6話『兵士の昼』
10年続いたロドス帝国とキリシュア王国の戦争が停滞し、そこから4年の月日が流れた。
まだ戦争は終わってもいないというのに、4年という時間は国民の胸に刻みつけた戦争の恐怖を僅かながらも和らげ、街には少しずつ活気が戻りつつある。
いつ終わるかも分からない一時的な平和だと理解しておきながら、人々は今の日常を噛み締めて生きる。戦う力も持っていないというのに、この国を生きる市民達の強さに驚かされてしまう。
「よぉ。久しいな、ロットさんよ」
「ん、ラモラン騎兵長。ティンゼルの岬での戦い以来でしたか」
「あぁ。休戦中だってのに総軍指揮官様はお忙しそうですな。一杯どうよ?」
「ははっ。お気持ちだけ受け取っておきます」
「今日も用事かい。大変だねぇ毎日」
首都コンスタの街並みを眺めながら道を歩いていたら馬から降りたラモラン騎兵長に声をかけられた。彼だって決して暇な身分ではないだろうに、平日の昼間から飲み屋を転々としているようだ。酒の臭いが鼻をつんと刺してくる。
「何の用事があるんだ? 俺も付き合うぜ」
「陛下直々の任務だからそれはご勘弁を」
「陛下直々の? ……げ、時期的にあれか。女神との……」
「よく分かりましたね?」
私が受けた任の内容をいきなり的中させたラモランが不快感を露わにした表情を作る。彼は史学研究の一環で神話や伝承についての造詣も深いから、女神アレクトラを帝国の戦力として運用しようという話が出た際も猛反発をしていたからな。この顔になるのも理解は出来る。
「しかしまさか、未婚の身でありながら子を持つ事になるとは。妙な気分ですよ、全く」
「そうさなぁ。目立った武功を上げていて尚且つ未婚の兵士がこの計画の対象になるって話だったもんな。考えてみりゃ確かに、ロットも父親候補に選ばれるのは必然か」
「当初は第一子の父親として選出されていたらしいですが、丁度別の任務が長引いていましたからね。今回長く暇を得たから順番が回ってきたって所です。既に三回出産しているんでしたっけ」
「あぁ。今回で四度目になるな」
「その産まれた子供というのを見た事がないから分からないのですが、ちゃんと人間の形をして産まれてきてるんですかね。あの女神、人喰い鬼の始祖らしいじゃないですか」
「現状この国で産んだ三人の赤子についてはなんら人と変わりない様子だったぞ。とはいえ半分は神の血が入っているからな、生まれた時点で魔力量は並の大人より多く保有しているから魔力中毒症で高熱を出してばかりだと乳母が嘆いていたよ」
「乳母?」
「知らされていないのか。俺も父親役に選ばれてアレと子を成した、お前と同じ立場だったんだよ」
「ほう! それは初耳だ」
驚いたな。女神運用反対派だった彼が父親役に選ばれるとは。陛下が定めた条件的には合致しているから対象に入るのは自然ではあるが、本人の意向などは聞き入れてもらえなかったのだろうか?
「まあお前を除けば地位的にもあげてきた武功の数的にも俺が適任だったって話になったらしいわ。任を受けた時は生きた心地がしなかったぜ」
「随分と苛烈に嫌っていましたもんね。あの女神の事を」
「復讐の三女神の一柱だぞ? あんなものの力に頼ろうなんて馬鹿げた発想、理解できるはずがないだろう。ルキウスの爺さんがお前の前任じゃなかったら殴ってでも止めてたっての」
「気持ちは理解できます。神話に明るくない私でもアレクトラの名ぐらいは知ってますからね」
「そんな凶悪な存在が今や子を産まされるだけの存在にまで成り下がるとは。本当、陛下の判断にはいつも驚かされるよ」
「戦争続きで枯渇しかけていた国家財政を労働改革や税の見直しにより立て直した偉業がありますからね。確かに最初は驚かされますが、いつも必ず国を良い方向に導く手腕と実績はある。きっと今回も善い方向に事が進んでくれるでしょう」
「才女であることは認めるが、変わった事をしたいあまり定石を無視する傾向があるからな。賢聖の言葉を参考にして万が一があった時の保険を用意しているとは聞いたが、これまで通り上手くいくかどうか。相手は神だからな……」
「神、ねぇ……」
皆、あの少女を女神アレクトラ本人だと信じて疑っていない様子だが、私は蘇生術発動の現場を見ていないからどうにもあの子が女神その人だとは思えない。
あんな年端もいかない少女がどうやって人類の脅威になる? 共に同じ戦場に出た事がないから彼女がどんな戦い方をするのか想像もつかない。
学舎に通っていた頃は『貪食の貴婦人』なんて異名にロマンを感じて少しだけ調べた事もあったが、私が見た文献では女神アレクトラは『屈強な男を見下ろす程の体躯を誇り巨大な口にて人を呑み込む怪物』と記述されていた覚えがある。
あの少女の身長は高く見積っても私の下の方の肋骨の位置に頭頂が重なる程度しかない。仮に古代人の平均身長が今より低かったとしても、あの体格で巨人扱いされるのは無理があるだろう。
それに、以前『神の残滓』の異名を持つ異形の怪物と戦闘した際にはあまりの魔力濃度で接近するだけでも気を失いそうになった記憶がある。アレで残滓と言うのだから、神そのものがいた場合同じ大地を踏んでいるだけで卒倒してもおかしくない筈だ。
あの少女には何も感じなかった。本当にただの暗くて無口なだけの少女だった。それ以外の印象は特にない。
「というか、考えないようにはしていたがあんな子供と体を重ねなくてはいけないのか。気が引けるな……」
「……はあ。嫌な事を思い出しちまった」
「なんだい?」
「いや。まあ……アレからしてみればこんな事望んでなかったに違いないから当然ではあるんだけどな。最初は全てを諦めたような顔で全く反応を示さなかったんだが、行為をしている最中に泣きだしてな。『もういやだ』だの『なんでこんな目に遭わなきゃいけないの』だの、悲痛な言葉を雨のように浴びせられたよ。終いには『もう殺して』って、俺の手を掴んで自分の首に手を添えさせてきたんだぜ? 泣きながら。……あんなのもう二度と御免だ」
「…………それはなんとも、後味の悪い話だ……」
「間違いない。今でも耳に残ってるよ、あの泣き声」
「……」
気分の悪くなる話を聞いてしまった。今からその少女と会いそういう行為をするというのに。陛下の指示には逆らえないが、個人的な感情としてこのような事をする意義を今一度確認したくなる。
国の為とはいえ、少女が自らの死を願うまでの事を強いるだなんて。……そのような事をしてまで手にした勝利に、誉れなどあるのか?
「すまない。今の話は忘れてくれ」
「……難しいことを言いますね」
「少し酔い過ぎた、許せ。……アレは子供の姿をしていても人類を虐殺していた邪神なんだ。くれぐれも、同情して助けだそうだなんて考えるなよ。きっと泣いていたのも罠だったんだ。子供の姿で泣けば大抵の大人は同情するからな」
「本気で泣いていた可能性もあるのでは」
「あるかもしれんがそこはもう割り切れ。自分の本分を忘れるな、我らはあくまでロドス帝国に忠誠を誓った兵士なんだぞ。私情で勝手な行動を取ることは絶対にやめておけ。ルキウスと同じ、幽閉塔送りにされたくなければな」
「それを昼から飲んだくれてる貴方が言いますか。ラモラン騎兵長」
「痛い所を突くな。それじゃ、気張れやロット総軍指揮官。ロドス帝国の未来はお前のイチモツにかかってるってな」
「最後の最後で何言っているのだ貴方は」
馬に騎乗し仰々しい語り口で下品な冗談を口にしたラモラン騎兵長はそのまま馬を走らせ颯爽とその場を去っていった。所作だけ見れば立派なものなのに何故ああも残念な言葉を発するのか。折角の美丈夫も台無しだな、まったく。




