【35:出頭命令】
「それで」
昼時の大休止。兵站で用意した荷馬車の中。
「殿下のご子息に憎まれている、と」
リンクストーンを通して聞こえるレフノールの次兄、イグネルトの声は、なぜか笑みを含んでいる。
「申し訳ありません、兄上。商会や家にも何かあっては、と」
「必要なことをやっただけ、ということならば仕方あるまい。それにまあ、摂政殿下もあと幾月かだ。3年5年と続くようなら少々困ったことになったのかもしれないが」
最高権力者の係累とはいえ、当の摂政の任期そのものが王が成人するまでの間、と限られている。その成人の儀まではそう長くない。
「で、そのご子息の力量のほどはどうなのだ」
「中佐、大隊長としての任は無難にこなされる印象です。部下からの反応も、御身分込みででしょうが、そう悪いものではない。私は、縄張りを荒らした、と判断されたのだと思いますが」
「そこをあっさり表に出すあたりはまだお若い、ということかな。あるいは、御身分と階級の威光に慣れ過ぎていて、下からの反発に慣れていないか。わかった。父上や兄上にも俺から伝えておこう」
「そのあたりはお任せします、兄上」
「ああ。レフノール」
「はい」
「無事で戻れよ」
「はい」
※ ※ ※ ※ ※
リンクストーンをしまって外に出ると、兵や下士官が食事を済ませていた。部隊ごとに、各自に持たせた携帯糧食を、というのが行軍中の昼食だ。レフノールは部下たちに、アンバレスで買い付けた冒険者用の携帯糧食を配っている。荷馬車の脇では湯が沸かされ、湯気を立てる茶が配られていた。
レフノールは鞍袋から携帯糧食を取り出し、兵のひとりが差し出した茶を受け取って、隊列から少し離れた場所で休む冒険者たちの方へ足を向けた。
「中尉さん」
随行している冒険者の斥候役、ヴェロニカが、レフノールの姿を認めて声をかける。4人の冒険者に、よく目立つ銀の長髪が混じっていた。リディアも冒険者たちと話をしていたらしい。
敬礼しようとしたリディアに、そのまま、と手振りで伝える。
「半日無事に済んで何よりだ。ま、俺たちは最後尾だし、何かに出くわすとしても前の方だろうが」
レフノールの返答に、ヴェロニカがそうね、と笑顔を浮かべる。
「道中では妖魔が動いていた痕跡も見当たらなかった、とヴェロニカさんが」
リディアが付け加える。前回の討伐の甲斐もあったのだろう、ノールブルムまではおおよそ安全に行き来ができる状況になっている、と考えて良さそうだった。
「ありがとう、少尉。あとで中尉にも伝えておいてくれ」
「はい!」
「そういえば、少尉に聞いたけど、大尉さあ」
リディアと喋りながら手に持った携帯糧食の布包みを開いたレフノールに、アーデライドが声をかける。
「それ、調達することにしたんだってねえ?」
味のよい携帯糧食のことを言っていた。
「軍用のはなあ、あれは本当に評判が良くなくて。背に腹は代えられないからみんな食ってるんだが。飯くらいしか楽しみはないし、だとしたら美味い方がいいだろ?」
まあそうだよね、とアーデライドが笑う。
「少尉も気に入ったようだしな」
「同じ食べるなら美味しい方がいいんです」
リディアがきっぱりと断言する。確信に満ちた口調だった。マグから茶を飲みきって、ふ、とひとつ息をつく。
「では隊長、食事も済みましたので、わたしはこれで。先に戻っています」
短く挨拶して、リディアが踵を返した。部下たちの様子を確かめ、午後の行軍についてカミルやベイラムと話し合っておくのだろう。
レフノールはそれじゃ、と短く応じて、立ったままの食事に戻った。
「ねえ大尉さん」
リディアの背中を見送ったヴェロニカが、視線をそのままに尋ねる。
「どうした?」
軽く答えたレフノールが、茶の入ったマグに口を付ける。
「彼女となにかあった? よね?」
今まさに茶を飲み下そうとしていたレフノールは、それを吐き出しそうになって危ういところで踏みとどまった。ごふ、と喉のあたりで妙な音が鳴る。飲みかけた茶をどうにか喉から下へ追いやり、二度三度と咳き込む。
「何だよいきなり、何を根拠に」
ようやく咳の発作を止めて、レフノールが応じた。
「いや、女の勘? だけどなんていうか、すごく自信あるよね、今の少尉」
「自信」
「大事にされてるっていう確信でもいいけど。あ、そっちの方が近いかな。やっぱりなにかあったよね? あの、アンバレスで会ったときもなんとなくそんな感じはしてたけど」
「案外わかりやすいよね、大尉」
なんでこんなところでまで観察眼が鋭いんだ、となにかを呪いたくなったレフノールに、アーデライドが容赦のない追撃を浴びせた。
「いいことじゃないですか」
整った顔立ちで柔和に笑ったリオンに救われたような思いになったのも束の間。
「これもご縁です。呼んでいただければ司式しますよ」
「気が早いよ」
がっくりとうなだれたレフノールは、仕方ない、と腹を括った。
「いろいろとあったのはまあそうだ。が、まだそういうことにはなってないし、しばらくは無理だろうなとも思ってる。式なんていつの話になるかわかったもんじゃない」
ふーん、と頷いたコンラートが、にやりと笑った。
「そのあたり、考えてはいるんですねえ?」
「考えるだろ。べつに遊びのつもりでもないわけだし」
真顔で応じたレフノールに、ヴェロニカがうわ、と声を上げた。
「アデール、聞いた今の?」
「聞いた。大尉いろいろと凄いと思ってたけど、真顔でそれ言えちゃうの、尊敬するわ」
「それはねえ、彼女も自信持っちゃうよ」
口々に好きなことを言う冒険者たちに、その辺にしてくれ、とレフノールは手を振った。
「あんまり大っぴらに口にしてくれるな。勘のいい連中は何かしら気付いてるかも知れんが、彼女を余計な面倒に巻き込みたくない」
釘を刺したレフノールの顔を見つめて、コンラートが、そういうところですよ、と呟いた。
※ ※ ※ ※ ※
ノールブルムに到着したのは、夕方近くなってからだった。荷を確かめ、必要なものを荷馬車から下ろし、前線まで持っていかなければならないものを積みなおす。
「おおむね2日行程という話だから、1台は1日目の露営地に残置。もう1台を前線まで引っ張る」
カミルとリディア、そしてベイラムを集めて、レフノールは方針を確認している。
全員の声がはい、と揃った。ラーゼンを出る前からそのような計画で、何度も繰り返した話でもあった。
「積み込む荷は貴官たちで最終確認しろ。下士官兵だけに任せるな。準備が済んだら、兵たちにはゆっくり休むように伝えておけ」
もう一度、了解の旨の返事が揃う。レフノールは頷いて解散を命じた。
細かい作業の監督は部下たちに任せて、レフノールは近衛の兵たちの様子を眺めている。前線の砦において要求される型通りの作業をこなしてはいたが、どこか弛緩した雰囲気も漂っていた。もともとの空気がそうなのか、王都からはるばる出てきた疲労が関係しているものなのか、レフノールにはよくわからない。
取り越し苦労であればよいが、とレフノールは思う。
だが実際に輜重は事故を起こしていて、事故を起こさないまでも多数の不備が見つかってもいた。それらが輜重のものだけでないとすれば。あの中佐、摂政殿下のご子息の敵意に満ちた態度が、いわば図星を突かれたことによるものだったとすれば。
――ろくでもないことが起きても不思議はない。
兵站としての任務は概ね終わってはいるわけだから、この先何が起きようと、レフノールにあまり関わるところはない。だが、巻き込まれて傷つき、あるいは命を失うのは基本的に兵や下士官で、そのことがレフノールの気分を暗くさせていた。
考えても仕方のないことだ、と首を振り、さて自分の部隊の仕事ぶりは、と向き直る。
視線の先で、リディアが誰かに話しかけられていた。長身に見事な金色の髪。あの中佐か、と警戒心が頭をもたげる。リディアがちらりとレフノールを見た。視線が合う。
藍色の瞳が束の間向けた視線は、すぐに中佐へと戻された。困惑か、あるいは怯えのようなもの。気のせいであればいいが、と思いながら、レフノールはリディアの方へ歩き出す。と、リディアの視線を追った中佐と目が合った。中佐の口許が小さく歪み、口角がわずかに上がる。
リディアに視線を戻した中佐が、一言二言と何かを告げた。表情を硬くしたリディアの肩を親しげに叩く。びくりと身を竦ませたリディアにもう一度何かを言って、中佐は立ち去った。
「すまん少尉、中佐からなにか――」
レフノールが近づいて声をかけると、弾かれたようにリディアが顔を上げた。
「――どうした?」
あまりにも普段と違う態度に、レフノールの声が一段下がる。目を閉じ、呼吸を整えるように言い澱むリディアを、レフノールは辛抱強く待った。
「夕食後、執務室に出頭するように、と」
まともな用件であるはずがなかった。
「俺も同行する」
「――よろしいのですか?」
「よろしくないわけがない。軍務なら俺を通すのが筋だし、そうでないなら君が命令される筋合いはない。違うか?」
敢えて表向きの理由だけを、レフノールは口にした。
――あの目。あの表情。
中佐が何を考えてああいう表情を見せたのかはわからない。だが、個人的な嫌悪を、周囲を巻き込んでまで晴らそうとはしない、と言い切れないものが、レフノールにはある。それこそが口に出せなかった裏の事情で、レフノールの本当の懸念でもあった。
たまにはこういう不穏さもあります。




