精神魔法は怪しいとは思っていたの。だから、一芝居うったの。もしもあなたがワズンなら、必ず侵入者を逃がそうとするだろうって」
だが、その理論には穴がある。
それはワズンとミュウの連絡が途絶えることが前提だということ。
ワズンの思考を読んだようにエータは言葉を続ける。
「――元会長を凄腕の刺客が襲ったのは本当なの。それを私とエリダちゃんで返り討ちにしたのも本当なの」
つまり、エータの言い分を信じるのであれば、ミュウが倒されたということは本当だということ。
ワズンはいますぐにでも、エータに催眠魔法をかけて、その詳細を聞き出したかった。
しかし、いま置かれた状況がそれを許さない。
魔法少女たちがブラフを言っている可能性が否めないからだ。
そのため、ワンを装ったワズンは、ワズンだと正体を見破った魔法少女たちに、ワズンではなくワンであるという立場を崩すわけにはいかなかった。
自己催眠でもなく、ただの根性でワズンは自信をワンだと思い込んで話を続けようとする。
しかし、その視線をエリダとエータ、そして最後にレオナへと向けたとき、それ以上の言い訳は口をついて出てこなかった。
その視線の先、レオナが苦しんでいたからだ。
その声は震えていた。
「信じられなかった……」
――ワンがワズンであるということに。
その表情は悲しみにゆがんでいた。
「信じたくなかった……」
――友人だと思っていたワンが敵であるということに。
その瞳は泣いていた。
「信じさせてほしかった……!」
――背中を預ける相棒の存在を。
最後まで言葉にしなくても、ワズンはレオナの言いたいことが伝わった。
短い時間とはいえ、二人は紛れもない相棒である。否、相棒であったのだ。
ワズンにとってレオナは、魔法少女の中でも特別な存在だった。
推しであり、友であり、相棒である。
レオナもワズンのことを憎からず思っていることは察していた。
いま彼女の頬をつたう一筋の線に、これ以上の嘘を重ねるのははばかられた。
「なんで……ッ。どうして……ッ!」
押し殺した慟哭のような声音に返す言葉がない。
人の心を操る催眠魔法。
しかし、その力は決して万能ではない。
催眠魔法に限らず、いかなる超常の力といえど人のもつ力である以上は限界というものが存在する。
魔法がその例である。魔法は奇跡を身近なものにした。だからといって奇跡がなくなったわけではない。
むしろ、奇跡と呼ばれていた現象が奇跡ではなくなったがゆえに、真の奇跡というものが浮き彫りになったのだ。
催眠魔法とは、心の魔法。
催眠をかけられる者ばかり気にかけられるがそうではない。催眠をかける者の心の強さにも比例する。
そして、二人の心の近さにも。
今のワズンにはこの状況をひっくり返すだけの力はなかった。
それがワズンの――催眠魔法の限界であった。
§
ワズンは訪れたその場所にそのまま投獄された。
魔法刑務所の中でも最奥の区画に与えられた独房は、人を一人を閉じ込めておくには不釣り合いなほどの大きな部屋であった。
白色で統一された無機質な独房には、通路同様に窓一つない。
囚人服を身にまとい、その首にはほかの囚人のように魔法封じのチョーカーを巻いたワズンは床で静かに横になっていた。
うたた寝から目覚めたワズンは、
「ふわぁ、いま何時だ?」
固まった筋肉をほぐすように大きく伸びをした。
四隅と天井に等間隔で設置された魔法石のおかげで、一日中明るい部屋では時間すらわからない。
いつ寝ても、いつ起きても目に映る景色は変わらない。
メイドを失い、魔法少女を失い、今や催眠魔法すら失った。
いまやワズンはエリダの読心魔法の執行をただ待つ身。
宝石商の元会長に読心魔法を使ったことで、彼女には再度読心魔法を使うために数日の回復期間が必要である。
それまでの執行猶予の時間であった。
ワズンは虜囚の身であったが、奇妙なことに自由が与えられていた。
食事も質素ながら、望めば支給され、娯楽のために魔法協会の映像配信を依頼すると二つ返事で了承された。
部屋の中央にぽつりと置かれた映像配信魔法具。それだけがこの部屋における唯一の備品である。
壁へともたれかかるように座ったワズンは、部屋の壁一面に映し出された魔法協会の通信映像に視線を向けた。
『今回も魔法少女はイビルをあと一歩まで追い詰めることができました!』
皮肉なことに、イビルの活動の鎮静化のために。ワズンを捕らえたことで、ワズンは取り返そうとイビルの活動が活発になっていた。
そのため、魔法協会の映像配信の内容にはことかかなかった。いつ見てもどこかで魔法少女とイビルとの戦闘映像が中継されていた。
魔法少女はイビルに押されていた。
「このままだと魔法少女は……」
あと一歩まで追い詰めたと言えば聞こえがいいが、要は逃げられたということ。
襲撃者が目的を果たし、それを防ぐべき者たちがその役目を果たせなかったことを意味する。
『またしてもイビルが現れたようです! 映像を近くの撮影班へと切り替えます!』
切り替わった映像の先、映し出されたのは少女と少年。
ワズンにとって、画面の中でにらみ合う二人はよく知っていた。
――ガンマ!
『出たわねガンマ! 今度は逃がさないんだから! ワズンは捕まえた! あとはあなたたちを捕まえてイビルは終わりよ!』
『逃がさない……? 誰が誰を? 逃がさないのはこっちのセリフだ。ザコはザコらしく大人しく寝てろよ!』
二つの力がぶつかり合う。
まるで翼の生えた猫のように、縦横無尽に戦場を駆けまわり、レオナへと肉弾戦をしかける。
レオナは魔法で強化した体でこれを迎え撃つが、
「レオナ。ガンマの土俵ではお前は勝てない」
画面を見てぽつりとつぶやいたワズンの言葉通り、周囲の建造物や瓦礫などを飛び回るように動くガンマの三次元的な攻撃に、レオナは対応が後手に後手にと回り、劣勢を強いられていた。
『やっぱりお前は弱いな! ザコがッ!』
『く、くぅぅぅ……!』
ガンマの掌底がレオナの交差した腕をすり抜け、その顔をしたたかに殴打した。
のけぞるレオナのがら空きになった腹部へ回し蹴りを叩きこむと、レオナは画面から勢いよく消失する。
「レオナ……ッ!」
食いしばった歯が音を立てた。
画面の中で動きがあった。
吹き飛ばしたレオナを鼻で笑うガンマの後ろから飛び上がった二つの影。
『それまでだ!』
『うぉぉおおお――!!』
彼らは魔法協会所属の冒険者のようだ。
いつから様子を伺っていたのだろうか。ガンマが気を抜いたと見て、強襲にうって出たのだ。
「甘い」
ガンマは流れるような動きで振り返ると、振り下ろされた剣先を躱し、逆に襲ってきた二人の首に手をかけた。
人の体から鳴ってはいけない音がした。
直後に武器を手放し、崩れ落ちる二つの影。
『ほら、ザコ。お前が弱いからこいつらが死んだ。これかもどんどん死ぬぜ? 奥の力があるなら使わないと。それともないのか? これが、この程度がお前の本気なのか?』
画面の中のガンマは、どこまでもレオナを馬鹿にして煽り散らかしていた。
映像が瓦礫の山から立ち上がるレオナを映し出す。
『ま、まだよ……』
口の端から血の筋が顎に伝っていた。
蹴られた腹部が痛むのだろう。腹部を抑えながら、口から血を流しながらも立ち上がる。
瞬歩と呼ばれる独自の歩法で、あっという間にレオナと距離を詰めたガンマは、手刀を繰り出した。
レオナは間一髪でそれを転がるようにそれを躱した。逃げ遅れた数本の金の髪が宙に舞う。
震える足でなおも立ち上がるレオナに、ガンマは、
『その根性は評価するけど、まだまだだな』
またしても、瞬歩で彼我の距離を詰める。
今度は躱せないように、ガンマは先にレオナの腕をつかみ、
『恨むならザコに生まれた自分を恨め――あばよ』
対の手で形作った手刀をレオナにめがけて振り下ろした。
思わず画面越しにワズンは叫ぶ。
「やめろッ!」
ワズンの思いが通じたかのように、ガンマがレオナからさっと距離をとった。
そして、一拍遅れて着弾する魔法の光。
映像が魔法の光が飛来した方角へ移り変わると、
『レオナちゃん!』
その先にいたのは空飛ぶ箒に跨る一人の魔法少女、エータ。
レオナの危機を聞きつけて駆け付けたのだろうが、実にいいタイミングであった。
レオナの前に立つように、エータは着陸して跨った箒から降りた。
警戒した様子のガンマは、
『お前は――』
『私はエータ。それ以上の言葉は必要ないの』
そういうと、エータのそばの何もない空間から突如として魔法の光がガンマへ向けて射出された。
それを難なく回避したように見えたガンマであったが、
『……お前は』
エータを見つめるその瞳が大きく見開かれていた。
ガンマが踵をあげたときだった。
通信魔具が少し離れたところから聞こえてきた声を拾った。
『――こっちだ! いそげ!』
映像越しに聞こえたのだ。
現場ではなおのことだろう。
さらに複数人の駆けてくる足跡まで聞こえてきた。
ガンマは浮かした踵を再び地につけると、
『ちっ。増援か……』
その声と音のした方角を忌々しそうににらめつけた。
『どうやらここまでのようだ。最後に、おいお前――』
そういってガンマは、エータに庇われて立つレオナに冷めた視線を送った。
『ー―お前のようなザコは、やっぱり魔法少女に向いてないぜ』
嘲るように言葉を吐き出したガンマは、三次元的に瓦礫や建造物を足場に跳躍すると、その場を後にした。
それを合図に、通信映像も戦場から魔法協会の支部に移り変わる。
移り変わった支部では、魔法の有識者たちがイビルの対策について意見を述べていた。
ワズンは握りしめた拳に力を込めた。
「そんなことはない……そんなことはないぞ、レオナ」
吐き出した言葉は誰にも届かない。
●収監に関するこぼれ話
地上階へは軽犯罪者が、地下階へは重犯罪者が収監される。
地下へと収監された者は、基本的に生きて日の目をみることはない。非道な人体実験の被験体になるか、拷問の末に処刑されるかの二択。