【17:近衛来着】
翌日の朝、リディアは1個分隊の兵たちとともに、ノールブルムへと出発した。
執務室がわりに押さえた宿の部屋で、レフノールはひとり書類仕事をこなしている。視線を上げればいつもそこにいたはずの顔がない、というのは、いささか落ち着かない気分になるものだ、と思っている。
もうひとりの将校であるカミルは、朝からベイラムとともに兵たちの教練を行っている。
教練の内容はカミルとベイラムに任せてあった。
カミルが立てた計画を、ベイラムと相談の上で適宜修正して、教練を行っているはずだ。歩兵部隊で指揮を執っていたカミルだから、クロスボウの射撃以外であれば経験はある。
効果的な教練のやり方も、少なくとも自分よりは知っているはずだ、とレフノールは考えている。
ラーゼンまでの道中のあれこれを見ても、カミルは馬術が巧みで、身体を動かすこと自体が得手の部類に入っている。そうであれば、身体つきや下士官兵への紹介のしかたも相俟って、まずは必要な下士官兵からの敬意を得ることはできる、と踏んでいた。
たとえ飛び抜けた技量を披露できなくとも、ともに汗を流した相手であれば、そうでないよりも兵たちにとっては従いやすい、ということもある。
戦場においては勿論のこと、そうでない場の方が圧倒的に多い――というよりも本来は戦場になど出ない兵站部隊であれば尚更だった。戦場で見せた将校としてのあり方や威厳を普段の業務の指揮に活かす、ということは、そもそも戦場に出ない部隊ではできようがない。
だからこその教練でもある。
疑似的な戦場としての教練で、下士官兵を指揮する立場に見合うものを――たとえば武器を扱う技量であったり、適切な指示や教示であったり、あるいは堂々とした態度であったり、ともかくそういったものを見せることができれば、それが部隊を掌握する端緒になる。
その端緒を掴む機会をかつての上官に丸々消されてしまったカミルにとって、なにがしかの機会になればよい――というよりも、これからの実務を考えれば、そうであってくれなければ困る、というのが正直なところだった。
まあ、問題があればベイラムが何とかしてくれるだろう、という安心感はある。ベイラムの手に余るようであればどうしようもないが、それはもうレフノール自身の手にも負えない、ということでもあった。
※ ※ ※ ※ ※
「実際のところ、どうなんだ、中尉は」
その日の夕方、予定されていた課業を終え、報告に来たベイラムを捕まえて、レフノールは尋ねた。
「悪くありませんな」
質問の意図を察したベイラムが簡潔に答える。
「やっていけそうか?」
「まだ完璧とはいきませんが、十分やれるでしょう。自分でなくとも、慣れた軍曹をひとり付ければ、大概のことは問題なく」
ベイラムの答えに、レフノールはふむ、と頷いた。
「大概というのは――割合で言うと8割くらいか?」
「――仰るとおりです」
少し考えたベイラムが応じる。
「9割5分まで引き上げられるか?」
「上官の戦死も横領の発覚も、部隊が逃げられない状況で戦闘に巻き込まれることも、残りの5分の方になりますが」
笑みを含んだ口調でベイラムが言い、レフノールは顔をしかめた。
「わかっちゃいるが、改めて聞かされると、よくもまあ続いたものだと思うよな」
「まあ、そうそう起こることでもないでしょう。ご質問への答えは『はい』です、隊長殿」
「よろしい。中尉の貴官への態度はどうだ? 助言そのものを嫌ったり反発したり、というようなことは」
レフノールの問いかけに、ベイラムがにやりと笑う。
「中尉殿は大変度量が広くていらっしゃいます」
レフノールが小さく笑う。素直に先任下士官の言うことを聞く、という意味だった。
「ならば問題ないだろう。やはり当面、貴官は中尉に付け。本隊が来る前に、9割5分まで引き上げてもらわねばならん」
「承りました、隊長殿」
少々苦労するところはあるかもしれないが、そうであっても、いざというときに一通りの対処ができる方がいい。そう考えながら、レフノールは念を押すようにもう一言を付け加えた。
「しっかり鍛えてやってくれ」
※ ※ ※ ※ ※
近衛軍の輜重隊がラーゼンに到着したのは、それから2日後のことだった。
ライナスとのやり取りによってあらかじめ到着の予定を知らされていたレフノールは、その日の朝、カミルを呼び出して指示を与えている。
「今日の午後には近衛の輜重がここへ到着するはずだ。そういう手筈になっている。貴官は下士官と兵を使って、馬車の誘導と荷下ろしの指揮をやってみてくれ。あちらの指揮官も来ているはずだから、到着したら宿屋へ案内を頼む」
「了解いたしました」
レフノールの命令に、カミルがぴしりと敬礼して応じる。
「下士官に指示を出したら、基本的にあとは彼らに任せてしまって問題ないはずだ。俺は、指示を出したあと、実際に兵が動きだすところまで確認して任せる、という形にしていた」
「はい」
あれこれと細かく指示を出すことも、理屈上できないわけではないが、基本的に将校はそのようなやり方をしない。何もかもをひとりで見ようとしても実際には無理な話になってしまうし、きりがなくなる、ということもある。
だから、将校がある程度まで指図をしたならば、あとは下士官と兵に任せてしまう、というのが実際のやり方になるのだった。
では頼む、と言って話を終えたレフノールは、出ていこうとするカミルに声をかけた。
「下士官とはうまくやれているか?」
にこりと笑ったカミルが敬礼して応じる。
「問題ありません。――先任がいろいろと教えてくれております」
※ ※ ※ ※ ※
その日の午後、外のざわめきが大きくなってきたところで、レフノールは書類仕事を切り上げた。
大声で呼び交わす声に馬のいななき。よく耳をすましたならば、馬車を停める位置をあれこれと指図する声も聞こえるかもしれない。
「着いたか。どうだ?」
宿から外に出たところで、手近な兵を呼び止め、レフノールはそう尋ねた。
「は、問題ございません! いま中尉殿が、あちらの指揮官の方に声をかけておられます」
兵の返答に、わかった、と頷く。
周囲を見回すと、別の兵が、苦労しながら大型の馬車を誘導しているところだった。
「では中尉に伝言を頼む。『切りのいいところまで済んだら、あちらの指揮官と一緒にそこの宿屋まで来てほしい』と隊長が言っていた、と伝えてくれ」
兵が敬礼で応じる。
よろしい、ありがとう、と声をかけたレフノールは宿へ戻り、掃除を終えた1階の酒場の片隅に、会議のための席を用意したのだった。
他人に仕事を任せるのって、それはそれで難しいんですよね……(、、




