【14:職務転換】
翌日。
レフノールは、リディアを会議室に呼び出した。顔合わせのためにアンバレスに戻っていたベイラムも一緒に呼んでいる。
「今度俺たちのところへ来る中尉なんだが」
ふたりを相手に面倒な前置きは無用、と切り出す。
「歩兵からの転科組だ。前のところでいろいろとあったらしいが、それなり以上に優秀な将校と俺は見ている。貴官らもそのように付き合ってやってくれ」
「はい!」
「はっ」
疑問を差し挟まず即答したふたりに、レフノールは、ありがとう、と笑顔を浮かべた。
「立場としては派遣部隊の副長。兵站の業務の飲み込み方によるが、一通り実務をこなせるのが最低限、ひとりで拠点を回せるようになれば大成功、というところだ。無論俺からも教えはするが、少尉、君からも手助けをしてやってくれ」
「はい」
「元副長の立場として、何に気をつけていたか、記録のどこに着目すべきか、そういうあたりは君からの方がいい。俺からも、君の助言は参考にするようにと言っておく」
「了解しました。ありがとうございます、隊長」
応じたリディアに、うん、頼む、と頷いて、レフノールはベイラムに向き直った。
「曹長、着任後当面は貴官をつける。貴官から見て至らないところも多いだろうが、そのあたりがつまりいろいろとあった、ということだ。少々歳は行っているが、改めて将校としてのあれこれについて助言してやってほしい」
ああ、と何かを理解した表情になったベイラムが、にやりと笑う。
「少尉殿へのご助言は、ほとんどやることがありませんでしたが」
「いろいろ教えてくれたではないですか」
小さく笑って応じたリディアに、ベイラムがいやいや、と首を振る。
「少尉殿はひとつご助言申し上げればふたつみっつと飲み込まれる。たいへんに楽でありました」
まあそうだろう、と思いながら、レフノールは話を戻す。
「正直なところ、新任の中尉がどこまでの人物か、俺にもよくわからん。だが、馬鹿でないことは確かだ。そこは確かめた。先任下士官がどういうものか、理解してもいる。曹長、貴官のことは中尉にも伝えてある。先任を頼れ、と含めてあるから、たっぷりと教えてやってくれ」
「たっぷりと。――ええ、了解いたしました、隊長殿」
部隊の先任下士官は、いつもそういう役回りだ。経験の足りない将校、あるいは部隊をまだ掌握できていない将校を補佐し、ときには実地教育を施して、現場で戦える将校を作り上げる。だからそのような下士官との付き合い方というのは、特に歳若い将校にとって決定的に重要なものでもある。
初手で部隊の指揮官から、下士官兵の面前で蔑ろにされてしまったカミルには、おそらく、そういった付き合い方を教えてくれる先任下士官がいなかったのだろう。
山賊か肉食獣か、という笑みを浮かべるベイラムの言う「たっぷり」がどういうものかを想像し、レフノールは、カミルには少々気の毒なことになるかもしれない、と思っている。
――まあ、きついかもしれないが、将校ならば一度は通る道とでも思ってもらうしかない。
順調であれば将校としての初年に受けるべき洗礼、とも言える。それを今まで受けられずにいながら、そう捨てたものでない経歴と実績を残しているのだから、やはりあの中尉は本来優秀なのだ。
あとは実地で、戦場と軍の実情に即した教育を受ければよい。そして、そうであればベイラムのような先任下士官は最高の教師、ということになる。
――よく効く薬ほど苦い、とも言うしな。
薬が効きすぎて倒れられても困るところではあるが、ある程度は立ち直ってもらえなければ、将校を引っ張ってきた意味がない。カミルにとっての劇薬にならないように自分が注意しながら、あとはベイラムの先任下士官としての腕前に期待する。促成するのであれば、他に方法は考えつかなかった。
※ ※ ※ ※ ※
その更に翌日、レフノールは、カミルをリディアとベイラムに引き合わせた。
「中尉、彼女がメイオール少尉、そちらの彼がデュナン曹長」
「よろしくお願いいたします、中尉」
「よろしくお願いいたします、中尉殿」
リディアの凛とした声と、ベイラムの太い地声が重なる。ぴしりと敬礼したふたりに、カミルが答礼した。意識してのことなのだろう、初対面の折よりは背筋が伸びている。もとが恵まれた体格だから、背筋を伸ばして胸を張る姿は、レフノールよりもよほど様になっていた。
「カミル・ローレンツ中尉だ。よろしく頼む。いろいろ教えてもらいたい」
声も発音も幾分はっきりとしているのは、気のせいだけではないだろう。
まだ足りないがその調子だ、と、レフノールは心の中で呟く。実際に下士官や兵たちを指揮するときまでに、自信を取り戻し、立派な将校としての顔をできるようになってもらわなければならない。
うまくやってくれよ、と、レフノールは祈るような気分でカミルを見上げたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
次の日から、カミルを兵站将校に仕立てるための訓練が始まった。
本来であれば基礎になる部分から積み上げるために、教本を使った座学から入るはずではあるが、いかんせんそのような時間はない。これから始まる任務そのものを教材にして、実務のあり方を学んでもらうしか方法がなかった。
会議室をひとつ借りたレフノールは、大きな机に借りてきた大判の地図を広げ、これも借りてきた兵棋演習用の駒を地図の上に並べた。
アンバレスからラーゼンへ、そしてその先のノールブルムへと駒を動かすにつれ、日々どれだけの物資が消費されていくのかをまず掴ませる。兵ひとりであればどれだけが必要か、小隊ならば、中隊ならば、そして大隊ならば。
それらを、移動中の糧食や馬匹の消費する秣まで含めて計算し、道中の村で補給できる分を加味して、兵站が抱えていかなければならない量を算定する。複雑な計算ではあったが、カミルの飲み込みは速かった。慣れない道具に戸惑い、時間をかけながらではあっても、どうにか正しい量を導けるようになるまでにおよそ1週間。
無論、その間、それだけを行っていたわけではない。
リディアは、そのようにして算定し、運ぶ物資の、管理の方法を教えている。
帳簿の付け方、記録の取り方、不測の事態があった場合の対応と処理、金銭の管理。学ぶ必要があることは多く、どれが欠けても兵站の業務は成り立たない。
「普段何気なく食っていた食事が、こうやって運ばれていたとはね」
「ええ、中尉、今度はわたしたちが運ぶ側です」
苦笑まじりに言ったカミルに、にこりと笑ったリディアが応じた。
「慣れん仕事で大変ではあるだろうが」
何しろ算盤の使い方からだからな、と思いながら、レフノールが口を挟む。
「はい、大尉殿、しかし自分は今まで恩恵を受ける側でした。最後にたどり着く場所がわかっておりますから」
なるほど、とレフノールは頷く。
「別の側から見たことがある方が、飲み込みは速いというわけだ」
「はい」
はっきりとそう応じたカミルに、レフノールは内心安堵している。
下士官や兵を率いる将校に必要な自信を、すべて取り戻せたわけではないだろう。だが、少なくとも、その端緒を作ることは、うまくいったようだった。
新しいお仕事覚えるのって大変なんですけど、関連する別業務をやったことがあると何となく理解が早いんですよね。一度別方向から眺めているので。




