【5:アンバレスにて(中)】
教えられた執務室の扉の前。レフノールがノックをして名乗ると、開いているよ、という返事があった。
扉を開けて一礼する。
「アルバロフ大尉、入ります」
「よく来た、大尉。久しぶりだな」
立ち上がってこっちへ、と手招きするグライスナー少佐に従って室内に入る。資料らしき書類の束があちこちに積まれた、雑然とした印象の部屋だった。
「まあ座れ、散らかっていて済まないが」
整理は案外苦手なのかもしれない、と思いながら、レフノールは勧められた椅子に座る。
少佐は控えていた従卒を呼び、茶を出してくれ、2杯、と声をかける。従卒が出ていくと、少佐は席に戻った。
「まずは昇進おめでとう、大尉」
笑顔で祝われれば、レフノールも悪い気はしない。
「ありがとうございます。少佐殿の御推薦のおかげかと」
「たしかに推薦はしたが、結局は貴官の武勲の為すところだ。正しく報われて何よりだよ。
リディアにも聞いたが、怪我はもうすっかり良さそうだな」
「少尉もこちらに?」
「ああ、先ほどな。手紙のやり取りはしていたが、やはり顔を見て話すのは違うものだ。
彼女は少々変わったな。逞しくなった」
毎日顔を合わせていれば気付かない変化も、しばらくぶりに会えばわかるものなのだろう。その変化を嬉しげに語る少佐の表情は、妹の成長を喜ぶ姉のそれのようだった。
「そうもありましょう。初陣然り、その後の砦の整備も然り。逞しくなければなかなか無事ではいられませんから」
「貴官がそのように育てたというわけだ」
「むしろ育てなかったからかもしれません。上が少々頼りない方が下は逞しく育ちます」
「馬鹿を言え」
レフノールの軽口に、少佐は愉快そうに笑った。レフノールを指さして続ける。
「自覚がないようだから教えてやるが、彼女はな、しっかりと貴官の背中を見ているよ。貴官が育てていないのならば、育てたのは貴官の背中だ」
言葉に詰まったレフノールを見て、少佐がもう一度笑う。
「実際のところ、貴官には感謝している。リディアの、歳の離れた友人としてな。あの状況で彼女を生き残らせ、将校として育ててもくれた。私ではそこまでうまく出来たかどうかわからない。勲章も昇進の推薦も、言ってみればその礼でもある――ありがとう、アルバロフ大尉」
「は」
それだけをどうにか口に出して頭を下げる。
「なんだ、貴官はこういう言葉には慣れていないのか? リディアは度々褒められたし礼を言われたと言っていたが。まあいい」
少佐の言葉は、ノックの音で中断された。開いているよ、と先ほどと同じように声をかけると、茶を持った従卒が入ってきた。レフノールと少佐に茶を出して一礼し、黙ったまま部屋を出てゆく。
「どこまで話したか――ああそうそう、私もリディアも、貴官には感謝している、ということだ。それはそれとして、大尉、せっかく来てくれたのだ、あちらの話を聞かせてくれ」
話題が変わって安心したレフノールは、はい、と頷いて、砦の現状を話し始めた。
※ ※ ※ ※ ※
「――あの砦を維持し続けるのであれば、いずれノールブルムからの道を整備する必要があるかと」
砦の建設から現状に至るまでの一連の話をあらかた終えて、話題はこの先のことに移っている。最初の茶はとうになくなり、淹れなおしたものもぬるくなってカップの半分ほどが残るのみだ。
「やはりそこに行き着くか」
頷いた少佐が、浮かない表情で応じる。
「現状でも整備が追い付いていないところ、というのは解るのですが。アンバレスから大型馬車で物資を運べるのはラーゼンまで、それも行き違いが難しい場所は多々あります。ラーゼンから先は――」
言葉を切ったレフノールに、そうだな、と少佐が答えた。
「規格どおりの旧街道とはいえ、ほとんどノールブルムとの行き来にしか使われていないから、補修も行き届いていない。せいぜいが小型馬車だろう、あれでは」
「小官も前任も、ラーゼンから先は駄載に切り替えておりました」
「まずはあれを補修するところからだろうが――」
グライスナー少佐がため息とともに吐き出す。
遠い昔、広大な大陸の全域を支配したロスタークという名の国があった。高度な技術を発達させ、大陸の隅々までを街道網で包み、だが滅んで久しいその国は、大陸の各国で「旧王国」と呼びならわされている。その旧王国が遺した街道網は、今でも「旧街道」の名で呼ばれ、各所で利用されている――というよりも、旧街道沿いに村や街が発達していく、ということがままあるのだった。
緻密に石組みが敷き詰められた旧街道のうち、旧王国の大都市間を結ぶ幹線は大型馬車でも余裕をもってすれ違える幅と、そして曲線や勾配が極端に少ないことから、今でも大陸各地の王国内で幹線道路として利用されている。
小都市や村を結ぶ街道は、幹線よりも一段落ちはするものの、適切に補修がなされている限り、馬車の通行に支障はない。ただ、利用する者もさほど多くない旧街道は、補修さえもなかなか追いつかない、というのが実情でもあった。
少々油断をすればあっという間に落ち葉や土が溜まり、そこに草や木が生えて、道は道でなくなってゆく。人や役畜が歩いていれば道として残すことはできても、馬車を通すことができない部分というのは生じてしまうものなのだ。
「輸送と補給の効率を考えるのならば、ラーゼンに河港を作った上で、旧街道の補修、ということなのでしょうが」
それらに要する人員も予算も、放っておけば湧いてくる、というような種類のものではない。補修を行うという意思決定がどこかで為されたとして、それが実現するのは何年先になるか、という話でもある。
「せめて小型馬車は通したいところだな。少なくともノールブルムまで、できれば砦まで。拠点も拠点で、作れば終わりというものでないことは、貴官と話していればよくわかる」
話し始めたときよりも随分とくつろいだ姿勢になった少佐が言った。
「――司令部のお偉方にもこういう話を聞かせてやりたいよ」
輜重も、そしてそれを含む兵站全体も、軍の人間にはある種の枷として認識されている。
レフノールにとって実情はむしろ逆で、軍が自由に動くための足場、という認識だった。だからこそその足場を作って維持するために兵站将校は全力を尽くすし、足場がない場所へ足を踏みだそうとする指揮官には「そこには足場がありません」と指摘せねばならない、と考えている。
無論、その指摘が歓迎されることはそうそうない。
「そのお言葉だけで十分、と申し上げたいところですが」
現実問題としては解決すべきことが多すぎた。
「やはりせめてノールブルムまではどうにかしたくはあります。春からの作戦、ノールブルムから西へ出るわけでしょう」
「そうだな……ああ、貴官、ラーゼン子爵の家中で誰か知己は?」
「家宰殿とは物資の調達の関係でお世話になりましたが」
「ではその家宰殿だな。軍団司令部に宛てて書状を出してもらおう。ラーゼン子爵の名前で」
「……と言いますと?」
首を傾げたレフノールに、グライスナー少佐はにやりと笑った。
「ラーゼンから先の旧街道の整備を要請してもらう。妖魔の脅威が退けられたから、ノールブルムまでの間の本格的な開拓を行いたい、とかそういう名目で。貴官は貴官で、砦の駐留部隊の指揮官として、支援大隊長に進言するなり何なりしてくれ。工兵の小隊を幾日か出せば、ラーゼンからノールブルムまで、小型馬車が通れるくらいにはなるだろう」
さりげなく軍団としての功績を持ち上げてくすぐりながら、軍団にとっても益のある話を持ち込むというのは、レフノールから見ても悪くないやり方に思えた。
「あとで子爵家の家宰殿に宛てて一筆書きましょう。当てが外れたとしても安いものです」
表情を動かすことはないが話は通じる、あのラーゼン子爵家の家宰の顔を思い浮かべながら、レフノールは答えた。
「そうしてくれ。できることはできる限り、やっておかねばな」
話は終わり、と見てレフノールは席を立った。グライスナー少佐もそれに合わせるように立ち上がる。
だが、もうひとつだけ訊いておくべきことが、レフノールにはあった。
さりげない風でグライスナー少佐に尋ねる。
「そういえば、少佐殿、小官はこれからしばらく休暇をいただいております。冬至祭が近いので、せっかくならば眺めていきたいと思うのですが――」
「なにか見て回るところのお薦めは、か?」
なぜか面白そうに目を見開いた少佐が、レフノールの言葉を先取りして応じる。
「――ええ」
「あーっはっはっはっは!」
いきなり笑い出した少佐に、レフノールはたじろいだ。付き合いがそう長いわけでもないが、こういう態度で人に接するような人物ではない、と思っている。
「いや、いろいろと知ってはいるが私からは教えてやらん。リディアに聞け」
身体を折り、呼吸を整えながら少佐が言う。
「リディアがな、随分と緊張した様子で私に同じことを尋ねてきたよ。相手は敢えて訊かなかったが、そうか貴官だったか」
「なっ……そ……」
言葉も出せずにいるレフノールの背中を、少佐が笑いながらばんばんと叩く。
「そうだよなあ、着任以来本部には顔も出せず、貴官の同期は入れ替わりで前線だものなあ? 私くらいしか尋ねる相手はいないわけだよなあ?」
はー、と息をついてようやく笑いを止めたグライスナー少佐が、まだ笑みの残った口調で付け加える。
「おおかた、リディアの方から誘って、貴官はあれだろう、エスコート役のつもりで引き受けでもしたんだろう? 案内はできないが、とか言って」
レフノールは黙ったまま、身動きもできずにいた。なぜあの一言だけでここまで推測されるのだろう、そしてなぜ何もかも正確に把握されているのだろう、と思っている。
「それでも律儀に情報収集しようとするあたり、実に貴官らしいな。リディアはいい相手を選んだ。だがまあ、今回はリディアに案内されてやれ」
――これを聞いて、俺はどんな面を下げて彼女の隣に立てばいいんだ?
そう思ったのが、顔に出たのだろう。少佐が声のトーンを一段落としてレフノールに話しかけた。
「無論、リディアには貴官がこの件を尋ねてきたことは伝えない。なにも聞かなかったふりで通せよ、大尉。あのリディアの様子なら、そう難しいことでもないだろう?」
ほら行け、とばかりに扉まで案内され、廊下に送り出される。
「しっかりやれよ」
とどめのように投げかけられた言葉を残して、少佐は執務室に引っ込んだ。ため息をひとつつき、レフノールは閉じた扉に視線を送る。いささか恨みがましい視線だった。
君のような勘のいい上官は嫌いだよ!!!(血涙)




