【2:物品調達】
「君か」
「わたしです」
敬礼もそこそこに部屋に入ったリディアが扉を閉める。
「それは、頼んでいた書類?」
「はい。下士官兵から要望があった物品をまとめました。わたしと先任とで一通り目を通して、必要と思われるものだけを残してあります」
「うん、ありがとう。新任の隊長とは思えない仕事ぶりだな」
机に置かれた書類をちらりと見て、レフノールが小さく笑う。
「新しい部隊はどうだ? その分だと上手くやれているようだが」
椅子を勧めながらの質問に、リディアは腰を下ろして応じる。
「……わたしの希望はご存じだったでしょうに」
不満を残す口調だった。
「兵站だったものな。俺も君が下にいてくれたらどれだけ楽だったか、とは思うよ」
レフノールの返答も、また偽りのないところではある。レフノールの下に付く将校も下士官も、能力が不足しているわけではけっしてない。だが、細かな気配りや気心の知れ方という部分では、どうしてもリディアには及ばないのが実情だ。
「だがまあ、それでも、君は一度歩兵部隊の指揮を執っておく方がいい。中佐からも言われただろう?」
「それは、そうなのですが」
理屈としては飲み込めても、感情の面では簡単に受け入れられない。リディアは態度でそう示している。
「人事には配慮する、と中佐は言ってくれちゃいるが、ずっと同じ部隊という保証もないからなあ」
それは既に、リディアにも話したことではある。一度は納得したはずのリディアがもう一度同じ話を持ち出す理由は、甘えか不安か。両方なのだろうな、とレフノールは思っている。
「例の大佐――いや、もう将軍か。それに例の中佐のような上官も、全員がそうというわけじゃあないが確実にいる。そういう奴の下で小隊長の仕事を一から覚えるくらいなら――」
「今の方がいい。わかってるんです」
近衛で歩兵大隊を率いていたジラール中佐は、第1軍団へ配転されている。第1軍団は東部の大都市、ランバールが駐留地だ。ランバールには『例の将軍』ことカウニッツ将軍もいる。第1軍団の副司令――司令は王族の名誉職になるので、実質的には軍団司令だった。名誉職であるはずの第1軍団司令はアルジリス・ジラール前摂政。いろいろとあった末、王の采配によって実際に任地に赴くことになった、ということだった。こちらは実質的には左遷と言える。
ランバールは王国の東部、レフノールたちの新たな任地は王国のほぼ西端。お互いの任地がそこまで離れていれば、顔を合わせる心配はない。たとえ偶然でも顔を見たい相手ではないから、その気遣いをしなくてよいというのは有難い話ではあった。
「うちの頭はグライスナー中佐だし、下には先任も付けている。その上で君なら問題なくやれる……という話がしたいわけじゃないか」
不安要素は可能な限り潰していて、配置そのものに不満があるわけでもない。つまり、リディアは甘えて拗ねているのだった。
「まあ、君も半分は本部にいるわけだし、俺も輜重の小隊長兼任だ。やりようはあるよ」
どういうことですか、とでも言いたげに、リディアが視線を向ける。
元々、前線へ出る部隊のうち半分は本部に詰めて訓練と休養、残りが2箇所の拠点に分かれて駐留、というのが混成大隊の計画だ。前線の拠点へ出て、本部へ戻り、休養したのちに訓練。拠点からは場合によって、更に前線の小さな拠点へ出向くこともある。これをおよそひと月かけて行い、繰り返してゆく。大隊の全部隊が動かなければならないような事態が生じれば、無論、大隊全体が必要な場所へ移動して必要な行動を起こすことになる。
「前線の部隊の状況を正確に把握しておく必要があるから、輜重の隊列に随行する、とかな。まあ、君のところにだけ行くわけじゃあないが」
「……そういう話をしにきたわけでは」
ない、と言いながら、リディアは頬を緩めている。
大隊自体の動きは計画に基づいて行われるから、輜重と歩兵というように配属される部隊が違っていても、月の半分は同じ本部で顔を合わせる。その上、輜重は前線への補給も担当するから、前線勤務の時期にも口実を作れないわけではない。
「そうだな、仕事の話をしに来たんだよな?」
口の端だけで笑ってそう言いながら、レフノールはリディアが机に置いた書類を手に取った。
そこには、部隊で必要と思われる物品が列挙されている。武具は官給品を使用するとして、部隊はそこに所属する者たちの生活の場でもあるから、様々なものが必要となる。当然、一般的な物品のリストは渡されているが、そこには載っていなくとも必要なもの、有用なものは多々あるのだった。
「足回りと衛生か……」
「はい。先任が、このあたりは絶対にあった方がよい、と」
仕事の顔に戻ったリディアが頷いた。
質のよい、足に合った靴とその手入れや補修のための用具。通常支給されるよりも多くの靴下。
兵は歩くこと、あるいは走ることがその行動の基礎にある。足に合わない靴や手入れの行き届かない靴は足を痛める原因のひとつで、それはつまり思うように行動できない兵を生むことになる。靴下も同様だ。ある意味で消耗品であるにも関わらず、定量とされる数ではなかなか足りない。
石鹸と、そして虫除けの効能のある精油。食当たりや水当たりに効能のある薬草。
任地や前線であっても、身体を清潔に保たなければ、あっという間に病気が蔓延する。直接的に兵の力を奪われるのはもちろんのこと、士気にも無視できない悪影響がある。療兵にかかるまでもないような些細な体調不良であれ、体力を低下させるには十分なのだ。
どれも、任地では手に入りづらいものでもある。大隊として王都の商会なり酒保業者なりと契約を交わしておく必要がありそうだった。
問題は予算だが、やりくりできない範囲ではない。
「よく出来たリストだな」
レフノールが率直な感想を呟くと、リディアが首を振った。
「先任の知恵を借りましたから」
「そうじゃない。いや、たしかにそうなんだろうが、俺はむしろ調達できる範囲に収めた君のことを言っている」
要求を上げるだけならば、それはさほど難しい話ではない。だが、大隊で自由に動かせる予算を把握した上で、そこに収まるような――つまり他のあれこれの調達に致命的な悪影響を及ぼさない範囲で要求を上げることは難しい。それは下士官であるベイラムの仕事ではなく、リディアの仕事になるのだった。
「――やっぱり大尉は大尉です」
「ん?」
「いちばん見てほしいところを、きちんと見てくださる」
意識されないけど重要なモノっていろいろとあると思うんですよね。
あと予算。お金いくら使ってもいいなら、みたいな話はたくさんある(濁った目