【10:再会】
あれから1週間ほどが経った。
レフノールとリディアの間に、決定的な何かがあったわけではない。それでも、ささやかな変化が、ふたりの間にはある。
半歩下がって歩いていたリディアはレフノールの隣を歩くようになり、ふたりでいるときだけは互いを互いの名で呼ぶ。
何度かふたりでアンバレスの街を歩き、食事を楽しむこともあった。リディアは幾度か、少佐と出かけてもいたらしい。少佐とリディアの間でどのような会話が交わされたのか、レフノールは尋ねることができなかった。聞くべきではない、聞いてはならないことだ、と思っている。
「明日の夜なんだが、ちょっと付き合ってくれないか? 半分……いや7割かな。7割くらい仕事の話だから、無理にとは言わないが」
ある日の士官食堂で、レフノールはリディアにそう切り出した。
「ご一緒させてください――でも、どちらへ?」
「『梟の止まり木亭』という……下町の酒場だな。ああ、飲ませないから安心してくれ。酒を飲むわけじゃない」
「……?」
「新しい任務の前に会っておきたい相手が……まあ、行けばわかるよ」
※ ※ ※ ※ ※
翌日の夜。
レフノールとリディアはアンバレスの下町にいた。酒場の戸口や窓から漏れる明かりで辛うじて照らされる薄暗い街路には怪しげな客引きが立ち、そこから更に奥まった路地には目つきも身なりもよろしくない連中がたむろしている。賑やかではあるがそれ以上に猥雑で、ひとつ間違えれば危険な場所でもあった。
「あまり目を合わせるなよ」
レフノールは小声で言った。それでなくとも目立つふたり連れだった。避けられる揉め事ならば避けて通りたい、という気分でいる。はい、とこれも小声でリディアが応じる。
心持ち早足で街路を進み、ふたりは梟の看板を掲げた酒場にたどり着く。ここだ、と頷いて扉を開けると、店の中の熱気と喧騒が街路に漏れ出た。中へ入って扉を閉め、まっすぐにカウンターへと向かう。
「アーデライドという冒険者を探してる。赤毛で剣を使う女戦士だ」
レフノールの言葉に、リディアが目を見開いた。
「――あんたは?」
「アルバロフという。軍の人間なんだが、彼女には一度世話になった。また仕事を頼みたいと思ってね」
「そこの奥の壁際。あの4人組の――」
レフノールの返答に満足したらしい店員が、店の奥を手で示す。言われた方へ目をやると、たしかに見覚えのある赤毛が席についていた。
「ああ、彼女だ。間違いない。じゃあこれで何か見繕ってテーブルに運んでくれ。俺と彼女には果汁でも」
財布から5枚ばかりの銅貨をカウンターに置くと、店員がにやりと笑った。
「酒は?」
「俺たちの分はいい。仕事の話だからな」
話を終えて、それじゃ、とテーブルに向かおうとすると、リディアがあの、と声を上げた。
「ここで、味のいい携帯糧食を扱ってると聞いたんですが」
「レシピなら秘密だぜ」
「あ、いいえ、ひとつ味見をさせてください」
そういうことなら、と奥へ引っ込んだ店員は、小皿に小さな塊を乗せてすぐに戻ってきた。
ほれあんたも、とレフノールにも小皿が差し出される。
一かけらをつまんで口に入れると、ナッツの香ばしさとドライフルーツの甘味が広がった。隣に視線をやると、リディアが笑みを浮かべている。
「帰りに……ええと、10食。10食分包んでください」
「俺も同じだけ頼む」
「おいおい、買い占めかよ」
笑う店員に、いやいや、とレフノールが首を振る。
「官給品の携帯糧食とこいつを食べ比べたら、そりゃあそうなるだろ。美味すぎるのがよくない。
ところで、買い占めって話じゃあないんだが、これ100とか200とか、注文したら作れるものかね」
「急には無理だぜ。仕入れだってある。そもそもそんなに材料を置いてるわけじゃないからな」
店員の返答に、まあそうだろうな、とレフノールは笑った。
「すぐにって話じゃない。ご亭主とも相談してくれ。うちの兵たちにも食わせてやりたいからな」
わかった、と頷く店員を後に置いて、レフノールとリディアはテーブル席へ向かった。
※ ※ ※ ※ ※
「あ!」
席に近付いたふたりに、最初に気付いたのはヴェロニカだった。
「久しぶり、中尉さん!」
こっちこっち、と手招きする。アーデライドが立ち上がった。
「コンラート、ちょっとそっち詰めて」
アーデライドの隣に座っていたコンラートが目礼し、言われるままに壁際に寄る。
「お久しぶりです」
立ち上がって挨拶したリオンが、隣のテーブルから使っていない椅子を引っ張ってきた。
どうぞ、と勧められるままにレフノールとリディアがテーブルにつく。
「突然悪いね。いてくれて助かった」
「ご無沙汰しています。皆さんご無事で何よりでした」
それぞれに挨拶をしながら、リオンが用意してくれた椅子に座る。
頼んだ果汁はすぐに運ばれてきた。
「仕事の話でも持ってきてくれた、ってことかな、中尉?」
「ああ。まずは君たちの無事に」
アーデライドの言葉に応じながら、レフノールはタンブラーを掲げた。
「些少ながらいくらか注文させてもらった。まあ、あとでゆっくり食べてくれ」
「中尉さん、相変わらずわかってらっしゃる」
「それなんだがヴェロニカ、もう中尉じゃないんだ」
「え、ふたりして軍辞め――るわけないか。昇進?」
「半分以上は君たちのおかげだな。あのあと昇進して、今は大尉」
レフノールの返答にヴェロニカが破顔して、じゃあ大尉さんだ、と応じた。
「おめでとう、大尉。少尉は少尉のまま?」
「はい」
アーデライドの問いかけに、リディアが笑顔で答える。
「左腕、怪我はもういいんですか?」
「おかげさまで」
コンラートの質問にレフノールが頷くと、よかった、とリオンが小さく笑みを浮かべた。
「君たちも息災でやってるようで何よりだ。それで、仕事の話なんだが」
ん、と頷いたアーデライドが座りなおす。
「今すぐに、という話じゃないんだよな。内容としては前回と同じ。念のため俺たちについてきてほしい、というやつだ」
「護衛その他、ですか」
コンラートの言葉に、レフノールがそのそれ、と頷く。
「ちょっとまだ詳しいことは話せないんだが、何がないとも限らない、という状況でな」
「すぐにじゃないって、いつからとかあるの?」
当然の疑問を口にしたアーデライドに、レフノールがもう一度頷いた。
「2月の半ばにラーゼンにいてくれればいい。だからまあ、仕事というか、仕事の予約だな」
「条件は?」
「前回と同じ。期間は少々長くなるかな。2週間で銀貨35枚、2割は前金として支払う。それと、魔石をいくつか買っておいてほしい」
アーデライドの質問への返答に、コンラートが苦笑した。
「またゴーレムが要る、ということですね」
「ああ。悪いが、あれは便利なんだよ」
わかります、とコンラートが頷く。
「あとは、護衛の枠を超えるようななにかがあったら程度に応じて積み増す。これも前回と同じだが」
「請けようと思うけど、反対ある?」
アーデライドが一同を見回す。誰からも反対は出なかった。
「じゃあ、そういうことで、請けるよこの話」
「助かるよ、ありがとう」
応じたレフノールが、果汁を飲み干して立ち上がる。
「それじゃ、次はラーゼンで。日にちは余裕があるからその間は何をしていてくれても構わないが、怪我には気をつけてくれよ」
それでは、と4人に挨拶をしたリディアも席を立った。
「前金と魔石の購入資金はここに置く。銀貨で17」
「前金が7、魔石が……ゴーレム4体分ですか」
どこか疲れた表情になったコンラートが言う。
「一度にそれだけ扱ってくれ、という話じゃないよ、もちろん」
「予備も含めて、どれだけ便利に使われるのかと思っただけです」
付け加えたレフノールに、コンラートがもう一度苦笑した。
「悪いが便利なんだよ」
「――払いのいい依頼人は歓迎です。では、またラーゼンで」
うん、と頷いてカウンターへ向かったレフノールの背後で、リディアが冒険者たちに小さく手を振る。
頼んでいた携帯糧食を受け取って、ふたりは店を後にした。
不穏な仕事の前ですし、優秀な外注チームと再契約しておきましょうねー。




