五話 催眠魔法の信頼度《後》
「最近頑張っているの、レオナちゃん」
「そう?」
エータと合流したワズンとレオナは、レオナの希望した喫茶店へと足を運んでいた。
艶のある蔓や花が壁や柱に調和した喫茶店は、絵になる大人の店であった。
この日に訪れていた客層も、見る限り若年層はおらず、レオナたちが群を抜いて若かった。
ほかの来店客は、紳士淑女ばかり。彼らは注文した品と共に穏やかな午後のひと時を送っていた。
喫茶店にはテラス席が用意されていた。
ちょうど入れ替わりでテラス席にいた老紳士が退店し、図らずとも三人が通りに面したテラス席を独占することになった。
テラス席に用意された丸机を囲むように座る三人。
三人の目の前にはコースターと、その上にはグラスに入った珈琲飲料。
砂糖を加えた上にミルクで割ったレオナに、砂糖を少し加えたエータ。
ワズンが飲むのは、もちろんブラック。
学生時代に、ブラックを飲んでいることがカッコいい男だと拗らせていた時期があった。その名残であった。
当時から侍従であったミュウに散々からかわれた手前、引くに引けなくなり、以降はずっとブラックを貫き通していた。
それも今ではもう慣れた。
慣れこそしたが、正直言うと牛乳ドバドバ、砂糖ザバザバで飲んでみたい、と今でもたまに思ったりもしていた。
「うん。協会でレオナちゃんの名前はよく話題にあがっているの」
「エータはね。あたしと同じく魔法少女なんだけど、裏方に回ってあたしたちの活動を支えてくれているの」
エータはレオナと違って中長距離を得意とするほか、頭脳労働派であるようだ。
それは秘密基地時代に収集していた過去の戦闘情報からもその傾向が見てとれた。
「……だから、出撃回数がほかの魔法少女たちより低かったのか」
それを聞いて不思議そうに首を傾げたエータは、
「ワンはあたしたちの出撃回数なんて数えているの?」
――失言だったか?
ワズンの脳内はこの場を切り抜けるために、フル回転する。
しかし、エータの問いに答えたのはワズンではなく、
「だってねー? エータ知ってる? ワンは昔からのあたしたちの大ファンなんだって」
満面の笑みを浮かべたレオナであった。
レオナはからかっているつもりなのだろう。
悪戯な笑みを浮かべて、レオナは意味ありげな視線をワズンへと送っていた。
ワズンはこれ幸いとその話の流れへと乗ることにした。
「あぁ、物心ついたときから大ファンでな」
「そうなの。ありがとうなの」
言われなれているのだろうか。
それともワズンに興味がないのだろうか。
言葉ほどにその顔に喜色はなく、声音も平坦なものであった。
ふと喫茶店に面した町の通りが騒がしくなる。
三人が三人、不快そうに眉を寄せると声の聞こえてきた方角へと目を向けた。
「誰の許可をもらってここで商売をしているッ! 儂は許可しておらんぞ! えぇッ!?」
そこには恰幅のよい老人が、膝をついた妙齢の女性と、その腕の中で震えるレオナたちよりさらにずっと若い少女を怒鳴りつけていた。
「なにとぞ、なにとぞ……。主人をなくして久しいのです。こうでもしないと、生きては――」
「あばずれの事情など知ったことかッ! 儂の目の届くうちで商売するんだったら、場所代を払わんかいッ!」
聞こえてきた話を聞く限り、日銭を稼ぐために手作りの魔具を通りの片隅で売っていたところ、このあたり一帯を商売の縄張りとする老人に見つかったようであった。
程度に大小こそあるが、お互いが生活のかかった話。加えて、商人たちはことのほか利権というものに敏感である。
ぼろを纏い、老人に怒鳴られているのはおそらく母娘だろう。
二人はどこか顔立ちが似ていた。腕の中の娘は、目の前の老人から逃げるように母親の胸に顔をうずめて震えていた。
やがて、許しを請うばかりの母にしびれを切らしたのか、老人はみずから母親の腕を強引に引っ張った。
「なに、あの人感じ悪い……! あたし止めてくるッ!」
立ち上がろうとしたレオナだが、エータはその手を掴んでそれを制止した。
「だめなの」
「どうしてッ!?」
エータを睨みつけるレオナの顔には正義の心が浮かんでいた。
感情の高ぶりに合わせてレオナの体から魔力が漏れ始めると、風が吹いてもいないのグラスの中の珈琲に波紋が立つ。
「彼はこの町で最大手の宝石商会の会長なの。それに、会長は魔法協会の大口の後援者なの」
「大人の世界ってやつだな」
エータの発言を聞いて、レオナを押しとどめた行動に合点がいった。
彼がイビルでも驚きはしないだろう。
世界にとって幸か不幸か、彼はイビルに所属はしていなかった。
「そんなッ……!? それでも……あたしは、黙ってられない!」
レオナは立ち上がると、二人をテラス席へと残し、騒ぎの中心へ駆けていってしまった。
その背中をぽかんと見送る二人は、
「やれやれなの」
「でも、それがレオナのいいところだろ?」
二人の視線の先では、護衛に囲まれた会長と激しく言い争うレオナの姿。
二人の怒鳴り声は通りによく響いた。
唾を飛ばして権力を振りかざす会長に、レオナは一歩も下がらない。
会長の護衛たちも、注目を嫌ってか会長をなだめるが、会長はそれらの制止を振り切ってレオナをなじる。
二人の言い争いは近くにいた人々の視線をよく集めた。
先に折れたのは会長のほうであった。
「――ええい、儂の支援あっての魔法協会! その儂の顔に泥を塗るとは! 小娘ッ! 覚えておれよ……ッ!」
肩を怒らした会長は、護衛を引き連れてその場を後にするのであった。
彼らの背中を睨めつけるレオナであったが、その姿が見えなくなるとホッと安心した表情を浮かべていた。
母親は抱きしめていた我が子を開放すると、膝立ちとなってレオナへとすがりついた。
「ありがとうございます! ありがとうございます――」
喜色を浮かべて、壊れたように感謝の言葉を繰り返す。
そのすぐそばでは突然母親から解放された子どもが、支えをなくしてポテっと倒れこんだ。
その際に、どうやら膝を擦りむいてしまったようで――
「う、う、うぁぁぁぁああああん!!」
これまで恐怖でたまっていた涙腺が、ほんの些細な傷をきっかけに決壊した。
よほど厳しい生活を送ってきたのだろう。
この母娘はともに余裕というものがなかった。
「ありがとうございますありがとうございます――」
「うわぁぁあああん! あぁぁああん! あぁぁああん――」
こうなると子どもは止まらない。
鼓膜を突き破って、脳へと響く甲高い鳴き声。
「大丈夫、大丈夫ですから――あ、あんたは、な、泣かないで……」
引きつった顔ですがりつく母親をやんわりと引きはがしつつ、泣き叫ぶ子どもにも視線を送る。
そうは言っても子どもは泣く。
レオナの言葉に反発するようにより大きな声で。
「あぁぁああん! あぁぁああん――」
周囲の視線が痛い。
ワズンとエータは、子どもをあやすのに苦労しているレオナへと歩み寄った。
エータはレオナにすがりつく母親をその背後に回って引きはがしつつ、泣き叫ぶ子どもを見つめると、
「子どもは泣くのが仕事なの」
「エータも泣き止ませるの手伝ってよ!」
少しいらだった様子のレオナはきつい口調でエータをなじる。
するとそれを聞いていた子どもはますます激しく泣く。
「あ゛ぁぁああん! あ”ぁぁああん――」
「ち、ちがうの……! 今のはエータに! この子に言ったの……!」
ようやく母親から解放されたレオナは、エータの後ろに回ってその肩をゆすって見せるが、泣くのに夢中な子どもはそれに気づいた様子はない。
「だめなの。聞こえてないの」
「もー、どうすんのよー!」
普段勝気なレオナの瞳が弱気に歪む。
その口元もへにょりと曲がっていて、レオナも今にも泣きだしそうであった。
ワズンは一つ大きな息を吐くと、泣き叫ぶ子どもの前に進み出た。
子どもの前で左膝を折ると、擦りむいた子どもの患部へと手をかざした。
「痛いの痛いの飛んでいけ――」
レオナの視線を感じた。
「あ゛ぁぁああん! あ”ぁぁああん――」
エータの視線も感じた。
「痛いの痛いの飛んでいけ」
「あぁぁああん! あぁぁああん――」
二人の魔法少女の視線を感じ取り、俄然やる気がみなぎってきた。
「痛いの痛いの――飛んでいけッ!」
そう言って、手をかざしていた患部から大袈裟に手を振り払った。
まるでかざしていた手で痛みを掴み、それを遠くへと投げ捨てるようにと。
その芝居がかった仕草に、泣き叫んでいた声が止まった。
そして、
「どうだ? まだ痛いか?」
優しく問いかけられたワズンの言葉に、
「ウッ、ウッ、うっ、ん……? 痛く、ない? 痛くない、痛くない痛くない!」
打って変わってキャッキャッと声を上げる子ども。
つい今まで泣き叫んでいたとは思えない笑顔。
涙と鼻水の跡が、そのかわいらしい顔にまだくっきりと残っていた。
レオナがワズンの隣で膝をつくと、彼女の鼻をかんであげ、身だしなみを整えてあげる。
すっかりと痛みがなくなったようで、素直にレオナにされるがままである。
「いまのも、魔法?」
「あぁ、精神魔法の応用だ。とは言っても怪我が実際に治ったわけじゃない」
エータはワズンの魔法に関心があるようだ。
その後も、いくつかワズンの魔法について聞かれたが当たり障りのない答えを返していると、
「――ウッ!」
少女の頭がワズンの腹部に勢いよく突き刺さった。
「ありがとッ!」
少女はそのままワズンの腰に手を回し、ワズンを抱きしめた。
一瞬息が詰まったが、それもいくつか呼吸を入れれば収まった。
ワズンの腹部に顔をぐりぐりとこすりつける少女に、ワズンは戸惑ったものの、その頭がちょうどいい位置にあったのでその上に手を置いた。
それを見ていたレオナがからかうように、
「ワンは子どもが好きなの?」
「……泣いている子どもが嫌いなだけだ」
頭に置いた手で乱暴に子どもの頭をなでる。
子どもは意味もなくただ笑う。一連の出来事だけですっかり懐かれた様子。
何が面白かったのかそれを見ていたレオナが小さく笑みをこぼす。
「もう、素直じゃないんだから」
ワズンに頭を撫でられてキャッキャッと笑う子ども。
母親を抑えながらもエータはその光景に首を傾げて、
「……ワズンは少女趣味?」
「やめろ!」
それを食い入るように否定する。
エータはそんなワズンを見て微笑むと、
「安心するの――レオナは実っているの」
抑えていた母親から手を放し、滑るような動きでレオナの後ろへと回ると、その両手でレオナの双丘を下から持ち上げて見せた。
突然の眼福の光景に、食い入るように釘付けになるのは哀しき男の性。
思わず、子どもの髪をクシャっと掴んでしまう。
それもキャッキャッと笑って喜ぶ子ども。
そんなことも気にならないくらい、ワズンは目の前の光景に目を奪われていた。
確かな二つの質量がそこにはあった。
レオナは鬼のような形相を浮かべると、
「なに、みてん、の、よッ!」
レオナから放たれた、コマ送りのような綺麗な右ストレートがワズンの額を打ち抜くのであった。
「な、んで、俺……?」
それをもって、痛みと共にワズンにとって眼福の時間は終わりを告げるのであった。
●喫茶店に関するこぼれ話
珈琲や紅茶は、一杯が庶民の人一人の一日の食費ぐらいする嗜好品。
そのため、若年層からは一人で喫茶店へ行くことは一つの大人の象徴として考えられている。