必殺スカルナックル
魁人はごくシンプルに生きてきた。
そもそも半年分の記憶しかない魁人に、複雑な生き方というのは難しかった。
だからその行動原理はとても分かりやすい。
拷問のような実験から救い出してくれたからドクターに恩を感じ、それを返す為に働いている。
あぶく銭が入ったら、興味の赴くままに衝動買いしてしまう。
ドラマのカッコいい主人公に憧れたら、言動を真似る。
今日黒田と真弓を助けたのだって、別に慈悲の心から二人を助けようと思って助けたわけではない。「番場丈ならそうしただろう」という、本当にただそれだけの理由だった。
格好いいヒーローに憧れて、単純にその模倣をしているだけ。
だから自分は小春が言うほど『優しい』わけではないと、魁人はそう思っている。
しかし今。ストーカーの拳を防いだのは、「番場丈ならそうしたから」と考えたからではない。
真弓と小春の姿を確認した瞬間、身体は反射的に動いていた。
そして今、右の掌に、女性の首を折るには十分な威力を感じた時――魁人は、感じたことのない衝動を覚えた。
――この野郎。許さん。
気が付けば、魁人はストーカーのどてっぱらに前蹴りを叩きこんでいた。
「ぅげっ!?」
汚い悲鳴を上げながら、ストーカーは大きく吹き飛んだ。
様子見を選ぶことなく、即座に魁人は前進した。後方の二人の安全を距離を開けることで確保する。
男との間合いを詰めながら、魁人は拳を握りこんだ。
イイ女に手加減無しの拳を振り下そうとした眼前の男は、魁人からしてみれば飛び切り『ダサい男』にカテゴライズされた。
番場丈ならこんな魔人は生かしておかないだろう、と魁人は地面を転がる男に追撃を試みようとしたが――
「バディ、D粒子はコイツから?発狂状態か」
念のためバディに問う。もしもただの人間であれば、対応は変えざるを得ない。
『間違いなく適合者だが、発狂の段階にはない。意味のある言葉を発していた』
「……素面でやってんのか」
その回答を聞いて、魁人の頭から『手加減』の文字は消えた。
「バディ。コイツはアレだな」
『何か』
「海星が言うところの『喧嘩売っていいヤツ』だ」
『カテゴリー【喧嘩】は売り物になるのか?』
「押し売りすんだよ」
ぎくしゃくと立ち上がった男に向かって、魁人は拳を構えた。
「なっ、なんだっ、おまえっ!」
慌てて立ち上がったストーカーもまた、でたらめな構えをとる。その動きにダメージは見受けられない。魁人の前蹴りは、万が一相手が普通の人間であった場合を考慮して手加減されていたからだ。
しかしここからは容赦の必要はない。魁人は静かに息を吐くと、全身に漲る力を自覚する。戦闘用の変質は会敵前に済ませている。そして男の一撃を受け止めた際に、肉体のスペックで完全に上回っているのは理解していた。
単純な力押しでも制圧が可能だろう、と魁人は判断する。相手以上の力とスピードで圧倒してしまうのが一番手っ取り早い、と。
『魁人、なるべく人間の範疇に収まる動きで制圧するのを推奨する』
しかし、バディからそんな注文が入った。
「あん?なんで」
『目撃者がいる。超人的な能力の持ち主が存在することを知られれば、ドクターの偽装工作が水泡に帰す可能性がある』
「アイツ派手に暴れたっぽいぜ?手遅れじゃねえの」
魁人はちらりと背後に視線を送る。男二人が失神して倒れており、フロントガラスが粉々になった車の傍らには滅茶苦茶に握りつぶされたサイドミラーが転がっていた。
『最善は尽くすべき』
「……まぁ、確かにドクターの心証が良いにこしたことはねーよな」
何しろ俳優の件は黙ったままだ。魁人としてもこの上失点を重ねたくはなかった。
「おっ、お前もっ、邪魔するのかっ!!」
男の甲高い声が響く。
魁人は視線を正面に戻すと、ちょいちょいと手招きをした。
分かりやすい『かかってこい』のサインだった。
「――!こっ、ころしてやるっ!」
顔を真っ赤にして、男は魁人に飛びかかった。
大ぶりのフックを、魁人はバックステップで躱す。空振りした拳がブロック塀を破壊し、内部の鉄筋が露わになった。
常識を超えた怪力だ。
しかし、あまりにも分かりやすいテレフォンパンチである。人間を超える動体視力と反射神経を持つ魁人にとって、ストーカーの攻撃は何ら脅威にならなかった。
「さて、どうやって仕留めるかな」
『脳震盪を狙うべき。ヴィーライトは脳そのものを変質させることはない。頭部を揺さぶるのは、適合者への明確なダメージとなる』
「オッケー」
バディのアドバイスに素直に頷き、魁人は狙いを男の顎に定めた。横方向からの衝撃を加えれば容易く脳震盪を引き起こすことができる部位だ。無論脳へのダメージは深刻な後遺症を招く場合もあるが、魁人は意に介さなかった。カウンターパンチを顎に叩き込むことに決めて、最適なタイミングと間合いを測る。
だが、魁人の反撃を受ける前に、ストーカーの体に異変が起こった。
「――あっ、あいっ、いたぁい!?」
男は突如悲鳴を上げると、びくびくと痙攣した。
めきめきと音を立て、男の両腕が膨れ上がる。一回り大きくなった両腕には不自然な筋肉と血管が浮き上がり、激しい心臓の鼓動に合わせて小刻みに震えている。
不完全な融合によって引き起こされた肉体の変質が、更に進行したらしい。
「ひぇー、あの二人から距離離しておいて正解だったな。こんなん間近で見られたら誤魔化し効かねぇよ」
『肥大化はヴィーライトの犯す典型的なミス。一見分かりやすい強化だが、人体に適していない。ましてや両腕だけの肥大化など……あのヴィーライトには質量と性能と経験が不足している』
「言うねえバディ。っと、来るか」
「あがああああっ!」
変質による激痛に悶え、口角からよだれをまき散らしながらも、男は魁人に襲いかかった。
太い腕が唸りを上げる。凄まじい風切り音を生じながら、一撃必殺のパンチを繰り出される。
だが、魁人には当たらない。
「なっ、なんでっ、なんで当たらないっ!?」
男はほとんど半狂乱だった。真っ赤になった顔のあちこちに、異常な太さの血管が浮き出ている。
「ぼぼぼ、ぼくはヒーローに、ヒーローになったのに!」
駄々っ子のように叫ぶ男は、業を煮やして思いっきり拳を振りかぶる。
それは誰が見ても分かる、特大の隙だった。
「そうかい。俺もさ」
バディ以外には聞こえない小声でそう返し、魁人は今日初めて拳を振るった。
右フックが芸術的にストーカーの顎を捉える。
「――こっちは極映のお墨付きだけどな」
それで最後だった。
ストーカーは白目を剥いて、直立した姿勢のまま、ものも言わずにアスファルトに倒れた。
「へっへー。我ながら完璧な一撃ィ」
『意識喪失を確認。魁人、ターゲットへの直接接触を求める』
「オッケー」
魁人は素早くマウントポジションをとると、意識を失っている男の顔面を鷲掴みにした。直接接触によって、バディは魁人の肉体を通じて男に融合したヴィーライトへ干渉することが可能になる。
ヴィーライトの摘出には欠かせない作業であるため、当然魁人はバディの指示に素直に従ったが――
『ヴィーライトの摘出、並びに変質した肉体の修復を始める』
バディのその発言には、眉を顰めた。
「……あん?修復?治してやんの?」
『肯定。まずはターゲットのヴィーライトを支配下に置き、その後肉体を元に戻す。摘出は最終段階。ヴィーライトを摘出するだけでは、異形の肉体がそのまま残ってしまう』
「おあつらえ向きの罰だろ、こんなヤツには。後遺症の一つも残りゃあいい」
『後遺症では済まない。ヴィーライト抜きの人体は、異形化に耐えられないからだ。場当たり的に手を加えられた筋肉や骨格や内臓に適応できるほど人間は頑丈ではない。長時間の生命維持は不可能と推測される』
「ふーん。だけど死んじまってもいいだろコイツ。魔人みたいなヤツだし。気ィ使って元に戻してやるこたねーんじゃねえの」
一貫して男の生命を軽視した発言を続ける魁人だが、バディもまた引かなかった。
『目撃者に確認されたであろう右手と顎の怪我以外は修復するのが得策。検死によって異形化が世間に露見するのは、ドクターが望むところではない』
「ウチって警察にもパイプあるんだから、あっちのほうで上手く隠してくれるだろ」
『アンチレギオンは利害の一致から公安警察の一部に伝手があるに過ぎない。完璧な隠蔽は不可能と推測される』
「……んー、じゃあまぁ、治してやったほうがいいのか」
――ま、番場丈もそうするかもな。
加えて呟いたその言葉で何らかの折り合いを付けたのか、魁人は少々入りすぎていた右手の力を緩めた。
「握りつぶしてやりたくなるから早いとこ頼むぜ、バディ」
『最善を尽くすが、百秒以上はかかると推測される』
バディの施術が始まった。
男の体は度々激しく痙攣するが、膨れ上がった肉体は徐々に正常に戻っていく。
そして、二分ほどが経過して――
『修復完了。ヴィーライトを摘出する』
バディがそう告げると、男の額から何かが浮き上がってきた。
漆黒の結晶体――ヴィーライトである。
指でつまめるほどにヴィーライトが露出すると、魁人はそれをむしり取った。皮膚との癒着が最後の抵抗だったらしく、男の額からそれなりの血が流れたが、魁人は全く気にしない。ヴィーライトをポケットに収めると、素早く立ち上がる。
そして「お疲れさん」の一言でバディを労うと、後方数メートルの距離でへたり込む女性二人へと目を向けた。
「――しかし覆面はマジで大正解だったな。まさか俺の数少ない知り合いが目撃者になるとは思わなかったぜ」
『天文学的な確率と推測される』
「監督が言うところの『運命』ってヤツかもな。浪漫あるぜ」
魁人は軽口を叩く。
『……正体が露見していなければ良いが』
バディは懸念を口にした。
「はっはっは、なーに言ってんだよバディ」
そのバディの心配を、魁人は笑い飛ばす。
「完璧な変装だぜ?お釈迦様でも気づかねえって」