【9:届け物と贈り物】
「で、俺のところへ来た、と」
「度々申し訳ありません、兄上」
翌日の昼過ぎ、レフノールは王都港湾区を訪れていた。アルバロフ家の現当主が会頭を務める大商会、バストーク商会の本店である。忙しい兄のことであるから少々待たされはしたものの、時間は確保することができた。
「そう他人行儀にするな。お前の頼みならだいたいのことは聞くと言っている」
頭を下げたレフノールに、次兄イグネルトは笑って応じた。
「今回はわざわざお運びいただいたわけだしな、大尉殿に」
「やめてください兄上」
「繋ぎを取った商会はどうだ? 問題のなさそうなところを見繕ったが」
イグネルトが持ち出したのは、先日の、調達を実際に担当する業者を仲介した件のことだった。
「今のところ問題はありません、おかげさまで。こちらの事情も汲んでくれそうですから、我々としては面倒がなくて有難いところです」
レフノールの返答に、イグネルトは、そうか、と満足そうな表情で頷いた。
「それで、紹介状だな? エリムスには小さいが支店がある。直接の取引はどうだったか忘れたが、関わりがないわけじゃない。無碍に断られることはないだろう。何通要る?」
「最低限、鍛冶師と革工職人、弓師と矢師。馬車の整備と修理ができる職人。他に、木工職人、大工と石工、左官は可能であれば」
「協力してくれる職人連中には何かあるか?」
給金以外の部分で、ということは聞かずとも理解できる話だった。
「自分の立場でできることはします。2年なり3年なり勤め上げてくれたならば、お抱えで軍に残りたければそのように。そうでなくとも、紹介状なり何なりを持たせることはできるでしょう。どこぞの領主のお抱えになるようならば、ということではありますが。無論、代官なり領主なりに鑑札を求めるときの口利きも」
「妥当なところだろう。そうすると――9通か。用意しよう。明日の昼前までに、お前のところへ届けさせる」
返答に満足したらしいイグネルトは、指折り数えて、悩む様子もなく弟の頼みを引き受けた。
「ありがとうございます、兄上」
「こういうことは、俺たちとしてもギルドと繋がりを作るきっかけになるからな。口実を持ち込んでくれるのならば歓迎だよ。俺がやるのは手紙を書くことくらいだ」
「お手間を掛けますが」
「構わない。また面白い話があれば俺にも伝えろ」
レフノールは、はい、と応じて頭を下げた。前回の話を――つまりは、摂政の嫡男の失敗をいち早く知ったイグネルトが何をしたのか、レフノールは尋ねていない。だが、おそらくはその情報を、王都で最も早く掴んだのだから、その有利を存分に活用したのだろう、と想像している。
摂政派寄りの相手との取引を手早く畳むなり、摂政の失脚を見込んで新たな取引を始めるなり、あるいはその情報を誰かに耳打ちして恩を売るなり、他の誰も掴んでいない情報であれば、使いどころはいくらでもある。使いどころを誤るような兄ではない、という信頼が、レフノールにはある。
「次来るときは、もう少し前に伝えてくれ。お前のためならば時間は空けるが、あまり慌ただしいのもな」
「はい、兄上」
そう答えてレフノールはもう一度頭を下げ、退出した。
※ ※ ※ ※ ※
翌日、レフノールのもとに届けられた書状は、兄の直筆だった。無論、中身まで確かめたわけではない。だが、宛名も署名も兄の字だ。役職名だけでなく、個人の名を記してある。このあたりを調べ、そして直筆の書状を用意するために、半日の時間が必要だったということのようだった。
――このひと手間を惜しまないところが。
兄らしい、とレフノールは考えている。商会からギルドへの依頼であれば個人名を出す必要はない。書状そのものも雇いの祐筆に書かせれば足りる。そうではなく、わざわざ自分と相手の名を出し、中身まで自分で書くことで、書状の価値を上げている。
「大尉、それは?」
「ああ、この間話した伝手だよ。俺の家が商家でね。兄に頼んで紹介状をな」
尋ねたブラウエル少尉に、レフノールが答える。
「で、済まないが、俺が現地に行くことになる」
「大尉がですか?」
ブラウエル少尉が、なぜわざわざ、と言いたげな表情になった。
「ああ、まあ、俺である必要があるかないか、で言えば俺でなくてもいいんだが――こいつは兄の直筆でね。それなりの大店の、次期会頭の直筆、ということになる」
「はい」
「となると、届ける人間も相応の関係があった方が、という話だな。必須、というわけじゃないが、そうであった方がそいつの価値は上がる。縁者が届けに来るのなら、という話になるだろう?」
「――確かに」
それは些細な差であるのかもしれないが、兄が手間を掛けてくれた以上、弟としても椅子に座って結果を待つだけ、というわけにはいかない。
「どのみち、現地でやらなきゃいけないことはいろいろある。先回りして整えておくさ。収められる見本の確認やそのあとの調整は貴官に任せる。商会の連中との調整、経験はあるだろう?」
「はい、あまり場数が多いわけではありませんが」
「ならば、いつも通りにやってくれ。中佐には俺から話をしておく。判断に迷うことがあれば、中佐に相談しろ。あの方はそういう相談を疎んじない」
「かしこまりました、大尉」
「とは言え、あまりすぐに出られるでもないからな。中佐に話を通して、支度をして、貴官への指示を出せるところまでは出して。そうすると、俺が発つのは1週間ほど先になると思う。俺に相談する話があれば、それまでに頼む」
「了解しました」
※ ※ ※ ※ ※
「……先行される、ということですか?」
「そうなってしまった。すまない」
翌日の夜。
レフノールとリディアは、執務室で話している。
慌ただしい時期であるから、定刻のとおりに勤務を終える、ということは望めない。ふたりに限らず、将校たちは定刻を過ぎたあとも、ある程度は執務室に残るのが常だった。はじめて部隊を率いることになるリディアと、そして部隊全体の兵站を預かるレフノールは、その中でもこなすべき仕事が多く、宿舎へ戻るのが遅くなりがちだった。
「済まなくは、ありませんが」
あり得ることだと理解してはいて、だが、不満がないわけではない。リディアはそんな表情だった。
「次は任地で、ということになると思う。ひと月かひと月半か、そのくらいだろうが」
リディアは答えない。目だけで、長い、と言っている。
レフノールはリディアの前に、ガラスの小瓶を置いた。
「モノでどうこう、という話じゃないんだが」
言い訳のように付け加える。
小瓶の口を開けて香りを確かめたリディアが首を傾げた。
「香水……では、ないですよね?」
「化粧水だよ。香り付けのためにカルダモンとミントを配してあるそうだ。日焼けに効果がある、という触れ込みだった」
春も盛りになる時期の行軍。日差しは徐々に強くなり、馬上でそれを浴び続けたならば、肌が露出している部分は確実に日に焼け、傷む。
絶句したリディアが努力して口許を引き締め、俯いた。
「……リディア?」
「本当に……本当に本当に!」
どうした、と尋ねたレフノールに、顔を上げたリディアが指を突きつけた。
「こういうこと、絶対にほかのひとにはしないでくださいね? 絶対ですよ?」
「あ、ああ。ほかに贈り物をするような相手もいないが」
勢いに圧されるように頷いたレフノールに、リディアはもう一度、絶対ですよ、と念を押す。
レフノールが改めて約束をしてはじめて、リディアは態度を和らげて礼を言い、執務室を後にした。
「すごく嬉しいしありがたいけど、気遣いだとしてもこういうのはわたし以外にやるな、ガチ惚れされるぞお前」




