33話『迷いました』
「全部丸く収まる流れだったやん。ピックスさんはゾンビなりました、スライムは好き勝手に闊歩できるようになりました。はい街に帰ろう、そういう流れだったやん。なんで迷子になってんの俺ら」
えるだーすらいむ? のぷるみちゃんを抱き抱えたままラトナ水没林を歩き一時間経過した。
行けども行けども知ってる道に着かないしピックスさんも何も言わないので指摘すると、ピックスさんは首を傾げて答えた。
「うーむ。記憶だとこの道順であっているんだけどおかしいな。もしかしたら僕ら、気付かぬ所で転移術式を踏んでしまったのかもしれない」
「転移術式? こりゃまた便利そうな単語が出てきたな」
「便利だねぇ。大抵こういう魔獣が多く出る郊外には人里に近付く為の転移術式が敷かれているものなんだ」
「それがなんで迷子を誘発してるわけ」
「単純な話。人里に近付くために設置された術式なのだから裏を返せば、人里側から踏むと遠方に飛ばされてしまうというだけの話だよ」
「言い方がややこしいが。空間スキップ出来る魔法の出口側に足を突っ込んじゃったから入口側に逆戻りしちゃったって話か?」
「そうだね」
「なーんで誰もその魔法の存在に気付かないんだよ、少なくともあんたは経験者なんだろ。気付けよ」
「それなんだけど、なーんかいつもより視界が見えづらいというか。夜目が効かないんだよな」
「あー……俺と同じ性質の瞳になってるから視力が低下してるのかもな。俺も暗い所はあまり見えないし」
「目が悪いの?」
「みたいだな。てかあんたメガネどうしたよ、本来の用途で使いなさいよ」
「あれは度が入ってない伊達眼鏡だし、ピュアスライムとの戦闘で割れてしまってね。今手元にないんだ」
「はーん。……にしても全く気付かずに魔法が掛けられてる空間に紛れ込んじゃうことなんてあるのか?」
「ふむ……」
俺の問い掛けを受け、難しそうな顔をしてピックスさんが考え込む。術式とやらに飛び込んでおきながらそれに気付けないってのはやはり正常では無いらしい。
「……もしかしたら、僕らが魔獣になってしまったからそれらに気付けなかったのかもしれない」
「魔獣になったから? 関係あんの?」
「あるとも。賢聖ウルが作り出した魔術は全て人類が魔獣に対抗する為に作られたものだ。空間に作用する術式の大元は罠や緊急回避用の技術だからね、その発動を魔獣に感知出来ないよう工夫が凝らしてある」
「だから屍人であるあんたには感知出来なかった。ぷるみちゃんも同様って話か」
『プル?』
俺に名前を呼ばれたと勘違いしたのか、腕の中でくたりと楽な姿勢になっていたぷるみちゃんが体を持ち上げて反応する。なんでもないよーと言いながらぷるみちゃんの頭と思しき所を撫でる。可愛い。
「俺も魔獣カウントされてんのかな」
「いや。セーレが何も感じなかったのは恐らくぷるみちゃんと密に接触してるからだと思うよ。魔術が生み出された当初は使役術師は人類に恐れられてたからね。魔獣と心を通わせるのは人に有らず、魔人に相違ない。そんな言葉もあるくらいだ」
「そうなんだ? 魔獣を従えるのって違法なの?」
「いや。今は時代も変わって馬車の代わりに魔獣を使役する事も多いからね。そういう考えは風化してるに等しい。転移術式は複雑な作りになってるし、世界各地に設置されてるから一々時代に合わせて作り替える事が出来ないんだよ」
ほーん。新しい道路を作ってもそっちしか使われなくなっても古い道路を放置しとくみたいな話だろうか。魔法も万能じゃないんだな。
「なんでもいいけどそんじゃ今日は野宿か。嫌だなぁ、湿地帯から出たはいいけど相変わらずの森、森、森。イノシシとかクマに遭遇しそうでゆっくり休めないな」
「獣除けのインスタは持ってきてるからそこら辺は心配無用だよ」
「ん? なに? インスタ? この世界で聞くことなんて無かったであろう単語が聴こえたんだけど」
「簡易術式発動用紙片、略して簡易紙片。習ってない魔術も魔力を流すことで発動できる便利な道具さ」
そう言ってピックスさんがただの紙切れにしか見えないものを取り出し見せてくれた。
羊皮紙に魔法陣が描かれてる。これに魔力を流して発動するの? ピンと来ないんだけど。
「そういうの、アニメとかだとスクロールって呼んだりするんだけどな。インスタなんだ、なんか世界観壊れるわぁ」
「正規術式紙片は立派な魔道具だからね。繰り返し使える利点は強いけど値が張るんだ。管理をちゃんとしないと無駄金になるし、戦場に身を置いたり冒険者をやるような魔術使い以外はあまり使わないんじゃないかな」
あるにはあるのか。魔道具ねぇ。
「魔道具っつーとこの斧と似たような物なんだ。これも結構高値で売れたりするのかな?」
初期装備として肌身離さず持ち歩いている雷を発する斧を指してピックスさんに問う。
「高値で売れるだろうね、落雷を起こす魔道具なんて最上級レベルの逸品だよ」
「まじ!? 激アツじゃん! お金持ちコース来たァ!!」
「だが、重量が人に扱える代物では無いからな。君の怪力を以てようやく振り回せる代物だろ? 買い手が付くかなぁ」
「手軽に取り扱える魔道具じゃないと売るのは厳しいの?」
「そりゃね。魔道具の買い取りをやっている業者は各地を転々とする行商人が殆どだ。重い荷物や嵩張る荷物は好んで買い取らないだろう」
「そっかぁ」
「というか、ずっと気になってたけどその斧は一体なんなんだい? 生み出す魔力量、発動する術式、重量、どれをとっても異質な代物にしか思えないのだけれど」
「知らん」
「え?」
「詳しい事は知らない。気付いたら俺の傍にあった。だから使ってるだけだし」
素直に言う。実際、これが一体何なのかとか何故俺の頭上に落ちてきたのかとか一切謎だからな。どこで作られたのかも分からない謎に包まれた武器だ。
でも確かに、人間が扱うにしては巨大すぎるよな。刃の部分は俺の全身よりデカイし、柄も長いし、成人男性が振るえるとも思えない。
人間が扱うというより物語に出てくる巨体のモンスターが使いそうな感じがする。ミノタウロスとか持ってそう。ミノタウロスってギリシャ神話の怪物で固有名詞だから、絶対この世界には存在してないだろうけどね。
「正体不明の戦斧。これにもなにか名前つけたいな。何がいいんだろ」
「その斧気に入ってるんだね」
「そりゃね。これのおかげで魔力に制約がかかってる俺でも何とか戦える場面が増えたんだし。これが無かったら俺、スライムにリスキルされまくってぽっくり死んじゃってたぜ」
『プ、プルッ』
「違う違う、ぷるみちゃんじゃなくて別のスライムの話な」
「属性攻撃出来ないとピュアスライムは強敵だからね、駆け出しの冒険者の多くはスライムの中で溺れ死ぬことが多い。無理からぬ話さ」
「やっぱそうよな!? 俺が特別雑魚ってわけでもないよな。良かった〜、自己肯定感保たれましたわ」
「ライターがあれば撃退出来るんだけどね」
「おい。急にハシゴ外して雑魚っぽい情報を付け加えないでね。火が怖いのはどの生き物も同じですから」
「あははっ、そうだねぇ」
軽く笑って流される。余裕すぎるだろ、何だこの人。今自分らが広大な森の中で迷子になっている状況を理解してるのだろうか? 呑気すぎるぞ。
ぐぐぅ〜。歩いていたら腹の虫が鳴いた。やっぱしこの肉体コスパ悪いな、ちょっと時間が経つと腹が減りやがる。別に太ってる訳でもないのに、なんでこんなに腹減りのペースが早いのかね。
「お腹空いた? そろそろ休憩にするかい?」
「そうしてくれると助かる。けどまだまだこの森は抜け出せないだろ、モンスターに出くわしてないうちに進んだ方がいいんじゃないのか?」
「冒険に焦りは禁物だよ。いつどこで極限状態を強いられるか分からない、常に万全を期するべきだ。空腹を感じたらすぐに食事をする、負傷したら足を止め応急処置をする、眠気を感じたら眠る、それが冒険の鉄則さ」
「それに則ったら雪山で遭難した時秒で死んじゃいそうですね」
「場所によりけりだよ。ここら辺は草が乾燥しているし休むには丁度いい。糞の臭いもしないし、この水も綺麗なんじゃないかな。ここで休もう」
「水場がすぐ近くにあるのにここで休むの??? 他の動物寄ってこない?」
「獣除けはあると言っただろ? 水の確保は最優先事項だよ、最低限人が水を飲まず生きられるのは三日が精々と言うからね」
「はあ。確かに水が重要なのは分かるけど、その荷物量じゃ鍋なんて持ってないでしょ。嫌ですよ俺、川の水をそのまま飲むのは」
「お兄さんはこういうのに慣れてるんだ。任せなさい」
お兄さんて。ピックスさんまだ10代だろ。10代後半くらいだろ。全然俺の方が歳上なんだけど、子供扱いやめてくんないかないい加減。
と、そんな事を考えながら木の幹にもたれかかって座っていたら一度俺らの元から離れたピックスさんが何かを持って戻ってきた。……え。
「あんたそれ。何持ってるんですか」
「? 何って、頭蓋骨だけど」
「どーーーうして? どこの誰の頭蓋骨を持ってきた?」
「それは知らない、随分前にここで野垂れ死んだ冒険者だろうね。完全に白骨化していたから頭蓋骨を拝借させてもらった」
「そこが分からない。なんで頭蓋骨を拝借した?」
「なんでって。煮沸するのに鍋が必要だろう」
「うん」
「だから」
「だから!? え、え、人の頭蓋骨を鍋代わりにして煮沸するんすか!?」
「うん」
「うん!?」
えーーーっ!!? 平然とした態度で何を言っているんだこの人!? 人の頭蓋骨を鍋代わりにする!? あるかなぁそんな発想! 冒険者ってそこまで限界な生き方してるの!? ちょっと真似出来ないかも!!!
「何をそんな驚いているんだい?」
「なんで驚かないと思った? 普通の人間はね、人の死体を見ただけでビビり散らすものなんですよ。なのに平然と人の頭蓋骨を持ってきて『鍋にするよ』なんて言われたらそんなん、度肝抜かすに決まってるでしょ!」
「君だって死者を蘇生してるじゃないか」
「そうなんだけども! それとこれとは繋がるかな!? アレクトラ的にもその行為はドン引きに値する行為なんですけど!?」
「ふむ? よく分からないが、丁度椀の形になってるし都合良くないかい? ほら、水もこの通り」
ピックスさんは離れた水場で頭蓋骨を洗った後、近くの水場の水を汲んで見せつけてきた。
いや、眼窩の穴から水が零れてますが。頭のギザギザからも水が漏れてるし、鍋代わりとして最適とは言えなくないですか。
「水漏れは撥水性の高い葉を敷く事でなんとかなるさ。次に必要なのはやはり雨避けだね」
手馴れた動きでピックスさんは折れた枝を集めて骨組みを作り葉を被せ苔を被せてちょっとした屋根を作りあげてしまった。動画で見るような作業をこんな短時間で済ませられることなんてあるんだ。サバイバーなんだな、この人。
「これで雨が降ってきても大丈夫。セーレ、このバケツに水を汲んでくれ。火を起こすよ」
「バケツというか頭骨というか。火を起こすって、そんな技術まであるのかよあんた」
「着火」
ピックスさんは集めた枯れ木や枯れ草の上に羊皮紙、簡易紙片を置くと単語を唱えてその紙を発火させた。
あぁ、そんな手軽に使えるんだそれ。イグニッションて、ちょっとした火を出す魔法なのに名前かっこいいな。
「これでよし」
火の上に頭蓋骨バケツを置き水の準備は整った。屋根もあるし今夜は安全に過ごせるとピックスさんは言う。スライムは人間以上に雑食の生物らしく、離しておけば勝手に食事を済ませて帰ってくるとのこと。
ぷるみちゃんは姿を消してから程なくして僅かに太りながら帰ってきた。どうやら腹いっぱい何かを食べてきたらしい。怖いので何を食べたのかは聞かないでおく。
「さて。次は食事だね」
「食料なんかあるのか? ピックスさんの荷物かなり少なそうだし、来た道中で食べられそうな獣とかもいなかったろ」
「何を言うセーレ。近くには川があるじゃないか」
「ありますね。まさか魚を獲るの? 手掴みで? それは流石にチャレンジャー過ぎない?」
「手掴みで獲るなんて言ってないでしょ」
言いながらピックスさんは川の近くまで行くと、またしても羊皮紙を取りだしてそれを川の中にポチャンと落とした。紙なのに水に濡れても使えるの? 便利すぎるだろ、簡易紙片。
「放電」
バチバチバチ! と川の水が発光し凄まじい音を鳴らした。今度は雷系の魔法ですか、本当になんでもありだな。
発光が収まると無数の魚が水面に浮かんできた。これ、生態系に多大なダメージ与えてないか? ここら一帯の川魚を殲滅してないか? あまり良くないことをしてるようにしか思えないんだけど。
「派手にやりすぎでしょ。食い物があるのは嬉しいけども」
「この魚型の魔獣は泡魚と言ってね。外敵から身を守る為に基本的には肉体を泡にして流体に溶け込んでるんだ。泡状態の泡魚は水の魔法や魔術を使わない限り一切傷つけることは出来ない。だから全滅の心配はないよ」
「本当かな。軽く魚群レベルの数獲れてますけど」
「スライムと同じで単体で個体数を増やす魔獣だからね。そもそもの母数が多いんだ。泡化していない泡魚は群れに加わる事が出来ず孤独に死んでいくだけの個体。食べても問題は無い」
うんそれをピックスさんが言うのはエグいわ。群れから仲間外れにされてるって、それまんま瞳のせいで差別されてたピックスさんにも同じ事言えるじゃんね。自然界って残酷だなぁ。
「来る途中摘んでおいた木の実や香草もある。それなりに豪華な食事が出来るよ、空腹具合はどんな感じかな?」
「ぐうのぺこですね。ぶっちゃけ言うと一歩も動きたくないレベル」
「それは好都合! 折角獲れた食材を無駄にしないのは良い事だ。スープ、串焼き、この石をフライパン代わりにして焼き魚も用意しよう! セーレは座ってていいからね!」
「わーい」
俺も料理は作れるんだけどね。だが折角の親切だ、受け取っておこう。
しかしやけにノリノリなのが気になる。何か嬉しい事でもあったのかな。布一枚のロリに興奮してるのだろうか、だとしたら怖すぎる。
ぷるみちゃんを足の上に乗せて撫でながら飯の完成を待っていたら最初にピックスさんが言っていたフルコースメニューが一気にドドンと目の前に出された。サバイバルしてるってのに品数が多すぎる。
何だこの才能、拠点作りのスキルといいあまりにも冒険者に向きすぎてるだろ。天職だろ、普通に。
「ささっ、出来たよセーレ! 苦味や臭みを抑える処理もちゃんとしてある、召し上がれ!」
「なんか、あれっすね」
「なんだい?」
「ソロプレイヤーをやれてた事に納得いったというか。多分俺なら早々に野垂れ死んでると思うんすけど、ピックスさんがいるだけでそんな気が全く起きなくなりましたわ。ちょっと頼もしすぎる、他の冒険者もこんな感じなんですか?」
「どうだろう? 一人で冒険者を続けてるのなんて僕ぐらいだからね、こういった作業に手馴れてるのはその恩恵と言ってもいいからここまで一人で出来る人間はあまりいないんじゃないかな」
「ですよね。当たり人材手に入れたな〜、余裕すぎると逆にモチベが上がらなくなりますわ。何だ、こんなもんなのかってなります。はぐ、もぐもぐ」
「その代わり戦闘はからっきしだけどね」
「? ん、ん……っ。ふぅ。戦闘は得意じゃないんですか? ピュアスライムとやらはあっさり討伐できるんでしょ?」
「対策を知ってる魔獣相手なら苦戦はしないけど、三体以上を同時に相手しろと言われたら厳しいよ。盗賊は本来戦闘職なんだけどね、そこら辺の才能は僕にはなかったみたいで」
「戦闘職なの? 盗賊なのに?」
「状態異常を駆使して前線のサポートする中衛だからね。本来なら戦況を見る洞察力と戦場を駆ける敏捷性を伴わなければならない。でも僕の足はそこまで早くないし、今となっては目も……」
あ、そっか。瞳が変質したせいで夜目が効かなくなって視力自体が低下してるんだもんな。
俺の傀儡になったことで本来の持ち味を殺しちゃった形になるのか。うーむ、責任の一端を感じる。
「セーレが責任を感じる必要は無いよ。これは僕が頼んだ事だ。ぷるみちゃんを助ける、その願いを叶えてもらえただけで君には感謝してもし足りないくらいなんだからさ」
『プルッ、プルッ』
ピックスさんがぷるみちゃんの名を口にすると俺の元から離れたぷるみちゃんが彼の足の上にジャンプする。
またしても体色をピンク色に変えながら触手でピックスさんをぺたぺたと触っている。完全にベタ惚れされてんな。
当人達がそれでいいならいいんだけどさ。やっぱり人をゾンビ奴隷にしたって事実には思う所がある。他人の自由を縛っている自覚とも言うべきか。
ピックスさんは今でこそ不満を感じている素振りは無いが、いつかは絶対に不満が爆発する日が来るからなぁ。
今日一緒に行動して分かった、この人は本当の意味で自分一人の力で生きていける人なんだ。そんな立派な人間を縛ってしまったことに後ろめたさを抱く。
「……嫌な事とか、気に食わない事があったらすぐ言ってくださいね。出来る限り改善するんで」
「急に何の話かな?」
「待遇の件ですよ。俺はピックスさんみたいに多彩なわけじゃないし、頭が悪いからきっと愚かな判断を下す事が多いです」
前世の人生が正しく駄目人間の見本みたいなもんだったからな。
「俺一人が堕落するのは仕方ないとしても、今はピックスさんと切っても切れない縁が繋がっちまった。俺の堕落はピックスさんの堕落に繋がる。なんで、俺の判断が間違ってると感じたらすぐに言ってください」
「ずっと暗い顔してたのはそういう事情か。そこまで重く考えることでもないんじゃないか?」
「重く考えますよ。……俺、まじで救えないタイプの人間なんで。ピックスさんみたいな運命共同体が現れない限りは嫌な事から逃げ続けるタチなんです。面倒くさい、気が乗らない、やり方が分からない、興味が湧かない、そんなアホみたいな理由で努力を投げ出す大馬鹿者なんすよ。だから……」
「セーレ」
「?」
俯いていたら名前を呼びかけられた。正面を向くとピックスさんが魚の串焼きを俺の方に差し出してるのが見えた。
串焼きを受け取り魚の頭にかぶりつく。美味い。丁度いい焼き加減だ。
これらの食糧も彼が一人で準備したんだもんな。惚れ惚れする手捌きだった。自分一人しかいなかったら絶対にこんな豪勢な食事にはありつけなかったと感じて劣等感に苛まれる。
「美味しい?」
「……美味しいです。めちゃくちゃ」
「良かった。僕もまたこんな美味しい食べ物にありつけた事に心から感謝してる。ありがとう、セーレ」
「は? いや、何言ってる? 全部用意したのはピックスさんでしょ」
「君が僕に再び生きる機会を与えてくれたから、ね、感謝くらいさせてくれよ」
「いらんすよ。別に、俺じゃなくてもこんなの」
「いや、君じゃなかったらきっとこんなにのんびり過ごすことは出来なかった。他の人間に蘇生されたとしても意志なき怪物になっていたのが精々だし、こうしてぷるみちゃんを助け出せて以前よりも穏やかな気持ちで過ごせているのは間違いなく君のおかげだよ。君の優しさのおかげで今の僕がある。だからさ」
「……?」
「そんなに自分を卑下しないでくれ。君には君の良さがある、そうだろ?」
「……ほんら、えと、神話で語られてる方のアレクトラならもっと上手くやりましたよ。こんな場所で野宿せずさっさと人里についてもっと豪華な飯にありつけてた可能性だってある」
「どうかな。神話のアレクトラは悪人ではないけど感性が人間離れしてると僕は解釈してるからね。僕が思う幸福と彼女の思う幸福はきっと別物だ。神話のアレクトラに着いて行ってもきっと僕はこんな穏やかな気分になることはなかったと思うよ」
それは、どうだろうか。
アレクトラ本人の人格がどんな風なのかは俺には分からない。けれど、人喰いを肯定してる時点で俺とアレクトラは相容れない存在なのは分かる。案外、ピックスさんの言う通りなのかもしれないな。
でも、俺より上手くやれるのは事実だ。今の俺はピックスさんに何でもかんでも任せてしまっているただのお荷物に過ぎない。
アレクトラは能動的に行動するタイプ、俺は受動的な怠け者。どっちの方が優れてるかなんて一目瞭然だし、力不足だしやっぱり過去の選択は間違いだったんじゃないかとしか思えない。
「考えても無駄ではあるんすけどね。俺じゃなくてアレクトラだったのならもっと上手くやれていたんじゃないかって思うんすよ。わざわざあんたを化け物にする事も無かったんじゃないかって」
「神話のアレクトラならきっとぷるみちゃんを助けようとはしなかったさ。オーク達の事も脅すに留まらず、きっと命を奪う所までいっていた。アレクトラは邪神である前に人間贔屓が激しい人間好きの女神だからね。愛する者を愛するままに殺し、愛を向けられないものはゴミのように殺す。それが文献から読み取れるアレクトラの行動指針だからね」
「直で見たわけでもないのに知った風に語るんですね」
「そうだね、これは僕の勝手な思い込みだ。でもあの場に居たのがセーレだったから救われた命があって美味しいご飯を食べられたのも事実なんだよ。僕はセーレの他人の気持ちに寄り添おうとする所、結構好きだけどな」
「告りました? 今」
「違うね。違うからね。そういうのでは無いから」
「俺、中身は男なんで。そういう甘い囁きとか全然何も響かないっす。申し訳ない」
「違うと言ってるんだけどな。……中身が男というのは? 肉体と精神の性別が一致していない、という事なのかな」
「……そんな感じっす」
「それはまた。大変そうだね、そんな事もあるのか……」
ピックスさんが心配そうな目で俺を見る。鵜呑みにするんだな、こんな話。てっきり信じてくれないとばかり思っていた。
まあ、そうだな。大変っちゃ大変だ。異様に周りから体をジロジロ見られるし、手足が短いから少々動きづらいし、生理は来るし。
……男達の視線なぁ。なんだろう、相手の思考が読めるわけでもないのに勝手に邪な事を考えてるんじゃないかって思っちゃうんだよな。あの目付き、視線。大した用もないのに話しかけてくる輩も居るし。
日本が平和とよく聞くがそれをまさか自分が実感するとは思わなかった。異世界の時代感が元居た世界とズレていそうなのも一因としてあるのだろうが、この世界はとにかく俺のようなボロっちい子供が一人で歩き回っちゃダメな世界だ。肌感でそう確信した。
なんというか、人の見る目で見てこない輩が多すぎるんだよな。
そういった意味では、ピックスさんが俺に向ける視線には不快感が無いしむしろ体を隠すよう言ってくれるから精神的に落ち着いて会話する事が出来る。
でも俺も男だったから分かる、案外男は性欲を隠すのが得意な人種もいる。ピックスさんがもしそういう人種だったら今日のやり取りで心を許してしまっている以上襲われるのは時間の問題だろう。
……寝床と飯を用意してくれたピックスさんにこんな事をするのは忍びないが、少しカマかけしてみようかな。ピックスさんがどういう人間なのか、まだ全然分かってないしね。
「俺、本当に何も出来ないんです。だからこれからはピックスさんの世話になりっぱなしになるかもしれない。……あ、でも一つだけ。俺にも捧げられるものがあったな」
「? 捧げられるとは?」
「…………処女」
「ぶっ!?」
衝撃のあまりピックスさんが口の中身を吹き出した。ゲボゲボと咳を出す彼が落ち着くのを待って言葉を畳み掛ける。
「年齢的には成人してるし法律的に問題ない。この体で奉仕するくらいなら出来ます。もしピックスさんが望むなら子供も」
「待て待て! 何を言い出すんだ君は!?」
「……別に、誤魔化さなくてもいいんです。何度か胸とか尻を見てきた事は分かってるんで」
「そ、それは、その……」
「いいですよ、もう既に俺らは運命共同体なんですし。互いに生きる為におんぶにだっこの状態なんです、求められればなんだってします。あんたをゾンビにした責任が俺にはある。どんな事をされても文句を言わないし、ピックスさんになら」
「馬鹿〜っ!?」
外套に手をかけて脱ごうとしたらピックスさんに止められた。彼は顔を真っ赤にした状態で俺に厳しい目を向ける。
「自分の体は大切にしなさい!? 駄目だろうそんなよく分からない流れで男に体を許すのは!」
「……ふむ、表向きの対応としては合格点。しかし勃起してるな」
「!? こ、これはっ!?」
ピックスさんは僕から飛び退くように離れて背を向ける。ふむふむ、動揺した時の反応がこれならなんら危険性は無さそうだな。
「もぐもぐ。ピックスさん」
「なんだい!? 変な事を言い出すなよ!? 僕は絶対に」
「あんた童貞?」
「ど、童貞に決まってるだろ! まだ16歳だぞ!?」
「え、そうなの。思ったより若いな」
「若いよ! 確かに君が成人してると言うのなら僕の方が歳下だけどもね!? だからといって君の体は」
「あー。今のはあんたが隠れた狼かどうかを確かめる為に言ったジョークだから真に受けないでくれ。俺だって男と性行為なんかしたくないさ。こっちの口車に乗って牙を出したらふつーに殺すつもりだった、安全性を確認したのでもう変な事は言わないよ」
「……えぇ。趣味悪いよ、それは流石に」
「でも勃ったじゃん。期待してるよな」
「違うから!? これは、その、生理現象だから!! そういうのでは無いから!!!」
エロさを感じて勃つのも生理現象なんだし言い訳になってないけどな。
ま、いいんだ。今のは完全に俺が悪かった。そりゃ性欲旺盛な16歳男子なら歳下っぽい見た目の子に欲情するのも仕方ないよな。見た目年齢的には6つぐらいしか違わないし。
「待てよ? 屍人の癖に性欲があるのか? 性欲があるって事は子孫を残せるってことだよな。ゾンビが? まじ? 興味深いぞそれは」
「えっ」
「ふーむ……射精するかだけ確認するのはアリか」
「ナシだよ!!! 食べ終えたら寝る準備をすること! 僕は獣除けの術式を張っとくから!」
「ついでにそこら辺でシコッてきてくれ。ブツだけ確認するわ」
「するかぁそんなこと!? いいからとっとと寝ろ!!!」
単に医学的興味で提案してみたのにキレ気味に断られてしまった。今日はもう何を言っても聞いてもらえなさそうだ。仕方ない、一旦諦めて入眠する事にした。




