【42:混乱】
じりじりと時間は進む。状況はほとんど変化していなかった。
街道の進行方向左側――つまりおおよそ南側から出てこようとしている妖魔どもは出端を挫かれ、討って出るタイミングを計りかねている様子だ。そのままおとなしくしていてくれ、と祈りながら、レフノールは馬上から状況を眺めている。
兵は2名を残して左側に配置した。右側――つまり北側の敵には、冒険者が大損害を与えた上で追い散らしている。戻っては来られない、というのが冒険者の見立てではあったが、せめて監視のための目だけは残しておかなければいけない。10中の9は問題なくとも、残りの1を引き当てたときに対応ができないでは困るどころの騒ぎではなくなるからだった。
幸いにして今のところ、右どころか左からもまともな攻撃はない。
――となればあとは。
気になるのは前方の状況だった。朝靄はまだ残っていて、長い隊列の前方の様子はよくわからない。隣の――つまり、隊列で言えばひとつ前の部隊まで様子を見にやらせたカミルが持って戻った情報は「何もわからない」と言うに等しいものでしかなかった。無論それもひとつの情報ではあるのだが、何かを決めるには足りないこと甚だしい。
おおよそ間違いがないのは、当初の予定通りの行動ができなくなった、ということだった。
不利な状況で戦闘に巻き込まれれば、大きな損害なく勝ったとしても、それは兵たちの士気に悪影響をもたらす。未だに戦闘が続いていることを考えれば、大きな損害なく、という前提自体がもう怪しい。戦闘が済んだならば、負傷者に応急処置を施し、必要ならば部隊を再編し、兵たちを落ち着かせなければならない。
その上で兵たちを更に進軍させる、というようなことが可能かどうか。よほどの強兵をよほど優秀な将が率いるのならば、可能かもしれない。
レフノールの見るところ、兵の精強さはせいぜいがよく鍛えられた軍団兵と並べるかどうか。不慣れな土地柄に遠征の疲労を考えれば、第2軍団の兵士たちと同程度、というのはだいぶ甘い見積もりと言っていい。将は、と中佐の顔を思い浮かべ、レフノールは顔をしかめて首を振った。
純粋な指揮官の能力としては並程度。人格は一切の信を置くに値しない。そんな中佐が土壇場で兵をうまく操れるとも思えないし、兵の方でも殊更に信頼しているということはないだろう。
ひとつ息をついたレフノールの耳を、低く重いドラムの音が揺さぶった。
馬上からちらりとベイラムに視線を送る。
「何かの合図でしょうなあ、妖魔どもの」
視線を合わせたベイラムが、上官の疑問に先回りして答える。
「ああ、それ以外ないだろう。……遠いな」
思い出されるのはあの河畔の急造拠点での戦闘。あそこでも妖魔どもはドラムでもって合図を出し、群れの指揮を執っていた。その時よりも音はくぐもり、遠くから響いているような感がある。
「隊列の先頭かその近辺か――」
では敵の指揮官の所在はどこか、と考えを巡らせるレフノールの耳に、リディアの警告が届いた。
「隊長、街道南側! 出て来ようとしています!」
「アーデライド!」
「ん」
短く応じたアーデライドが、軽く手を挙げる。
「君らは迎撃。突破して来たやつが射手に接敵できないように注意してやってくれ。ヴェロニカは射撃を継続。君と少尉は好きに射っていい」
「了解」
「はーい」
「了解しました!」
ふたりの女性冒険者とひとりの女性将校が、それぞれに了解の意を返す。
さほど長くない会話を交わすその間も、ドラムの音は間遠に響き続けていた。隊列の前方に位置する部隊からざわめきが拡がる。見えない場所で何が起きているのか、兵たちも不安なのだろう。
「コンラート、荷下ろしはちょっと後回しだ。ゴーレムを援護させられる場所に置いておいてくれ」
肩をすくめたコンラートが、返事の代わりなのだろう、杖を動かしてゴーレムを操る。手近な場所に荷を置いたゴーレムが、射撃の邪魔にならず、かつ援護のしやすい位置に陣取った。
と、それまで間を置いて響いていたドラムの音の間隔が変わった。それそのものが事態の切迫を示すように、短い間隔で低い音が打ち鳴らされる。
「狙え! 目標、前方の森林線!」
ベイラムが太い声を張り、木々の奥で妖魔どもが鬨の声を上げた。クロスボウの先端が、妖魔どもの出てきそうなあたりに向けられる。
そして。
「射ぇ!」
喊声を上げながら妖魔どもが飛び出してくるのと、ベイラムの号令とが同時だった。クロスボウの射程からすれば、距離はほとんどゼロに等しい。ばたばたと妖魔どもが倒れるが、それでも突撃は止まらない。ゴーレムがのそりと進み出て進路に立ちはだかり、石材を魔力でもって組み上げた腕を振るう。
2体のゴーレムが作った壁をすり抜けてくる妖魔には、アーデライドが対応した。長剣で素早い攻撃を浴びせて態勢を崩し、続けて急所への一撃で確実に仕留める。相手との技量が隔絶していなければできない戦い方だった。
ややあって、妖魔どもは崩れるように森の中へと退却した。部隊の損害は皆無――ゴーレムがわずかに損傷を得たのみだ。
安堵する暇もなく、レフノールは隊列の前方に視線を向ける。混乱が収まっているようには見えない。伝令などが来る様子もない。そして、最も重要な問題として、レフノールも隣の部隊の指揮官も、この場での有効な命令を受けていなかった。
レフノールは否応なしに戦闘に巻き込まれ、やむを得ず反撃している。だがそれとて、この場に留まって戦うのか、一旦退却するのか、退いた妖魔どもを追うべきかどうか、明確な方針があってのものではなかった。直接の攻撃を受けたわけではない部隊の指揮官であれば、尚更何をすべきか判断しかねるところだろう。
――明確な方針か正確な情報か、せめてどのどちらかは欲しい。
ささやかな願いを抱えて馬上にあるレフノールの視線の先で、隣の部隊の隊列が揺れた。襲撃を受けた風ではない。だが、どよめきとともに隊列が割れる。その先から数騎の騎兵が固まって駈けてきた。数からして伝令ではない。
騎兵たちが何かを叫びながら近付いてくる。その内容を聞いてレフノールは己の耳を疑い、騎兵たちの中ほどにいる人物を見て己の目を疑った。
「退却! たいきゃーく!!」
騎兵たちの中の幾人かが、口々にそう叫んでいる。彼らに守られるようにして、この場の総指揮官――ジラール中佐が、手綱にしがみついていた。
お待たせいたしました。連載再開です。
そして早速大変なことになりつつありますね(他人事のような顔




