8話『言うても心は人なので』
「承諾しかねる、ですか!?」
早朝。転送魔術を用いて牢屋に食事を転送した宮廷魔術師ダゴナに話を通してみたがこちらの要求は陛下に伝えられる事なくダゴナから却下の返事を突き付けられた。
「何故ですかダゴナ! せめて陛下に実情を報告して判断を仰ぐべきでは!」
「以前似たような事を言っていた兵士が居た。陛下も確かにその実情とやらを見にここへ訪れたよ。けれど、陛下はそれを見てもこの任務を続行するよう我らに申し付けた」
「なっ!? そんな馬鹿な! あんな状態の少女を見て、陛下は何も思わなかったというのですか!?」
「少女ではない、女神だ。そして彼奴は陛下の意思に背き我が国の兵士を多数殺めた大罪人でもある。にも関わらず死刑に処されず我が国の為に働かせてもらえているのだ。十分寛大な扱いだと言えるだろう」
「寛大って……あそこまで尊厳を踏み躙られておきながら罪人であるから仕方ないと仰られるのですか!?」
「左様」
「そんな……では、その時任務に着いていた兵士はどうなったのです?」
「陛下の計らいで任務から外された。しかし後日、その者はアレクトラをこの屋敷から連れ出そうとし数名の兵士を殺害してしまった。故に、斬首の刑に処された」
「……」
「貴方は我が国になくてはならない存在なのだ、ロット政務官よ。貴方を失ったロドス帝国の損害はキリシュアとの戦況を更に悪化させる事になる。それは陛下としても望まぬ展開だろう。そして、貴方の類まれなる才能に陛下は強く着目しておられる。妾を持たない貴方が子を授かるにはこの任務は必須であり、半神の肉体を持ち貴方の才覚を受け継ぎし子供はロドス帝国の安寧に必要不可欠な要素となる。以上の理由から、貴方の意見を陛下の耳に入れるわけにはいかぬ」
「……アレクトラに、尊厳はないのですか」
「人としての尊厳はない、という他ないだろう。彼女は神だ、神に対しての畏敬の念は忘れぬよう心掛けておるよ」
神に対しての畏敬の念、だと? 信仰の対象としてただ漠然と有難がっているとでも言うつもりか?
「そんなもの、彼女は望んでいなかった。彼女は自由を切望していたのだ」
「崇拝の対象者に自由は認められるのか、という議論をしたいのか? いつの時代も神として崇められる者に個人の自由は与えられなかったであろう。信仰されるには信仰されるに足る振る舞いが求められる」
「それがこれだと言うのか? 狭く暗く冷たい牢獄に閉じ込められ、死ぬまで子供を産ませられる。そんなものを我々は求めていると?」
「そうだ」
「……」
「儂らの議論で時間を使うことに何の意味がある。そんなものよりも貴方はアレクトラと向き合うべきだ。役目を果たせ、ロット政務官」
ダゴナからの通信が切れ、音声を飛ばす魔力石から光が失われる。私は上から転送されたスープの入った器を持ちアレクトラの元へと運んだ。
「……あ、おはようございます」
呆然と前だけを見つめていたらアレクトラが私の存在に気付き挨拶してきた。私は何を返せず、無言のまま牢屋に入る。
アレクトラは何も言われずとも顔を上に傾けて口を大きく開けた。……もう、この異常な食事方法にも慣れきってしまっているようだ。
空いた口に向けてスープを少しずつ注ぎ込む。ある程度口内にスープが溜まったのを見て注ぐのを辞めると、アレクトラは口を閉じ液体を飲み込んで私の方を向いた。
「あはは。心遣いは嬉しいですけど、別にそのまま注ぎ続けても大丈夫ですよ。零さないように気をつけます。殴られたくないし」
「殴りなどしない。無理せずゆっくり飲み込め。気管に入ったら辛いだろう」
「えっ」
「なんだ」
「……」
驚いたような表情をしてアレクトラが固まる。少し経った後、ぎこちなく笑った後に「ありがとうございます」と歯切れの悪い口調で言って再び口を開けた。
またスープを注ぎ入れる。……なんだこれは、こんなの人の形をした者が行っていい食事方法ではないだろう。
奴隷よりも扱いが悪い。これではまるで家畜だ。それをこの少女は当然のように行う。
指に力が入る。こんな事に慣れなければマトモに食事もさせてもらえないアレクトラの不遇さに。必死に家畜のフリをしなければ痛い思いをしてしまうと、彼女に思わせてしまった者に対する怒りで指が震える。
「わっ!? わぶっ!」
しまった! 手に力が入りすぎて器を落としてしまった。アレクトラの鼻先に木の器が当たり、彼女の顔や首元にスープが溢れる。
「す、すまない!」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「えっ……?」
慌てて器を拾うとアレクトラが必死に謝っている声が聞こえてきた。彼女は心の底から恐怖しているような顔で、歯をガチガチ言わせながら私の目を凝視し謝り続ける。
「全部飲みますごめんなさいっ、お手を煩わせてごめんなさいっ! ごめんなさい、汚い飲み方でごめんなさいっ!! つ、次は綺麗に飲むから、許してください! 痛いのは嫌です、痛いのは嫌です、痛いのは嫌です! ごめんなさいっ、ごめんなさい、ごめっ、ごべんなざっ」
アレクトラの目から涙がこぼれる。どんどん恐怖の表情が深まっていき、彼女は号泣しながらも謝り続ける。
身に付けていた布の股の部分にシミが出来る。恐怖で失禁してしまったのだろう。私が器を落としたというのに、私の手を煩わせたと認識し折檻されると思い込んでいるようだ。
……。
私は自分の着ていた服の袖を破り、それを使ってアレクトラの顔に付着したスープを拭う。
「ごべっ……え……? な、なにしてっ、ダゴナさんに言われなかったんですか? 口元に、物を近付けるなって」
「上を向け。首元に着いたものも拭う」
「え、あ、あの。そんな事しなくても、乾くし……」
「阿呆かお前は。乾いたら臭くなるだろ」
「別に慣れましたけど……」
「慣れるな。不潔な奴だな」
「あ。犯す時に臭いと嫌だからって理由か。なるほ」
「黙れ。気軽に犯すとか言うな。私を他の兵士と同列に扱うのをやめろ。虫唾が走る」
「えぇ……あ、尿まで。ご、ごめんなさい」
「あと謝るのをやめろ」
零れたスープを拭い取り、続けて彼女の服を脱がせて汚れた股も拭う。……慣れたと言ってはいたが、股を拭かれる時に恥の感情を感じたのか腰を捻ってきた。等身大の少女らしい所もあるのだな。
「ごめ」
「謝るなと言ったぞ」
「っ!? あ、えっ、と……汚い所なのに、拭いてくれて……ありがとうございます?」
「なんだそれは。どんな感謝だ、阿呆か」
「謝るなって言ったからそう言うしかないでしょうが! ……っ、あ、あんまり顔ジロジロ見ないでくださいよ」
僅かに顔を紅潮させアレクトラが非難するような口調でそう言う。
「……すまん。次は手を滑らせないようにする」
「ほ、本当ですよ。鼻に当たって痛かったんですからね」
「鼻に違和感はあるか? 折れては……無さそうだな」
「だ、だから! 無闇に顔に触るなってダゴナさんに言われてるでしょって! 指噛みちぎられたいんですか!?」
「噛みちぎるのか?」
「……今更そんな事しないけど。でも、迂闊でしょ流石に。俺、あんたの指の骨をぷって吐き出してやってあんたを殺す事だって出来ますからね?」
「鉄板を吐き出して牢屋を破壊したって話も聞いたな。どうなっているのだお前の肺活量は」
「へへへ。破壊しか能がない代わりに破壊に関してはスペシャリストなので。このアレクトラボディー」
「の癖にその拘束も魔力封じも破壊出来ないのか。大したことないな」
「え、うざ。腕力云々でどうにか出来ないでしょ、関節までしっかり拘束されてるんだから。力を込められないのにどう抜け出すんだよ」
「着替えを持ってくる。このままこの布を着続けられたら尿臭くてたまらんからな」
「うるさいなぁ! わざわざ言わなくてもいいでしょそんな事!」
頬を膨らませて抗議するアレクトラを無視して濡れた布を持って転送用の籠に入れる。休憩室に仕舞われていた替えの布を取り出しアレクトラの元へ戻ってくると、着替えさせようとする私の顔を彼女はジーッと睨んできた。
「な、なんだ?」
「なんだって。……紳士的に接してくれるのは嬉しいんですけど、なんか……に、人間扱いされるとかえって裸を見られるのが、恥ずかしい……というか」
「微塵も色気のない子供の見た目しといて何を言う」
「ねえ。最低過ぎない普通に? ロリをすっぽんぽんにしといてその言い草まじで引くんだが?」
「しかし薄いなこの布。寒くないのか?」
「無視するなて。……そりゃ、寒いですけど。当たり前でしょ、ここ地下だし。極寒ガクブルですが」
「だろうな」
休憩室から持ってきた防寒用の布をアレクトラの体にかける。
「えっ。なにしてんすか?」
「これで多少は温まるだろう」
「……ポカポカですけど。こんな事してゆるされるの?」
「上に知られたら事だろうな。特に慎重なダゴナからは長い長い叱責を受けるに違いない」
「……変なの」
「またスープを顔にかけるぞ」
「クソムカつくからやめて」
「ムカつく? 泣き喚くの間違いじゃないのか?」
「さっきのは……昔ここに来た兵士が、スープをこぼす度に延々と腹とか殴ってくるから。その時の事思い出して、つい」
「一体誰なのだ、そんな事をしたのは」
「……思い出したくない」
「そうか。……嫌な事を思い出させたな。すまなかった」
「なんでそっちが謝るんですか。俺に謝るなって言うならあんたも謝んないでくださいよ、気持ち悪いな」
「私は明確に君を傷つけたのだから謝るのが筋だろう。私は君に謝られる謂れは無い」
「っ、めちゃくちゃ人間扱いしてくるー……」
「駄目か?」
「駄目じゃ、ないけど……」
そう言いながら、彼女の目に再び涙が滲んだ。
「駄目じゃないけど……でも……そんな風にされたらぁ……っ、う、受け入れてたのに……こんな事されてるの……馬鹿らしく思えちゃうじゃんかぁ……っ!」
「……事実、こんな事をするのは馬鹿げてるだろう。君の認識は間違っていないよ」
「それだと耐えられないから全部諦めてっ、受け入れたんだよぉっ! ……なんで、ここに来て……っ、ぐすっ……人間扱いしてくれる人なんか……寄越して、くる……んだよぉ……っ」
感情の堰が切れたアレクトラが大きく泣き出し始めた。さっきのような必死な様子ではなく、自らの胸の内をさらけだす様な悲痛な嘆きを混じえながら感情のままに泣き声をあげる。
「……やっぱり。ただの少女じゃないか、君は」
「うわああぁぁぁんっ!!! うううああぁぁぁぁっ!!!」
絶えず泣き声を上げる幼い少女に身を寄せ、その小さな体を優しく抱きながら頭を撫でる。この国に来て初めて人に優しくされたのだろう。アレクトラは顔を前に傾けて私の胸に頭を押し付けるようにして泣き続けた。