55話『前菜』
裁徒さんの攻撃によってまだ幼い少女が頭部を吹き飛ばされ死亡した。私はその光景を直視することが出来なかった。
圧縮された魔力によって削り取られた地面に鮮血が撒き散らされ、遅れて頭を失った少女の体が倒れる。裁徒さんは平気な顔して「これで邪魔者はいなくなったわね」とだけ言う。
誰も今の現象について特に反応は示さなかった。当たり前だ、私以外は全員これまで何度も何度も人を殺してきたのだから。人死が出た程度の事で動揺するわけがない。
私達は反社会的な組織の人間だ。殺しもするし非合法な商売もする。犯罪集団なのだ。今回だって人攫いの仕事でこの土地にやってきたのだから、殺しや破壊工作を行う前提でいたのには間違いないしそれなりの覚悟はしてきた。
覚悟してきたはずなのに、いざ目の前で人が死ぬと抗いようのない恐怖を抱いてしまった。
怖い。先程まで普通に喋っていた少女が今や物言わぬ亡骸になっている。
人間の死。そんなものこの世界のどこへだって起きているありふれた事象の筈なのに、意識すればするほど背筋が凍り、嫌な感触が首の後ろを撫でてくるような錯覚に囚われる。
「何ビビってんの? だっさ」
この場から逃げ出したい。そんな事を考え怯える私の様子を見て苛立ったのか、裁徒さんは私の髪を再び掴み冷たくそう吐き捨ててきた。
「グログロ〜。頭なくなっちゃってんじゃん?」
「手の位置に丁度顔の高さが重なってたから吹き飛ばしちゃったわ」
「まあ人が死ぬ時って大抵滑稽な表情するし、この子的に顔面吹き飛ばされたのは有難かったのかもね〜。わ、すご〜い。首の断面クッキーの模様みたいになってる」
「クッキーの模様? ……クッキーの模様?」
「よ〜く見てよぉ。ほら、この……なにこれ? 喉のカパカパ。なんかクッキーみあるくない? この断面薄くスライスしたらもっとそれっぽくなるかもぉ」
「そんな所に指突っ込んで持ち上げるな。釣り上げた魚じゃあるまいし」
「あははっ。この子軽〜い」
「そりゃ頭分の体重無くなってるからね。軽くもなるでしょうよ」
視界の外で棄狂さんと裁徒さんがやり取りを交わす。しかし2人の方を向くことは出来ない。何をしているのか、考えたくない。吐きそうだ。
「死体の処理はどうする。残りの体も吹き飛ばすか?」
「別に放置でいいでしょ。アクマとやらを捕まえたらもうここに用はないし」
「そうか。……大丈夫か? 紅死穢」
藍蝶さんが私に声をかけてくれた。当然大丈夫なわけが無い。でもそんな事を言ったらまた裁徒さんにいじめられるって分かってるし、何も返さないでおくことにした。
「それで? アクマっての、どうやったらその男の体から引きずり出せるわけ」
「紅死穢の能力を使う。霊媒体質である紅死穢が男に触れれば悪魔は彼女の身に移るだろう」
「アクマって霊体なの?」
「まあ似たようなものじゃないのか。だから主様も紅死穢を同行させたのだろうしな」
「はーん、そういう事か。なんでこんな出来損ないの無能豚女を同行させるんだろって思ってたけど、要は生贄役って事ね」
「い、生贄……」
「言い方が悪いぞ裁徒。紅死穢は主様から不変の能力を賜っている。その身は何があろうと在り方を変えない、つまり憑依されても何の影響も受けないという事だ。生贄とはならないだろうそれは」
「じゃあアクマの入れ物って事か。豚女から豚の貯金箱に昇格ね。良かったわね〜豚女〜」
「痛いっ!? か、髪そんなに引っ張らないでください……!」
ニヤニヤした声で裁徒さんが私の髪を掴む手を捻り上げる。彼女は私が苦しむ様子を見て楽しそうに笑う。いつも通り誰も助けてはくれず、ただアクマに取り憑かれているという男性の方に視線を向けていた。
「てかさてかさ、この男の人生きてるの? もし死んでたら中身のアクマも一緒に死んじゃってることにならない?」
「脈はある。もっとも、片目を抉られていてその他の負傷も決して軽くは無いからそのまま放置する場合命は長くないだろうが」
「トドメ刺しとく?」
「なんでだよ。せめて悪魔を取り除いてからにしろ」
「この人も異端審問官なんでしょ〜? アクマ取り除いた後に正気に戻られたらちょっと怖くない? 状況見たら即座に戦闘態勢取ってきそうだよぉ」
「異端審問官は女しかなれないって話だ。というかそこを気にするなら予め四肢を折っておけばいいんじゃないか?」
「バラすのはだめ?」
「ダメに決まっているだろう、失血死するわ。紅死穢はまだ力の使い方が上手くない、悪魔を取り除くのにも時間がかかる可能性が高い」
「にゃるほどぉ。んー、じゃあ私より炬吏の姉御の方が適役だなぁ。いっちょ派手にお願いしますあねごぉ!」
「…………? なんですか? 聞いてない、かったです」
「そんな事あるぅ?」
話を振られた炬吏さんが少し間を置いた後に発した言葉にズコッと棄狂さんがコケるようなリアクションを取る。相変わらずボーっとしてるなぁ、炬吏さん。こちらの会話には一切混ざらずただ呑気にタバコを吸っていただけだもんなぁ。
「この男の人の手足をぐちゃぐちゃに折っちゃってくださいって話ですぅ! バラバラにするのは良くないって話だったのでぇ!」
「あぁ。好的、そゆうですね」
炬吏さんは合点が言ったかのように頷くと、岩の上に座り込んだまま手だけを男性の方に伸ばした。指先をゆっくりと動かし、やがて位置を固定する。
「……? なにか、変です」
言葉の途中で眉をひそめた炬吏さんが腕を下ろして夜空を見上げた。
「どうしたの?」
「さぁ? 炬吏の姉御ぉ、どったの〜?」
「……ュエ」
「はい? なぁに?」
炬吏さんの様子が変だ。どうにも彼女は怪訝な顔で空を見続けている。それに釣られて裁徒さんと棄狂さんも空を見上げ始めた。
遅れて私と藍蝶さんも空を見上げる。夜空にはいくつもの星が輝いていて、いつもより若干空が明るいかなと感じるぐらいで特に違和感はない。
「何を感じ取った。炬吏」
「……」
「炬吏?」
藍蝶さんの問いに対し炬吏さんは何も答えない。彼女はただじっと夜空の一点を睨んだまま微動だにしなかった。
「あれぇ? 今日の月ってあんな形だった〜?」
「月? ただの三日月よね」
「三日月ぃ? んー……? んー……」
棄狂さんが月の形状について疑問を口にするが誰一人としてその問いに賛同する人は居なかった。月なんて一々意識して見る事なんてないから誰も違和感を抱いてないといった感じ。
炬吏さんが何も言わないまま立ち上がり少しだけ移動して月明かりの下に立つ。他の3人は既に夜空に対する興味を失い、裁徒さんは私の髪を引っ張り男性の前まで歩かせると「ほら、アクマとやらをさっさと引きずり出しなさいよ」と言ってきた。
「ん? んー? ねねっ、裁徒ぉ」
「なに?」
「来て来て〜」
裁徒さんが棄狂さんに呼ばれて私から離れていった。炬吏さんは相変わらず空を見上げたまま、藍蝶さんは炬吏さんに「首、凝るぞ〜」と言いながらタバコを取り出し口に咥え火をつけた。
「え、えっと……あの、ごめんなさい。アクマって、あの、具体的にどうやって私の体、に……あれ?」
一度倒れている男性に目を配り、極力抉れた目を意識しないようにしながら観察した後に何をどうすれば良いのか分からなくなって視線を上げる。
いつの間にか、私の周囲は暗闇に包まれていた。
目を錯覚、なのだろうか。それとも夢でも見ているのだろうか。今の一瞬の視線移動の間に、まるで部屋の電気を消したかのような唐突さで今まで見えていた景色全てが消失し何も見えなくなっていた。
音もなく全ての輪郭が消え、色彩が失せた。誰も居ない、草木や岩、足元の地面やすぐ近くで倒れていた男性すらも綺麗さっぱり居なくなっている。
「な、にこれ。あの! だ、誰か、居ませんか……?」
応答はない。人の気配もない。少し歩き回ってみたがどこをどう歩いても何にも当たれない。足元の地面以外に物理的な接触がない。それはおかしい、私は確かにさっきまで樹木が乱立した林の中に居たはずだ。
肌に触れると裁徒さんによってつけられた擦り傷がまだ残っていた。爪でその上を軽く擦ると確かな痛みもある。つまり先程までの出来事は夢ではなく現実。じゃあこれは一体……?
どこか別の場所へ転移された? だとしたらここはどこだろう、どこからも光が刺さない広大な空間? なんでそんな場所に……。
「閭主?縺ォ縺ェ繧句燕縺ッ閼ウ縺檎┌縺??ゅ◎繧後?陌夂┌縺倥c縺ェ縺??よュサ縺ッ縺溘□縺ョ蛹コ蛻?j」
「ひっ!?」
不意に聞き覚えのない声が背後からして、振り向くとそこには裸の女の人が立っていた。
「え、あ、あのっ!? なに、なに!?」
女の人はずっと私に向けてなにか言ってきている。でも何を言っているのかはまるで理解できない。
何かしらの言語を使って意思を伝えようとしているのは分かる。何となく伝わってくる、彼女は適当に発音してるわけじゃない。でも、今まで聞いてきたどんな言語よりもそれは曖昧でとても人が発声できるような音とは思えず不気味さすら抱いてしまう。
というか、なぜ全裸なのだろう。そこが更に不気味だ。腰を抜かしてしまった。
「逶ョ邇峨′霆「縺後k」
「ひぃっ!? いやああぁぁっ!!?」
女の人は腰を抜かしている私を見て笑顔を作りこちらに近付いてきた。反射的に伸ばしてきた腕を払い除けてそのまま彼女に背を向けて逃げ出す。怖い、怖い! 何もかもが理解出来ず頭が混乱し涙が出てきた。一体何が起こってるの!? ここはどこなの!?
「閧峨′謖溘∪縺」縺ヲ縲?ェィ縺檎オ。縺セ繧九?り?蛻?′閾ェ蛻?§繧?↑縺上↑繧九?√◎繧後?邨ゅo繧翫§繧?↑縺??ょァ九∪繧翫〒繧ゅ↑縺」
「ひっ!? 嫌ぁっ!?」
ただひたすら方角も分からず走っていたら今度は全裸の男の人が現れた。彼も先程の女の人と同じようなぐちゃぐちゃした言語で声を掛けてきた。驚きのあまり足を滑らせてしまった。
……滑らせてしまった?
「きゃっ!? なにっ!? なんでっ、さっきまで地面だったのにぃ!?」
転んだ拍子に尻が地面に着くのかと思いきや、私の体は何にも引っかからずそのまま下に落ちていくような重力に襲われる。
落ちる、落ちる、どこまでも落ちる。終わりは無い、何も存在しない暗闇の奈落の底へと永遠に落ち続ける。
「やだっ、死んじゃっ!?」
「隱ソ蟄舌←縺?シ」
「えっ……?」
落下の感覚に血の気が引いてギュッと目を瞑っていたらすぐ目の前から声がした。吐息が口に当たった。誰かが私の正面にぴったりと体を合わせている。
「や、や、やだ、やだ、やだっ」
「諤悶′縺」縺ヲ繧九?縺」
鼻と鼻が当たりそうな位置にいる誰かが、男かも女かも分からないぐちゃぐちゃの言語で私に話しかけてくる。声の調子はあまりにも無感情で、人よりも人の言語を発声できるゴーレムに近い。その声には人間らしき温まりはなく、あまりにも平坦だ。
「やめてっ、やめてやめてごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「縺ェ繧薙〒隰昴k縺ョ?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!」
「隰昴i繧後k繧医≧縺ェ縺薙→縺励◆縺ョ?滓が縺?ュ舌□縺ェ縺」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!! もう許しっ、怖いですっ! 許して、ください! 許してっ」
「險ア縺励※縺ィ險?繧上l縺ヲ繧」
声は少しずつ私の右側に移動し、鼓膜に近付く事で段々と声が大きくなっていく。唇の動きが伝わってくるくらい声が近くなり、鼓膜に直接唇をくっつけているように感じるくらい声が密着した直後。
「許すも許さないも、あなたもう死んでるよ?」
そんな声が鼓膜よりも近く、私の頭の中から直接響いてきた。
グチャっという音が鳴った。長い長い落下の末、私の体は飴細工のようにバラバラになって周囲に散らばり、破片が闇に侵食されるように溶解していく。
「たす、け……て…………おにい……縺。繧?s」
私の声が少しずつ変容し、ここで出会った人達のような奇っ怪な音への歪曲していく。
「案外痛くないでしょ? 苦しくもないよね。そう、これが死んだ人達の世界だよ。世界って言っても全員が全員ここに来るわけじゃないけど。きゃははっ! わたしのお腹の中にはあなたみたいな人がたっくさんいるから、寂しい思いはしないと思うから安心してね! さぁさみんなっ! 新人ちゃんの歓迎パーティーしよ〜う! 今日は誰が食材に立候補してくれるかな〜?」
溶解していく私の目の前に鮮血を浴びたような全身真っ赤の少女が現れる。彼女は愉しそうに、歌うように周囲の闇に向けて声を発すると何処から問わず裸の男女が現れて少女の周りに近付いてきた。
男女は互いに身を寄せ合うと、その肉が溶け合ってぐにゃぐにゃの粘土のようになった後巨大な赤子に作り変えられた。赤子が鳴き声を発すると、少女はうんうんと首を縦に振って両手の指を合わせてしゃがみこんだ。
「ごめんねぇ。順番的に、今日はあなたを食べる日だったみたい。来たばかりでまだ右も左も分からないのは重々承知してるんだけど、そこはそれ。お顔かわいいし、首から上は原型残してケーキにしちゃおっか」
少女が不気味に嗤う。その口元は、先程見上げた夜空に浮かんでいた三日月の形そっくりだった。




