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【3:業者選定】

 さほど長くもない会話を終えて、リディアは退出した。執務室にひとり残ったレフノールは、ゆっくりと首を回す。左回りに1回、右回りにもう1回。肩のあたりに重い疲労が残っていた。勤務中――とは言っても、正規の終業時刻はとうに過ぎている――のちょっとした息抜きとして、リディアとの会話は心を軽くしてくれるものではあるが、身体の疲労がそれで消えるわけではない。そして、疲れてはいたが、先々のことを考えると、あとは睡眠時間くらいしか削れる部分が残っていない、という状況だった。


 王都へ戻ったレフノールがしばらくぶりに顔を出した兵站総監部では、かつての同僚や上官に、新たな部隊の立ち上げはきつい、と聞かされていた。整えるべきもの、誂えるべきものは量も種類も多く、調達には恐るべき時間がかかる。しかし部隊編制の予定は決まっており、その予定から遅れれば現場の兵士たちが直ちに困ることになる。抜けも漏れも遅れも許されない中であちこちの商会や職人に繋ぎを取り、契約をして、必要なものを必要なだけ、必要なときに必要な場所に届けなければならない。


 そんなときに優秀で気心の知れた部下は何を措いても欲しいものではあるから、レフノールにとって部下としてのリディアを手放したことには、ちょっとした後悔がある。だが、それ以上に、兵站を知る歩兵部隊の指揮官がいるということは重要だった。加えて、将来のことを考えるならば、前線の現実を知る兵站将校になれるかもしれない、ということでもある。


 ――将来を見据えて打った手なのだから、今の苦労は耐えなければ。


 そう自分に言い聞かせて、レフノールはもう1枚、書面を手に取った。諸々の物品の発注先を決めなければならない。父と兄が切り回す商会――バストーク商会に調整を頼んでしまいたい、という誘惑が頭をよぎる。商会の利益と、今の自分の手間を考えるのならばそうした方がよい。利益供与ではあるが、表に出ないような手段もないわけではない。


 レフノールは首を振った。今そのような形で楽をしたとして、自分はそのあと、胸を張ってリディアの前に立てるのか、ということを考えたのだった。リディアは理解しようとしてくれるだろう。兵站の激務を知る彼女であれば。もしかしたら、仕方ないこととして受け入れてくれるかもしれない。少なくとも、受け入れるように努力をしてくれることだろう。そのような努力などさせたくない、とレフノールは思っている。


 ため息をひとつついて、レフノールは白紙にペンを走らせた。宛先は王都の中心街にある軍務省、兵站総監部。兵学院の同期であるライナスは、そこに異動している。出す書状は簡潔なものだった。総監部で物品の調達を請け負っている大規模な商会の担当者の連絡先を教えてほしい、というのがその内容だ。


 昼間は下士官たちが詰めている隣の部屋へ移動し、「朝一番で持って行ってほしい」と一言書いたメモを添えた書状を、軍務省との連絡役を務める下士官の机に置く。


「あとは」


 ゆっくりと伸びをしながら、レフノールはひとり呟いた。


「明日の俺に任せることにしよう」



※ ※ ※ ※ ※



 翌日。書状を届けたその日のうちに、ライナスは大隊の仮宿舎を訪れた。


「わざわざすまん。忙しいんじゃないのか?」


 勤務していた頃を思い出すに、兵站総監部は常に多忙な部署だった。特に今は、複数の部隊――それも大隊が立ち上がる時期でもある。ライナスの仕事の内容を詳しく聞いたわけではないが、何らかの形で関わりがあるはずだった。そうであれば、忙しくないはずがない。


「忙しいよ」


 ライナスが笑って応じた。


総監部あそこ、いろいろと堅苦しくてな。仕事のあれこれはともかくとして息が詰まる。みんな黙ったまま仕事してるだろ? あれがちょっとな。俺はもうちょっと肩の力を抜きながらやりたい。早いところ、どこかの軍団に出してもらいたいよ」


「ああ、俺は口実か」


 付け加えたライナスの言葉に、レフノールも笑みを浮かべる。


「そう。立ち上げ中の部隊の兵站から呼ばれた、って言って抜けてきた」


 無論それで仕事が減るわけではないから、戻ったあとで抜けていた分を取り戻さなければならない。それでも仕事をさておいて出てきたくなるほど、肌に合わない、ということなのだろう。


 しょうがないな、と苦笑したふたりのところへ、若い少尉が顔を見せる。来客と見て、茶を持ってきてくれたのだった。では、と一礼して外そうとする少尉を、レフノールが呼び止める。


「ブラウエル少尉、いま忙しいのでなければ貴官も同席してくれ。こいつは俺の同期で総監部の――お前今どこだっけ?」

「施設部。ああ、ローウェン中尉だ。兵站総監部の施設部に配置されてる。よろしく、少尉」

「独立混成大隊の輜重小隊で副長を務めております、ブラウエル少尉です」


 新たにレフノールの部下になった少尉はまだ若手。第4軍団からの転属で、軍団では本部付の輜重担当のひとりだった、と聞かされている。事務処理が特別に速いわけではないが、真面目で気配りのできる将校、とレフノールは見ている。事務は慣れれば自然と速くなるが、性格まではなかなか矯正できない、と考えると、素質のある将校ということになるのだろう。


 旧友と新たな部下のふたりが挨拶を交わし、着席しなおすのを待って、レフノールは話を当初の目的に戻した。


「で、頼んでたモノは持ってきてくれたのか?」

「あるよ。需品部の顔見知りに聞いて用意した。お前が言ってたやつはあれだろ、施設部よりも需品部の方の話だよな?」

「うん、ありがとう」


 手渡されたリストを見ると、それはふたつに分けられている。

 どういうことだ、とレフノールが視線を送ると、ああ、とライナスが頷いた。


「上はエリムスに支店を出してる商会、下の方はそうじゃないところ。調達に使う商会なら分けた方がいいかと思ってな」


 エリムスは大隊の任地に近い王国西方の大都市で、第4軍団の駐留地でもある。やり取りの都合を考えるならば、そこに支店のある商会の方が有難い。


「ああ、すまん。そういうことか。助かるよ」


 上のリストに記された中には、アルバロフ家が経営するバストーク商会も入っている。


「その中から調達先を選ぶ、ってことか?」

「うん。ただ、量が多いし、他所の大隊でも今まさに似たようなことをやってるだろうから、全部をひとつの商会で、というのは難しいと思ってる。品目で分割して、挙げてくれた商会に発注だろうな」


 午後の半ば、お茶の時間を過ぎる頃に現れたライナスは、夕暮れ過ぎまで話をして、本来の職場へと戻った。世間話と愚痴の入り混じる話が始まったあたりで、レフノールは少尉に席を外させた。上官ふたりのどうでもいい話に付き合って時間を潰させるのは、そしてその分帰りが遅くなるというのは、少々申し訳ないと考えたのだった。


 まだ少々話し足りなさそうだったライナスに、次はどこかで飲もう、と約束して、レフノールは夕暮れ過ぎにライナスを追い返した。本来やるべきだったはずの仕事は無論、そのままに積まれている。今日もどうやら、帰りは遅くなりそうだった。


忙しい時期の出張、現実逃避の手段としてたまに選択されます。

現実逃避にならない出張も多いんですけどね_(:3 」∠)_

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― 新着の感想 ―
社畜あるある 一度居座るといつまでも帰らない営業
「これならまぁ明日で大丈夫だろ」って案件が翌日早朝からよく燃えてる件、あれなんていうんでしょうね…(遠い目
「明日出来ることは明日ヤる」と「今日出来ることは今日の内に」は選択が難しいですよねぇ なお現実は大抵選んだ方の逆になる
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