【4:アンバレスにて(上)】
騎乗したふたりだけの旅路は速い。徒歩でゆく者を交えた行程ならば1週間ほどを見なければならないところ、砦を出立して5日後、レフノールたちはアンバレスに到着した。
形としては出張になっているから、直属の上官である軍団の支援大隊長のもとへ出頭し、型通りの報告をして次の作戦に関わる指示を受け取らねばならない。
「我々としても疑問なしとしないが、摂政殿下の御要請とあっては誰かしらを出さぬわけにもいかんのだ、大尉。君であれば適任と判断した。存分に力量を発揮してくれたまえ」
出頭した執務室で、レフノールよりもさらに二回りほど恰幅のいい大隊長は、笑顔で言い放った。
「微力を尽くします」
お互い言うだけならタダだものな、と思いながらレフノールが答えて敬礼する。リディアも黙ってそれに倣った。任務に関しては何を言われても聞き流せ、とあらかじめ言い含めてある。大隊長はぞんざいな態度で答礼した。
「ところで大隊長殿、編成は小官に一任と伺いましたが」
レフノールにしてみればここが本題と言えた。念を押しておかねばならないところでもある。
「うむ、貴官の力量を遺憾なく発揮できるよう取り計らった」
「ありがとうございます。まず将校ですが、小官と副長のメイオール少尉、それに最低もうひとり、できればふたり、兵站の将校を配置していただきたく」
何をするにせよ将校が2名だけでは限界がある。前回はレフノール自身を含めて4名体制のところ、2名が早々に戦死して2名で部隊を回さざるを得なかった。最初からその二の轍を踏む気などない、というところは言っておく必要がある。
途端に、大隊長の表情が曇った。
「ひとりは確約できるが、ふたりとなると……その、他の小隊の職務を滞らせるわけにもいかんしな」
「では、兵站総監部に派遣を依頼していただけませんか。まだ作戦準備の開始までにも時間はありますし、摂政殿下の要請に応えるため、という理由であれば、そう邪険にはされないはずです」
「……努力しよう」
そこは確約してくれよ、と思いながら、しかし、レフノールはにこやかに頷いた。あてになるならないは別として、この場で口に出しておくことに意味がある話でもある。
「下士官と兵については、まずデュナン曹長。それから、前回の分遣隊に加わっていた下士官兵から二個分隊相当。名簿は後日提出いたします」
自前で揃えたクロスボウを扱わせることになるから、一旦は訓練を行い、そして射手としての適性ありと判断された下士官兵を指名する必要がある。
「他には何かあるかね」
もう無いだろうな、と言いたげな態度で、大隊長が尋ねる。
「任務は兵站の支援、指揮系統は第2軍団のままで近衛の派遣部隊の上位者の指示に従うもの、と伺っておりますが」
「そのとおりだ」
「現段階で、軍団からは特段の命令がないものと理解してよいのでしょうか?」
「……そのとおりだ」
「では、可能な限り派遣部隊の指示に従い、兵站の支援を行いつつ、指揮下の部隊を無事に連れ帰ることを小官の任務といたします」
「ああ、そうしてくれ」
鷹揚に頷く大隊長にもう一度敬礼をしながら、レフノールの心には、口に出せないひとつの疑問が生まれていた。
――派遣部隊の指示と部隊の無事帰還が矛盾するような状況が生じてしまったとき、俺はどっちを優先すればいいことになるんだ?
※ ※ ※ ※ ※
「隊長」
あまり愉快とは言えない打合せを済ませて大隊長の執務室を退出したあとで、リディアがレフノールに声をかけた。
「うん」
「随分といい加減なのですね」
「……ああ」
心なし歩調を緩めて、レフノールはため息とともに応じた。
「済まない」
いいえ、とリディアが首を振る。
「隊長が謝られるようなことではありません。でも……」
「君が心配していることは解るよ。訊いてもたぶん大隊長は答えられない。と言うか、おそらく答えを準備していない」
あからさまに答えづらそうな表情と態度だった大隊長を思い出しながら、レフノールが吐き出した。
「何事もなく済ませてこい、というのが上の本音だ。だから、何かあったときのことを考えてない」
「……」
「尋ねても、現場の判断でうまくやれ、という程度がせいぜいだ。下手に訊いて、下手な回答を貰って、俺たちの行動に枷を嵌められるよりは、気付かなかったふりをして『ご命令がなかったので現場の判断で行動しました』の方がいい」
納得していない、という気配がリディアの方から伝わってくるのを、レフノールはむしろ好ましい気分で受け止めている。
「納得はいかないだろうがこういうものだ。今は、納得しないままでいい」
「は」
「変な手管を覚えて染まるよりは、納得できないがこういうこともある、というのを憶えておいてくれ」
人通りのない長い廊下の角で立ち止まり、レフノールは、銀髪の部下の藍色の目を見つめて言った。
「それで、人として納得すべきでないことに俺が手を染めようとしたら、君は俺を止めてくれ。
これは――」
「――上官としての命令でもあるが、戦友としての頼みでもある」
先回りをしたリディアの台詞に、レフノールは苦笑で応じた。
「察しがいいな、少尉?」
「三度目ですから、隊長」
違いない、と笑ったレフノールは、廊下の片方を手で示した。
「俺はひとまず、俺の部屋の場所を訊いてくる。君は自分の部屋に行くなり、少佐殿のところを訪ねるなりするといい」
「はい」
「それと、例の約束の話だが」
「――はい」
「悪いが明日は1日休ませてくれ。久々に思う存分寝たい。君もできればそうした方がいい」
「はい」
小さく笑いながら、リディアが応じる。
「で、約束の予定は、明日の夜にでも、本部の士官食堂で会って話さないか?」
「はい!」
※ ※ ※ ※ ※
司令部付の事務官に尋ねると、官舎の部屋はあっさりと知ることができた。前線に出たままの状態での異動はあまり例がないが、それでも士官が配属されたことに変わりはなく、レフノールのための部屋は通例通り用意されていたのだという。
「しばらく誰も使っておりませんでしたので、少々埃っぽいかもしれませんが」
事務官の言葉に、レフノールはまあそうだよな、と頷いた。
「すぐに掃除を入れますので」
「いや、ひとまずはそのままでいい。とりあえず荷物を置きたい。入ってみてあまりに酷ければこちらから言うから、そのときはよろしく頼むよ」
「わかりました」
「私物はあとで届く手筈になっているから、届いたら部屋に回してくれ」
「はい」
そんな会話のあとで、レフノールは部屋に案内された。確かに少々埃っぽくはあるが、ちょっとした拭き掃除をして空気を入れ替えれば済む、という程度だった。案内してきた従卒にバケツと水を頼むと、ではすぐに、と言って従卒は部屋を出ていった。
部屋の調度はそう多くない。小さな暖炉と薪を入れる籠、書き物をするためのテーブルと椅子、サイドテーブルと椅子が更に2脚、ベッドと小さなクローゼット。殺風景とも言える部屋だが、より殺風景な砦の居室に慣れた身にとって不満はなかった。
荷物を置き、扉と窓を開け放して室内に風を入れる。冬至間近の外気は冷たくはあったが、その分だけ爽やかで、少々澱んで埃っぽくなっていた部屋の空気を瞬く間に入れ換えてくれた。ベッドの寝具を整えていると、バケツを持った従卒が戻ってきた。
礼を言ってバケツを受け取り、ひとまず目につく場所だけでも、と、濡らした雑巾でテーブルや椅子を拭く。使い終えた雑巾は、バケツとともに廊下に出した。
簡単な掃除を終えてしまうと、ベッドが手招きをしているように感じられる。そのまま倒れ込んでしまいたいところではあったが、レフノールにはまだ会っておくべき相手がいた。
鍵をかけて部屋を出たレフノールは、もう一度事務官たちの部屋に顔を出した。
「グライスナー少佐にお会いしたいのだが、執務室の場所を教えてもらえないか?」
「御案内いたします、大尉殿」
「ああ、それには及ばない。場所だけ教えてくれ。余程わかりにくい場所なら案内が欲しいが」
それでしたら、本館の2階の――という事務官の説明を聞き、礼を述べたレフノールはグライスナー少佐の執務室へと出向いた。
高度な柔軟性を維持しつつ(ry




