44話『常識の脆弱さと集団の強制力』
生物は皆、裸の状態で産まれてくる。
命とは、星の祝福を受けた魂が神という仲介者の手を借りて生物の胎に宿る存在であり、神の御業を代行する者にはまず神との親和性を高める儀式を行う必要があるらしい。
不浄なる地上界の繋がりを一度排し、産まれた時の姿で祈りを捧げることで星と調和し神にこの身を認知させる。性行為とは元来、神に祈りを捧げる一種の祈祷に近い行いだったらしい。
んなわけあ〜るか。なんじゃそりゃ。星の祝福? 神? バッカじゃね〜の? そんなもん居なくてもオスとメスがいりゃ勝手に子供なんて出来るんだよ。
セックスはセックスじゃ! 神様とのお話チケットじゃねえから! 聖書読む前に保険の教科書熟読しろ!
などと内心罵りつつ。無言で手を合わせて何者かに祈るポーズを取りながら、正面に立っている神父らしき男の有り難そうなお言葉を胸に刻むかのように聞き流す。
着替える時に不思議に思ったんだよな〜。
用意された服、スケスケのネグリジェみたいなんだもん。気が引けるよね、そんな格好で出歩くなんて普通有り得ないもんね。
でもそれが通過儀礼なのだとしたら仕方ないかって思って勇気出して着替えてここに来てみたもののですよ? 普通に男が入ってくるの。俺が普通の女だったら絶叫もんですよ。
ほんで神聖な水とやらを頭からかけられるし。
薄い布地が張り付いて普通に肌が透けて見えてしまっている。全身そう、ほぼ全裸と大差ない見た目になっちゃった。
目の前に男の人がいるのに大露出祭りですよ。あーあ、どう考えても貞操大ピンチだ。一応ギャン泣きする準備だけしておこうかな。
「洗礼の儀はこれにて終了。マザー・リエル、この者に聖選を」
「かしこまりましたわ。司祭様」
せいせん? 聖戦? 争うの? 自分の身を守る為なら全然命を奪いに行きますけど大丈夫かな。今の俺、かなり怯えきってるから加減効かなそうだけど?
よく分からんが、とりあえず司祭様とやらに強姦される流れにならなくてよかった。ひとまず安心。
「ではセーレ。こちらに」
安心出来なかったわ。こちらにって言って普通に室外に案内されそうになってる。
当方湿った薄い布一枚のみ着用、肌色全見えです。恥部も絶賛大丸出しです。これで外に出たら、まあ痴女と言われても仕方ない格好ではありますよ?
「あ、あの。服、これ、透けちゃってるんですけど……」
「問題ありません。この敷地の中には志を同じくする教会所属の信徒しかおりませんので」
そっか。一般人に見られる心配はないと。なるほどなるほど、それなら安心……とはならないよ。
むしろそこが一番の問題なのですが? 白昼堂々盛り合ってる連中がひしめいてるから問題を提起してるんですけど。
倫理観が決壊してる人らの前で自ら変態アピールするとか自殺行為だろもはや。
「首や手首の刻印についても問題ありません。セーレと同様、悲惨な過去を持つ信徒も数名おりますので。私共はそういった方達も平等に受け入れております」
「は、はは。どうも……」
そこについては特に気にしてないんだよ。せめて恥部は見えないよう工夫しようよ……。
(うわぁ……)
ねぇこれ、太陽の下で歩いたらマジでただの全裸みたいになってるじゃん。野外露出でしかないじゃん。とんだ変態行進だよ、羞恥プレイなんですけど普通に。
死にたくなるほど恥ずかしい格好で教会内を散歩すること数分。
広大な敷地をほぼマッパの状態で歩き自尊心がゴリゴリに削られた末に通されたのは、水浴びをさせられた間よりも若干狭い部屋だった。
部屋には高い位置にしか窓がなく、至る所に分娩台みたいな物が配置されてる。
てか、俺と同じように濡れた薄布を身にまとってるだけの女性も複数人いる。
……いや、てかあれ普通に分娩台だな。腹が膨れてる女の人とか居るんですけど。
「うわぁ……」
うーわ。まじかまじか、赤ちゃん作らされる上にここで産まされるの? もう産ませること前提のシステムが出来上がってるんだ……?
もしかして、棄教出来ないように産んだ子を人質にしてるとか? もしそうだとしたら最高にイカれてんな???
……腹が膨れてる妊婦っぽい人はまだわかるが、それ以外の普通の女の人達は何をされてるのだろう? そうする必要が無いのに分娩台に寝かされ、修道女さんに股をまさぐられてる。中を確認されてる……?
「あのー……ち、ちなみに今からやることって何なのか訊ねても……?」
「聖選です」
「単語だけ言われても分からないです!」
「セーレは異端審問官を希望してミルティア教に入信したのですよね?」
「は、はい。一応……」
「異端審問官は他の信徒と違い、特に過酷な四つの試練を乗り越えて始めて選定の資格を得られるのです。これから行うのはその試験の前段階、下見ですね。セーレが今までどのような生活を送ってきたか、どの試練を受けるかを判別する為の儀式を行うのです」
儀式! また儀式! 多いな儀式! 洗礼をしてはい入信じゃないんだ! てか洗礼って、なんか洗礼名的なのを貰うやつじゃないの!? 知ってる知識と違うかも!
「ちなみに四つの試練とは具体的に……?」
「異端審問官は神罰の代行を担う存在なので天使の末席に類する役職なのです。その為、天使の最上位である四大天使に因んだ苦難を乗り越え、魔に対抗する強靭な肉体と精神を培う必要があります」
うん試験の内容を聞いたんだけどな。ちょっと質問の意図と答えが噛み合ってないかも。何故それをするのかについては訊いてないんだよね。
「試練は、恐怖を知り冷静に戦う強さを示す火依の試練。迷いを断ち自分の心と向き合う土依の試練。飢えに耐え分け合う心を培う木依の試練。痛みを知りその先にある喜びを慈しむ水依の試練の四つになります」
うーーーーん。抽象的だなぁ。
なんか精神論的な説明しか無かったなー今の説明だと。もっと具体的に、事実ベースで何をやるのか語ってほしいんだけどな。
「ではセーレ。早速ですがこちらの台に仰向けで寝そべってください」
「……何をやるのか訊ねても?」
「試練の下見と言ったはずですが」
「言われましたけども。具体的な内容を聞かされてないので」
「全員が全員四つの試練全てを受けるわけではないのです。要は苦難を乗り越えた実績が必要なだけですからね。その確認を行うのですよ」
だーかーらー! それじゃ分からないと言っておろうがー!?
なんではぐらかすの!? 怪しい事しようとしてる!? もうなんか怖いよーミルティア教怖いよ〜!!!
「ちょ、ちょっと!?」
げげっ。言われる通り台に寝てみたら両手両足をベルトで拘束されてしまった。その上、目の位置に布を巻かれて視界を妨げられた!
「あのあのあの、わ、私見ての通り子供なのであんまり乱暴なこおがっ!?」
「多少の痛みを伴いますので、しばしの間我慢してくださいね」
「むぅぐううぅぅっ!?(痛みいいぃぃ!!?)」
口に猿轡? 口枷? 的なものまで付けられていよいよ身動きが完全に取れなくなった。
背中にゾワゾワとした悪寒が走る。予感や想像だけじゃない、明確な"実体験"としての恐怖が俺の肉体を支配し全身が震え始める。
俺にはなんのこっちゃよく分からないが、俺の肉体はこの状況に極度の恐怖を覚えていた。一気に汗が出てきて背中を伝っていく。心臓がバクバク鳴って胃が気持ち悪くなってくる。
ここまで強烈な"肉体の記憶"を呼び起こされたことなんて今まで無かった。思い出せない時間軸で何かがあったのは明白。でも何があったんだ? 尋常じゃない怯え方してるぞ……?
「ん゛っ!?」
服を脱がされたと思ったら、いきなり腕にチクッとした鋭い痛みが走った。注射か? 大袈裟に痛いわけではないのだが、何かしら妙な事をされてるのは明らかなので不安が募る。
「ふっ?」
修道女さんの手が腹に触れる感触がした。さらにもう一箇所、肘に触れられる。
手の数が増える。
……ゴツゴツと、明らかに女のものでは無い手が俺の右太ももに触れる。その瞬間に勝手に体が恐怖に屈し、尿道が弛緩した。
「ん゛っ!? んぅっ、うぅっ……!」
「失禁してしまいましたか。大丈夫ですよセーレ、これはあくまで試練の為の下見なのです。あなたは異端審問官になるのでしょう? でしたらこの程度、乗り越えなくては」
「ん、んぐっ!? んぅーっ!?」
また手が増える。またゴツゴツした手だ。それは俺の内ももに触れている。
また手が増える。内ももの、さらに上側。俺は咄嗟に足を閉めようとしたが拘束されているため上手くいかない。腰を捻ろうにも可動域に限度がある。
「んぐっ!?」
今度は女の手が俺の股に触れた。ゾワゾワした感覚が背骨に走り、背筋が緊張して変に力が入った。
「あら。極度の恐怖でむしろ興奮したのでしょうか? ふふっ、若々しいですね。しかし、大した皮膚感覚と集中力です」
「ん、ぐ……っ?」
「言ったでしょう? これは試練の下見なのです。今すぐに試練が始まるわけではない。先程、セーレの胸に注射したのは魔力循環を僅かに滞らせる薬品です」
いつの間にか俺の体に触れていた手の感触は消えていて、股に触れていた感触も素手から布に変化していた。……どうやら粗相を拭いてくれてるみたいだ。恥ずかしすぎる。
「魔力循環を滞らせる事で皮膚感覚を鈍らせ、集中が切れると触られた事に気付かなくなってしまう。セーレは触られた全ての手に対し反応を示していましたね。並外れた皮膚感覚、或いは集中力です」
褒められちった。
触るだけの儀式だったのか。なら別に問題な……あるわ。あるよ。
後から内ももに触ってきたやつ、小指の先をちょっとだけ入れてきただろ。終わってる奴は一人確実に居たよ? なんで誰もそれに気付かない???
「ちなみに、私以外の手の持ち主は全て人真似と呼ばれるゴーレムで人ではありません。人真似は他者の負の感情を読み取り、対象者がその時されたくないと思っていた行動を取るという意地の悪い性質を持っています。その身を穢されたくないと強く思ったセーレの思いに反応し、下半身を重点的に触っていたようですね」
そ、そうなのか。ゴーレム……? 相手が人間じゃないのなら、まあ、無問題ではあるか。
「恐怖心を抱きながらも注意深く状況を把握出来ていた。火依の試験は必要なさそうですね」
おっ。なにやら今のやり取りで試験を一つ免除される事になったらしい。ラッキーではあるのか? 試験内容がなんなのか分からないから上手く喜べないが。
「…………ふっ!?」
ん!? なんか、冷たい感触が尻の穴に……?
「骨盤が開いている事と、よくよく観察してみれば下腹部に線が入っているのも確認出来たので水依の試練も必要ないでしょう。肋が浮く程の痩せ型体型なのを見るに木依の試験も必要なさそうには思えますが、念には念です」
「むぐうううぅぅぅっ!?」
「一度胃の中身を空にし、魔力を吸収するスライム液を注入します。それをお腹に入れた状態で一日食事を取らずに生活し、翌日の様子を見て判断しましょう」
何を言ってる!? 何を言っているのかな!?
腹の中身を空にする!? 浣腸だよねこれ! ここで出すの!? トイレではなく!? いや場所云々以前になんでそんな事をしなければならない!!?!?
ぐおぉ痛ええぇぇっ!? 何させられるんだコレェ!? 気合い出せ、気合い出せ肛門括約筋!! ぐおおぉぉぉっ!!!
「はい、よく我慢できました。もう出しても大丈夫ですよ」
「ゔぅぅーーーっ!!! ゔぅゔううううぅぅっ!!?」
「あらあら、そんなに頭を振っちゃって。恥ずかしいのですか? 大丈夫です、皆通る道ですよ」
「ぐ、ゔううぅぅぅっ!!!」
「無理は禁物です、肩が震えていますよ? ほら、桶は用意したのでお出しください。不浄な物はここで全部出してしまいましょう。ね、セーレ」
優しく腹を撫でられる。外部へ出ようとする腹の中身を必死に押さえ込んでいるのに、グッと手で押し付けられた瞬間にこっちの意思を無視して少し出てしまった。
「ぶふぅううぅぅぅっ!!?」
「偉い偉い。全部出せましたね。ふふ、悪くない脱力感でしょう? 処理してくるので少々お待ちください」
……。終わった。人間が尊厳をギリギリ保てるラインをぶち壊されてしまった。目隠し越しに涙が出てきた。あぁ、もう。死にたい。死んでしまいたい。
遠くの方では赤ちゃんの産声と、今まさに全力を尽くして新たな生命を産もうと力む懸命な女性の悲鳴が聴こえる。
ここは地獄かなにかかな?
教会なんだよね、ここ。組織内の人らが乱交してるし、赤ちゃん産まされてるし、何も知らないまま強制排泄させられるし。
この世に存在していい組織なのかな。ハードめの同人誌じゃなきゃ存在できない組織だよね絶対。
「試練や教会での仕事を終えたらこちらでお休み下さい。セーレの過ごす私室です」
「は、はあ。……あの、ベッドが二つあるのは……?」
「異端審問官の試験は時期が限られていますので、どうしても希望者の数と部屋数が合わないのです。一人同居者がいる形にはなりますが、問題はありませんね?」
「……まあ。大丈夫です」
肉体的に同性ならな? 肉体的に異性だったら後日改めて文句を言いに行くけども、二人部屋のルームシェアなら別に我慢出来ないこともない。
「えっと。ちなみになんですけどさっき突っ込まれたスライム浣腸液とやらは、いつまで腹に入れとかなきゃいけないんですか……?」
「翌日出してもらいます。長期に渡り体内に貯めていたらそもそも食事ができませんし、魔力が枯渇して衰弱死してしまいますからね」
「……失礼だったら申し訳ないんですけど、なんでこんな異常性癖みたいなプレイを強要されてるんですか。スライムを腹の中にぶち込まなきゃいけない理由を知りたいです」
「木依の試練は平たく言うと如何に飢餓感に耐えられるか、飢えた状態で限られた食事のみ与えられて正気を保てるかを見る試練なので」
「セルフ飢饉プレイ……」
「また、魔力を吸って固形化したスライム液は魔法薬や魔術の良い素材になりますので。ミルティア教の資金源にもなりますしそういった意味でも貢献出来ますよ!」
人の腸にぶち込んでた物質を薬にするって言ってんのか? 引くほどキモいな、絶対魔法薬なんて口にしないわ今後。
倒錯的なド変態が考えたとしか思えないプレイを終えた後、ミルティア教の聖書、魔獣学とかいう学問の本、大陸の歴史を記した大辞典みたいな分厚い本を三冊、数学の教科書みたいな物を二冊、その他諸々の本をドッサリ貰って夜中になるまでミッチリお勉強をさせられてしまった。
ピックスさん、一年あれば異端審問官としてある程度の自由を得られるって言ってたよな?
押し付けられた本を全部把握するのに一年で足りるとは思えないけど? 読破するだけで数年かかるでしょ、どんだけ過大評価してるんだ俺の事。
「明後日から信徒としての活動が本格的に始まると。朝一番の祈りをしてから長い座学をして、また黙って祈りを捧げる時間を設けられて、座学して何故か戦闘訓練をさせられて、上の人から言われた労働をしてまた勉強して、訓練して……」
一日のスケジュールを思い出しながらメモ帳に書いていたら気が滅入ってきた。時間管理がキツキツすぎる、自由時間がまるでないじゃないか。
これ、まんまブラック企業だな。でも睡眠時間はちゃんと6時間は確保出来てんのか。人間として活動できるギリギリを攻めてるんだな……。
「試験を二つ免除してもらったからその分も勉強の時間に割かれてるって感じか。戦闘訓練は……異端審問官が戦闘職を担ってるからって理屈なんだな。ふーむ、ここまでハードスケジュールを組まれたら流石に合間に挟まる食事に栄養価を期待したい所だな。淡白な食事しか取れなかったら三日経たずにダウンするぞこんなの」
「うぅ……なんなのよぉ……」
「おっ?」
就寝前に色々と情報を整理していたら、聖ルドリカ堂唯一のプライベート空間であるはずのこの部屋の扉が開き人が入ってきた。
ピックスさんと同い年くらい、16歳から18歳くらいの歳に見える少女が腹を擦りながら歩いてくる。
そういえば、顔合わせは最後までなかったが一応同居者が居るんだったな。この子が俺のルームシェア相手なのだろうか。
「うわっ。なんか人いるし……」
相手は俺の姿を見るなり訝しげな目を向けてきた。
オレンジに近い茶髪とそばかすが特徴的な、気の強そうな目をした少女だ。
彼女は俺が着ているうっすい布地のネグリジェ姿ではなく、白い修道服を身に付けていた。先輩っぽいな、挨拶しとくか。
「あ、えっと。この度ここで暮らすよう言われました、セーレって言います。よろしくです〜」
「……あ、そういえばあのおばさん、同居人がいるとか言ってたっけ。今日一日散々な目に遭ったから会う機会がなかったんだ」
「? 今日一日って、そちらも今日来たばっかなんです?」
「うん。異端審問官? の素質があるからとか言われて、うち貧乏だから……えっと、あたしはミルスって言います。……てか子供?」
む。初対面で早速俺の容姿に疑問を抱いたか。そりゃ、10歳の子供があんな拷問じみた事をさせられてるとか考えられないもんね。
「うわっ。何この斧……?」
「あ、それは私の私物です」
「あなたの? ……本物?」
「本物ですよ。刃に触ったら手が切れちゃうので気をつけてくださいね」
「へぇ……?」
半信半疑な反応をしつつもミルスさんがこちらに近付き俺がペンを走らせていた紙面に目を落とした。
「ちゃんとメモしてるんだ。……あなたも散々な目に遭ったんでしょ? 帰りたいとは思わないの?」
「思ったんですか? ミルスさんは」
「そりゃね! 変な注射されるし魔力とかよく分からないことずっと説明されても意味わかんないし! それにさ? 男の人にいきなりあんな事……お、おかしいでしょ! 子供を産めってなに!? 馬鹿げてるわよ!」
えっ。赤ちゃん産めって言われたの? 強姦されたの? 俺と若干境遇が違うな、俺が幼すぎるから免除になっただけなんかな?
「しかも無理やりうんちさせられるし! お腹の中に変な物入れられて明日まで我慢とか頭おかしいっての!!!」
「あー……まあ、気持ち悪いですよねこの異物感」
「本当よ!!! ずっとお腹ギュルギュル言ってるし、寝てる間に出ちゃったらどうするのよ……死にたくなるわ」
分かる〜。俺も何度も今日死にたいな〜って思ったもんな。マトモな人が同居者で良かった、少し心が軽くなったわ。
「本音を言ったらもう今日中に夜逃げしようかとも思ったけどここ、夜も巡回してる人が居るみたいだしそれは無理っぽいのよね。……てか、もう中に出されちゃったし多分妊娠しちゃうし。はぁ、本当最悪! こんな事なら家に残って牛の世話を続けてればよかった……」
牛の世話。酪農家の娘さんですか。そばかすの先入観で牧歌的な生活を送ってきたんだろうなってイメージが付いちゃうな。
「田舎の村娘が怪しげな宗教に入り歳の離れた男に蹂躙されてしまう……すっげ、ガチエロ漫画じゃん!」
「はい?」
「なんでもないです。しっかし渡された本の量ヤバくないです? 今日された事も中々ですけど、純粋にこの量を読破しろってのもアホですよマジで」
「本? げ、何その量!?」
「あれ。ミルスさんは渡されてないんです?」
「あたしは文字の読み書きが出来ないからまずはそこからって言われたわ」
「ふむ?」
「簡単な文章なら読めるんだけど、文法とか単語とかよく知らないのよね。あなたは歳の割に文字が読めるんだ、名家の出身?」
「いや。身寄り無しの根無し草ですよ。人権を求めてここに来た所存です!」
「……家族は居ないの?」
「はい」
「なのに文字を読めるの……?」
む。またしても怪訝な目を向けられた。
まあ、保護者がいないのに識字能力があるのは確かに矛盾してるか。ミルスさんからしたら得体の知れない存在になってるのかもしれないな、俺。
「……ま、こんな所に来るくらいだから何か事情があるんでしょうね。勘当された貴族の娘とか、どうせそんな所でしょ」
「うん悪役令嬢とかでは無いから。てか10歳そこらの子供を勘当する貴族とか品位を疑われるでしょ」
「10歳なんだ。まだ一桁なのかと思ってた」
「そこまでガキの見た目ではない!?」
「痩せてるし背が低いし、片目の色が違うのはそういう病気でしょ? 体が弱いのを考えたらもっと子供だと思ってもおかしくないでしょ」
病気じゃなくて素でこの眼球なんだけどな。
オッドアイって概念はこの世界じゃ珍しいのか? 漫画やアニメがなけりゃ珍しいか、そりゃそうだわな。
「でも、試練とやらを乗り越える為には妊娠出産を経験しなきゃいけないのよね? あなた、妊娠なんて出来るの? まだ生理が来てるようには思えないんだけど」
「来てますけど」
「え〜? 下の毛も生えてなさそうなのに」
「……」
セクハラオヤジか。なんだいきなり、初対面の相手の陰毛の有無なんて普通気にしないだろ。
そんな事言うなら俺もセクハラ発言するぞ? 牛を育ててる甲斐あって牛みたいな乳してますね〜、搾ってもいいですか? みたいなこと言うぞ。キモイなそれは流石に。
「はあ。まあなんでもいいけど、とにかく今後よろしく。……大変だね、そんな歳で子持ちにならなきゃいけないだなんて。同情するよ」
「あ、はは。どうも」
誠に申し訳ないのだが、そこの一線は越えてこなかったので少なくとも教会の人の子を孕む事は現状ないっすね。
……少し前にヤッちゃったピックスさんの子供を孕む可能性はまだあるけども。どのみちか、地獄だな。
ミルスさんが修道服を脱ぎ、俺と同じネグリジェ姿になってベッドに先に入る。もう消灯時間はとっくに過ぎてるし、そろそろ俺も復習を辞めにして寝に入ろうか。
蝋燭の火を消し、ミルスさんに「おやすみなさい」とだけ伝えてベッドに潜る。短くおやすみと返したミルスさんは、寝返りを打ち壁の方を向いた後小さくため息をこぼしていた。
気持ちは分かる。さっさとこんな所から抜け出して元いた場所に帰りたいよな。俺も同じ気持ちだよ。
上手い話には裏があるって本当だったんだな。無事にピックスさんの元へ戻れるだろうか。それだけしか頭に残らないや……。




