57話『堕胎告死』
「裁徒ぉ〜」
「なによ」
「なによって、なにしてるのさぁ? ずっと蛇口の水出して指でぴゅぴゅぴゅーって。楽しぃの?」
「ふん。……見なさいよ、棄狂」
「なぁに?」
「ほら、こっち」
「?」
「なんかね、こうやって水出してると変な色の板みたいなのが見えるのよ。でもほら、こっち側に顔を動かすと見えなくなるの。凄くない?」
「はい?」
「説明聞いてなかったの? だから、ほら! こっちから見ると色があるのにこっちには無いの! これなんなんだろ、空気には実は色があるってことなのかな? それが水を通して見えるようになってるみたいな? なんかすごくない? 私、もしかしたら世紀の大発見をしてしまったかもしれない」
「ただの虹ではなく?」
「ニジ? ……なによそれ。魚かなんか?」
「ニジマスだなそれは。ニジマスでもいいんだけど、そのニジに当たるのが正しくそれなのではぁ?」
「……」
「や。なんでもない。……なに、それをずーっと見てたの? 1時間くらい? ここでぇ?」
「そうよ。どうやら時間帯によって見える濃さも違うみたいでね。今はさっきよりくっきりしてるの!」
「そ、そう……」
………………………………。
……………………。
…………。
「やっばい一瞬だけどゴミの走馬灯みたいなの流れたぁ。もぉ〜私ってばろくな思い出ないんだなぁ〜死ぬわけにいかなすぎるなぁ〜!」
二度目の変身をしながら、腕と足の魔力装甲を腹の傷跡に流す事で出血を堰き止め数分。いやはや、応急処置はしたものの重要器官を損傷してるから既に死にかけだぁ〜!
裁徒はあの全裸不死身幼女に腰抜かして頭庇って丸まっている。普段の気の強さはどこへやら、まあ確殺決められたと思ってた相手が何度も蘇って襲ってくるのは恐怖でしかないか。
炬吏は寝てるしランランも気絶したまま。このままじゃジリ貧なんだよなぁ。せめて炬吏が起きてくれればどうにか形勢を変えられそうだけど、あの人一回寝ると殴っても起きないからなぁ。
「穿呪羅ッ!」
「淀れ」
私が繰り出した魔力砲撃が少女の手に触れて停止させられる。少女がそれを握り込むとあっけなく穿呪羅が粉砕し、ただの粉となってしまう。
不死身なのもそうだけどあの『とまれ』って技なんなの? ズルくなぁい? 触るだけで攻撃を無効化とかめちゃくちゃ便利な技じゃん。子どもが使うバーリアじゃん。そんなもの使われたらたまったもんじゃないよぉ〜!
「ちょっとちょっとちょっとぉ! 二対一は卑怯だよぉ! その鬼ごっこタッチで物止める能力使わないでぇ!」
「知るか。あんたのそのヴァジュラって攻撃、威力バカすぎるんだよ。なんでゴミにデコピンしただけで戦車砲になるんだよ意味わかんねぇだろ。マナ墓地送りにする程度で抑えとけや」
「何を言っているのぉ? よく分かんないけど私よりそっちのがずるっこだよぉ! その『とまれ』ってやつ使わないで! 公平性を欠いてるよそれぇ!」
「公平性て。不意打ちで頭ぶち抜かれた時点で俺が尊重する義理無さすぎるだろそれ」
少女が駆け出しその背後から触手が伸びてくる。触手の先端は奇妙な形状の捻れた刃のようなものが突出しており、触れただけで肉が簡単に裂けてしまうのは目に見えている。
少女は猿のような軽やかな身のこなしで木の影に姿を隠しつつ接近してくる。陽動なのは分かってるし無視してもいいんだけど、それも考慮した上で肉弾戦仕掛けてくるってことは何か策があってもおかしくないよなぁ。
「異状骨子!」
「にょあっ!? まーたへんちくりんな技使うねぇ!」
穿呪羅を撃つために隠し持っていた短刀を三本指に挟んで取り出した瞬間、木の影から赤い液体の付着した白い棘? 状の物が飛び出してきた。
これは……骨? 肉を削いだ後に露出する骨の表面と似たような見た目している。自分の骨を武器にする魔術? 聞いた事がないなぁ。
反応が遅れて棘の先端が私に触れるが当然ダメージは通らない。骨の表面には妙な魔力が流れているがその影響も受けることは無い。魔力を直接打ち込むのなら私の耐性を素通りできると思ったのかなぁ?
「いや、これ目眩しかぁ」
少女の体臭を嗅ぎ取り、自分の頭上に相手が移動したのを察知して後退すると目の前に鉄の塊が降ってきた。視界を遮った上での奇襲で私をトンカチ叩きして地面に埋めるつもりだったなぁ!
てかこの子戦い慣れてない? 武器の扱いも上手いしこっちの意表を突く行動してくる。何よりあんな巨大な戦斧を人に向かって振り回す所とか"殺し"への躊躇いのなさ。どんな人生送ったらこんな風になっちゃうんだろ、まだ10歳近くだろうに。こわぁい。
「のわっ!? にょはぁ〜〜!!?」
少女は地面に突き刺さった戦斧をまだ地に足着けてない状態で引き抜きもう一度振り下ろす。そのまま戦斧にかかと落としして足場を砕き、こっちの動きを止めた上で戦斧を蹴り飛ばし私に巨大質量をぶつけてきた。
めちゃくちゃ剛力無双だ。こんな力任せで荒々しい戦い方をする人、今までいなかった。獣戦士や剣闘士の類でもこんな戦い方はしない。雑に殺す事しか考えてない、自分の身の安全を度外視した純然たる暴力。例えるなら理性を失った狂戦士って感じ。
ど〜うしよぉ。体重の倍以上ある物質と一緒に吹き飛ばされたら身動きが取れないよ。しかもこれ、もう少女の手を離れてるから女に対する攻撃耐性もとっくに無効化されちゃってるし、このまま岩とかに挟まっちゃったら私ぺちゃんこになっちゃうなぁ。
「裁徒が使い物にならないからあんまり魔力消費したくないんだけどなぁ〜! 獅紫炎・怨迦利女!」
炎を纏った形態になり戦斧を熱で溶かしてやろうと思ったが全然溶けない。並の武器なら一瞬でドロドロに溶かせるんだけど、この斧はどうやら相当鍛え上げられた一級品らしい。高級品を雑に扱うとかどんだけ金持ちなのさ、異端審問官は。なぁんて考えながら両足から炎を噴出させて戦斧から逃れる。
極力地上で戦いたいけど、この少女と地上で戦うのは分が悪い。手足の短いチビ子どものくせに機動力が騎士にも勝ってる、面倒な事この上ない。高低差の有利を取って空から攻撃を降らせるのが一番安全かな。
「降りてこいやウルガモス。てめぇ見上げてっと鱗粉の燃えカス降ってきて鬱陶しいんじゃボケ」
「誰が敵の間合いに飛び込むのさぁ? 釈蕾無〜」
人差し指を立て、その先に魔力を集めて円を描き光の輪を構成し少女に向けて放つ。釈蕾無は高速で回転する魔力の刃、一撃の破壊力は穿呪羅に劣るけど魔力消費を抑えて数撃てる上に人体程度なら抵抗なく切断できるからあの少女にはこっちの方が有効的な筈。
釈蕾無が地面に落ち、そのまま少女のいる場所目掛けて突き進んでいく。
「んなもん当たるかよバァカ!」
「一つ二つなら当たらないだろうねぇ! でも十、二十落っことしたらどうなるかなぁ〜?」
追加で回転刃を出現させて少女に向けて投げる。すごいすごい! 無数の刃が縦横無尽に襲ってきてるのに全部躱してるぅ、反射神経は人並みでも運動性能で上手くカバーしてるみたいだねぇ。ちょこまかと猫みたいで可愛い〜。
「もっかい発動ぉ! 穿呪羅ァ!」
指に挟んだ短刀全てに魔力を込めて三発の穿呪羅を少女に向けて放つ。穿呪羅は音速で突き進む貫通性に秀でた魔力弾、釈蕾無よりも先に相手の元に到達するし真上から撃ち込めば大地ごと穿って深い穴を形成する!
大穴の中心で再生したって、ドーム状に変化したフィールドを縦横無尽に動き回る回転刃には対処できまい! 死にたくなるまで何度も何度も体をみじん切りにしちゃうぞぉ!
「ぐ……き、ぃ……あぎゃああああぁぁぁぁっ!!?」
「?」
なんだ? 目ん玉でろでろアクマが頭を抑えながら大絶叫し始めた。今まで影薄かったくせに突然どうしたぁ?
なんて思ってる間に、男の全身の皮膚が裂けて中から無数のマダラ模様の芋虫? 蛆虫? が溢れ出てきた。きもちわるぅ。
地面にボトボトと落ちた虫達は一斉に少女の元へ這い寄り始める。その移動速度は私が知ってるどの虫よりも、虫型魔獣よりも速い。まるでマダラ模様の波が彼女に殺到しているよう。
「淀れ」
少女は両手で私の穿呪羅を受け止める。あの『とまれ』の能力は片手ごとに発動できるのか。にしても同時に停止できるのは二つまで、三発目の穿呪羅は止められない。
少女が穿呪羅を止めるのと同じタイミングで芋虫達が少女の周囲で円陣を組むように集まる。
「重奏凌積」
少女が何かを呟きながら大きく身を仰け反らせ、バネのように頭を前に突き出し残りの穿呪羅に頭突きをした。それと同時に大爆発が起きる。
「ッ!? なにそれぇ、もうなんでもありなんだなぁ!?」
真上からの穿呪羅を受けた事で少女の肉体は腰から下のみを残し爆散した。しかし頭突きのせいで威力が殺され、地面に穴を開けるはずがヒビが入るところまで影響を留められてしまった。
纏めて焼き消えるはずの芋虫も原型を残したまま周囲に散らばっていく。虫達はそれぞれ頭の形状を異形の刃のように変質させ、地面を転がる釈蕾無に横から衝突する。それが無数に当たるもんだから釈蕾無がバランスを崩して横倒しになり、魔力は大地へと還ってしまった。
「……ひひゃっ、ぎゃはははははっ! 今のは効いたわァ! 文字通り脳天直下だわクソが! ぜってぇ殺すからなてめぇ!!! ぎゃははははははははっ!!!!」
腰の断面がボコボコと音を立てて肉が膨れ上がり骨、内臓、肉、皮膚の順で再生を始めた少女がまだ筋繊維が剥き出しの状態で笑い声を上げる。……性格変わった? なんかすっごい気持ち昂った状態で汚い大笑いしてますけどぉ。こわぁ。
皮剥ぎ死体じみた少女が私を見上げながら胸を張った直後、全身から骨の棘が表出し私の頬を掠めた。
「にゃ、ははっ。びっくりしたけど、あなたの攻撃なんて私にはなんの影響もっ」
こちらへ伸びてくる棘の1つが私の守りを無視して肩を貫いてきた。よく見ると、それは骨と同色に擬態した刃型の芋虫だった。
ただ単に骨で攻撃してくると思わせておいて、あのデロデロ男の体から生み出された虫を体内に仕込んで骨の増殖に合わせてこちらに放ってきたらしい。してやられた、肩の傷から虫が私の腕に侵入してくる。
「ば、馬鹿だね! こんな虫ケラ、私の炎で勝手に焼け死ぬよ! 奇襲に合わせて騙し討ちするところまでは良かったけどそれなら最初から首を狙えばよかったのに!」
「うるせぇノーコンなんだよこちとら。でもよぉ、こうしちまえばコントロールなんか関係ねぇよなァ!!」
無数に伸びてくる骨から肉体を切り離した少女がこちらの視界に入る。その手からは緑色の液体が滴っていた。
よく見ると、少女は何匹ものうぞうぞと蠢く芋虫の塊を力いっぱいに右手で握りこんでいる。……あれを投げるつもりか。素手で虫の塊を握るとかよくやれるなぁ!?
「うっ!? く、この虫、人の魔力を食うタイプの魔獣かぁ! めんどっくさいな!」
不意に足裏の放出魔力量にブレが起きて姿勢制御が難しくなる。私の魔力が通常の二倍近く早く消費してる。これ、長期戦は出来ないな。ああもうっ、危なげなく勝つつもりだったのに特攻を余儀なくされちゃった!
「そっちのお望み通り降りてあげるよっ!」
足裏に爆発を起こし、瞬間的な超加速で少女の前に出て両手を突き出す。
そのまま魔力で炎を作り、腕の中に入り込んできた芋虫ごと少女を焼き潰してやる! そんな気概で魔力を急増幅させるが、ふと鼻の先に少女の空いた左手が掠って私は回避を余儀なくされた。
「キュウリ見つけた猫みてぇな逃げ方しやがって。笑けるからやめろその挙動」
「鬼ごっこタッチ禁止だって言ったでしょひきょうもっ」
「ア、ギィアアアアァァァガアアァァァッ!!!」
「!? なんっ」
地面を滑りながら方向転換していたら背後から断末魔にも似た絶叫が聴こえた。芋虫を全身から出していたアクマの声だ。振り向くと同時に私の背中に何かが押し込まれる。これは……少女がさっき蹴り飛ばした戦斧だ。
おかしい。アクマの肉体は中身を失い皮膚だけになった人間の抜け殻みたいな状態だった。最低限骨だけ残ってる肉のない器、そんな状態でこんな鉄の塊持ち歩けるわけがない。
アクマの腕は緑や黒、オレンジが混ざった蠢くまだら模様の虫のような形態に変化していた。第二形態? その変貌した腕を戦斧に巻き付かせて、全身を使って強引に刃をこちらに押し当ててきたらしい。
幸いその横振りに力は込められておらず私の体が両断されることは無かった。驚かせやがってぇ! そんなに死にたいのなら先に吹き飛ばしてやる!
「おら死ねや!!!」
「ちっ! だから二対一はひきょっ!?」
言い返した頃には既に少女の手から虫の塊が離れていた。アクマによって斧を押し付けられ、湾曲する斧刃の形状のせいで後ろにも横にも逃げられない状態で無数の虫の刃がこちらに飛んでくる。
「火円!」
考える間もなく正面に炎の球を形成し飛んでくる虫達を焼却する。
少女自らが攻撃の意志を持って虫を投げた場合それは『少女が放った攻撃』に該当するからダメージは無効化できたんだけど、肉体にぶつかる質量は消せないから今の攻撃を許したら刃側に体を押し込まれちゃうんだよなぁ。
分かってて攻撃してきたのかな? だとしたら恐ろしすぎる。
本当ならこのまま、足裏から炎を噴射して背後のアクマを消し炭にしてやりたい所だけど魔力残量的にそれは厳しい。虫を全部焼き殺せたら一旦体勢を立て直すために撤退しなきゃだ。
「ぎゃっははははははははははははははっ!! あっついあっつい! なんじゃこれ、ただの火の玉じゃねぇんだなァ!!?」
「なぁっ!? もういい加減にしてよぉ!?」
虫のつぶてが止んだから炎を消そうと思ったら正面から肉が焼ける音と臭いが伝わってきた。少女が火円の中に突っ込み、全身を焼かれながら強引に歩み寄ってきているらしい。
火円には炎の球を維持する為の魔力障壁が付随している。だからただ闇雲に突っ込んできても即座にこちら側に敵の攻撃が到達することは無い。
障壁に阻まれたあらゆる攻撃や敵そのものを内部の炎で焼き潰すのがこの技の特徴、なんだけども! 少女は何度も何度も焼死と再生を繰り返しながら魔力に指で触れて、指先で障壁に穴を空け、力任せに壁を引き裂いてこちらに来ようとする。
魔力障壁を裂き、顔を出した髑髏がゆっくり人の形に再生しながら私に「がうっ! がうっ!」と噛み付こうとしてくる。笑いながら。なんで笑える? 全身燃やされてるんだよ? 狂ってるでしょ。
「ぎひひひっ、ひひゃひゃっ! 俺の攻撃はなんっにも効かねぇって話だけどよォ、グラニウスやそのグラニウスが産み落とした虫どもの攻撃は効くんだもんなァ! ならこのままてめぇを斧刃に押し付けてやれば、至極当然当たり前にお前の体を真っ二つに出来るって事だもんなァ〜!!! 楽には死ねねぇ、痛いだろうなァ苦しいだろうなァ! 楽しみだなァ楽しみだなァひゃっはははははっ!!!」
少女の体から出た油で炎の火力が上がる。死ぬ度に再生を繰り返すせいで大人数の人間を焼いた時くらい火力が上昇し裂け目から来る熱気で顔が焼けそうになる。
バリバリと破砕音が鳴り、少しずつ魔力障壁の穴が広がっていく。折れ曲がり、肉が焦げ、めくれ上がった指がこちらに伸びる。私がそれを払うと簡単に少女の腕が千切れて地面に落ちるが、すぐにその腕は液状化し血溜まりとなって消失し少女の断面から腕が生え変わってしまう。
「にゃ、ははっ。ギャハギャハうるさいなぁ。余裕そうだけどあなたの不死身なんてどうせ、そう、再生できる限界数とかあるでしょ。だから余裕そうに見せてるんでしょ、私に底を見せない為に」
「ねぇよ? 限度とか。無限ですよ? あんたが何をどう頑張ろうが俺は死なねえし俺はあんたを逃がさねぇ。ここまでされたんだ、絶対殺してやる。不安を押し殺すために希望的観測に縋るのやめようなァ」
「信じられないなぁ〜」
「あっそう。ならそのまま死ねや!」
障壁の穴から上半身を出した少女が手を伸ばして私に触れようとしてくる。後退するも斧刃が再び背中に触れた。
「ねーぇ。取り引きしない?」
「あ? このタイミングでふっかける取り引きはもう命乞いだろ。どうしたぁ? ブルっちゃったか、真っ二つにされるの」
「当たり前じゃなぁい? 好き好んで胴体押し切られたい人なんていないでしょぉ〜」
「そうな、痛いもんな。それはそれとして、通算10回以上てめぇに殺されてる俺がなんで命乞いに耳を貸すと思った? 加害したいけどされたくはないっていう素敵な性格の持ち主か?」
「加害で終わる分ならいいけど殺されちゃうんでしょ? 私。ちょっとそれは頂けないかなぁなんてぇ」
「いいじゃん。俺も殺されてんだし、死んでやっとトントンじゃね? 公平に行こうや、お前さっき公平性がどうとか言ってたじゃん」
「あなたは死んでも生き返れるけど、私は死んだらそのままなんだよなぁ」
「だからなんだよ」
「それが全部だよ、私が死ぬのじゃ全然公平になってないって話ぃ」
「ざけんな。お前は殺す、何があっても殺す。待ってろよ、今すぐそっち行ってやるからなァ!」
さてさて、どうしよう。ここまで追い詰められるとは思わなかった。
魔力残量は残り僅かで肩とお腹の傷でこうして立ってられるのもしんどいくらい体が重くなってきた。この眠気はきっと肉体が死に向かってる証拠だよね。困った困った、私一人じゃこの状況は打開しようがないな。
諦めるつもりはない、死ぬにしてもこんなよく分からない子ども相手に敗北を喫するのは嫌だ。でも、頼みの綱である炬吏は戦場の渦中に居ながら未だに眠りこけちゃってるし頼れない。呑気に鼻ちょうちん出しちゃってる。何なのあの人。何しに来たのあの人。
「あ、やば。魔力切れ……」
ついに攻撃に回せる魔力が底をついて火円が消えてしまった。下半身が爛れた少女がそのまま地面に倒れ込み「ってぇなクソがああああぁぁっ!!!」と叫んでいる。
痛いんだ、てっきり痛覚ないのかと思ってた。涙でぐっしょり顔が濡れてる辺り、死なないだけで痛みはちゃんと感じてるんだなぁ……。
「ぐぐ……ぎひっ。これでてめぇをぶち殺せる、なァ!」
「待って待って。負けました、負けたからもう戦うのやめにしない? 私もさ、このアクマさんを持ち帰るのやめにするからさぁ」
事実上の敗北宣言をしたはずなのに少女の背中が裂けて骨の針山が私に向かって伸びてきた。会話の意思は無さそう。
「かふっ。はぁ、はぁー……ぎゃはっ。ごほっ、お゛ぇっ」
「?」
針山の根元になっている少女が苦しそうに咳を数度吐いた後、深呼吸しながら自らの骨の棘を支えにし立ち上がる。
消耗している? 全身油汗をかき、指先を震わせながら余裕を失った顔で私を見る。不死身だから体力も無限なのかと思ってたけど、そうでもないのか。
……攻撃を仕掛けるなら今しかないよねぇ。でもこちらも満身創痍、今からこの少女を殺すってなったら首を絞めるくらいしか出来ない。てか殺したら殺したで全身五体満足な状態にさせちゃうし、ここは手を出さずに逃げるのが吉、かな?
「……ありゃ」
斧をくぐり抜けて距離を取ろうとしたら膝が笑って地面に尻もちをついてしまった。興奮してたせいで意識してなかったけどもはや自由に動き回る程度の魔力も体力も、気力も残ってなかったか。
やばいな、死ぬ。少女はボーッと地面を眺めたまま頭を揺らしてるだけだけど、アクマの方は依然として私に襲いかかろうとしてる。
奇妙に蠢く指が私の髪に触れる。指、に見えていた部位はグチグチと水音を含んだ音を鳴らしながら変形し、芋虫になって私の顔の上を這い口元に近づいていく。
「勝負あったな。ぎゃはっ。ひゃっ、うぉえっ。あ゛ー……クッソ、まじしんど……死にすぎたわ」
少女は私を見下ろしながら苦しそうに胸を押さえ呟く。純粋に体力を使い果たしてバテているといった様子でもない。今の言葉から察するに、やはり自己蘇生できる上限みたいなものがあるんだろうな。その限界ギリギリに近付いたから肉体が悲鳴をあげてるって、どうせそんな所だろう。
そんな事、今更知った所でなんの意味もないか。私、これ、このまま死んじゃう流れだろうし。
んー、なんかなぁ。思ってた死に方の理想系とかけ離れてるや。死にきれない〜……。
「洪氷!」
今度こそ無理だ、そう思って目を閉じた刹那。聞き馴染みのある声が聴こえてきてハッと目を見開くと目の前に氷の山が築き上げられていた。
アクマと少女は一緒に白い氷の中に閉じ込められており、凍結範囲から外れた位置にあるアクマの腕は氷山との境界の位置で切断され地面に転がっている。
「裁徒ぉ……」
「今よ藍蝶! さっさと終わらせて」
「分かっている! 具現せよ、冥臥之太刀!」
いつの間にか意識を取り戻していたランランが太刀を具現化させて氷漬けになった少女の心臓に突き刺した。
「あ、ランランッ」
「安心しろ。冥臥之太刀は『死の概念』を付与する魔剣だ。不死身だろうがこれで殺せる。殺せた、はずだ」
「……なぁに、死を付与するって。意味わからなぁい」
「簡単に言うと死を上書きする能力だ。そもそも死の概念が無い不死者が相手なら、こっちから強引に死を付与してやれば殺せる。そういうものだろ」
うん全然説明として不十分、やっぱり意味は分からない。でもま、本人はその説明で伝わってるって思い込んでるし追加の言及はやめておこぉ〜。
「にゃ、はは。そんな便利なものがあるのなら、最初から使えしぃ〜」
絶望的な状況で仲間が助けに来る、そんな流れについ緊張が解けて脱力しその場に倒れる。
裁徒が駆け寄ってきた。私の事が心配なのかな、意外と仲間思いなんだねぇ。
なぁんて思ってたらビンタされた。なんで? それは本当になんで? 心無いの? この子。
「なにこんなガキ1人に殺されかかってるのよあんた! 馬鹿! いっつも自信満々に自分サイキョーとか言ってたくせにさ! そんな事言ってるからこんな目に遭うんでしょ!? 馬鹿! 天狗女! しっかりしなさいよ!!!」
「あまり揺らすな裁徒。棄狂の傷が悪化する」
「てかあの馬鹿炬吏は何してるわけ!? まだ寝てんの!? 気持ちよさそうに横になっちゃってるし! もうほんっと! 馬鹿! どいつもこいつも馬鹿よ! なんなのよコイツッ!!!」
よく分からないけど、何故か怒り心頭な裁徒が手のひらに魔力を集めて高密度の魔力砲を少女に向けて放った。
氷の山が一瞬にして蒸発し、再び少女の上半身が世界から掻き消える。……再生しない、どうやらランランの魔剣はちゃんと仕事してくれたようだった。
「ざ、ざまあみろばーかばーか!」
「気は済んだか?」
「済んでないわよ! あのクソガキの次は寝てる炬吏に、その次は棄狂にも痛い目見てもらうんだから! どいつもこいつも慎重さが足りないのよ! そのせいで怖い目にっ、違う。怖くはない、今の嘘。と、とにかくっ! お仕置するから! 今後絶対こんなことが起きないよう、しっかり教えこんでやるんだから!!!」
足をドタバタ鳴らしながら激怒する裁徒の様子にランランがやれやれと呆れながら落ち着かせようとする。いつもの光景だ。数分前まで緊迫した命のやり取りをしていただなんて思えない、ホッコリとした空気が流れる。
「……っ。ね〜ぇ、裁徒ぉ?」
「なに! あんた怪我人なんだし死にかけなんでしょ、無理して喋らなくてもいいわよ」
「いやぁ〜。折角氷漬けにしたのにその氷を溶かしちゃうなんて、中々に戦犯じみた事をしたねぇって。ちょっとお説教しようかなぁと思ってさぁ」
「は? なにが」
「うん。喋る前に私に魔力頂戴。ありったけ。早く」
「ど、どうしたのよ棄狂。そんな怒った顔しなくても」
「いいから早く寄越せっつってんの」
グズグズしている裁徒の首を掴んで強引に魔力を徴収する。急にそんな乱暴な行為を取られたせいか裁徒は泣きそうな声で「なにするのよぉ!」と非難してくるが、気にしない。魔力を全身にまわし、無理やり体を起こして二人の前に立つ。
「棄狂、どうした? まさか」
「まさかだよぉ。死の概念を付与、だっけ。そんな意味の分からないもの、今後使わない方がいいんじゃない? どうやら思い通りに死んでくれない輩も中には居るみたいだし」
「そんな馬鹿な!?」
私の言葉に反応したランラン、裁徒が同時に氷の山の頂点を見上げる。そこには上半身を失った少女の死体があるだけだったが、しばらく凝視しているとその足がぴくりと動き出した。
「ま、まだ死んでないの!? このッ、化け物ぉ!!!」
裁徒が叫ぶ気持ちもわかるけど耳元で大声を出すのはやめてほしい。考えなしに攻撃しようとする裁徒を抑えて、防御に全魔力を集中させる。
「ランラン。ご主人様の武器、銃だっけ。アレをありったけの数具現化させて」
「了解した」
「すぐには撃たないで。アイツは死なない、殺しても意味がない。隙を見たら手足を撃って無力化して。逃げるよ」
「逃げる!? アクマってのを連れて帰らないとご主人様に怒られちゃうわよ!?」
「でもご主人様は私達を殺さないよ。……アイツはこの期に及んでまだ殺意を持って私達を攻撃しようとしてる。私達に殺される事を楽しんでる、より愉しく復讐出来るって歓喜してる。これ以上刺激するのは得策じゃないよ。……肉体以上に、アイツの精神性こそ異常だ。狂気そのものだ。アイツに捕まったらもう、人として殺してもらえるかも分からないよ」
「………………き、ひひ。きゃはははははははははははははははははははははははははっ!! ぎゃっははははははははははははははははははははははははははっ!!!! げひひっ、ぎひっ! あァ……痛かった。痛かった痛かった痛かった。痛かったなああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっひゃはははははははははははっ!!!!」
度重なる蘇生により再生速度が格段に落ち、最早皮膚が再生しきっていない不完全な半死半生の肉体で狂い笑いながらガクガクと身を震わせる少女。彼女は眼下の私達を見下ろしたまま凍結した両足を自ら千切り、氷山の上に仰向けで寝そべると詠唱らしきものを口ずさみ始めた。
「奈落に堕ちし数多の御霊よ。我が臓物を喰い契り水子の器を満たしたまえ。再度孕め、再度息吹け。そして再び死に給え。我が身を生贄に、この世に降りる罪を与える」
当然、その詠唱を最後まで言い切らせるつもりなどなかった。銃で少女を狙ったが、彼女はいくら撃たれようともその口を止めることは無かった。
喋る口を止めるために頭を吹き飛ばした。そしたら彼女の腕に口が生え、詠唱を続けた。腕を千切れば今度は足に、口を形成する部位を破壊する度に別の箇所から口が形成されて詠唱を止めることは終ぞ叶わなかった。
「ーー誕生せよ。堕胎告死」
詠唱が終わった途端、少女の腹が大きく膨らみ風船が弾けるように破裂した。そして、破れた腹の中からドロドロとした赤黒い不定形の物質が零れだし、それは少女が自己蘇生する時と同じようにボコボコと泡立ち水音と腐臭を伴いながら巨体を形成していく。
「なによ、あれ」
「これは……」
「……」
最早何も言える言葉がなかった。
少女の腹から発生した泥は近くの大木より遥かに巨大な人の形を象る。無数の苦悶に塗れた顔で形成された皮膚を持ち、人間の腕が幾重にも折り重なった左右非対称の翼と、絶え間なく破裂を繰り返す病にかかった人間の皮膚のような不完全な両腕、女性器と男性器が織り交ざったような両足を持つ怪物となった。
苦悶に塗れた人の顔がいくつか潰れて、六つの目玉が胴体に現れる。胴体の首からは肉体に不相応な人間の赤子らしき頭部が生え、怪物は甲高い声で産声に似た鳴き声を上げながらこちらに大きく肉体を傾ける。
「そいつら全員喰い殺せ。お母さんの命令だ、聞けるよな?」
少女の声に呼応するように怪物が叫び出し、その巨体がこちらに迫ってきた。蚊の鳴くような声で裁徒が「化け物……」と呟いた。それが私の、最後に聴いた音となった。