【15:ラーゼンへ】
数日後。
レフノールとリディア、そしてカミルは、ラーゼンへ向けてアンバレスを後にした。
アンバレスに来たときと同様、林の中の道にはうっすらと雪が積もっている。人数はふたりから3人に増えたが、皆が騎乗姿であることに変わりはない。年が改まっても風は冷たく、日差しもまだ弱々しい冬のそれのままだ。
3人ともが言葉少なに進む中、レフノールはカミルの様子を確かめる。
手綱は握りつつ、馬に任せて進み、カミル自身はどこか遠くを眺めている。それもひとところを注視するのではなく、頻繁に視点を移動させているように見えた。
「中尉、騎乗している間、あちこちを見ているが、あれは何を?」
小休止の折にレフノールは尋ねた。
ああ、と小さく笑ったカミルが答える。
「自分は歩兵将校ですが、騎乗していると歩兵より随分と視線が高い。遠くまで見ることができます」
「――索敵か」
「はい。何を見つけられるわけでもありませんが。――癖のようなものです」
癖、とカミルは言うが、それはつまり、普通ならば意識しなければできないことを、意識せずともできるようになるまで繰り返した、ということでもある。
次の小休止の折にリディアに話したら、なるほど、そういったこともやっておいた方が良さそうですね、とリディアは答え、その直後から早速実行に移していた。
では自分も、と思ってレフノール自身も試してみたものの、遠くだけを見ながらの騎乗というのはなかなかに難しい。馬術があまり得手ではないレフノールにとって、手綱や鐙から意識を離すこと自体がちょっとした難事なのだった。半刻ばかり悪戦苦闘して、レフノールはあっさりと諦めた。将校向けの教範には、そこまでやれ、という記載はない。ただ「将校は麾下部隊の置かれた状況を的確に把握すべし」とあるだけだ。求められる水準以上にできる将校が手近にいるのだから、その当人に任せてしまう方がいい、とレフノールは思っている。
自分にできないことを他人ができる、ということはレフノールにとって当然に過ぎる話なのだった。
※ ※ ※ ※ ※
道中の寒さは相変わらずで、手足の先から冷えが来る。そういえば、とレフノールは思い出した。
アンバレスへの道中では小休止のたびにあまり防寒の役に立たない手袋を外し、冷えて赤くなった指先を温めていたリディアだったが、今はそのようなことをしていない。カミルの手前もあって、おおっぴらに何かをするわけでは無論ない。だが、とある小休止のときに目が合うと、リディアは小さく笑みを浮かべて、ほんの一瞬だけ、手袋をしたままの手を広げてみせた。
濃褐色に染められた鹿革の、手に合わせて仕立てられた手袋。暖かい裏地を打たれ、手首にはウサギの毛皮が付けられ、手首の隙間を閉められるよう、小さなベルトがついている。
――もう冷たくはありません。
そう言いたいのだと、レフノールには理解できた。
小さく手を挙げてリディアに応える。ただそれだけのことが、ひどく嬉しかった。
※ ※ ※ ※ ※
道中何か所かの村落で、3人は代官や領主のところへ立ち寄った。
目的は、補給への――とりわけ、飼葉の類の補給への、協力依頼だ。アンバレスからラーゼンまでの輸送は馬車によるものだが、馬車を牽く馬も飼葉を消費する。それらをすべてアンバレスからの馬車に載せようとすれば、当然、ラーゼンまで運べる荷の量は減る。そのような非効率を避けるために、先だっての妖魔討伐の際、道中の村落で飼葉の供出を受けられるよう、レフノールは手配をしていた。
一度は終わった話であるから、再び同じ協力を得るのであれば改めて依頼しておく必要がある。だが、一度は得られた協力でもある。同じように話を通せば、受け入れる側としてもそう難しいことではない。
おおよその日程と所要の量を伝え、買い取る価格を擦り合わせて定めておく。飼葉が不足しがちな冬期のことだから全量を供出でまかなうことはできないが、調達した分は積荷から減らすことができる。地味で単純ではあるが、有効な手段ではあるのだった。
調達の交渉自体はレフノールひとりで足りるものではあるが、レフノールは敢えて、リディアとカミルを同席させている。そのような仕事があること、そして大まかにでもどのような仕事で、どのように話を進めるべきかを、実地で見せておきたい、という意図だった。
リディアもカミルも、交渉が終わる都度いくつかの質問をしてきたから、意図は正しく伝わっているのだろう。
そのようにして、後々行う兵站業務の準備を整えながら、3人は5日をかけてラーゼンへたどり着いた。
※ ※ ※ ※ ※
ラーゼンでもやるべきことが大きく変わるわけではない。
まずは領主――ラーゼン子爵の館へ出向き、家宰に面会を求めた。もはや門衛とも顔見知りであるから、細かな用向きを尋ねられるような面倒もない。小半刻ほど待たされただけで、レフノールたちは家宰に会うことができた。
「またお世話になります、フェルナ―様」
「こちらこそ」
表情を変えずに挨拶をした家宰が、レフノールの外套を留めるブローチに視線をやった。
「ご昇進おめでとうございます、大尉殿」
ほんのわずかに表情を緩めた家宰が、祝いの言葉を述べる。
「――ありがとうございます」
あまりの意外さに半拍遅れて礼を述べ、レフノールは頭を下げた。
「して大尉殿、本日のご用向きは」
顔を上げると、家宰はまたもとの無表情に戻っていた。また機先を制された、と思いながら、レフノールは用件を並べる。
部隊の滞在予定と大まかな規模、露営地について、そして物資の補給について。事前に書状で伝えたことの繰り返しではあったから、家宰から特に質問が出るでもない。直接出向いて頭を下げ、協力を依頼するという段取り以上の意味があるものではなかった。
家宰はレフノールが説明するそれぞれを頷いて聞き、可能な範囲で、という条件を付けながら、協力を約してくれた。
つまりは前回と何ら変わっていない。レフノールは奇妙な安堵を覚えながら、領主の館を後にした。
※ ※ ※ ※ ※
「レフノール、早かったじゃないか」
ラーゼンの宿屋に着いた3人を見て、ライナス・ローウェン中尉は声を上げた。
「会うとしたらアンバレスか、ここからアンバレスまでの道中だと思ってたんだが」
「アンバレスに帰れるってことは、砦には交代要員が来た、ってことか?」
気安い様子で話しかけたライナスに、レフノールもくだけた口調で応じる。
「ああ、彼は俺の同期なんだ。ローウェン中尉。ライナス、こちらはローレンツ中尉。今度新たに俺の下についてくれることになった」
レフノールはライナスとカミルを互いに紹介する。ふたりは型通りの挨拶を交わした。
「今日はここで泊まりか、ライナス?」
「ああ、そうしようと思ったんだが……個室は2部屋か。じゃあ俺は領主殿のところへ世話になるとしよう」
「すまん、いいのか?」
軽く詫びたレフノールに、ライナスは笑顔を見せて応じた。
「一部屋に3人は泊まれないし、少尉は相部屋できないだろ。ここで早目に食事だけ済ませて、俺の寝床は館で借りるさ」
たしかに公用中の将校であれば、領主の館で泊めてもらうことはできる。寝床としても宿のそれよりは上等ではあるが、少々気づまりなのが難といえば難だ。
悪いな、と一言詫び、食事は俺が持つからと伝えて、レフノールは部屋を確保した。
ついでに、以前と同じように、部隊の人員の寝床も確保する。
他愛のない話とともに食事を済ませ、レフノールたちはライナスと別れた。
ベイラムが率いてくる兵站小隊がラーゼンに到着するのは、翌日の昼の予定になっている。
一晩休んで翌日から、本格的な任務が始まるのだった。
移動回です。徐々にお仕事に戻っていきましょうねー。




