【2:曖昧な命令】
順を追って説明しよう、とライナスが言い、そうしてくれ、とレフノールが応じた。
「まず協力内容の話な。第2軍団は近衛の作戦に協力する。先方はおおよそ大隊規模だそうだから、対応する輜重は小隊規模」
ここまではいいか、とライナスが尋ねる。レフノールは黙って頷いた。
「工兵は今回出番がないし、療兵はあっちの自前がついてくる。ただ、想定される作戦域はノールブルムの近辺だ。アンバレスからの距離は相応に長い。近衛は普段王都からそうそう出ないからな、あちらだけに補給を任せると支障がありそうだ、という話でな」
「その補助をしろ、と?」
「まあだいたいそういう話だ。『近衛派遣大隊兵站小隊と連携・協同し、同大隊の作戦行動を支援せよ』だと」
「――結局よくわからないじゃないか」
「で、お前の立場だが」
レフノールの抗議をあっさりと無視して、ライナスは話を進める。
「こっちは本当によくわからん。『任務の遂行に当たっては、同大隊所属の上官及び先任者の指示を仰ぐべし』だそうだ」
「『あちらのえらいひとのおはなしをきちんとききなさい』って? 勘弁してくれよ、子供の使いじゃあねえんだからさあ」
苦り切った表情のレフノールが不満を鳴らした。
任務はレフノールが所属する第2軍団から発せられている。だが、その手段については触れられておらず、近衛の大隊からの指示を聞け、という条件が付けられている。所属も命令系統も第2軍団のまま、ただし指示や命令は協力先の大隊にいる上位者から出る、という形だ。
言うまでもなく指揮や命令の系統が曖昧で、何をしてよいのか悪いのかすらよくわからない。
それこそレフノールが言うように、子供の使いであればよくある話なのかもしれないが、ことは軍が動いて行う作戦だった。
「あの」
黙って聞いていたリディアが口を挟む。
「ノールブルムの近辺、ということは、内容としては妖魔の討伐、ということに?」
どうなんだ、とレフノールもライナスに視線を送る。
「相変わらず察しがいいな、少尉」
ライナスがにやりと笑って頷いた。
「だとすると、北側はこの砦がありますから、西側へ……?」
ライナスがもう一度頷く。
「すぐなのですか? その、作戦の開始は」
「もうしばらくかかるよ、少尉。
近衛歩兵を動かす支度もあるし、そもそも今は時期が良くない。実際に近衛がアンバレスを出るのは雪融けを待って、ということになってる」
冬の辺境でどのような作戦行動ができるわけでもない。現状、妖魔も人間も冬ごもりという状態で、兵を出してそれを相手のところへぶつけることなど考えようがない。冬が終わり、あたりをうっすらと覆う雪が融け、天幕の中で凍死するというような心配が要らない程度には暖かくならなければ、大規模な兵力を動かすことなどできはしないのだ。
だからライナスの返答は当然と言えるものではあったが、レフノールとリディアは揃って息をついた。
当然や常識といったものがどれほど脆いものであるかを、そしてともすれば上官の気分ひとつで吹き飛ばされるものであることを、ふたりとも身に染みて思い知っているからだった。
そもそもの動機が己の権勢欲であれ、兵理にまで反するような上官よりはそうでない方がよほどまし。
いささか低い水準に引かれた線ではあるが、その水準に達しない上官の下で死ぬような思いをした後とあっては、他人の常識とやらに期待する気分をそう簡単に持てるものでもない。
「俺は不案内なんだが、ライナス、このあたりの雪融けっていつ頃なんだ?」
「例年、2月の半ば頃だな。今年は雪が少ないから、もう少し早いかもしれないが」
いまは12月の半ば。おおよそ2か月が、準備のための期間、ということになる。とはいえ、本格的に準備を行わなければいけないのはおそらく1か月前あたりからと思われた。
「年が改まったら、諸々動き始める、というところかな」
「まあ、そんなところだろう」
確かめるようなレフノールの言葉に、ライナスが頷く。
「ああそれと、部隊の編成だが、ある程度はお前の裁量が利くようになってる。少佐の進言でな。せめてそのくらいは自由が必要だろう、と」
「喜んでいいのか悪いのかわからんが」
レフノールが小さく苦笑した。だが、それが少佐の気遣いであることを理解できないほど、レフノールは愚かではない。
「下士官は今の連中を連れて行ければ問題ないと思う。兵もだな。下士官と兵は交代で休ませてはいるから、作戦参加となってもそこまで不満は出ないだろう」
「万全だな」
からかうように言うライナスを、レフノールが軽く睨む。そうしておいてレフノールは、隣に座るリディアに話を振った。
「少尉、君はどうする? 正直なところろくでもない任務だと思うし、俺は御指名だから逃げられないが、君は君の希望通りに――」
「ご一緒します」
することもできる、という話の最後を遮るように、リディアが答えた。
「そうしてくれるなら、俺としてはこの上なく助かる話ではあるんだが――いいのか?」
「はい、是非。お供させてください」
きっぱりと即答したリディアの笑顔を、レフノールは正視できなかった。ろくでもない話に巻き込むのなら、せめて命令すべきだった、と思っている。
2か月を超えて側にいれば、何となくであってもこの部下の考えていることはわかる。リディアの接し方は常に自分に対して好意的で、それはレフノールが知る限り、上官と部下の枠を超えるものだった。
それ自体は理解できない話でもない。ともに死線をくぐりぬけ、お互いがお互いの命を救った間柄だ。通り一遍の上官と部下以上の何かを望むこともあり得ない話ではなかった。レフノールとしても、有能で生真面目で美しい部下に好意を寄せられて、それを厭うような理由もない。
そうであればこそ、結果として、ということにせよ、その好意を利用する形になってしまった自分が嫌で仕方がなかった。
「――ご迷惑でしょうか?」
レフノールの様子から何かを読み取ってしまったのか、リディアがおそるおそるといった態で尋ねる。その言葉にレフノールの自己嫌悪はまた一段深くなったが、まさかそれを態度に出すわけにはいかない。
「迷惑なら、少尉、最初から君の意思を尋ねたりなどせずに留守番役を命じている。有為の部下をろくでもない話に巻き込むのを申し訳なく思っているだけだ」
「こいつはな、少尉、単純なことまで難しく考えすぎる性質なんだ。君までそんな無駄なことに付き合うことはない」
ひとつ息をついて応じたレフノールに、ライナスがにやにやと笑いながら付け加えた。
おい、と睨むレフノールを相手にせず、更に続ける。
「どのみち、君がいなきゃ部隊の兵站が回らないことなんて最初から解りきってるんだ。素直に命令しないこいつが悪い」
「お前、一応上官に向かって『こいつ』呼ばわりはさあ」
「礼則どおりの方がよろしくありますか、大尉殿?」
ライナスの返答に、レフノールはため息をついて視線を逸らした。そもそも下士官や兵のいないところでは今までどおりで、と言ったのはレフノールの方なのだ。兵学院以来の気の置けない同期の間柄に、階級などという余計なものを割り込ませる気などないからだった。
そしてレフノールは、兵学院時代から、この類の言い合いでライナスに勝てたことがない。
遠慮のないやり取りをするふたりの様子を見て、リディアが小さく笑った。
その様子に安堵を覚えたレフノールは、そもそもこの軽口の叩きあい自体がライナスなりの気遣いなのだ、ということに思い当たった。ときに面倒ごとを持ち込むライナスと友人でいられるのは、こういうさりげない気遣いをごく自然にできる人柄による部分が大きい。
「そのままでいいよ、ライナス。もともと俺がそう言ったわけだしな」
負けたよ、と両手を挙げてレフノールが言う。
「素直になった大尉殿に、いい方の話を聞かせようじゃないか」
にやりと笑ったライナスが応じる。
「そう言えばそうだった。何かあるのか?」
「君らふたりに休暇が与えられることになった」
レフノールはもう一度、リディアと顔を見合わせた。
いい奴なんですよ。たまに厄介事を持ち込むだけで。




