【30:悪い下士官とよい士官】
「軍の療養所? いやまあ、手配はできるけど」
翌朝。定時連絡を入れたレフノールに、リンクストーンの先のライナスは何とも言えない声で応じた。
「今はそこまで大規模に部隊を動かしちゃいないだろうし、そんなに難しい話でもないだろ。頼むよ」
「ああ、うん、難しいとかそういう話じゃないんだ。そっちも忙しいだろうに面倒見がいいことだなって思っただけだよ。名前なんだっけ、近衛の大尉だろ?」
苦笑するような気配が伝わってくる。
「ラインシュタール大尉な。まあ仕方ない、こういう性分だ。療養所の手配は任せる。出られるようになったら伝えるから」
「うん、とりあえず話は通しておくよ、早めに。――それで、大尉のやってた仕事はどうするんだ?」
ライナスの言葉の後半は、こころなしか声をひそめるような調子だった。
「こっちで引き取らざるを得ないと考えてる。というかそのつもりで動いてる。アンバレスにも将校はいるだろうから、そいつを呼ぶ、というのもなくはないんだが」
「あー……一応、ふたりいるけどな。たぶんこっちはひとりだと回らんと思う。どっちにしても命令書なりを届けて移動して、というのをやってる間もどうにかせにゃならんわけだから」
「そう。そのあたりを考えると、結局こっちで引き取った方が話が早い」
「やむなし、か。――こっちでできることは何かあるか?」
「馬車の修理が必要って話はしたよな。工兵か軍属の職工を送ってくれ、一応護衛と、それから馬車をそっちに戻すための馭者つきで。場所はラーゼンからだいたい半日行程だから、ほぼラーゼンと考えていいと思う」
「了解」
「作業が済んだら連中は一旦ラーゼンに立ち寄らせて、馬を引き取ってから翌日出立、そのままアンバレスへ向かわせる」
「わかった。送り出す連中にはそう言っておく」
「報告書だの何だのはその連中に2部持たせて送るから、1部そっちで保管しといてくれ」
「正本は近衛に、か」
「そう。形としては近衛の輜重が職務中に事故を起こしたことになるから、本来ならあっちの大尉の仕事なんだけどな。ご存知のとおり執務できる状態じゃないから」
「――そうやって周りの仕事を引き取って回るから……」
ライナスの口調に、苦笑するような気配が混じる。
「俺だってべつに好きでそうするわけじゃない。事故も急病も上官の戦死も、ついでに言えばお偉方の無茶も、俺は頼んだわけじゃないし、そこから湧いて出てくる仕事だって――」
抗弁する調子になったレフノールを、ライナスがはいはい、とおざなりな相槌で止めた。
「まあ、お前は身体を壊さん程度にやってくれ。部下ふたりは使えるようになってるんだろ?」
「ああ、中尉も少尉もよくやってくれてるよ。第2軍団から出した小隊の仕事は、あのふたりで回せると俺は踏んでる」
「そっちはそっちで骨だろうが、まあ、いい経験になるかもしれんな」
「ああ、そうなってくれと願うしかない」
ため息をひとつついて、レフノールはライナスの言葉に同意した。優秀とはいえまだ若い少尉と、ようやく自信を取り戻しつつある中尉のふたりに、あまり大きな負荷をかけたくはなかった。だが、状況は、レフノールたちにそれを強いている。
ならばせめてふたりがうまくやれるように手助けをしながら、その経験を糧にしてくれと願うしかないのだった。
※ ※ ※ ※ ※
翌日、レフノールはノールブルムに向けてラーゼンを発った輜重隊に伝言を託した。伝言に応じたカミルとベイラムが戻ったのは翌々日の午後。
「ご苦労、よく戻ってくれた。話は聞いてるか?」
「はっ、おおよそは、大尉殿」
レフノールがかけた言葉に、姿勢を正したカミルが答える。
「そういうわけだ。何もかもめちゃくちゃになった。本当なら貴官には前線のあれこれも含めてひととおりのことをやっておいてもらいたかったわけだが、そうも言っていられん」
「は、状況は概ね理解しています」
「面倒ではあるが、どうにかするしかない、というところが解っていれば十分だ。詳しい話はあとにしよう。四半刻後に俺と貴官、少尉、それに曹長で打合せをやる。曹長には貴官から伝えておいてくれ」
「はっ!」
※ ※ ※ ※ ※
「話はだいたい聞いていることと思うが」
きっかり四半刻後、顔を揃えた面々を見回して、レフノールは切り出した。
「近衛の輜重が事故を起こして、その上あちらの指揮官が倒れた。事故の後始末はあらかた済んでるが、近衛の輜重を誰かが指揮しなければならん」
残る3人が頷く。カミルは生真面目な顔で、リディアとベイラムはほんのかすかな笑みを浮かべて。
「そのようなわけで、俺はしばらくあちらの指揮官の真似事をやる。曹長、貴官も俺に手を貸してくれ。あちらの下士官兵を締める役回りをやってもらう。まあ、少々恨まれることにはなるだろうが」
「承りました、隊長殿」
にやりと笑ったベイラムが応じる。
「できるだけ優しく教えてやりましょう」
「ああ、丁寧にやってくれ」
言葉だけ聞けば何ら不穏さのないやり取りに、カミルが口の端を引き攣らせる。凶悪な風体の曹長の『優しく』、そして応じた上官の『丁寧に』がどのような意味か、想像がついてしまったのだった。
「中尉、少尉、貴官らにはふたりでここから前線側の兵站を切り回してもらうことになる。全体の指揮は中尉、補佐は少尉」
「はっ」
「はい!」
部下ふたりの素直な返答に、レフノールが小さく笑って頷く。
「中尉、基本的には貴官に任せる。少尉と下士官をうまく使え。少尉、何かあれば遠慮なく意見して中尉を支えろ。手に負えなさそうな事態が出てきたら俺に言え」
ふたりの将校がそれぞれに了解の意を示すのを確かめて、レフノールはもう一度、よし、と頷いた。
「悪いが今までの執務室は俺が使う。少尉、君は明日の朝までに君が使っている部屋を片付けてくれ。明日からはそっちで仕事をすることになる」
「わかりました。でも、今すぐにでも問題ありません、隊長」
リディアの返答はつまり、何かあればすぐにでも出立できるように整っており、誰が立ち入っても問題ない、という意味だった。
「準備がいいな。明日からもその調子で頼む。ああ、必要な書類は、今の執務室から、今日のうちに移しておいてくれ」
「はい、隊長」
「中尉、荷の整理と積み替えを済ませたなら、兵たちは休ませろ。貴官は報告があれば少尉に共有して俺にも提出。それが済んだら貴官も休め」
「了解いたしました」
「よろしい。では解散。明日から忙しくなるぞ」
レフノールの言葉を受けて、3人が椅子をがたがたと言わせながら席を立った。
※ ※ ※ ※ ※
「よく来てくれた!」
翌日の午後。レフノールは広場に出て、近衛の輜重兵たちを歓迎した。笑顔で手を広げて歓迎の意を示すレフノールの背後には、仏頂面のベイラムが控えている。
「ラインシュタール大尉は急な病でな。ただいま貴官らの指揮を執ることができない。すまないが小官がかわって指揮を執っている」
言いながら、ラインシュタール大尉の署名の入った書面を下士官に示した。はぁ、という気の抜けたような返答があった。のそり、とレフノールの前に出ようとしたベイラムを、レフノールは片手を軽く挙げて制する。
「――そのようなわけで、今は小官が貴官らの指揮官だ。で、貴官らに訊きたいのだが、なぜ貴官らはここにいるのだね?」
「――は、ええと――大尉殿?」
笑顔のままに尋ねたレフノールにつられるように、近衛の下士官――若い軍曹だった――が、曖昧な笑みを浮かべる。
もう一度前に出ようとしたベイラムに、レフノールはもう一度片手を軽く挙げた。
「わからんか。ならばわかるように訊こう。ラインシュタール大尉が作成した行程表によれば、貴官らの到着は明日のはずだ。なぜ貴官らは、今、ここにいるのだ?」
「それは……一刻も早く、」
「小官はな、軍曹、貴官がどのようなつもりであったかを尋ねているわけではない。なぜ、今、貴官はここにいることができているのだ、と訊いている。なぜだ?」
あくまでも笑顔のまま、レフノールは若い軍曹の言葉を遮った。
軍曹が言葉に詰まる。
「大尉殿が尋ねておられるのだ! さっさとお答えせんかッ!」
背後からベイラムが吼えた。びくり、と軍曹が身を縮める。
レフノールがまた片手を挙げた。
「曹長、俺はこの軍曹から少々事情を訊きたいだけだ。あまり怯えさせるな。――すまんな軍曹、他意はないんだ。で、」
意識して笑顔を保ったまま、レフノールは首を傾げてみせる。
「なぜ、貴官は今ここにいるのだね?」
「は、そ――」
何かを言おうとした軍曹が、レフノールとベイラムの間に視線を往復させて口ごもる。
今度はベイラムが吼える前に片手を挙げたレフノールが、ふっと笑顔を消した。
「答えられんのならば代わりに言ってやろう。貴官は命令を無視した。違うか」
抗議するように開きかけた軍曹の口が閉じる。レフノールの背後に立つベイラムが視界に入ってしまったに違いなかった。
「あれは無用の危険を避けるためにラインシュタール大尉が出した指示だ。貴官はそれを無視した。――来る途中、道の横に軍の荷馬車が置いてあったのは見たな?」
「――は」
「あれが命令を無視した奴の末路だ。死者1名負傷者1名。馬も1頭死んで荷馬車はあのとおり立往生。貴官、まさかとは思うが、自分もそうなりたいとは言わんよな?」
「も、申しません」
まだ肌寒い時期であるというのに、顔中に汗をかいた軍曹が答える。
「よろしい。曹長、彼らの服装に装具、それから荷馬車と荷の状態を点検しろ。不備があったなら罰則。命令無視の分も忘れるな。内容は任せるが、行程表に従って戻らせることは念頭に置け。怪我はさせるな」
「了解いたしました」
背後からいかにも嬉しそうな声が応じる。目の前の軍曹の喉のあたりで、奇妙な音がした。
「なに、軍曹、あまり構えることはない」
レフノールは顔に笑顔を貼り付けて、軍曹の肩を叩く。そこだけ見れば、いかにも親しげな仕草だった。
「問題がなければ小半刻で済む話だ。曹長、かかれ」
「はっ! 総員整列! 気をつけェ!」
大音声の号令でもって輜重兵たちを並ばせたベイラムが、端から順に服装と装具を点検してゆく。それこそ外套を留めるブローチから、革靴の紐の結び方に至るまで、ベイラムの点検は細かく、そして容赦がなかった。不備のあった者はその場で腕立て伏せを強制される。
服装と装具の点検が済むと、次は馬車と荷の点検だった。ひとつ不備が指摘されるたびに、全員の顔が引き攣ってゆく。誰が、という話ではなく、全員に対して適用される罰則になるからだった。
到着からたっぷり1刻ほどが経つ頃になって、近衛の輜重兵たちはようやく苦役から解放された。半刻の点検と腕立て伏せのあとで、更に半刻、荷の積み替えの任をこなさねばならなかったのだった。
パワハラめいたなんか。曹長はわりとノリノリでやっております。




