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【48:撤退】

 負傷者を収容し、動けなくなった敵に止めを刺して回り、そのあとでようやく、指揮官同士はお互いの顔を目にした。


「大尉殿?」


「――アゼライン中尉?」


「なぜこんなところに――逃げそびれ……」


 隊列の配置を思い出したらしいアゼライン中尉の顔に、より大きな疑問符が浮かぶ。輜重がいたのは隊列の最後尾。逃げそびれるはずがない位置なのだ。


「閣下から殿しんがりを仰せつかってね」


「はあ、殿しんがり……え? あなたが?」


「残って退却を援護せよ、と」


「いや、それは……近衛の部隊ならまだしも、他所から借りた輜重に? なんと申し上げてよいか……」


 アゼライン中尉が首を振る。何を言っても上官を罵倒することになる、ということに気付いたのだった。


「まあそういうわけで、俺たちは近衛の先鋒が撤収するのを待ってる。ご覧のとおり戦力は足りてない。済まないが貴官、協力しちゃくれないか? 念のため言っとくと、これは命令じゃない。俺にそういう権限はない」


「個人的な依頼?」


 念を押すように、アゼライン中尉が尋ねる。本来ならばこんな場所で、こんな状況でやり取りされる言葉ではない。


「それに近いな。大きな借りをひとつ作ることになる。俺の力と、俺が使える俺の家の力が役に立てそうなときに、それで返すよ」


「――小官が断ったら?」


「限界は見えた。退がれる連中から今のうちに退がらせる。貴官は閣下によろしく伝えてくれ」


 レフノールにとっては、断られたら死ぬしかない状況だった。もう一度同じことが起きたら、部隊はその時点で戦えなくなる。そんな状況から退却はできない。つまり、退却するなら今しかない。


 だが、いま自分が退却すればそれは敵前逃亡になる。与えられた任務を全うせずに持ち場を離れることになるのだから。将校の敵前逃亡は重罪だ。ほぼ間違いなく死刑が待っている。戦死か刑死の二者択一ならば前者の方がいくらかまし、という程度のものでしかない。


 レフノールの言葉の意味に気付いたリディアが眉を逆立て、アゼライン中尉が舌打ちでもしそうな表情になった。


「……結論を出す前に、聞いていただきたい話があります」


 こちらへ、と手招きするアゼライン中尉に従いながら、レフノールが尋ねる。


「主だった連中に聞かせても?」


「差し支えありません」


 わかった、とレフノールは頷く。


「3分隊2班のみ、街道南側の動向を監視。あとは総員で前方警戒。少尉、先任、それからアーデライドはこっちへ。情報を共有する」


 声を張ると、3人が駆け寄ってきた。


「すまん、待たせた。手短に頼む」


「はい。まず、大尉殿、街道の南側を監視させたのは――」


「ここは隊列の後端だったが、ここも襲撃を受けた。撃退して退路を確保していたら、ついでに殿しんがりまで仰せつかった、という話だ」


 なるほど、と頷いたアゼライン中尉が、手にしていた槍の石突で地面に一本の線を引いた。


「これが街道。曲がっているところは無視して考えてください。小官の知る限り、隊列は3か所で攻撃を受けました。ここも入れると4か所です。先頭、後端、中間部で2か所。先頭を1、後端を4とします」


 言いながら、今引いた線を4か所で区切る。


「行軍隊形の我々を足止めし、あわよくば各個撃破から殲滅まで持っていく、ということでしょう。大尉殿が耐えてくださったのは僥倖でした」


 背筋の寒くなるような話だった。逃げ道を失い、混乱した状態で攻撃を受けたならば、どう頑張っても士気が持たない。我先にと逃げ出すような状態になってしまえば、あとはごくわずかな運が良い者だけが生き延びられるに過ぎなくなる。


「結論から申し上げます。おそらく、この、先頭から3番目の襲撃地点より前でまともに退却のための行動が取れたのは小官の小隊のみです」


「――どういうことだ?」


 にわかには信じがたい話ではあった。だが同時に、十分にありうる話でもある。レフノールと輜重隊が混乱したまま挟撃をまともに受けていれば、と考えれば、他の部隊で同じことが起きなかったと断言する理由はどこにもない。


 アゼライン中尉がひとつ息をついて話しだす。


「小官がいたのは概ね2と3の中間、閣下の――大隊本部の位置は3の直後です。襲撃に対応しようとした直後に挟撃され、その段階で閣下は撤退を決意されました」


 そんな決断ばかり早くてもな、と思いながら、レフノールは頷いて先を促した。

 槍の石突で引いた線のあちこちを指しながら、中尉の説明は続く。


「小官は撤退の命令を聞いた直後に、北側の疎林に自分の小隊を入れました。前後で混乱が生じていることは明らかでしたし、そのままでは撤退の機を失う、と判断したのです」


「……妥当な判断だろうな」


「ありがとうございます、大尉殿。小官は、大回りしながら敵との接触を避けて離脱する方針でした。中隊本部の位置が、ちょうど3の位置――挟撃を受けた地点でして」


 直属の上級部隊とは連絡が取れない。総大将は撤退を決意し、そのような命令を発した。だとしたら――部下の命を預かる部隊の長として、できることはそう多くない。


「撤退の過程で、妖魔どもの動きはある程度確認できました。隊列を食い破ったあとで二手に分かれ、前後にそれぞれ攻撃をしています」


 妖魔は数で劣る上に、その軍勢を4分割している。そこからさらに部隊を分けたのは、意図的なものか、あるいは本能のままに目の前の敵を叩いたらたまたま進路が分かれたのか。いずれにせよ、結果的に、分断された軍を更に包囲して各個撃破するような形になっている。


「他の部隊が我々に追随している様子はありませんでした。街道からの離脱直後に確認しましたが、見えている範囲で同じような行動を取った部隊は他にありません」


 レフノールの隣で、息を呑む音がした。リディアの顔から血の気が引いている。


「隊長」


「少尉?」


「もう、()()()()()()()()()()()()()


 震えを無理やりに押し殺したような、抑えた硬い声だった。


「な」


 まだ大隊の半数もこの地点を通っていない。

 半ば反射的に、アゼライン中尉に視線を向ける。中尉がゆっくりと頷いた。


「少尉の言うとおりです。隊列の前方までの状況は確認できませんでしたが、あの状況を打破できる部隊があったとは思えない」


 アゼライン中尉の言葉を信じるならば、半数以上の兵が失われたことになる。十分な対応ができていれば失われなかったはずの兵が。そしてそこにはレフノールにとって、更に重大な事実が含まれていた。


 自分たちは味方部隊の撤退を援護するためにここに踏みとどまっている。援護すべき相手がいない、ということは、自らが退却すべきタイミングがもう来ている、ということでもあった。


 まだ全滅と決まったわけではない、と口に出しかけて、レフノールは言葉を吞み込んだ。確認の方法がない。そのための時間もない。救出を試みるならば、手持ちの戦力――輜重隊と、そして協力を得られるならばアゼライン中尉の部隊、減耗した2個小隊のみで動かなければならない。


 幾人が救出できて、幾人を失うことになるのか。分の悪すぎる賭けという以上の、具体的な目算は立ちそうになかった。


 いま撤退すれば、おそらく自分も、自分の部下たちも、そしてアゼライン中尉とその部下たちも、これ以上の損害は受けない。だがそれは、今ここを通過していない部隊の全滅を確定させる行為でもある。レフノールは、その場の全員の顔を見回した。全員がレフノールに注目したまま黙っている。


 ――()()()()()()()()


 あの日リオンが引いた線を。生きる者と死ぬ者を分ける線を。自分が、いまここで。

 胃を締め付けられるような感覚があった。二度、口を開きかけてまた閉じる。逡巡はほんの数呼吸の間に過ぎなかったが、レフノールにはおそろしく長い時間に感じられた。唇を湿らせてようやく開き、押し出すように命令を発する。


「退却する。昨日の露営地に二次線を構築している。そこまで退く」


 自分でも表情が強張っていることが理解できた。見返してきたベイラムに無理やり作った平静な顔で頷いて、達しろ、と短く命令する。


「退却用意! 負傷者は馬車へ! 他の者は隊列を乱すな!」


 ベイラムの大音声が響く。


「その後の行動は二次線で改めて指示する。中尉、君は自分の部隊の面倒を見てくれ。悪いが、輜重が先、君たちが後で頼む。少尉は先頭。俺は後尾につく。アーデライド、君たちも悪いが後尾だ」


 4人がそれぞれに了解の意を示す。


「よし、ならばただちに行動する。解散」


 ベイラムとアゼライン中尉がそれぞれの部隊のもとへと戻り、アーデライドが仲間たちのもとへと向かう。リディアだけが、立ち去りかねたようにその場に残った。


「どうした、君も行け。今更伏兵でもないだろうが、警戒は――」


「隊長」


 静かだが、張り詰めた声だった。レフノールの言葉を止めるには十分すぎるほどに。


「わたしは、あなたの決断を支持します」


 支持するもしないもない――本来ならば。それは命令で、軍における命令とはそういうものなのだから。

 だがリディアは敢えてそういう言葉を選んでいる。その意味がわからないほど、レフノールは愚かではなかった。


「――ありがとう」


 きつく目を閉じてレフノールが答える。口から出たのは、レフノール自身がそうであってほしいと願うよりもずっと弱々しい声だった。早い足音が遠ざかる。

 一度、二度と深呼吸し、目を開いてレフノールは顔を上げた。感傷に浸るような時間などない。


 ほんのわずかの後、部隊は慌ただしく退却を開始した。


生還はほぼ確定しました。生還は。

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― 新着の感想 ―
精強であると自負し誉高いと中央で権勢を振るっていた近衛が冷や飯食いの輜重隊を囮に仲間を見捨てて我先に逃げ出した…と喧伝されてはもう政治的にも男としても死と同義でしょうね。中佐の方も内心は肉盾となって玉…
失態押し付けるって言っても、戦闘の失態をどうやっても輜重隊に押し付けられないと思うんだよなー まぁ戦闘終わったあと忙しいのは輜重隊としては正しいから頑張ってもらって……
失態を隠す為に英雄を作り出すって皆殺し作家が言ってた
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