【21:帰着】
その日の夕方近くになって、リディアとリディアが率いる分隊は無事にラーゼンに帰着した。
「隊長、メイオール少尉、ただいま帰着いたしました!」
ぴしりと敬礼したその手を、あの手袋が包んでいる。
「――任務ご苦労。無事で何よりだ」
ああ贈ってよかった、と思うと同時に、俺は勤務中に一体何を、という考えもレフノールの頭をよぎる。雑念でほんのわずか反応が遅れたものの、どうにかそれらしく返答して答礼した。
「詳しい話はあとで聞かせてくれ。兵たちは?」
「問題ありません。荷下ろしと装具の片付けを済ませたら休むようにと伝えてあります」
「だいぶ慣れてきたな、少尉?」
「いろいろと教えていただきましたから、隊長」
レフノールの軽口に、にこりと笑ってリディアが返す。
「君も君の部屋で少し休め。四半刻後にこちらの部屋へ」
「はい!」
※ ※ ※ ※ ※
リディアが部屋を訪れる時刻の少々前、部屋を片付けたレフノールは一旦階下に降り、食事の仕込みをしていた亭主に頼んで茶を淹れてもらった。山羊の乳で煮出した北方風だった。
――そういえばいつだったか、彼女にこれを出してもらったことがある。
マグカップをふたつトレイに載せて階段を上がりながら、レフノールは思い出す。
着任間もない頃、遠く王都にいる兄と会話をした直後のことだった。あの頃から自分は、ああいう何気ない気遣いに癒されていて、そのことを好ましく思っていた。少々立場が変わり、お互いがお互いを見る目が変わっても、それが変わることはないだろう。
階段を上がり切ると、ちょうどリディアが部屋の扉をノックしようとしているところだった。
「あ、隊長――すみません、わざわざ」
足音に気付いたリディアがレフノールに視線を向け、トレイに載せたふたつのマグを見て小さく詫びる。
「まあ、こういうのもいいだろう。ちょうどいい、開けてくれ、中は誰もいないから」
はい、と答えたリディアが扉を開けて押さえる。ありがとう、と小さく礼を言って、レフノールは先に部屋へ入った。小さなテーブルにマグカップを下ろし、扉を閉めたリディアに、座ってくれ、と声をかける。
「失礼します。ありがとうございます」
律儀に言ったリディアが座り、レフノールも腰を下ろしてマグを手に取る。
「無事に戻ってくれて何よりだ。寒かっただろう?」
「はい。まだ雪も融け残っているくらいですから。でも――」
マグの取っ手から離した手を、ぱ、と開いてみせる。
「手が温かいと、あまり辛くないんですよ」
にこりと笑うその表情に気圧されるように、ああ、とレフノールは頷く。
「それは良かった。送った甲斐が――」
「ほら、冷たくないでしょう?」
そのままついと伸ばした手が、レフノールの手を捕まえる。
「レフノールさんのおかげで」
はにかむような口調で己の名が口にされたことが、否応なく意識されてしまう。
「嬉しいんだが、リディア、外でこれは」
「こういうときだけです」
小さく笑ってそう答え、リディアはするりと手を離した。
レフノールは気を落ち着けるようにひとつ息をつき、マグからミルクティーを一口含む。
手に、細く温かな指の感触が、まだ残っているようだった。
※ ※ ※ ※ ※
「それで、実際のところ、ノールブルムと道中の様子はどうなんだ?」
しばらくふたりでミルクティーを飲み、落ち着いたところでレフノールは話題を切り替えた。
はい、と応じたリディアも、仕事の顔に戻っている。
「ノールブルムは特に異状はありません。通例どおりに維持されていました。今のところ備蓄の状況は軍の基準どおり――まあ、員数外のあれこれはありますが、それも含めて、というところです」
「ローレンツ中尉との引き継ぎは?」
「書類と記録の引き継ぎは規定のとおりに。それと、あちらで気付いた細々した点はお伝えしてあります。中尉からもいくつかお話は伺いました。まあ、そのあたりは、曹長もいましたので」
足りない部分があれば補ってくれる下士官というのは心強い。そういった役回りを期待して、レフノールはカミルにベイラムを付けている。部隊の将校の誰よりも豊富な経験を持つ先任下士官は、期待どおりの力量を発揮してくれているようだった。
「近衛の受け入れの準備は?」
「そちらも問題ないかと。まだ完全に済んではいませんが、来着予定に合わせて進めています」
打てば響くような受け答えだった。将校としてひとりで動かさせることに不安がないではなかったが、やはり彼女は優秀なのだ、と思い知らされる。
「あちらは問題ないとして、道中は?」
レフノールの質問に、リディアがもう一度はい、と応じる。
「要請が効いたのだと思いますが、ノールブルムまでは問題なく馬車が通せました。行き違いはどこでも、というわけにはいきませんが、一日かからない行程です。3か所ほど幅を拡げてあって、そこでは行き違いができるようになっていました」
「順調じゃないか」
リディアが見てきたのだから、そこに間違いはない。レフノールはその点で、目の前に座る銀髪の少尉を信頼している。
「はい。ノールブルムから西も、整備を試みる、というお話でした。1日行程のあたりまでは馬車を通せるようにする、とか」
「なるほど、熱心だな」
砦に駐留する部隊の指揮官の性格なのか、近衛とともに出張ってくる王室の係累への遠慮なのか、いずれにしても行軍はしやすくなるし、輜重にとっても馬車を使える方が、仕事は格段に楽になる。
「ならばこちらは引き続き予定通り――と言いたいところだが、少々事情が変わった。近衛の輜重にちょっと問題が起きててな」
「問題ですか? どのような……?」
尋ね返したリディアに、レフノールは大まかな状況を話して聞かせる。話が進むにつれ、リディアの表情が疲れたものに変化していった。
「――そんなことになっていたとは」
「なっていたんだよ、困ったことに」
「しかしそういう事情であれば、仰るようにせざるを得ませんね」
「ああ。ローレンツ中尉の提案で、あちらの馬車からこちらの馬車への積み替えは、そこの広場を使わせてもらおう、という話になっている。近衛との話は付けたから、あとは一応、あの家宰殿に話を通しておこう」
「はい」
「アンバレスに置いていたうちの馬車は、順次こちらへ向かわせている。数日で着くことになるな」
「はい」
「まあ、少々回り道……というか余計な手間が増えちゃいるが、結局のところ俺たちがやるべきことはそう変わらない。まあ、前回に比べたら、中尉がいる分だけマシな気はするな」
「わたしも同じ意見ですが、隊長」
言葉を切ったリディアが、ミルクティーを一口飲んでから続ける。
「ああいう非常事態と比べるようなものではないと思います」
本作の描写を通じて己の癖を自覚したので、折を見て積極的にお出ししていこうと思います(きりり




