【22:ある予定外】
「着いた? 近衛の輜重が?」
「は、先ほど到着しております!」
兵の報告を受けたレフノールは、一瞬宙を見上げて指折り日を数えた。
「わかった。貴官はひとまず当番の下士官に報告、あとは指示に従うように」
「はっ!」
踵を合わせて敬礼した兵が走り去った。
「……明日の予定、だったよな?」
見送ったレフノールは振り返り、リディアに確認する。
「はい、明日の予定でした」
リディアが頷いて応じた。
「……ちょっと良くないな。あちらの大尉に伝えておこう」
「良く……ないのですか?」
「ああ、あとで説明する。今はとりあえず、馬車の荷を片付けよう」
「了解しました」
「うちとあちら、両方の馬車をそこの広場に誘導して積み替え。手順は問題ないな?」
「はい、問題ありません。下士官兵と確認してあります」
「よし。細かい手順は任せる。兵たちと相談してよろしくやってくれ」
「はい!」
※ ※ ※ ※ ※
「いや、貴官らの努力を否定するわけではない。ないがこれは」
「大尉殿、兵たちも疲れておる中、気張ってここまでやってきたのです。それを――」
やりかけだった仕事を中断して広場へ出ていくと、近衛の輜重の馬車は既に決まった場所に停められていた。ラインシュタール大尉は、と探すまでもなく、抑えた声が馬車の陰から聞こえてくる。
「早着ではなく、決まった場所を通って、決まった刻限にここに着くよう努力してくれ。道の状況もあちらの都合もあるのだ。我々だけ早く荷を届けたところで、前線に早く荷が届くわけではない」
「いやお言葉ですが大尉殿、それは連中の問題で」
会話が危うい雰囲気になっている。レフノールは石畳を蹴るような歩き方で馬車に近付いた。
「大尉? ラインシュタール大尉はこちらにおられますか?」
ついでに声を出して相手の大尉を呼ぶと、ぴたりと会話が止まった。
それを確かめてから馬車を回り込み、笑顔を作って、レフノールはラインシュタール大尉に話しかけた。
「ああ大尉、こちらでしたか。君、話しているところ済まないが、小官は大尉と少々話がある。大尉、よろしいですか?」
ラインシュタール大尉が、話していた相手――近衛輜重の下士官――に頷くと、下士官は踵を合わせて背筋を伸ばし、敬礼した。
「はっ、任務に戻ります!」
当てつけのような大音声だった。走り去る下士官を見送ったラインシュタール大尉がふっと息をつき、腹のあたりに左手を当てる。胃が痛くなっているに違いなかった。
「――お見苦しいところを」
ラインシュタール大尉が、苦しげな口調で言う。近衛の輜重が早く着いてしまったこと、そしてその意味を下士官に徹底させられていないこと、その両方を問題と認識しているに違いなかった。
「いえ。まあ、積み替えは問題なく行えるでしょうし、早く着くのも悪いことばかりではありません」
レフノールは務めて穏やかに応じた。相手が問題を認識しているのなら、それ以上問い詰める必要はない、と思っている。実際問題として、あまり神経の太くなさそうなラインシュタール大尉の胃をこの上痛めつけて、なにか事態が好転するとも思えなかった。
「いま、こちらの馬車を呼んでおります。大尉、運搬されてきた品の目録はお手許に?」
「いや、すぐに用意させます。荷受けの確認はどうされますか?」
「そちらの馬車から荷下ろしする際に確認します。問題がなければそのまま積み替える形で」
わかりました、とラインシュタール大尉が答える。
どうにか気分を切り替えたらしく、仕事の表情に戻ったラインシュタール大尉に、レフノールは内心安堵していた。言うべきことは言わねばならないが、仕事相手との関係は良いに越したことはないし、自分の仕事を滞りなくこなすためには隣接する部署も滑らかに回ってもらわなければ困るのだ。
馬車の両輪のようなもの、とレフノールは考えている。己の側の車輪だけがよく回っても、反対側が回ってくれなければ馬車はうまく進めない。
――そもそも馬車を動かす必要があるかないかは別の話、なんだがな。
車輪と馬車の連想からそこまで考えが至ってしまい、レフノールは小さくため息をついた。
一介の尉官に手や口が出せる話ではない。自分が命令と任務を受けて動く側なのだ、ということを、レフノール自身が、否応なく理解させられてしまうのだった。
※ ※ ※ ※ ※
「先ほどのお話ですが」
一通りの話を終えて執務室がわりの個室に戻り、腰を落ち着けたところでリディアが切り出した。
手には例によってミルクティーのマグがある。
「先ほどの……ああ、早着のあれか。うん」
ばたばたとしだす前の会話を思い出しながら、レフノールはそう応じた。
「まず前提として、荷が早く着くこと自体は悪い話じゃあない」
「……はい」
やや眉根を寄せて、何を言っているのか、という表情になったリディアに、いやいや、とレフノールが手を振る。
「今回はちょっと事情がな。早く着いたこと自体がどうこうではなくて、なぜ、どうやって早く着いたか、という話なんだよ」
リディアが黙ったまま小首を傾げた。どういうことでしょうか、と藍色の目が問うている。
「うん。アンバレスからここまで、大型馬車――近衛が持ってきた大型馬車は、通れはするが行き違いは限られた場所でしかできない。どこででも行き違えるわけではない。街道の上だけを通っている限りは」
「はい」
「だから、行き違える場所で、往復の馬車を行き違わせなければいけない。ではどうする?」
「片方がその場所に着いたら、すれ違う相手が来るまで待つ……?」
「そうだ。必然的に、そこで時間を無駄にしなければいけない。いや、無駄ではないんだが、一時的にそこで止まる必要がある」
「はい」
「だから、半刻1刻ならまだしも、日単位で日程がずれることなんてあり得ないんだよ。決まった場所で行き違うなら。そこで待たなければ次に進めないわけだから。逆に言えば――」
「待たずに進んだから早く着いた? 本来とは違う場所で行き違いをして――」
「そう。本来とは違う場所、というのはつまり、馬車一旦を道の外に出さなければいけない場所、ということだ。舗装された街道じゃあない。まあ、舗装がなくとも馬車は進めはするが、荷を満載した馬車が通っても問題ないような場所だらけってわけじゃないだろ」
ぬかるむ場所もあれば平坦でない場所もある。まして雪融けの近い地面では、車輪を取られて進めなくなるような可能性もある。
「つまり今回、1日早く着いた、ってのはそういうことだ。あちらの大尉も言ってたが、大都市間の幹線街道以外を通る機会自体がほとんどないそうだから」
経験のある兵や下士官がいたとして、その経験自体が限られた環境でしかないならば。それ以外の環境への想像力を欠いているのだとすれば。部隊長がいくら理を尽くして指示をしたとしても、それに納得できない下士官や兵を、完全に従わせることは難しい。
「……続くと、どうなりますか?」
「運が良ければ何事もなく済む。悪ければ――」
言葉を切って、レフノールは肩をすくめた。
望ましくないやり方をしたからといって、必ず事故が起きるわけではない。それは確率の問題だ。最後まで当たりを引かずに済むかもしれないし、最初の数回で引き当ててしまうかもしれない。何かが起きるのか、起きるとしていつそれが起きるのか、何が起きるのか、起きてみるまでわからない。
「救いは、あちらの大尉が危険を認識しているということだな。口酸っぱく言っていれば、多少なりと事故の可能性は下がる」
「……はい」
「万が一何か起きたら、こちらからも手助けをする必要はあるな。と言って、今何ができるわけではないが」
レフノールの出した結論に、リディアは頷かなかった。俯き加減に、なにかを考えている。
「――あの」
ややあって顔を上げたリディアに、レフノールは黙って頷いて先を促した。
「アーデライドさんたちを、早めにこちらに呼ぶ、というのはいかがでしょうか」
今度はレフノールが考え込む番だった。
アンバレスでなくラーゼンで待機。その間、アーデライドたちは他の仕事を請けることはできない。最低限、待機のための食事と寝床、そして待機がなければ得られたかもしれない稼ぎへの、いくらかの補償。
近衛の輜重がどこかで事故を起こしたときに失われるものを考え、失われたものを取り戻す方策を考え、起きるかどうか判然としない事故への備えの必要性を、レフノールは考えた。
「――やってみよう」
しばし考えた末に、レフノールはそう結論を出す。
「明日の朝、ライナスに繋ぎをつけて、あいつから声をかけてもらう。もしアンバレスにいるのなら、ある程度の条件を提示して早めにこちらに来てもらえないものか頼んでもらえばいい。いなければ仕方ない、この話はなかったことにする他ないな」
「はい!」
小人数でありながら複数の能力を併せ持ち、何をするにも便利で小回りが利く。何が起こるかわからない現状、すぐに用意できる備えとしては最善のものと言ってよい。
「ありがとう、よく思いついてくれた。助かるよ」
「こちらこそ、隊長」
ふふ、と小さくリディアが笑う。
「お役に立てて、嬉しいです」
一見ヤバみがなさそうだけどよくよく考えるとヤバい事象、社畜やってると結構見かけますよね(しろめ




