なれるとおもう?
真弓に連行されて辿り着いた建物を見上げて、魁人は首を捻っていた。
――真弓の六歳の娘が難病の治療中で、面会の約束を反故にするわけにもいかない。だから病院に魁人を連れて行って、無理にでもレッスンの時間を捻出する――そういう話だったはずだ。
「真弓さん、娘さんの病院いくんじゃなかったのか?」
「そうだけど」
「高そうなホテルについたけど」
「ここが病院」
真弓がぴっと指さした先には、『春信病院新館』の文字が刻まれた飛び切り豪華なレリーフがあって、魁人は目を疑った。
「……マジかよ」
「行くわよ」
呆気にとられる魁人に声をかけ、真弓は躊躇いなくエントランスへと入っていく。
続いてエントランスに入った魁人は、確かに自らの認識が誤りであったことを理解した。
魁人は小声でバディに語り掛ける。
「バディ、確かにここはホテルじゃねえな」
『肯定』
「宮殿だ」
『否定』
バディにそう即レスされても、魁人は疑わし気に辺りを見渡していた。
「だって見ろよ滅茶苦茶豪華なクソ広いアトリウムにグランドピアノ置いてあんだぞ。宮殿だろこんなの」
『富裕層向けの病院と推測される』
「限度があるだろ。こんなとこに来るのは患者っていうかマハラジャだぜ。俺どっちでもないから場違い感がすげえ」
バディとこそこそ会話をしながら、魁人は真弓の後を追う。通いなれているだけあって真弓は当然迷うこともなく、広いエレベーターに乗って六階まで上がり、『北園亜矢』のネームプレートが掲げられた部屋までほんの数分だった。
そこで魁人はまたも自分の目を疑うことになった。
――インターホンと電子ロックついとる。
「マンションだったのか……?」
「病院だってば。……アヤ、帰ったわよーっ」
真弓はカードキーを使って電子ロックを解除すると、普段とはまるで違う明るい声を響かせた。
「あっ、ママ。おかえりーっ」
子供特有の甲高い声が室内から返ってくる。真弓はすたすたと室内へと足を進め、魁人は内装を眺めながら少し遅れてついていく。
広い部屋であった。魁人の部屋が三つは入る。
テーブルやソファといった調度品は一目で高価と分かる代物揃いで、魁人の部屋にあるような百均のグッズは一切見当たらない。中でも一際目を引くのが豪華なベッドだった。
そのベッドに横たわっているのは、ベッドサイズと比べて余りにも小さな女の子だった。
傍らに立つ妙齢の看護師にそっと背中を支えられ、少女はうんしょと身体を起こす。
くりくりとした大きなヘーゼルアイに、きれいに梳かれた色素の薄い髪。目鼻立ちには母譲りの美貌が既に顕在化している。
将来美女になることが確約されたかのような少女だった。
ただ、その体つきはやや痩せ気味で、子供らしい丸みに欠けている。絹のように白い顔色も人種に由来したものではなかった。隣に立つ看護師が血色良く若々しい健康的な体つきをしているので、少女の病的な儚さは強く浮き出ていた。
「ただいま、アヤ」
真弓はその少女――アヤにやさしく微笑みかけた後、視線を看護師へと向ける。
「こんにちは陽子さん。回診中でした?」
「お帰りなさい、真弓さん。少しお話をしていただけですよ」
「いつもありがとうございます。……アヤはワガママを言いませんでした?」
「ふふふ、いつも通りのいい子でしたよ。ねー?」
「ねー!」
陽子とアヤは揃ってちょっと首を傾げて笑いあった。ほほえましい光景を見て真弓は目尻を下げると、後方の魁人を振り返ってちょいちょいっと手招きした。
「なら良かったわ。――アヤ、今日はお客様を連れてきたの。挨拶できる?」
「おきゃくさま?」
そこでアヤの視線が魁人を捉えた。
「よう!間魁人だ、よろしくな!」
快闊に挨拶を飛ばす魁人を見て、大きな目がまん丸に見開かれる。
「わぁ!わぁ!!あなたがママが言ってたカイトさん?!ほんとにすごくカッコいいのねっ」
目を輝かせながら前のめりになる少女を見て、魁人も悪い気がしない。にっと口角を上げて、アヤと視線を合わせる。
「お、ありがとよ。おチビちゃんも妖精みてーに可愛いぜ」
「まぁ、おチビちゃんだなんてレディにむかっていっちゃダメよ」
「おっと、こりゃ失礼レディ。名前を伺っても?」
「うふふ、ゆるしてあげる。アヤよ!」
「ありがとよアヤちゃん」
あっという間に距離を詰めた二人は、楽し気に言葉を交わしている。
その魁人を見て、陽子もまた目をまん丸にしていた。
「――ま、真弓さん、この方が連絡にあった付き添いの?」
「ええ。もしかしたら今後も何度か連れてくることになるかもしれません」
「それは今回のように事前に連絡を頂ければ大丈夫なのですが――」
そこで陽子は声を落とすと真弓に近づき、耳元で囁く。
「とんっでもないイケメンさんですね……俳優仲間ですか?」
「ええ。でもひよっこの中のひよっこですから、別にかしこまる必要ありませんよ。顔だけで演技はゴミです」
真弓は別に囁きで返さなかった。よく通る美しい声が魁人の鼓膜に突き刺さる。
「聞こえねえように言ってくれる?そういうこと」
多少のプライドは持っている魁人は真弓を振り返って半目で抗議したが、真弓は「だって事実だもの」と答えるだけだった。魁人はため息を吐くと、傍らの陽子と目を合わせた。
陽子はどっきーんと胸が高鳴ったのを自覚したが、努めて平静であろうとした。職務中である。それなりの給料をもらっているので、顔面つよつよお兄さんが相手だろうときゃぴきゃぴするわけにはいかない。
でもさりげなく前髪は整えた。
「初めまして。間魁人、駆け出し俳優だ」
「は、はい初めまして。わたし、看護師の白井陽子と申します」
「看護師か。白衣の天使ってヤツだな!」
使い古された表現も、空前絶後のイケメンが良い声で用いれば必殺の武器だった。
「いえいえ天使だなんてんふふ、もう!」
陽子はくねっとしてきゃぴっとした。
「……」
しかし真弓からしらーっとした目線が飛んできたので、咳払いして居住まいを正す。そして綺麗にお辞儀をすると、「何かあったらナースコールをお願いしますね」と言ってそそくさと立ち去った。
陽子を見送って、真弓は「さて」と呟いた。
いつもなら親子で語らいながら、アヤの勉強を見てあげる時間だったが、今日はそうはいかない。
「アヤ、ごめんね。今日はちょっと魁人君にお芝居のレッスンをしてあげないといけないの。ちょっとうるさくなっちゃうけど、ここでお稽古してもいいかしら?」
愛娘相手に申し訳なさそうに切り出す真弓だったが、アヤはむしろぱっと表情を輝かせた。
「もちろんいいのよ!おしばいみるのだいすきだし、ママもやるんでしょ?」
「ええ」
「んふふ。アヤはね、ママのおしばいみるのがいちばんすきよ!」
「――ありがと。ママ張り切るからね?」
そう言って、真弓は幸せそうに微笑む。
「うおっ」
その顔を見て、魁人は思わず声を上げていた。
アヤに向けるその笑顔は、本当にぞっとするほど柔らかく、完璧なものだったから。
日頃の無表情に完全に慣れ切っていた魁人は度肝を抜かれ、目を剥いて真弓の顔面を凝視する。
「……何」
だがアヤに背を向ければいつもの冷視線だった。
「あ、いや、なんでもないっす」
「そう。晩御飯まで時間ないから手早く始めるわよ」
「うす」
◆
読み合わせは順調に進む。激しい感情表現を抜きにすれば、魁人の演技力はどんどん向上している。
だが――
「ハッハッハ!」
病室にロボの笑いがこだまする。
「あっははは!はひーっ!」
アヤの笑い声がそれを追う。
魁人の棒読み笑いが余程ツボに入ったのか、それまで大人しくレッスンを見ていたアヤは、涙を流して大笑いしていた。
「かっ、カイトさん、わらうのへたっぴーっ!」
子供の純粋な感想が、刃となって魁人の心をえぐる。
「ぐっ、どうせ俺はヘタクソだよ」
「腐らない腐らない」
真弓は口をへの字に曲げる魁人の背をぽんぽんと叩いて励ます。アヤはその様子を見ながら尚も笑っていたが、涙を拭って小首を傾げると、
「ねーねー、なんでほかのセリフはふつうなのに、わらうのだけあんななの?だいほんにそうかいてあるの?『ぼーよみで』って」
残酷な追撃をかました。
「このガキ、言葉のナイフで人を殺そうとしてやがる」
「私の愛娘をガキだなんて呼ばないで。殺すわよ」
「親子して殺しにかかってくるのかよ。俺が何した」
アヤは不貞腐れる魁人を見てもう一度きゃははと笑ってから、
「ねーママ、あたしもまぜてくれる?」
上目遣いでそんなおねだりをした。
仕事の一環と言っても過言ではないレッスンの最中だ。如何に愛娘の言葉といえど、大女優北園真弓は毅然として跳ね付けるかに思われた。
「あらいいわよ」
だが笑顔で二つ返事だった。アヤが心から大笑いしている姿を見て真弓はデレデレだった。
「おいおい、こっちは真剣なんだぜ」
「大丈夫よ、アヤ貴方より上手いから」
「何てこと言いやがる……」
あまりといえばあまりの真弓の言葉だったが、流石に魁人は怒ることはなかった。所詮親バカの戯言と真に受けなかったからだ。
何しろ相手は六歳児であり、魁人のそれは至極当然の判断といえた。
「じゃあアヤ、漢字にひらがなを振ってあげるからね」
「ありがとママ。でもね、ちょっとかんじもよめるようになってきたのよ」
「流石ママの子ね、天才。じゃあアヤには私の役をやってもらおうかしら」
「サクラちゃんよね?ママのえんぎをみてたから、だいたいどんなヒトなのかわかったわ。――うふふ、ママよりうまくやってみせるんだから!」
「あーら出来るかしら?」
台本を覗き込んでキャッキャ言ってる親子二人を見て、魁人はやれやれと肩を竦めた。どうやら子供の遊びに付き合うことになりそうだな、と。
ややあって振り仮名を振り終えた真弓は、台本をアヤに手渡す。
「――はい。このシーンはアヤの台詞からよ。ここからね」
「はーい。もうはじめていいの?」
「いつでもいいわよ。ね、魁人くん」
「はいはい、好きなタイミングでどうぞお姫様」
「うふふ、たのしみ!」
屈託なく笑ったアヤは台本に目を通し――次の瞬間その雰囲気を一変させた。
スイッチを切り替えたかのように、幼気な表情が一瞬で消え去る。
『海星。仕事の時間よ』
堂々たるセリフだった。
スカルフェイスのメインヒロイン、白銀サクラ。二十四歳、公安警察に所属するキャリア組の才女。幼い声であるにも関わらず、目を閉じればその姿が浮かび上がってくる。
真弓の言葉は事実だった。
魁人のなけなしのプライドは完全に折れた。
◆
魁人は滅茶苦茶肩を落としていた。
ほぼ前屈だった。
「何曲がってるの魁人くん」
「ふっ……人はプライドが折れた時、体も折れるらしい」
「じゃあ体伸ばせばプライドも回復するわね。しゃきっとなさい、本読み中なんだから」
襟首を引っ掴まれて強制的に姿勢を正された魁人は、ころころ笑う亜矢を見て深々とため息を吐いた。
『天才子役』。目の前の子供が、そんなありきたりな言葉では表現しきれない存在であることが、ほぼ素人の魁人にも分かってしまった。
「……才能ってのは残酷だぜ。すげーなアヤちゃん……いや」
魁人はしなしなの声でそう呟いた後、しかし堂々と胸を張ってみせた。
「もうちゃん付けは無しだ。アヤ、俺はキミを上回る……!今日は多分無理だけど、そう、近日中に……出来る限り……可能ならば……!」
とりあえず魁人はカッコつける。中身は後からついてくるらしいので。未実証だが。
その魁人の様子を見て、アヤはふふーんと顎を上げる。
「そんなかんたんにいくかしら?わたし、しょうらいママみたいなじょゆうになるのよ?」
得意満面といったその表情に、子供らしい万能感が漲っている。
――だが。
次の瞬間、不意にアヤの顔は翳りを帯びた。
「……なれるとおもう?」
不安、あるいは恐怖。人形のように整った顔にそんな感情を覗かせながら、アヤは恐る恐る魁人に問う。
魁人は一瞬おやっと首を傾げたが、
「ああ、きっとなれるぜ」
直ぐに軽々しく保証した。
アヤがどうして急に弱気になったのか――それを察することが、魁人にはできなかった。
「俺ですら今や俳優なんだぜ?そんだけ才能ありゃあ、大人になったら誰もが羨む大女優だ」
取りあえず急に上目遣いになったアヤを励ますように、魁人は太鼓判を押してやる。
アヤは一瞬目を伏せ――
「――えへへ、そうよね」
胸に手を当て、小さく笑ってみせた。
「……」
真弓は無言だった。
ただ穏やかに微笑んでいた。




