【34:理不尽】
レフノールと儀礼的な握手を済ませて、中佐は退出した。
「大尉殿」
敬礼しながら、広間から出てゆく中佐をどんよりとした気分で見送るレフノールに、傍から声がかかる。振り向くとサルヴィーノ中尉――中佐の副官だった。
「中尉、なにか?」
「こちらへ。閣下からの贈り物をお渡しいたしますので」
中尉の言葉に、レフノールは小さく息をついた。先に立って歩き出した中尉の後をついて歩きながら、小声で話しかける。レフノールと並ぶカミルの表情も曇りがちだ。
「……いただいたことにして、ものはそちらで処分なり飲むなりしてもらう、ということはできないものだろうか」
「残念ながら」
サルヴィーノ中尉が首を振って答える。
「あまりに畏れ多いのだが」
「露見すれば小官や大尉殿も御不興を被ります」
どうやら逃げることもできないらしい、と知って、レフノールはため息をついた。
「カリデンモアの18年はよい酒です。色合い、香りの複雑さ、それに余韻の深さと長さ。あれ以上となるとなかなか手には入りません」
立ち止まって、中尉が言った。取りなすような調子だった。
よい酒である、ということ自体はレフノールにも十分に理解できている。12年は誰かに心付けとして渡すために使っても、18年はできれば自分で楽しむために飲みたい。それに、カリデンモアといえば確か、北部の荒野で丁寧に酒を造ると評判の蒸留所だったはずだ。小さな蒸留所だから、出回る量も少ない。噂には聞くが飲んだことはない、というのがレフノールにとってのカリデンモアだった。
「中尉、貴官は飲んだことが?」
「時折、お声がかかった折に御相伴にあずかることが。小官は副官に着任してまだ半年ですが、おかげさまで蒸留酒にはずいぶん詳しくなりました」
レフノールにはそれを役得と言ってよいものかどうか、よくわからなかった。王室に連なる上官に気遣いしながら飲む酒の味はどんなものだろう、と想像する。ひとりで好きに飲む方が楽しめそうだ、という感想しか出てこない。
現場には現場の、貴顕の周囲には貴顕の周囲の、苦労があるということなのかもしれない。
「そのようなわけですから、ひとまず受け取るだけ受け取っておいてください」
「ではありがたく頂戴しましょう。部下たちにも、閣下から御褒美を頂戴した、と言っておかねば」
レフノールの返答に、サルヴィーノ中尉が、ああ、と頷いた。
「閣下にもお伝えしておきます。――閣下は、気前よく振る舞うこと、そのように見られることを好まれますので」
頼むよ、と言ったレフノールに、中尉がもう一度頷く。成り行きを見守っていたカミルが、そっと息を吐いた。
※ ※ ※ ※ ※
コルクの上から蝋で封をされた陶製のボトルを受け取って、レフノールとカミルは領主の館を後にした。
「しかし、嫌われたものだなあ」
宿への道を戻りながら、レフノールが呟く。
「大尉殿は、責任を果たされただけです。嫌われる道理がありません」
カミルが力づけるように言った。
「まあな。だが、ああいうのは理屈じゃあない。俺も必要以上にやったわけじゃあないと思ってるが、それでも『余計なことを』と不満に思う者もいるだろう。本来はあっちの縄張りだから」
「近衛の縄張りをまとめきれなかったから、大尉殿が手を出さざるを得なかったのではありませんか」
不服そうにカミルが応じる。さすがに抑えた声音だった。
「君、それ、人前で口に出すなよ」
レフノールが釘を刺す。聞く者が聞けば、不敬と言われても抗弁できない内容だった。
「はい」
「――だが、ありがとう。君がそう考えていてくれることは憶えておく」
付け加えて、レフノールは手の中のボトルに視線を落とした。
「畏れ多くもありがたい品ではあるんだが」
ひとつため息をついて続ける。
「飲む気にはなれないんだよなあ。……君、飲むか?」
ボトルを掲げたレフノールに、カミルが慌てて首を振った。
「大尉殿への贈り物でしょう」
「そうなんだよなあ」
レフノールにとってはむしろ、それこそが問題なのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「逆恨みではないですか!」
宿に戻って顛末を伝えると、リディアが眉を吊り上げた。
「そもそも――その中佐が部下を隅々まで統率できていれば、隊長が苦労されることもなかったのに!」
レフノールが何となく、こうなるのではないか、と思っていたそのままの態度で、リディアは中佐を槍玉に挙げる。
「自分と部下の不始末を穴埋めした隊長を恨むなんて、逆恨みもいいところです!」
「君、それ、人前で口に出すなよ」
なかなか怒りの収まらないリディアに、カミルに対するそれと同じ言葉で釘を刺す。申し合わせたわけでもないのに、同じ理屈で同じような意見を述べるふたりの部下の存在がありがたい。
「出しませんが……!」
中佐の態度は腹立たしくはあり、憂鬱でもあった。だが、レフノールにとってはそうでない部分もある。
――部下たちが揃って怒ってくれるというのは悪くない。
中佐の嫌悪は、レフノールも、理不尽だと思う。その理不尽に対して、自分の代わりに腹を立ててくれる部下がいる、というのは、純粋に嬉しいことではあった。
「ふたりとも、ありがとう。俺も正直なところ、理不尽な話だとは思うがね」
ふたりの部下に視線を向けて、レフノールは言った。
「ただ、そのあたりの理屈が通じないからこその理不尽だ。悪いが、君たちにも累が及んでしまうかもしれん」
「悪くなどとは。隊長は悪くありません!」
力強く断言したリディアに、レフノールは小さく笑いながら、うん、と頷く。
「悪くはないかもしれないが、もう少し上手くやれたかもしれない、というのも事実ではあるな。君たちもだ。俺を一切庇うなとは言わないが、あまり大っぴらに中佐や近衛を批難するのは止しておけ。俺が嫌われたのは、まあ、巡り合わせというやつかもしれないが、君らはせめて、自分から引き寄せるようなことはせんようにな」
まだ少なからず不服そうなふたりの部下は、しかし、声を揃えてはい、と返事をした。
今回は短めです。
理不尽なことがあったとき、一緒にor代わりに怒ってくれる人って本当に貴重なんですよね。




