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8/12

不幸


撮休の前日は病室に泊まって、それ以外の日はアヤが寝付くまで待ってからマンションへ。


帰りはどうしても不定期になってしまうから、夜は少しでも長く一緒にいる。それが我が家のルール。


親子二人きりの、北園家の。




後部座席のシートに体を預け、私は腕時計を見る。


23時。アヤが寝付くのを待っていたら、すっかり遅くなってしまった。


車を運転しているのは、付き人の小春ちゃん――ではなく、ボディガードの一人。身辺警護専門会社から送り込まれた二人組の大男は、運転席と助手席に無言で収まっている。


初対面で鈴木と佐藤を名乗ったこの二人の私語を、私はほとんど聞いたことがない。携帯電話と無線を用いた業務連絡の他は、ひたすら無言だ。


何となく戦闘ロボットを載せているような気分だ。幾つかの武器を腰にぶら下げているのも、そのイメージに拍車をかけている気がする。テーザーガンとはいえ銃の形をした武器を身に着けているのは、いかにも物々しい。まぁ頼もしくはあるけれど……華はない。華を求められても困ると思うけど。




「いやー、それにしても今日はびっくりでしたねっ。わたしあんなカッコいい男の人初めて見ましたよ」




――だから、小春ちゃんの明るい声には随分救われる。




本日何度目かの『彼』の話題に、私は頷きを返す。


確かにインパクトのある青年だった。アヤとの面会の際にも話題にしてしまったくらい。


「確かにびっくりだったわね。……演技のほうも別の意味でびっくりだったけど」


「あ、あはは。でも明日から真弓さんが指導してあげるんですよね?真弓さんに教えてもらえるなら、きっとぐんぐん上手くなりますよ、魁人さん」


「そんなに熱心に教えるつもりはないわよ」


実際、撮影の合間に少しだけ助言を送るつもりだった。まとまった時間を確保してマンツーマンでレッスン――なんてことを考えてはいない。


「そんなヒマないもの」


――そして、気力も。


「……うーん、確かにアヤちゃんとの面会時間が少なくなっちゃうのはアレですよね……あ、じゃあ病院に魁人さん連れて行っちゃうのはどうです?読み合わせなら病室でも出来るでしょうし、アヤちゃんも『そんなイケメンさんならあってみたいわ!』ってはしゃいでましたし」


「ほとんど初対面なのに、娘の面会に付き合わせるの?魁人君も居心地悪いでしょう」


「魁人さんその辺全然気にしなさそうですよ」


……確かに彼は『初対面で尻込みする』とか、そういった繊細なメンタルとは無縁に見えた。


「アヤちゃんあんまり男の人と接する機会もありませんし、結構喜んでくれるんじゃないでしょうか!」


「情操教育にもなるかもですよっ」と小春ちゃんは圧を強めてくる。


ころころ動く表情が、見ていると楽しい。彼女が努めて明るく、私を元気づけようとしているのが伝わってくる。


――小春ちゃんは付き人の枠を超えて、私たち家族に肩入れしてくれている。本人は「お給料貰いすぎてるので、当然です!」なんて言うけれど……私からしてみれば、付き人の給料って安すぎる。黒田さんから相場を聞いた時は冗談言ってるのかと思ったもの。私は相場の三倍ほどを支払っているけど、それだってまだ安いと思う。




「……そうね、魁人君がいいって言うなら考えてみましょうか」


「是非是非。魁人さんは押しに弱いと見ましたよっ」


「確かにそんな感じだったわね」


小春ちゃんとの何気ない会話が、落ち着く。病院にいた時から張りつめていた意識が、少しだけほぐれたのがわかった。




そう、病院にいる時は集中していないといけない。


だってアヤとの会話は『気が抜けない』から。




悲しい顔を見せてはならない。あの子が不安になるから。


苦しい顔を見せてはならない。あの子が心配するから。


怒った顔を見せてはならない。あの子が怖がるから。




あの子の前では、いつでも完璧な笑顔で、理想のママでいなくちゃならない。




別段、それを辛いと思ったことはない。人は誰しも、いくつもの仮面を使い分けて生きていると思うから。


でも、着けるのが難しい仮面もあれば、着けてて楽な仮面もある。小春ちゃんと話している時がそれ。




――そういえば、魁人君と話している時も、不思議と『楽』だった。


なんでかしら、と少し考えて、ふと思い至った。


そうだ。病気になる前のアヤ。彼と話していると、そのアヤと一緒にいるような気分になった。


無邪気で、元気いっぱいな子供みたいで。それ以外の顔を、まだ持っていないような。


「……あんなに大きな図体してるのに、ね」


ごくごく小さく呟いて、深くシートにもたれかかる。


前部座席の男たちの後頭部が、何となく気になった。


戦闘ロボットのように思っていたけれど――ひたすら無言のこの二人も、家に帰れば家族や恋人がいて、別の顔を見せるのだろうか。


ぼんやりとそんなことを思う。




きっちり制限速度を守った車が、滑るように静かに進む。時間も時間だし、幹線道路に面していないので、交通量は少ない。


今年になって日本に帰国した時に買った自家用車だけど、それなりの値段がしただけあって乗り心地は良い。


もうマンションはすぐそこだけれど、少し眠くなってしまう。




自然と私の瞼が落ちて――




「ブレーキ!」


助手席の鈴木の大きな声に、はっと目を開いた。


急ブレーキと、車体への衝撃はほぼ同時だったように思う。


「――!」


「うひゃあ!」


シートベルトがしっかりと役割を果たし、私と小春ちゃんは少しつんのめるだけで済んだ。




――何かが車体にぶつかった。それとも、はねた?




目を瞑っていた私にはわからない。


でも、正面を向いていた小春ちゃんは違ったらしい。




「大変っ!ひ、人が――!」




顔面蒼白の小春ちゃんは慌ててシートベルトを外し、外に出ようとする。


フロントガラスから見える道路に、男性が横たわっているのが見えた。




――人身事故っ?人をはねたの?!




私もシートベルトを外し、スマホを取り出しながらドアハンドルに手を伸ばす。




「外には出ないで下さい!」




しかし、鋭い声に制止された。


「物陰からこちらに向かって飛び出してきました。まともな手合いじゃない」


眉間に皺を寄せながらそう言うと、鈴木はドアを開く。


「通報もこちらで行います。お二人は対応しないで下さい」


佐藤はそう言うと、インカムに向かって「アクシデント発生」と話し始めた。


私はひとまず浮かしかけていた腰を落ち着けると、同じく外へ出るのを思いとどまった小春ちゃんと顔を見合わせる。


「……飛び出してきたの?」


「た、確かに物陰から、こう、びゃっと来ました。当たり屋さんですかね……?」


小春ちゃんの言葉に、私は首を傾げる。


車は徐行してたわけじゃない。時速40キロ以上は出ていたはず。当たり屋を試みるにはリスクが高すぎると思う。


現に、まともにはねられた男性は身じろぎもしない。


「だ、大丈夫でしょうか……」


小春ちゃんがそわそわしながら、身を乗り出すようにして男性の様子を伺おうとしている。


車を降りた鈴木は、


「大丈夫ですか」


はっきりとした声で語りかけながら、横たわる人物に近づいて行った。


鈴木の声に反応があった。


こちらに背を向ける形で倒れていたその人物は、ゆっくりと首を捻ってこちらを見る。




――ヘッドライトに照らされたその男に、見覚えがあった。




肥満体の、不健康そうな男。


警察から私に対する接近禁止命令を出されているストーカー。


そのことに鈴木も気づいたのだろう。腰のホルダーから短い棒を抜くと、一度素早く振った。棒は瞬く間に70センチほどに伸びる。


警棒だ。ナイフのように鋭い刃こそついていないが、慣れた者が使えば立派な凶器となる。


「……お前は北園さんへの接近禁止命令を出されている筈だ。何故ここにいる」


声をかける鈴木を、男は完全に無視していた。


私は眉を顰める。ヘッドライトの逆光を搔い潜るように、男の視線が絡みついてきた。


ニタリと笑った男が、ゆっくりと立ち上がる。


「おい。動くな」


鈴木の言葉は、もちろんストーカーの身を案じての言葉じゃない。


比較的治安がマシなほうとされている日本においても、銃の入手法はある。格闘技はおろか運動の経験すらロクになさそうなあの男でも、武器を隠し持っていれば脅威になる。


だけど、どうやら男は大きな得物を隠し持ってはいないように見えた。というのもバッグの一つも持っていないし、身にまとっているものもパツパツでヨレヨレのTシャツとジーパン。何かを隠し持っていればシルエットで丸わかりになる。


「最後の警告だ。それ以上近づくな」


鈴木が再び声をかける。


男は無視して、一歩を踏み出した。




鈴木は無言で動いた。


見た目からは想像できないほど素早い。巨漢とは思えないスピードで間合いを詰めて、ストーカーの太ももに思いっきり警棒を振り下ろす。


――うわっ。アレ絶対折れた。


そう確信を持てる勢いで直撃した。




けれど。




「い、い、いたいなぁ!」




甲高い声で叫びながら、体勢を崩すこともなく右手を振りかぶる男を見て、私はぎょっとする。


――ウソ。「いたい」ですむわけがない。仮に鍛えに鍛えた格闘家であったとしても、あんな一撃をモロに貰ったら即ダウンするはず。


鈴木にとっても予想外だったのか、ストーカーの反撃への対応が一瞬遅れたようだった。


「じゃっ、じゃ、邪魔するな!」


ストーカーの右手が唸りを上げる。全然腰が入ってない、手打ちのビンタだ。


回避が間に合わないと踏んだのだろう。顔面を狙うそれを、鈴木は左手を上げて咄嗟にガードした。


普通に考えればダメージにはならない。ガードに成功した素人のビンタなんて。




「がっ?!」




だけどそれを喰らった鈴木は、冗談のようにスピンして、アスファルトに倒れ伏した。




ピクリともしない。


――冗談でしょ?大の男を、張り手一発で?


ストーカーはまじまじと自分の手を見つめると、気持ちの悪い笑みを浮かべる。




「え、えへ、えへへへへ。やっ、やっぱりだぁ。あ、あちこち痛いけど、ぼ、ぼく、ぼくはヒーローになったんだ」




もごもご呟くと、ストーカーは足を上げた。


――倒れた鈴木の頭の上で。




「じゃっ、じゃまなヴィランは、つ、つぶさなきゃ」




頭部へのストンピングなんて洒落にならない。


そう思ったのは私だけじゃなかったらしい。


運転席から佐藤が飛び出した。




「――動くな!」




テーザーガンを抜きながら、佐藤が言う。




ストーカーは銃口に視線を向けた。振り上げた足を背中側に降ろし、一歩下がったような形になる。


「そ、そんなの無駄だぞ。あ、あの石で、ぼっ、ぼくは無敵になったんだ」


だけど、真っすぐ銃口を向けられているにも関わらず、ストーカーは薄ら笑いを張り付けたまま訳のわからないことを言う。


「……何か譫言のようなことを言っている。リミッターの外れたような怪力といい、恐らく何らかの薬物を使用している」


佐藤がインカムに話す。その後何らかの指示を受けたのか、「了解」の一言と共に佐藤は躊躇なく引き金を引いた。


テーザーガンから放たれた二本のワイヤー針が、ぶよぶよの体に突き刺さった。


「ぎぎぎっ!いっ、いだぁい!!」


悲鳴が上がる。


高圧の電流がワイヤーを伝って、強制的に筋肉を麻痺させて無力化する――




「で、でもっ、ぎがない!!」




――はずだった。


ストーカーはぶるぶる震えながらも腕を動かすと、ワイヤーを引っ張って体から針を引っこ抜いた。


――悪夢みたい。そんなこと、人間に可能なの?




私と同じく愕然としている佐藤に向かって、ストーカーはギクシャク走る。夢に見そうな気持ち悪い走り方だ。


まるで麻痺した肉体を、何かが無理矢理動かしているかのよう。


「なっ――!?」


「じゃ、邪魔!お前も!」


そんな不自然な動きなのに、佐藤に反応を許さない程速い。


子供の喧嘩みたいに、ストーカーは佐藤の胸を両手で突き飛ばした。


佐藤は冗談のような吹き飛び方をした。放物線すら描かかず、真っすぐブロック塀に激突する。


フロントガラス越しに、佐藤がぐるんと白目を剥いたのが見えた。




まずい。


何があったかわからないけど、このストーカーは異様な怪力を持っている上に、自制心の欠片もなさそう。早く車で逃げないと、私と小春ちゃんも危ない。


私は無理矢理後部座席から運転席に移ろうとする。


「――ダメ!真弓さん!」


だけど小春ちゃんの手が、私を後ろに引き戻す。


その瞬間、轟音と共にフロントガラスにクモの巣状のヒビが走った。細かいガラス片が前部座席に舞う。


歪むガラス越しに、タガが外れたように笑うストーカーの姿が見える。


「いっ、ひっ、うひっ!まっ、真弓姫!いっいっ、いまっ、そこに行くからね!!」


ストーカーが、駄々っ子のようなパンチをフロントガラスに叩きつけている。その度に、血の赤がガラスに塗りたくられる。割れたガラスによってかなり出血してるようだけど、ストーカーはまるで意に介していない。


狂ってる。


頑丈な強化ガラスが、三発目の拳に耐えかねて砕けた。


小春ちゃんから絹を裂くような悲鳴が上がる。


生ぬるい空気と共に、クリアになった狂笑が入り込んでくる。


けたたましく鳴り響く車のアラーム音、そして何より恐怖に追いたてられて、私たちは車を脱出して――




「ひ、ひはっ」




当然のように、絶望と対面した。


首を傾け、引きつったように笑うストーカーの右手は血で真っ赤だ。


私たちとの距離は二歩分か、三歩分か。なんにしろ、さっきの異様な速度からして走って逃げるのは絶対無理。




――小春ちゃんだけでも、逃がさないといけない。




「小春ちゃん、逃げて。狙いは私だから」


小春ちゃんに囁いて、私はストーカーに敢えて一歩近づいた。


そして、最高の笑みを浮かべて見せる。




「――ありがとう。迎えに来てくれたのね?」




とにかく、刺激するのは避ける。佐藤の連絡で通報は済んでいるはず。警察が到着するまで、そんなに時間はかからない。




――元々私への思慕を拗らせていたストーカーだ。そんなに簡単に殺されることはない、と、思いたいけど。




私の笑みを見て、ストーカーは満面に喜色を浮かべた。亀裂のような悍ましい笑顔。


「そっそっ、そうだよ真弓姫っ!いっ、今っ、抱きしめてあげるからねっ!!」


私しか目に入っていない。ストーカーは真っすぐこちらに踏み出すと、サイドミラーにぶつかって――


「じゃ、じゃまっ!」


それを片手でやすやすともぎ取った。


めきめきと音を立てて、ストーカーの手の中でサイドミラーが砕けていく。




殺されることはない……かしら。




背筋を伝う冷や汗を自覚した、その時だった。




ばしばしと何かを叩く音がした。あまり迫力のない音。


私は顔を少しだけ音のする方向、後ろに向けた。


――小春ちゃんが、恐怖で震える太ももを拳で殴りつけてる。


いけない。逃げようにも、足が動かないのかもしれない。もう少しだけ時間を稼がないと。


だけど――私がストーカーに何か別の言葉をかけようとした時、小春ちゃんは動いてくれた。


ぶるぶる震える足で。


私の一歩前に。




「うーっ!」




全く怖くない威嚇の声。


見開いた眼一杯に涙を溜めながら、小春ちゃんはへっぴり腰でファイティングポーズをとった。




一瞬、理解が追い付かなかった。


「何やってるの」「こっちじゃないでしょう、どう考えても」「逆方向に逃げるの」「アイツを刺激するようなことしちゃダメ」。そんな色んな言葉が頭の中を駆け巡って――私は小春ちゃんの真意に気づく。




守ろうとしている。


私を。あんなバケモノから。


小さな体の、全身から勇気を振り絞って――




「逃げてっ、真弓さん!」




――ああ。


何て馬鹿な子。


わかるでしょ、どうしようもないって。


手の打ちようがない、理不尽な不幸ってあるものなのよ。




「おっ、おまっ、おまえも、じゃまっ!!」




ストーカーは一瞬で表情を憤怒に染めると、右手を振りかぶる。




――だめ。


死んでしまう。小春ちゃんが。


私は必死に手を伸ばして、小春ちゃんを抱き寄せようとする。


間に合わない。


私の動きより、ストーカーが腕を振り下ろす方が早い。




どうしようもない。




私には、もう、どうしようもないから――




「誰かっ、助けて!」




居もしない誰かに、助けを求めることしか出来なくて。





一瞬後の惨劇を予感して、恐怖に見開かれた私の目に――







ストーカーの右手を受け止める、誰かの背中が写った。





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