【3:街への道】
「休暇?」
リディアとライナスの間に視線を往復させながら、レフノールが言った。
ライナスが重々しく頷く。
「――俺と、少尉に?」
自分とリディアを順番に指差して、念を押すように尋ねたレフノールに、ライナスがもう一度頷いて応じた。
「元々君ら、ここに来てから休んでないだろ。そこへ持ってきて今回の話だ。本来、ひとかたならぬ軍功を挙げたんだから賜暇のひとつもあって然るべき、って話でな」
はあ、とレフノールが気の抜けたような声で頷く。これまでの状況とライナスの言葉が、いまひとつ実感を持って繋がってくれない。
「休暇は嬉しいのですが、その、ここは――?」
先に現実との折り合いを付けたらしいリディアが尋ねる。
「グライスナー少佐の手回しでな。代替要員を送ってでも休ませろ、と」
親指で自分を指しながら、ライナスが答えた。
「話だけで済まないこと、ってのはつまりそれだよ。形としては、アンバレスまで出張して、今後の作戦に向けた打合せに絡めて休暇。一月後にラーゼンに戻ってくればいい。王都まで足を延ばすならぎりぎりだが、アンバレスならたっぷりと休めるだろ」
「ありがとうございます!」
がたん、と音を立てて勢いよく立ち上がったリディアが礼を述べた。
「ありがとう、ライナス。すまん」
レフノールもそれに倣うように頭を下げた。
「謝られるようなことじゃないよ。手回しをしたのは少佐だし、俺にだっていろいろと思うところはあるしな。それに、俺もずっとここに駐留するわけじゃない」
気にするな、と手を振りながらライナスが応じる。
「レフノールのおかげで、ここの整備は予定よりも早く済んだ。この先は、砦を守りながら周囲の妖魔どもを監視するのがここの駐留部隊の任務になるわけだ。遠からず歩兵か騎兵の将校が来て、ここを守ることになる。俺はそれまでの繋ぎだよ」
だからな、と笑いながらライナスは言った。
「君らはしばらく街で休暇を楽しんでこい。俺も司令部での仕事には少々飽きてたところだ」
※ ※ ※ ※ ※
翌朝、ラーゼンへと向かう輜重隊の戻りに嵩張る私物を預け、レフノールとリディアは更に1日、砦に滞在した。ライナスへの引き継ぎをする必要があるのだった。
「しかしお前、よくまあここまで書いたもんだな」
引き継ぎのための書類を見たライナスは、呆れたような口調で言った。
「前任者が少々そのあたりに鷹揚すぎてな。その反動ってとこだ」
レフノールとリディアは、物資の出入りを記載する帳簿は勿論のこと、日々の日誌も完全に整えていた。帳簿と日誌を読みさえすれば、おおよそ何があり、何をしたのかは把握できるようになっている。
「教本に載せたいような記録だよ。これを引き継ぐのは逆に気が重い」
手放しと言っていい賛辞だった。
「お前ならどうにかするんだろ、ライナス」
「まあな。道筋がついてりゃ案外どうにかなる。まずはお前と少尉の日誌を読み込むところからだな」
書いては綴り、を繰り返してすっかり厚くなった日誌の束に手を乗せて、ライナスは言った。
「日々の話を聞いてる限り、ここしばらくは落ち着いてたようだし、今は冬の最中だ。妖魔どもだってそうそう顔を出しはしないだろうから、記録を読む時間はしっかり取れそうだ」
砦の状況は落ち着いている。持ち込んだリンクストーンを物資補給の役に立てたのは、この場所に来た当初から、拠点を砦として拡張するあたりまでだった。一度砦が砦として建ってしまえば、兵站としては、通例使用する補修用の資材や食料その他の消耗品を定期的に運ぶことが主な仕事になる。それらは無論煩雑ではあるのだが、特段急を要するというようなものではない。ライナスが口にしたように、『道筋がついていればどうにかなる』というのはそういうことだった。
「ライナスお前、リンクストーンは持ってきたんだよな? じゃあ、何かあったら呼べばいいよ。アンバレスでどうにかなることは、なるたけどうにかしてみよう」
「……そうさせてもらおう。休暇中のお前を頼るのは気が引けるがな」
レフノールの提案に、ライナスはそう応じて頷いた。
引き継ぎを済ませたレフノールとリディアは、翌朝、砦を後にした。
※ ※ ※ ※ ※
うっすらと雪の積もった林の中の道を、騎乗したふたりの将校が進んでゆく。風は冷たく、日差しはあっても身体はあまり暖まらない。革鎧の上から冬用の大外套を羽織った胴体はあまり冷えないが、手袋をした手からは容赦なく体温が奪われてゆく。むき出しの顔も同様で、しばらくすると顔が強張ってうまく喋ることもできなくなってしまうのだった。
そのような状況だったから、道中の会話はあってないようなものだった。休もうというときでさえ、片方がもう片方に近付いて手で合図を送る、という程度のものだ。小休止の間、レフノールは強張った足腰を曲げ伸ばしして解し、リディアは冷えて赤くなった指先に息を吐きかけて暖める、というのが通例だった。
結局、レフノールとリディアがまともに会話を交わしたのは、ラーゼンにたどり着き、宿屋に入ってからのことになった。
「隊長は休暇中、どう過ごされるご予定なのですか?」
宿で荷を下ろして一息入れ、階下の酒場で暖かいスープを飲んで人心地ついたところで、リディアが尋ねる。
「俺?」
尋ね返してから、レフノールは、自分がそのあたりのことを一切考えていなかったことに気付いた。
「……特になにも考えちゃいなかったな。だが、まあ、2~3日は仕事のことを一切合切忘れて、眠れるだけ眠りたいね」
ラーゼンへ出向くべしとされた期日と、そして往復にかかる時間を考えるならば、実際の休暇はおおよそ2週間ほどになるはずだった。アンバレスで過ごすのならば十分に長くはあるが、王都へ戻るには少々慌ただしくなる、という期間だ。冬の旅の辛さを考えるならばあまり採りたい選択肢とも思えなかった。
その2週間ほどの使いみちを、レフノールは決めかねている。というよりも、休暇に対してそこまでの計画性を持てていない、というのが実情だ。まとまった休暇など、現実味がなさすぎた、ということなのかもしれなかった。
ざっくばらんに過ぎる返答に、リディアが小さく笑った。
「わたしも少しゆっくり休みたくはありますね」
「君はなにか予定が?」
「ありませんが、冬至祭は眺めたいな、と」
ああ、とレフノールは頷いた。
12月の30日と1月1日の間に挟まれた冬至の日は、どちらの月にも含まれない祝日だ。1年の始まりの日として盛大に祝われる。前夜――12月30日の日没から、冬至の日の日の出にかけて、夜通し宴を張る者も多い。そうでなくても、夜を通してかがり火が焚かれ、街の通りや広場には屋台が並び、酒場や料理店もこの日ばかりは一晩中店を開けている、というのが通例だ。
王都にいた頃は、季節ごとのそういった祭りや市はそれなりに楽しみではあった。特に相手がいたわけではないが、賑やかな街を見て回り、ちょっとした買い物をして、好きなものを選んで食べるというだけでも楽しめたものだ。
「羽を伸ばすには、ちょうどいいんじゃないか」
答えてから、そういえばそのあたりはライナスも同じだったのだろうな、と思い出す。悪いことをしてしまったかもしれない、と考え、いやそもそもあいつが俺を売っていなければ、と思い直した。お互い様、というやつなのだろう。
「それで、あの」
「どうした?」
「……もしよろしければ、ご一緒いただけないかと」
緊張した面持ちで、心持ち俯き加減の部下を見て、レフノールは小さく息をついた。
他に相手はいないのか、などと軽々しく訊けるものではなかった。上官と部下の枠に収まったままでいたくはない、と若く美しい少尉は言っている。上官と部下のままでいようとするならば、やんわりと断るのが唯一の正解なのだろう、ということは、レフノールも重々理解している。
だがその正解を選んだときに、リディアがどんな気分でどんな表情をするのか、レフノールは想像ができてしまった。せっかくの休日を、ため息をつきながら過ごす羽目になるのはまず間違いがない。
「――ありがとう、少尉。俺で良ければ」
ひとりで街を歩くにしても、軍の外套を羽織って歩き回るというわけにはいかない。武技の達人ではあっても若く、そして人目を惹かずにはおかないほどの美しい女性でもある。浮かれて気の大きくなった街の男どもが粉をかけないはずがなかった。
だから虫除けにでもなればそれでいい、と自分に言い訳をして、レフノールは頷いた。
「ありがとうございます!」
ぱっと顔を上げたリディアが、輝くような笑顔を浮かべる。
ああ、とレフノールは納得する気分になった。
――あれこれと言い訳をして、俺は結局のところ、どうしようもなくこの笑顔に惹かれているのか。
「俺はアンバレスのことはわからないから、案内して回るというのはできないと思うが」
「では、わたしが御案内しますね――とは言っても、わたしもあまりよくは知らないのですが」
「ライナスがいれば良かったんだがな。あいつ確かアンバレスは3年目だった筈だ」
リンクストーンで呼び出して尋ねれば尋ねられないこともないが、わざわざそんなことをすれば根掘り葉掘り訊かれるであろうことはほとんど疑いの余地がない。周囲に吹聴して回るようなことはしないと信頼はできても、次に会ったときに投げかけられるであろう生温かい視線に耐える自信が、レフノールには持てなかった。
少佐にでも尋ねるしかないか、と、第2軍団にいる数少ない知り合いの顔を思い浮かべる。
「まあ、適当に見て回るだけでも楽しめるだろう。王都の冬至祭はそうだった」
「兵学院の同期でやりました。ああいうのも楽しいですよね」
年頃の女性の顔で柔らかく笑うリディアを見て、レフノールはなにか眩しいものを直視してしまったような気分になった。心の中で、半ば愚痴のように呟く。
――そういう顔は、無防備に上官に見せていい顔じゃないんだよ、少尉。
それなりに気付いていながら「上官と部下の適切な距離ってそうじゃないよね」と避けてたら部下が覚悟を決めて踏み込んできました。どうすればいいでしょうか(2x歳・男性・大尉)




