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浪費と浪漫

魁人は染み一つない新品Tシャツを着て、喫茶室に戻るべく小春の隣を歩いていた。


「サイズピッタリのがあって良かったですねぇ。似合ってますよっ」


「へへ、照れちまうな」


小春の言葉にはにかんで答えた魁人は、手に提げた紙袋を揺らしながら上機嫌だった。


汚れたTシャツをずっと手で持ってるわけにはいかないだろう、と、倉庫にいたスタッフがくれた物だ。五百円しか持ってない男にとって、そこそこしっかりした紙袋とTシャツの替えは有難かった。


「ツイてたぜ。あと二、三杯コーヒー浴びたらもっと服貰えるかな」


「馬鹿言っちゃいけませんよ。あの時本当に心臓止まるかと思ったんですから……」


言いながら小春は先ほどの事件を思い出したのか、ぶるっと身震いすると、魁人の顔を見上げる。


とんでもないイケメンは「ジョークだよ」とからから笑っているが、一歩間違えば真弓を庇って大怪我を負っていた。


「あっ」


そこで小春はとある事実に思い至る。


自分はこの好男子に、大事なことをし忘れていた。


小春は慌てて足を止めると、魁人に向かって深々と頭を下げた。


「ん?」


なんだなんだと目を丸くする魁人に、


「――魁人さん。先ほどは真弓さんを守ってくださって、本当にありがとうございました!」


小春は改めて、心からの感謝を告げた。


魁人はきょとんとした後に、じんわりと嬉しそうな笑みを浮かべると、それを隠そうとするかのようにむにむにと口を動かす。


「……んへへ、気にすんなって。あのくらい朝飯前ってやつさ」


「気にしないわけにはいきませんよ。魁人さんも大やけどするところだったんですよ?」


「あそこで助けに行かないようじゃスカルフェイス失格だろ。撮影前から降板しちまうよ」


「ふぇー」


気の抜けた感嘆の声と共に、小春は眩しそうに魁人を見た。


「自分の身も顧みず他人を助けるなんて――魁人さん、優しいんですね!」


そう言って目を輝かせる小春を見て、「まぁな!」と軽口を返そうとした魁人だったが、うまく行かなかった。言葉に詰まって、曖昧な笑みを返すに留まる。




――何せ『自分の身も顧みず』というのは見当違いだからだ。黒田を助けたときも真弓を助けたときも、魁人にはバディという保険があった。




加えて二人を助けた動機も、実のところそう立派なものではなかった。




そんな魁人の心境には気づかず、小春は話を続ける。


「それで、ですね。その、厚かましいと思われるでしょうけど、魁人さんの優しさに付け込んで一つお願いがありまして……」


「え?お願い?」


そこで小春は再度頭を下げると、ぱんっと魁人に向かって拝み手をした。


「真弓さんのこと、気にかけてあげてください!」


随分とふわっとしたお願いであった。魁人は首を捻る。


「気にかけるって言っても……そりゃまぁ今日みたいに俺が助けられることがあれば助けるけどよ」


「あ、いや、それは有難いんですけど、何ていうか」


自らの『お願い』を自身でも把握しかねているのか、小春はうーんと唸って少々黙ってから、精いっぱい自らの考えを言語化しだした。


「えーとですね、真弓さん、すっごくいい人なんです。その、今はちょっと冷たく見えるかもしれませんけど、実はすごく優しくて。私がドジやって前の仕事クビになるところ、付き人として拾ってくださったのが真弓さんで。……でも、今真弓さんプライベートで色々あって。多分、精神的にすごく疲れてて」


「……メンタルケアみたいなことしてくれってか?自慢じゃねーけどそーゆーの絶対向いてねーぜ、俺」


人生経験半年の自分にカウンセラーの真似事が出来るとは到底思えず、魁人は渋る。


「いえ、魁人さんには何か変な才能があると思います」


だが、小春はあやふやな断言をした。


「なんか変な才能ってなんだよ」


「ええとですね、魁人さんと話してるとき、真弓さんいつもと違いました」


「いつもと違う、って……どんな風に?」


「えーと、なんていうか、ちょっと油断してる感じ?」


そう自分で言っておきながらしっくりこなかったのか、小春はうーんと唸って言葉を重ねる。


「いや、違うかな。気が抜けてる、っていうほうが正しいかも。それって今の真弓さんにとって、とっても大事なことだと思うんです」


「んん?気が抜けるのって良いことなのか?」


「……以前、黒田監督が仰ってたんです。『真弓は昔はもっとはっちゃけてて、話してると面白いねーちゃんだった』って」


「はっちゃけ……嘘だろそりゃ」


ほんの小一時間の付き合いしかないが、真弓が『はっちゃける』という言葉とは対極に位置する存在であることは、魁人にも何となくわかっていた。


「黒田監督、真弓さんとは付き合いが深いらしくて。そんな嘘つく人じゃありませんから、きっと本当なんだと思います」


「ふーん」


「……でも、アヤちゃんが――いやえっと、あることがあってからは、『ずっと張りつめてて、ちょっとしたきっかけで破裂しちゃいそうだ』って……」


眉尻を下げながら語っていた小春は、そこでぎゅっと両手で拳を作った。


「だから、魁人さんがちょっかいだしてふにゃっとさせてほしいんです!」


小春はいつのまにか前のめりだった。


気合の入った『お願い』に、魁人は目を細める。


ただただ真摯に真弓のことを思っている小春の姿が、不思議と眩しかった。


「小春さん」


「はい?」


「あんたもイイ女だな」


「ぅえへっ?!」


究極の二枚目に真顔でそんなことを言われて、小春は真っ赤になった。






喫茶室に戻った後は、結局大した話は出来なかった。


真弓は予定が入っていたし、黒田にも追加の会議の連絡が入ったからだ。魁人は明日朝イチで撮影所に来ることを約束させられ、ひとまず解放された。


台本と、少なくない現金を手渡された上で。


まず黒田から「朝助けてもらった礼だ」と財布に入っていた紙幣を全部。真弓からも「クリーニング代。新しく買った方が安そうだけど」の言葉と共に二万円を頂いていた。


合わせて十万円に迫る大金を手にした魁人はひとまず撮影所内の食堂で五人前を平らげ、腹を満たしたところで行動を始めた。





金が入ったこの男が何をするのか。





そう。無駄遣いである。







ロシナンテを出ると、生ぬるい夜の風が魁人の肌を撫でた。


時刻は23時前。当然太陽は影も形もないが、七月も下旬に差し掛かり、都内は今日も熱帯夜だった。


しかし不快指数の高い空気も、魁人の上機嫌を崩すには至らない。帰路に就く魁人は鼻歌交じりだった。




「今日は最高の日だったぜ」


パンパンになった紙袋を手に提げ、魁人は満足げに囁く。


紙袋に詰まっているのは衣類がメインだった。相変わらずこの男はロシナンテで服を購入していた。


今回は女性の店員が「別の店行った方がいいですよガチで」とか「おすすめのショップ教えますよ」とか「お兄さんがナッグの服着てると軽犯罪になっちゃうかもしれない」とか最後まで抵抗しながらも、滅茶苦茶親身になって相談に乗ってくれたので、知識がないなりに無難な夏服を揃えることに成功している。マンションに最初から用意してあった下着や肌着なども合わせれば、当面服には困らない。


「これで明日からの通勤も安心だ」


『到底通勤には使えそうもない品物も購入したようだが』


体内からのツッコミが入った。


それが最後に購入したアイテムについて言及していることを察し、魁人は口を尖らせた。


「うるせーな。良いだろコレ」


ちらっと紙袋を覗き込めば、そこにあるのは覆面であった。スカルフェイス初代における汎用ザコ魔人、『スケルトン』が被っている覆面である。実は骨格がプリントされたスケルトン風Tシャツも購入してあるので、セットで着用すれば今日からザコモブになれる。


『そんなものを買ってどうする』


「そんなものとはなんだそんなものとは。スケルトンは魔人の基本。スカルフェイスだって広義ではスケルトンなんだぞ。良い買い物したぜ我ながら」


『用途が不明。銀行強盗以外の実用性を述べよ』


「はっはっは。あると思うかこんなもんに実用性が」


『……浪費癖は早急に改めるべき』


「浪費じゃねえ。浪漫さ」


ご機嫌の魁人の口は、言い訳じみた言葉遊びを滑らかに送り出す。とにかく気分が良かった。


購入したばかりの二つ折りの財布にはまだ七万円ほど残っており、ひたすら心強い。テンション高く、最早怖いものはないとでも言いたげな魁人は、




『ところでドクターへの説明はどうするのか』


「くぅーん……」




バディからの容赦のない冷や水に、即座に負け犬になった。


バディの言う通り、勝手に俳優になっちゃった件は一切解決していない。


しばしうんうん唸っていた魁人は、やがておもむろに口を開いた。


「……取り合えず」


『取りあえず?』


「なんか暴露しても怒られそうもないタイミングが到来するまで黙っておくか」


魁人はクソみたいな解決策を捻りだした。


『そのタイミングとやらは永久に来ないと推測される』


「じゃあもう放送まで黙ってよう」


『殺されるのではないか?』


「多分大丈夫だって。なんでかんでドクターちょっと甘いとこあるから」




――端末に着信があったのは、魁人が舐めた口を利いた直後であった。




甲高い音を聞いて、魁人は硬直する。


ドクターから支給されたこのスマホもどきに連絡を入れてくるのは、ドクター以外に存在しない。


「……と、盗聴されてる?」


『そのような機能がついているのなら、もっと早い段階で連絡があったはず』


「だよな、そうだよなっ」


バディに同意しながらも、魁人は恐る恐る端末を覗き込む。


珍しいことにメッセージではない。端末は通話を求めている。


何か差し迫った状況になければ、ドクターは通話を選ばない。故に『コールの場合は絶対に出ろ』。そう厳命されている。


魁人は幾らかの逡巡のあとに、通話のマークをタップした。


「……ハイ。なんでしょうか」


『何だその敬語は』


男か女かもわからない合成音声が端末から響く。自らの組織の傘下にある者に対しても、ドクターの秘密主義は徹底している。


「い、いや、まぁ気分で。へへへ」


『……まぁいい。緊急事態だ』


魁人はごくりと生唾を飲み込む。『浪費の挙句にテレビに出ようとしている極めつけにアホのエージェントにぴったりな拷問法を思いついた』とか言い出したらどうしよう。そう考えて戦々恐々とする魁人だったが、


『ラボのセンサーがD粒子を感知した』


その言葉を聞いて、即座に表情を引き締めた。


D粒子。ヴィーライトが放射する固有の粒子だ。しかし、休眠状態のヴィーライトがこの粒子を放つことは無い。


人体と融合し、活性化した時のみに放たれる。


「確かか」


『間違いない。まさかとは思ったがな。現在およそ時速四キロで移動中だ。端末に位置情報を送る』


魁人は端末を操作する。ターゲットの位置が地図上に表示された。


現在地から僅か一キロの距離である。


『D粒子が感知された以上、まず間違いなく不完全な融合を起こしている。融合からどれくらい時間が経ったかは不明だが、既に被害者はまともな精神状態ではない可能性がある』


魁人は眉を顰めた。ヴィーライトとの不完全な融合は極めて危険だ。融合が進めば進むほど心身に失調をきたし、その先の死は確定してしまう。


『個人差はあるが、デッドラインは融合からおよそ二十時間。だがこれは拒絶反応及びショック症状で絶命するまでの時間だ。完全に発狂した人間の脳は元には戻らない。つまり、精神の死はもっと早く訪れる』


「急行すればいいんだな」


『その通りだ。融合した人間を生かしたままヴィーライトを摘出できるのは、君しかいない。頼めるな』


「了解」


『恐らく位置的に君が一番乗りとなる。他のエージェントも急行させるので、ターゲットに発狂の兆候がなければ監視したまま到着を待ち、協力して事に当たれ』


「……もう発狂してて、一般人に被害が及びそうな場合は?」


『単独で制圧せよ。我々は別段正義の味方ではないが、大ごとになってヴィーライト関連の事件が公になるのは望ましくない』


「アイアイサー」


『それと、出来得る限り面相は隠すように。目撃者が居た場合、また顔を変えてもらうことになりかねんからな。――以上』


通話が切れる。


現場に急行しようとしていた魁人だったが、ドクターの最後の言葉に足を止めていた。


――出来得る限り面相は隠すように。


秘密組織のエージェントとして活動するのなら、それは当然だ。顔バレはシャレにならない。


だが、それは普通の人間であればの話だ。


僅かな日数で完璧に顔を変えることのできる魁人にとって、面相が割れることは大したデメリットにならない。ドクターが枕詞に『出来得る限り』と付けたのもそこが原因だろう。最悪、バレたらまた顔を変えればいい――その考えは至極当然のものだ。


魁人もそう考えていたハズだ。


――昨日までの魁人であれば。


「……今は顔変えられねーって」


通話が終わった端末のディスプレイに、苦悩する美男子が反射する。


今顔が変われば、俳優間魁人は一日で失踪することになる。そうなれば憧れのヒーローは泡沫の夢だ。


バディどうしよう、と魁人は囁こうとして、


『――魁人。先ほどの発言は撤回する』


それより前に、体内から答えがあった。


「へ?」


『確かに良い買い物だったようだ』


買い物。その言葉に、魁人は持っている紙袋を見る。






ザコ魔人の覆面と目が合った。





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