30話『選択肢』
これ以上スライムを傷つけないでくれ。そんなふざけた事を抜かしてきたのは、スライムに殺害された当事者であるピックスさんだった。
見上げるほど巨大だったスライムは俺の捕食攻撃を受けて半分以下のサイズにまで縮小している。
肉体の損傷を吸水して回復させる様子はない。
大勢から攻撃されて余裕が無いのか、それとも吸水量に限界があるのか。何にせよ奴を始末するなら今がベストタイミングだ。
だというのに、ピックスさんは霊体の状態で俺の前に立ちはだかり通せんぼをしてくる。その目に迷いはない、だからこそ困惑してしまう。
「そこを退いてください、ピックスさん」
『それは出来ない』
「なんであの殺人スライムを庇う。あんた、自分が何してるのか分かってんのか」
『……君達は誤解している。あのスライムは、他者に危害を加えるつもりは無かったんだよ』
「はああぁぁぁ〜〜〜???」
何言ってんだコイツ? 自分だってあのスライムに殺されたんだろうが。
それ以外の人間だって、俺だって攻撃を受けたぞ? それなのにスライムに害意は無かったって? 矛盾してるだろ。
「死ぬ時に頭でも打ったんですか? それとも洗脳を受けたとか? 死後も残る洗脳か、おっそろしいな〜」
『洗脳なんかされてないよ』
「だったら自分の言った言葉を一旦咀嚼してよーく考えてみましょうや。あんたをそんなんにしたのはどこの誰だ?」
『僕の体をよく見てくれ、外傷はない。僕は決して、彼に襲われたわけじゃないんだ』
「じゃあなんで死んでんだよ。てか、ここは危険だから逃げろっつったのはあんただろ」
『危険なのは間違いないだろう! 彼は古代水王種、その場にいるだけで水質を汚染し猛毒の霧を発生させるスライムなんだ!』
「怖いなぁ。なんなら全身溶かされたしな。毒の霧はこっちが汚染し返さなかったら俺やオーク達を殺してただろうし、全部俺に都合が良かったから被害者は少数に抑えられてる。この場に居たのが俺じゃなかったらあのスライムはこの場にいる生物を皆殺しにしてただろうな」
『訳があるんだよ!』
「そうな」
軽く流してスライムの方へ向かおうと体を横にズラしたらピックスさんも体をズラして来た。子供か。
『聞いてくれ! 彼は好きでこんな事してるわけじゃないんだ!!』
「へぇ」
ピックスさんを避けてスライムの元へ向かおうとするも、ピックスさんは可動範囲の限界まで霊体を伸ばして俺の前に立ちはだかってきた。
彼は強い意志を持った目で俺を睨みつけている。
……なんなの? 何故俺がそんな目で見られなければならない? 間違っているのは俺か? 何か言いたげだな、真面目に話を聞いてみるか?
「なんなんすか。そこまで庇う理由は? 意味不明なんですけど」
『彼はあの場所から動けない! ここまで下がった時点で君はもう安全圏にいるんだよ! 戦う必要はない!』
「根拠は? あのスライムがオーク達を殲滅した後、こっちが狙われない根拠は何ですか? あのスライムは明らかに人を殺しすぎてる。ここに落ちてる死体を見ろよ。集めればちょっとした山が出来るぜ。その癖死体に肉が付いてるってことは捕食する為に殺した訳でもないってことだ。明らかに不必要な殺しをしてる。殺意の塊だ、害獣じゃねえか」
『彼に殺意はない! 攻撃されたから自衛のために攻撃しているだけなんだよ!』
「はあ? そんな理屈」
『セーレも彼らも、全員先に攻撃していただろう!?』
「……」
そうだっけ? ……そうだな。確かに、先に帯電させた斧で切りかかったのは俺だった。
でもそんなの、明らかに不穏な雰囲気が出てたしあの状態で攻撃を仕掛けない方がおかしいだろ。あんなエネミーエンカウントな雰囲気を出されたら誰だって先制攻撃するってもんだ。
「猟銃を持ってる状態で熊と遭遇したら先撃ちするに決まってるだろ。それと何が違うんだよ」
『攻撃されたら誰だって抵抗するだろ!?』
「……そりゃ、そうだけど」
『みんな誤解しているんだ! 確かに見た目は不気味だし、彼が居る影響でここら一帯は毒の瘴気に満ちている! でも、だからと言って、悪意を持っているわけでもない相手を傷つけるのは違うだろ!?』
「待て待て。アイツのせいで毒の瘴気が発生してるんだろ? 十分害悪じゃないかよそれ」
『彼にはどうにも出来ないんだよ! 彼にはここから離れる事すら出来ない!』
「どっちかは選べないだろ。あんたの言うようにあのスライムを放置してここを死地のままにするか、スライムを討伐して自然豊かな環境に戻すか。二つに一つの選択肢しかない。じゃあ普通ならどうすると思う? スライムにご退場してもらうのが普通の考え方だと思うけど?」
『そんなの……あ、あんまりだろ!』
「あんまりかなぁ。最初からあのスライムがここに居たってんならそもそも毒にやられて枯れるような植物は生えてこないだろ。明らかにアレは後からやってきた異物だ。有害な外来種を駆除するのは自然の摂理的にも当然だと思うけど」
『彼は何者かによってあの地に封印されているんだ!』
「封印?」
『そうなんだ! だからっ』
「だからと言って見逃す理由にはならない。だからなんだって言われたら、どう反論するつもりなんだよ?」
『なっ!? なんでだよ! 彼だって被害者なんだぞ!? なんでそんな残酷なことが言えるんだよ!?』
「なんでって……」
そりゃそうだろ。封印されるってことはそれだけ凶暴で強大な存在だって事だろ。
そうする必要があるからそういう処置を施されたんだ。現にアレは人を殺してるし生態系を脅かしてる、封印されるに足るバックボーンがあるのは容易に想像出来る。触らぬ神に祟りなし、だろ。
「あんたが何を言おうとアレは始末しておく。そうしないと俺は心穏やかにこの水没林を歩き回る事が出来ない。あんたが死んだ今、俺は安全にここから脱出する手立てがない。不安因子は摘んでおく、それが普通の考え方ってもんだろ」
『頼む、考え直してくれ。彼は今も痛み苦しんでいる、もう彼の悲痛な声を聞くのは嫌なんだ』
「知った事じゃないなぁ……」
『彼はただ、誰からも干渉されずに静かに暮らしていたいだけなんだよ! 群れとはぐれ、悪い人間に捕まり、様々な実験に使われた挙句この地に捨てられて。実験の影響で強大な力を得てしまったからって、この地から出られないように封印までされて』
「よくある悲劇話だな。誰に聞いたんだよそれ。まさか、あのスライムと会話して得た情報だとは言わないよな?」
『……そうだよ』
「馬鹿にしてんの?」
『嘘じゃない! 僕は半獣人間なんだ、一部の魔獣の言葉を理解出来る!』
半獣人間。人と祖先を同じくする亜人じゃなくて、本物の獣と交わった人間の子孫、だっけか。人族とは異なる血を持ってるから人間とは根本的に身体構造が異なっているって話も聞いたな。
だからってスライムの言葉が分かるものなのか? 瞳を見るに多分羊とか山羊とかとの混血だろ、この人。スライムとなんの関係性もないじゃないか。
「……信用出来ねぇ」
『き、君だって死者と会話するなんて意味不明な能力を持ってるじゃないか! 僕と大差ないだろ!』
「確かに」
それはそうだな。痛恨のカウンターを受けてしまった。死者と会話出来る俺が、他種族と会話出来る能力を否定するのはおかしな話だな。
「でもさ、スライムが言語を喋る高度な知能を持った生物だってんなら嘘を吐くことだってあるだろ。その言葉が嘘じゃないと思える根拠は何なんだよ」
『……僕が彼と出会った時、彼は泣いていた。他のスライムはみんな人間を見たら餌だと思って殺意を抱きながら攻撃をしてきたが彼だけは違ったんだ。物陰から出てきた僕を恐れ、観察するだけに留めていた。会話を試みたら彼は、僕を攻撃せずに身の上話をしてくれた』
「結果的に瘴気にやられて死んどるがな。どうせすぐに死ぬ人間だからってんで見くびられてたんじゃないの?」
『僕が彼の封印を解こうと提案した時、彼は瘴気を吸って限界まで毒を薄めてくれた。人間で例えるなら吐いた息を吸って止めるような物だよ、苦しいに決まってる。それでも彼は、苦しいのを我慢して僕が死なないよう最大限の助力をしてくれたんだ』
「封印を解いてくれたら都合がいいからそうしたんだろ」
『それでも苦しい思いをしてまで僕を生かそうとしたのは事実だ! 限界が来た時、彼は僕の肩を叩いて逃げるよう教えてくれた!』
「でも死んだ」
『……毒の霧は低い所に溜まる。吸いきれなかった分が地面に吹き溜まっていたんだよ。その事を失念した僕のミスだ』
そんな死因だったのか、間抜けだなぁ。申し訳ないけどドン引きだよ、出会ったばかりのモンスターを助けようとして死ぬとかアホすぎる。
命に関わるお人好しとか馬鹿としか言えないな。力もない、考えも足りない、他人への慈善だけで動く主人公気取りの低脳ピエロじゃん。こういう奴が、車に轢かれそうになった子供を庇って代わりに死んだりするんだろうな〜。
「うーん……」
でも、どうしよう。話を聞いてたら彼の言い分にも若干理解を示しそうになる。
馬鹿馬鹿しくて冷笑カマしたくなるけど、それはそれとして、確かに何もしてないのに襲われるのは理不尽極まりないもんな。
スライムも被害者、か。そういう視点で見ると無闇に殺さなくてもいいのではって思えてくるな。
でも、だとするとだ。俺が見逃す分にはいいのだが、どのみち今のスライムは死に体である事に変わりはない。ピックスさんは俺に戦闘行為を止めさせるのではなく、スライムを助けてやってくれと懇願するべき立場なんじゃないだろうか?
「なんというか、中途半端だな」
『え?』
「思いつきの浅慮な行動についてはめちゃくちゃ評価した。あのスライムを尊重したい気持ちは理解出来た。でも、そんな風にアレを慮るんだとしたら、俺にかける言葉は逃げろとか見逃してくれって言葉じゃないだろ」
前のめりにアレを助けたい訳では無いが、今の俺は宙ぶらりんな状態だ。特にやるべき事もなければ今後の予定も立てていない。
頼まれればあのスライムを助ける為に一役買ってやってもいい、そう思わせるようなことをピックスさんは訴えてきた。それは彼も自覚してるだろう。
ただ、事実としてあのスライムはもう既に人やオークを殺めてしまっている。罪自体は存在する。だから、ただ助けてやるってのも後味が悪い事に違いは無い。
もう一押し、重い腰を上げるための意思表明をしてほしい。幸運や奇跡を信じるのなら、それ相応の過程というものが必要なのだ。
「アレを野放しにするとして、アイツに殺された当人達やその家族、恋人、友人に対してはどう思ってんだ?」
『家族や、恋人……』
「今からあんたに残酷な物言いをする。普通に考えたら気を使って言うべきじゃない類の言葉を吐きかける。まあムカついたら怒ってくれてもいい、怒られて然るべき言葉を吐くからな」
『え……?』
キョトンとした顔でピックスさんが俺を見る。
俺はこの人と違って主人公気質でもなんでもない。どちらかと言えば、憎い敵役とか性格の悪い小物辺りが妥当だろう。だから言い方は考えない。こういうのは、ストレートな物言いをしてショックを与えた方がより深く思考を巡らしてもらえるからな。
「あんたには到底家族と呼べる人間は居ないんだろ。友人も、恋人もいないだろうな。あんたには他人との繋がりを持ってる人の気持ちは分からない。人並みの幸せを理解していない、だから幸せを奪われる者の気持ちも理解していない。違うか?」
『……ッ!』
ピックスさんの表情が驚きから怒りに変わる。
彼の境遇からしてどうせ奴隷上がりか、貧民街上がりか。家族と過ごした思い出が仮にあったとしても悲劇的な別れを迎えた事は間違いないだろうしな。だから他者との交流を避けていたんだろう、彼の過去を想像するのは容易い。
怒りを向けられるのも分かっていたので、そこは無視して話を続ける。
「あのスライムに殺された人達の事を大切に思う人達はきっと、スライムや魔獣に対して強い憎しみを抱くだろうな。深く悲しみ、絶望し、前を向ける奴も居れば引きずって心を病んで塞ぎ込む奴もいる。アレを見逃すってのは、そういう人達の気持ちを軽んじるのと同義なんだぜ? それを踏まえた上で、あのスライムを見逃せと?」
『……それで憎しみを募らせて彼を殺す事になるのだとしたら、僕はその行いを肯定出来ない』
「憎しみは連鎖するよ。そういう人らがあのスライムを殺そうとするのは当たり前の事だ。憎む事は罪じゃない。憎まれる事も罪ではないけど、命を奪う事はどう足掻いても罪だ。やろうとする事とやってしまった事には、罪の有無という違いがある」
『…………襲われたから抵抗した、その前提があるのに憎まれるなんて変な話じゃないか』
「変な話じゃない。死人が出てる、そこに着眼して考えてくれ。あんたが助けようとしてるあのスライムはもう既に人殺しなんだよ」
『それじゃあ、彼のように虐げられている者は抵抗せずにただ耐えろと言うのかい? 見た目が醜いから、恐ろしいから、そんな理由で殺されても文句は言うなと?』
「いや? そうは言わない。俺がスライムの立場だったら喜び勇んで敵を虐殺するし。俺は単に、そういう人々も居るって知った上でピックスさんはスライムを庇いたいのかってのを聞きたいだけだよ」
『……』
俺の問いかけにピックスさんが長考を始めた。危ねぇ〜、またしても痛恨の反撃を食らう所だった。水掛け論に突入する前に逃げ道を作れてよかった。
まあ別に、善悪を問いたい訳では無いんだよな。要はあのスライム"も"悪いって事を自覚してもらって、その上で意志を貫けるかどうかを確認したいだけなんだ。
行動には責任が伴う。ただ俺に撤退してほしいだけならあのスライムの凶暴性をアピールして脅かし尽くせばよかった。でもピックスさんはそうせず、スライムの哀れなバックボーンを語り聞かせてきた。
人は直接『助けて』って言われなくても、哀れな対象を前にしたら助けてやりたくなる生き物だ。
性善説が絶対的に正しいとは思わないけど、多くの人間は目の前でガキが転んだら手を差し伸べるからな。
そういう生き物に対して必死に可哀想アピールをするって事は、暗に助けてやってほしいと言ってるのと同義なんだよ。
俺にスライムの事を助けてほしいのなら、不特定多数の人々に俺が憎まれるかもしれないって事も考慮してもらわないと困る。
『……僕はそれでも、彼には苦しんでほしくない。傷ついてほしくない。犠牲になった人達には申し訳ないけど、彼には自由になってほしいと思うよ』
……言うと思った。だよな、他人の気持ちとか持ち出されても優柔不断にはならないよな。
悪人と思われる事を恥だとは思わない、差別されてる身体部位は隠す癖に他人の目とか気にしないタイプか。
綺麗事を口にして片一方にしか思いを向けられない偽善者、か。人として魅力的すぎるな。
よっしゃ、この人の答えを聞いて腹が決まった。まともな人間のお家芸、手のひら返しをカマしてやりますか!




