【10:とある嘘】
グライスナー中佐に話を通し、レフノールは更にいくつかの書状を手にしている。
道中にいくつかある都市や村で、軍が駐留している場所であれば宿泊その他の便宜を図ってくれるよう依頼する文書だ。加えて、エリムスの軍団本部とパトノスの領主へ宛てた書状も受け取った。
「貴官自身が先行するとはな」
いきさつを聞いたグライスナー中佐は、執務室で、書き上げて封をした書状を手渡しながらそう言った。内密の話、ということで、副官と従卒は、隣室へ下がらされている。
「兄が骨を折ってくれましたもので。うまく使うのであれば自分かと」
「まあ、それはそうだ。貴官もできるなら、自分自身がふたり欲しい、というところだろうが」
中佐の言葉に、レフノールが小さく笑う。
先に任地やその近辺へ出向き、必要な協力を依頼するためのひとり。
王都に残って部隊の立ち上げのための準備をするためのひとり。
たしかに、どちらにも自分が居られれば、と思う部分もある。
「残念ながら、自分はひとりしかおりませんから」
「そうだな。やむを得ん」
「王都で必要な手配は、概ね済んでおります。あとはブラウエル少尉に引き継ぎますので」
「問題はなさそうかな」
グライスナー中佐の言葉は、さほど心配そうな口調ではない。世間話のそれだった。
「ありません。気遣いのできる男です」
短くそう評したレフノールの言葉に、今度はグライスナー中佐が笑顔を浮かべた。
「貴官が『気遣いのできる』と言うのなら、まさしくそうなのだろうな」
「何か判断に迷うことがあれば、中佐に相談するように、と伝えました」
「上官を使える男なのか?」
「そのあたりは、まだ、わかりません。ですので、自分からそのように命令しております」
自分自身で解決のできない問題があって、そこに上官がいるのならば、上官に話を通すしかない。だが実際には、そのようにできない将校は多く、問題を持ち込まれることを好まない上官も少なくはない。グライスナー中佐が、持ち上げられる相談や良くない報告を嫌う上官ではない、ということをレフノールは知っている。この部隊にいる限り、報告や相談が滞るとすれば、それは下にいる将校の問題なのだ。
無論、持ち上げ方の作法、とでも言うべきものはある。だが、レフノールが見るところ、ブラウエル少尉はその点について、問題を抱えているようには思えなかった。
「ならば、問題ないだろうな」
頷いた中佐が、そういえば、と話題を変えた。レフノールを見上げる目が、どこか面白がるような色を湛えている。
「リディアが心配していたぞ」
「……たしかに一人旅にはなりますが、往来も多い街道ですから」
そこまで心配されるようなことかな、と心の中で首を傾げながら、レフノールは応じた。グライスナー中佐がはっきりと笑顔になる。
「その心配じゃない。目の届かないところで、悪い虫がつかないか、と。随分と心配そうだった」
「悪い……いや、それは」
自分は一体なにを心配されているのか、とレフノールは考えている。箱入り娘を送り出す親のような心配のように思えた。
「まあ、心配と言いながらあれは半分惚気のようなものだろうが。貴官の行動が遅いのがよくない」
「いや、その、中佐」
「詳しくは知らんがそうに違いない。リディア自身のことを考えての話だろうが、あの器量にあの性格だぞ? 狙う男は案外多い。魔除けがわりに指輪のひとつも贈っておけば良かったのだ」
レフノールは返答に詰まった。副官や従卒を下がらせた理由はこれか、と思っている。たしかに、大っぴらにできる話ではなかった。
「……落ち着いたら、エリムスにでも出向こうと思います」
「その気になったならば言え、兵站総監部に公用のひとつも作ってやろう。リディアにも何か別の用事を見繕う」
後押しされているのか、単に見世物めいた何かのように見られているのか、おそらくその両方なのだろう。レフノールとしては、気遣いに礼を述べて頭を下げる他はない。その様子を見てグライスナー中佐は面白そうにまた笑い、いささかわざとらしく事務的な話に戻った。
旅程の確認を済ませ、必要な書状を受け取って、レフノールはようやく解放されたのだった。
※ ※ ※ ※ ※
引き継ぎを済ませ、ブラウエル少尉とともに、改めてグライスナー中佐に必要な諸々を伝えて、レフノールは王都を発った。
軍の公用として出向いているので、軍が駐留している街や村であればその兵営や砦に、そうでなければ指定の宿に、泊まりながらの移動になる。途中、1日だけ大雨のために滞留した他は、特に問題も生じなかった。
そもそもの目的であるエリムスのギルドとの交渉は、ほとんど拍子抜け、とでも言うべき状態だった。書状を渡したところで別室へ案内され、下へも置かぬ扱いで話を聞かれ、依頼した協力はすんなりと受け入れられた。
バストーク商会と、そしてその次期会頭の紹介であり、それを親族である軍の将校が持ち込んだ、という事実が、ギルドの上層部を納得させている。
レフノールにとって少々災難だったのは、どこのギルドでも、協力依頼とその受諾だけでは終わらなかった、ということである。料理を振る舞われ、酒を飲まされるところまでは付き合いだと思って受け入れた。
問題はその先である。毎回のように、宿を手配しましたので、という話から、酒を注いでくれていた若い女性がついてくる流れになりそうになって、レフノールは全力で謝絶した。妙な納得をされた挙句に若い男性に交代しそうになったことも一度ならずある。
「そうではありません。本当に、お志のみありがたく頂戴します」
結局、最後には毎回、少々心を痛めながら、同じことを言わなければならなかった。
「小官には、王都に、将来を誓い合った相手がいるのです」
時代的に「それはそれとして遊ぶよ」という人も多そうですけどね。むしろ甲斐性と捉えられるまである。




