【28:新たな仕事(中)】
「近衛の側でラインシュタール大尉がやってた仕事は、第2軍団で引き取らざるを得ない」
「やむを得ませんね」
寸刻後。下士官のひとりに準備を命じたあとで、レフノールは自室でリディアと話している。
「ああ。あちらに将校がいなくなった以上は、他に方法がない。一応、代わりを出せと近衛には要請するが」
兵站の将校が足りないのはどこも同じで、そう簡単に補充などされるはずがなかった。前回も結局、代役であったレフノール自身をそのまま充てた上に補充自体は最後まで行われていないのだ。まして相手は王都が本拠の近衛、となれば期待する方が間違っている、ということになる。
期待薄ですね、と諦めたような口調で応じたリディアも、随分と馴染んできた、ということなのかもしれなかった。
「基本的には、今までやってた作業に、アンバレスへの注文と注文した内容の管理が加わる形だな」
レフノールの言葉に、リディアがはい、と答えて頷く。
これまでレフノールたちの、いわば第2軍団からの出向組は、近衛の兵站が運んできたものを受け取ってノールブルムに送ることが仕事だった。ここから先は、ラーゼンに届くまでの管理も行うことになる。いつまで、ということはレフノールにもわからない。当面と言うしかなく、おそらくその「当面」の間に作戦そのものが終わっている。
「で、役割分担を決めよう。俺としては、俺があっち側――ラインシュタール大尉の代役を務めるのがいいように思う」
レフノールの提案に、リディアが考える表情になった。
「不服か?」
「いいえ、不服はありません」
珍しく押し被せるような口調になった質問に、リディアはきっぱりと首を振った。
「では、不安が?」
「わたしたちは多分、どうにかできます。そこにあまり不安はありません。中尉も事務を捌くのは速い方ですし、ふたりいますから。でも――」
ああ、とレフノールは小さく笑った。
「ありがとう、リディア、君の言いたいことは解っている……と、思う。だが、考えてみてくれ。将校は3人、ふたりとひとりで分けるしかない。ひとりにするのはどう考えても俺だ」
「……はい」
渋々、といった態でリディアが頷く。
配属されたばかりのカミルにひとりで事務を任せるのは論外として、リディアも気心の知れない近衛の下士官や兵を相手にひとりで立ち回れるほどの経験はない。
「で、俺と君たちのどちらが近衛の相手をするべきかも同じ話だ。俺の方が階級も高いし歳も行ってる。嫌な話ではあるが、そういう部分は細かいところで何かと効くんだよ」
だから俺だ、とレフノールは親指で自分の胸を指した。
「――あとはあれだな、君にああいうろくでもない連中の相手をさせたくない、というのもある。個人的に」
まだ不満そうなリディアを見て、レフノールはそう付け加えた。
「な」
一瞬で、リディアの頬に血の色が差した。
「こっ……公私混同ですそれは!」
「公の方の理由だけで納得してくれない君が悪い。まあ、そういうことだと理解してくれ」
どうにか抑えた声で抗議したリディアに、レフノールはさらりと切り返した。二度三度と口を開け閉めしたリディアが、今度こそ黙る。
「役割分担はそれでいいとして――いいよな? 少尉、君に頼みたいことがある」
仕事の顔に戻ったレフノールに合わせるように、リディアもひとつ息をついて表情を引き締めた。
「――はい。どのような?」
「基本的には書類の準備だ。今回の事故で多少なりと不足は出るはずだから、それをここの領主と――実際には子爵家の家宰殿と交渉して、調達する必要がある。数字と宛て先のところは空けた状態で、物資の提供を依頼する書面を作っておいてくれ」
「はい」
「家宰殿には一応の話を通してある」
「はい」
「あとは――仕事の話で言えば、やり取りする相手があちらの大尉から俺に変わるだけだな。ここはさほど問題ないはずだ。物資の所要量も、部隊規模が前回とほぼ同様だから、基本的には同じと考えていい。帳簿が必要なら、体裁はうちのものに合わせてしまって構わない。ともかく、そのあたりを気にしながら書類を用意しておいてくれ」
「承りました」
「時間が余るようなら休んでいて構わない。司祭様に話を聞いてもらうのがいいかもしれないな。葬儀の礼なり何なり、理由はつけられるだろ」
「――隊長は?」
はい、と頷いたリディアが尋ねる。
「済まないが、俺は今日は一日、現場に出向いて後処理をすることになる。これからすぐに、だな」
遠慮がちに伸ばされたリディアの指が、机の上で、レフノールの手を握る。ほんのわずかの間俯いたリディアが顔を上げて、手を離した。そのときにはもう、甘さの削ぎ落された将校の顔になっている。
「お気を付けて、隊長。留守はお任せください」
※ ※ ※ ※ ※
昼頃にたどり着いた現場には、まだ事故の跡が生々しく残されていた。
馬車は横転したまま、崩れた荷の一部もそのまま。馬車を曳いていた馬のうちの1頭の死骸が、なんの処置もされないまま残されている。馬車が事故を起こした際に、巻き込まれて脚を折ったもののようだった。街道を往来する人や馬車はそう多くないとはいえ、好ましい状況ではない。肉食の獣が寄り付くようになれば、別の面倒が発生してしまう可能性もある。
「コンラート、ひとまずゴーレムに穴を掘らせてくれ。簡単に掘り返されない程度の深さで、場所は適当でいい。まずはその馬の死骸を埋めよう」
わかりました、と応じたコンラートが、早速場所を見繕ってゴーレムたちに穴を掘らせ始める。
レフノールは、連れてきた下士官のひとりに、馬車の状況の検分を命じている。
「このままだと、普通に走らせるのは無理ですな。修理をすればどうにか、というところかと」
しばらくの後、状況を確認した下士官が報告する。
「破損箇所は説明できるか? 必要なら、そこの部材を用意せにゃならんが」
「部材がどうこうというより、車体全体が歪んでます。車輪が車体に接触してしまっている部分がありますから、そこをどうにかせんと動かせませんな」
横転した際に下になった側の車輪は車体に当たっていて、そのままでは動かせない。元の通りに立て直してまともに動けばいいが、というところのようだった。
「立て直すにもまず荷をどうにか、というところからか」
「ですなあ」
レフノールはひとつため息をついて、投げ出されている荷の山を見やった。
「仕方ない、始めよう。まず馬車の幌と幌の枠を全て取り払う。その後、危険のなさそうなところから荷を除けていく。貴官は状況を見て、まずいことをしそうな兵がいたらそれを止めろ。冒険者にもひとり見させておいて、何かあったら貴官に声を掛けさせる」
「はっ」
姿勢を正した下士官が応じる。
「除けた荷はひとところにまとめてくれ。場所は道の外でここよりラーゼン側、要は作業の邪魔にならなくてこっちの馬車に積み直しが可能な場所ならどこでもいい。荷の検分は俺がやる。兵を――そうだな、ふたりこっちに預けてくれ」
「は」
「起きちまった事故については今更どうしようもないが、俺たちはできるだけ安全にやろう。この作業で怪我人を出すのは恥だと思え。難しそうな部分は後回しにしていい。ゴーレムが空いたら補助させる」
「はっ」
コンラートが聞いたら嫌がりそうな台詞だ、と思いながら、レフノールは作業中のコンラートとゴーレムたちにちらりと視線を投げる。力仕事に使われ、今後もおそらく休憩など与えられずに重労働に従事させられるゴーレムたちではあったが、勿論それらは不平を述べることもない。
「それから、疲労は判断力を奪う。兵たちには適宜休憩させろ。少なくとも半刻に1回」
「了解いたしました!」
背筋を伸ばして敬礼した下士官が応じた。
「よし、かかれ」
連れてきた兵たちが作業にかかるのを見届けて、レフノールは冒険者たちのところへ戻った。
「アーデライド、悪いがしばらく立哨を頼む。周囲もあれだが、作業自体もそれなりに危険だ。何か気付いたらあの下士官に声をかけてやってくれ」
「了解。彼ね」
「そう。話は通してあるから」
髪を後ろでまとめ直し、それじゃ、と軽く手を振ってアーデライドは作業の始まった馬車の方へと歩いてゆく。
「ヴェロニカ、事故の経緯はわかるか?」
「推測でよければ、なんとなくはね」
勿論それでいい、とレフノールが頷く。
「ここ、すれ違うにしても狭いんだよね。だからお互い、左側の車輪だけ路外に落としてすれ違おうとしてたんだと思う。空荷の馬車は特に問題なかったんだろうけど、荷を積んでた方はこう、どうしても斜めになるじゃない?」
言いながらヴェロニカが手振りで馬車の傾きを示してみせる。
「もともと街道の石畳の方が高くて、路外の方が低いのよね。そこに雨で地面が柔らかくなってて、傾き方が思ったより大きくなったんじゃないかな。傾いたときに荷が崩れたのが先か、横転が先で結果的に荷が崩れたのかはわかんない。たぶん荷崩れが先。荷が崩れてバランスを失って馬車が転がって、馭者台に乗ってた人が放り出されて軽傷、中で荷を見てたか休んでたかの人が荷に脚を挟まれて重傷」
そのあとのことはレフノールも知っている。頷いたレフノールに、ヴェロニカがひとつため息をついてみせた。
「やってらんないのはさあ、小半刻もラーゼン側に戻れば、たぶん事故起こさずにすれ違えてたってことなんだよね。道の周りがちょっと開けてる場所があったでしょ?」
「……あったな、たしかに」
つい先刻通ってきた場所で、レフノールにも確かに覚えはあった。
空荷の馬車をそこまで戻していれば。雨中、馬車をぬかるんだ路外に出そうとしなければ。荷がもう少し崩れにくく積まれていれば。
だが現実に事故は起きてしまい、ひとつの命は失われてしまった。
「全部たらればの話でしかない、か」
「そ。大尉さんも大変だよね、こんなとこまで出てきて調べてさあ」
ヴェロニカの言葉に、レフノールはため息で応じた。
「まあ、俺の場合はこれも俸給のうちだからな。君らの方がいい迷惑かもしれん」
「あたしたちも、これはこれで依頼料のうちだからねえ」
お互い様か、と小さく笑って、レフノールは会話を切り上げた。
そろそろ、馬車から運び出した荷が積まれ始めている。何が使えて何が使えないのかを見極めなければならない。夜までにラーゼンに戻ろうと思うなら、あまり無駄に使える時間はないのだった。
ちょっとした糖分補給からの現場検証。温度差は仕様です。




