【39:早朝】
翌朝。
普段ならば時間ぎりぎりまで寝ていたいレフノールだったが、行軍中の露営明けではそうのんびりとしてもいられない。朝食用の食糧は前日のうちに小隊単位に分けて配ってしまっているものの、あれがないこれがないという話は必ず持ち上がるし、そうなったときに対応するところまで含めての輜重でもある。レフノールは曲がりなりにもその責任者なのだ。
のそのそと起き出して身支度を整え、天幕の外に出ると、リディアもカミルももう起き出していた。
「おはようございます、隊長」
濃い朝靄の中、ふたりの部下の声が揃う。
「おはよう。休めたか?」
「はい、おかげさまで」
カミルが応じ、
「お気遣いいただきましたので」
リディアも頷く。
「当たり前と言えば当たり前なんですけれど、あの方たち、慣れていますよね」
アーデライドとヴェロニカ、ふたりの冒険者のことを指している、というのはレフノールにも理解できた。リディアの視線の先には、天幕を片付けて早々に食事の準備をしている4人組がいる。
「何か気付いたことでも?」
「天幕の中で出しておく荷物は最低限、武器も鎧も置く場所が決まっていて。たぶん、暗い中でもすぐ武器を手に取れるように、だと思います」
少人数で行動する冒険者は、軍の部隊のような数の恩恵を受けることができない。露営するのならば交代で見張りに立たなければいけないし、何かあれば即座に起き出して行動できなければいけない。無論、軍に籍を置く兵たちもそのように訓練されてはいる。だが、人数が少ないということはひとりが分担すべき責任の割合が大きくなる、ということだ。
危機感や切迫感が違う、ということなのだろう。
だからこそ、露営中であってもすぐに行動できるだけの準備を整え、食事を摂って動きだせるような支度をしている。
「――俺たちも見習いたいものだな」
ベイラムの薫陶もあって、部下である兵や下士官たちは、よく働いている。無論そこには緊張感と、そして近衛に侮られるようなことはあってはならない、というような対抗心もあるだろう。
冒険者たちにはそのような気負いは見えない。おそらく、日々自然にやってきたことを、今日も同じように繰り返しているだけだ。
護衛などで気の緩んだところを見せれば次の仕事はなくなるし、何かあれば依頼人や自分たちが危険に晒される。そういう日々を繰り返しながら、言ってみれば自然な緊張を身に着けられたからこそ、冒険者という稼業を続けていられる、ということなのだ。
「輜重とは言え、何かあったときには露営もすることはある。やれるようになっておくに越したことはないのかもしれん」
レフノールの言葉に、カミルがはい、と頷いた。
「だがまあ、それも先々の話だ。今は――」
「今日を無事終えて戻ってくること、ですね」
リディアがレフノールの言葉の先を引き取る。
「その通り。俺たちは相変わらず後尾だが、警戒は怠らないように。中尉と少尉で隊列の左右を分担して警戒、冒険者たちともそのあたりは擦り合わせておこう」
ふたりの将校が頷く。
「少尉、彼らに、こちらの食事が済んだら軽く打ち合わせをしたい、と伝えておいてくれ」
「はい!」
「中尉、君は先任に、出立の支度を抜かりなくやるように伝えておいてくれ。こちらのせいで予定を遅らせるようなことになったら、俺たちだけじゃなく軍団の恥になる」
「はっ!」
指示を与えたふたりの部下が、それぞれに了解の意を返して立ち去る。レフノールはふたりの反応に満足していた。
※ ※ ※ ※ ※
部下たちに指示を出してしまうと、レフノール自身にはするべきことがなくなった。
行軍の隊形や予定でも確認しておくか、と、近衛の部隊の方へ足を向ける。とは言え、中佐とは絶対に顔を合わせたくはなかった。顔見知りである程度話ができる将校は、と幾人かの顔を思い浮かべる。
真っ先に思い浮かんだのはラインシュタール大尉の顔だった。それなりに気心の知れた間柄ではあるが、倒れて執務ができない状況になり、当人はもう後送されている。次がサルヴィーノ中尉。中佐の副官だから、中尉がいる場所には中佐もいるだろう。あとは2度ばかり話したことのあるアゼライン中尉。
話せる相手は案外少ないものだ、と考えながら探していると、すぐに中尉は見つかった。
「忙しいところ済まないが中尉、少しだけ立ち話をしても?」
「ええ、勿論です」
アゼライン中尉の敬礼の動作には硬さがない。指揮官会同の折の所作はぴしりと決まっていたから、相手と場に応じて使い分けができる器用さがあるのだろう。レフノールが答礼すると、中尉はすぐに手を下ろした。
「何かありましたか?」
「いや、何があったというわけじゃあないんだが、外様は少々居心地が悪くてね。行軍のあれこれを確認しておきたかっただけだ」
ああ、とアゼライン中尉が頷く。
「隊列の組み方は昨日と同じです。ただ、先頭に立つ部隊は交代することになっていますね。どうしても兵が緊張して疲労しますので」
「なるほど。俺たち――輜重は後尾につく、と聞かされているが」
「そこは昨日と同様に。遅れずについてきてくださるので助かりました。――ああ、昨日は我々が先頭でして」
行軍の速度を決めるのは先頭だ。速すぎれば脱落者を出し、遅すぎては予定に遅れる。予定通りの速度で進んだとしても、どこかが遅れれば速度は調整せざるを得ない。そして、最も遅れやすい部隊のひとつが、荷を抱えて随伴する輜重だった。
「それは良かった。うちの先任に伝えておこう。昨日は先頭、ということは、斥候も?」
「はい、適宜出しながら。足跡は見つかりましたが、実際の姿は見えませんでした」
アゼライン中尉の返答に、レフノールはふむ、と唸る。
「実際のところ、これだけ大々的に行軍しているわけですから、あちらからはおそらく丸見えです。どうしても目立ちますから」
まあそうだよな、と思いながら、レフノールは頷いた。
「どうしても先に発見されるだろうしな」
1,000ほどもいる兵が集団で動くとなれば、隠密行動などは不可能だ。少々気の利いた者が現状を見れば、人数や装備だけでなく、どこまで進出する気なのか、何を狙っているのかまではっきりと解ってしまうだろう。
「仰るとおりですね。いつどこで襲撃されるかわからない、というのはやはり疲れます」
もう一度、まあそうだよな、とレフノールが頷く。
「まあ、襲撃されたとして、妖魔どもは奇襲に頼るほかありません。戦力差を押し付ければそれで済む話ではありますが」
「――そうだな」
偵察で掴んだ妖魔の概数は500から800。それも、総数が戦えるというようなものではない。対して、出てきている大隊はおおよそ1,000。アゼライン中尉の言葉のとおり、戦力差を押し付けることができれば怖い相手ではないはずだ。
「とはいえ、この状況です。警戒するに越したことはなさそうですね」
アゼライン中尉が周囲を見回す。そうだな、ともう一度相槌を打って、レフノールも周囲を見回した。朝靄は濃いままだ。まだ当面、晴れそうにない。今日の行軍を始める頃には多少はましになるだろうが、視界が悪いことに変わりはなさそうだった。
ま、まあ、ほら、襲撃されても戦力はこっちの方がずっと大きいですし?




