【47:乱戦(下)】
「隊列を組み直せ、奴らすぐにまた来るぞ!」
ベイラムの大声が響き渡る。妖魔どもの戦列が崩れたとはいえ、それは一時のことに過ぎない。すぐに勢いを盛り返して、もう一度押してくるはずだった。こちらの戦力は減っている。軽傷者とはいえ、前線に出すわけには――。
そこまで考えたところで、レフノールは意外なものを目にした。
「貴官、怪我はどうした?」
先ほど収容したはずの兵、傷を負ってそこを手で押さえていたはずの兵が、槍を手に戦列に戻ろうとしている。
「は、あの神官殿のお力で癒していただきました!」
見たところ傷はない。血が流れてさえいない。
「隊長殿?」
別の兵がレフノールに声をかける。その兵もさきの戦闘で軽傷を負った中にいたはずだった。慌ててあたりを見回すと、足りないのは重傷者だけだ。軽傷者は全員が槍を手に、戦闘に戻ろうとしている。
「――いや、いい。よく戻ってくれた」
短くそれだけを労うと、兵たちは早足で戦友たちのもとへと戻ってゆく。重傷者はもう戦闘には堪えない。それは仕方ない。だが、軽傷者は処置の時間もほぼ要さぬまま戦列に戻れるという。今はひとりでも兵が欲しいというタイミングで、即座に復帰できることがどれだけ大きなことか。
加えて、士気に与える影響も無視できない。負傷しても即座に、かつ確実に治療をしてもらえるという安心感が兵たちをどれだけ奮い立たせるか。
レフノール自身に諦める気などなかったが、それでも兵たちの心が折れてしまえばそれ以上は戦えない――戦わせることができない。兵の数とその士気は、不利を承知で戦わざるを得ない今の状況にあって、どちらも欠かすことができず、しかもそうと望めば手に入るというような種類のものではなかった。
――だとしたら、いま俺がやるべきことは。
この事実を最大限に使い切ること。それしかない。
「次に備えろ、隊列に穴を開けるな! 己と隣の戦友と、そして後ろに控える神官殿を信じろ!」
おお、と兵たちの声が応える。負傷したはずの戦友が即座に戻ってきたという事実が、レフノールの言葉を裏打ちしていた。
隊列が組み直され、一旦は崩れた妖魔たちもまた態勢を立て直す頃。
「隊長殿、あれを……!」
南側の監視に残した兵の声に視線を向けると、アーデライドとヴェロニカが、南側の森の中から姿を現わしたところだった。アーデライドが油断なく後ろ側に立ち、ヴェロニカがクロスボウを背負い、小剣を手にして前を進んでいる。
「アーデライド、君ら無事か?」
「リオン!」
アーデライドからの返答はない。ヴェロニカが神官の名を呼んだ。
「どうしました?」
応じるリオンの声が、心なしか硬い。
「アデールが怪我した――あ、大尉さん、大丈夫。大怪我じゃないから」
アーデライドは全身を血に汚している。遠目に見ただけでは、返り血か己の血か、判別がつかない。
「どこを?」
「左脚と左の腕。囲まれたときにやられた。そこまで深くないと思うけど」
リオンとヴェロニカのやり取りに、アーデライドは口を挟まない。傷が痛むのか、口を引き結んだままだ。
リオンがちらりとレフノールに視線を向けた。限りのある魔力を仲間の治癒に使ってよいのか、と問うている。
「――君たちは最優先だ。君たちが万全でいることが俺たちの命を救うことに繋がる」
こんなときにまで律儀でいてくれるな、と思いながら、レフノールはリオンに頷いた。あまりに身勝手な指揮官の有様に引き比べると、同じ組織にいる自分が恥ずかしくなってくるような気分だった。
ささやくような詠唱とともに、リオンの手にほのかな光が宿る。その手でリオンはアーデライドに触れた。撫でるように二度、傷があるという左脚と、そして左腕。
アーデライドが詰めていた息を吐き。
「リオン、助かったよ」
短く礼を述べて、アーデライドは長剣を握り直す。
「大尉、あっちの頭は潰した。あとは正面だけだ」
思い出したように付け加え、アーデライドは大股に前線へと出てゆく。ふたたび正面から、妖魔どもが迫っていた。
コンラートがゴーレムを前進させる。妖魔どもも、何の考えもなしに見えている脅威に正面からぶつかるような愚は犯さなかった。二手に分かれ、大回りでゴーレムを避けようとする。簡単に避けられるものではないが、抜けてくる妖魔の数は先ほどよりも格段に増えている。その中の更に一部が、隊列そのものを回り込もうとしていた。
「左はあたしとヴェロニカが行く! 大尉と少尉は右を!」
アーデライドの声が聞こえた。歯噛みするような思いで、レフノールは剣を抜いた。
「少尉、行くぞ! 回り込ませるな!」
「はい!」
回り込もうとする妖魔はそう多い数ではない。それでも、自由な行動を許せば脇腹を突かれる。戦列から兵を引き抜けば均衡が崩れる。そうであれば、取れる選択肢はひとつしかなかった。もはや指揮官までも、戦列を支えるために武器を振るわなければならない状況になっている。
恐怖で萎えそうになる足を動かし、リディアの隣に立って、レフノールは剣を振るう。型など気にしている余裕はなかったし、身体に刻み込まれるほど剣を振り続けたわけでもない。不格好な剣筋ではあったが、大振りにならないように意識をしながら手を出していれば、相手もそう思うようには踏み込んでこられない。思い切り振り抜かれたりしない限りは、着込んだチェインメイルが致命傷を防いでくれるはずだった。
一進一退――というよりは、どちらも有効打を与えられずにいるうちに、隣でさっさと決着をつけたリディアが、横合いから剣を突き込んだ。ずるり、と妖魔が崩れ落ちる。
ほんの半瞬、ぽっかりと空白の時間が生じた。視線を上げたリディアが叫ぶ。
「大尉、あちらに――!」
レフノールが視線を向けると、疎林の中にいくつもの影が見えた。数は20以上。
――まずい!
あの数に横から攻撃されたら。
戦列は一瞬で崩壊する。包囲され、組織だった抵抗ができなくなれば殲滅される運命が待つだけだ。かと言って、戦いながらでは退がることもできない。
はっきりと死を意識したレフノールの耳を、人語の――共通語の命令が叩いた。
「突撃! 目標、前方の妖魔集団! とつげーき!!」
おお、と喊声を上げながら、影が人の形を取り、目の前の妖魔どもの側面を襲った。
瞬く間に妖魔の戦列が崩れる。ばらばらになって、あるいは街道を、あるいは森の中を、逃げ散ってゆく。逃げる妖魔に一切の統制が効いていないのは明らかだった。
「助……かった……?」
「味方……?」
信じられないものを見たような目で、レフノールとリディアが視線を交わす。そのあとで、ふたりは同時に大きく息をついた。
ドーモ、味方です! 妖魔処すべし! 慈悲はない!




