26話『改名』
冒険者の朝は早い。
依頼を受注をした後でもそれは変わらない。依頼を攻略する為にどんな道具が必要か、武器のメンテナンスに不備はないか、天候や気温の状態を見て魔獣が活性化していないか等確認に必要な事項が多いためのんびり眠ている暇などないのだ。
さあ、とりあえず腹ごしらえをしながら武器が刃こぼれしないか確認しよう。そう思いベッドで身を起こし、立ち上がろうとした時に僕の手が何かに当たった。
なんだ? この異様な布の膨らみ。僕の腰になにかが乗っている……?
「なん……」
持ち上げた毛布をそっと下ろした。
……。
もう一度毛布を持ち上げる。桃色の髪を持つ少女がそこに眠っていた。
(忘れてた、昨日連れてきたんだった……にしてもなんでベッドに潜り込んでいるんだ……?)
この子は確かアレクトラ、とか言ったかな。女神と同じ名前を持った少女だ。
身寄りがなくて、市民権すら持っていないからって今日冒険者になるって話になって。それまでの間、野宿させるわけにはいかないからって一先ず僕の下宿先に泊める事になったんだよな。
でもこの子、僕に気を使って床で丸くなってたはずだよね? よく考えたらこの毛布はその時彼女に渡したものだ、床で寝るだけじゃ寒いからって。それを持ってベッドに上がってきたのか……?
「……んぅ。ばふっ」
ばふって。馬か豚みたいな声出して小さく息を吐かれた。
……どうしよう。完全に腰の上に乗っかられている、下手に動いたら起こしちゃうな。
「……いや、別に起こしてもいいでしょ。もう朝だし」
気持ちよさそうに眠っているアレクトラの頬に指を軽く擦り付ける。起きない。スベスベしてるな〜、昨日シャワーを浴びせただけなのに肌がキメ細かい。子供ってみんなそうなのかな?
「がう」
えっ。寝てるのになんか小さく吠えられた。子犬? あ、口が半開きになってる。
「……すごい歯してるな」
昨日からうっすら思っていたけれど、この子の歯ってどうなっているんだろう? ノコギリみたいにギザギザしていて人間の物とは大きく異なっている。
上の歯と下の歯、先端同士が接触しないように棘の配列が微妙に異なってるのか。奥歯の位置とかもズレてるのかな? 硬いものを噛み切るのには適していそうだけどすり潰すのはあまり得意じゃなさそう。
「歯茎は普通なんだ」
上唇を親指で押し上げて上の歯の根元を見てみたが、そこはあまり人間と変わらなかった。でもこれだと力が均等に行き渡らず偏る事になるからかえって歯が折れやすいんじゃない? 少し不安になるな、この歯。
「これで顎の形も普通なんだな。エラが張ってる感じもしない。人間の顎に鋭い歯が生え揃ってる感じか。あ、でも歯茎に歯と同じような三角模様が……表に出ているのが乳歯で大人の歯が隠れてるだけってよりこれは、サメみたいに予備の歯が何個も生えてる感じなのかな。でもそれなら均一な歯並びにならずバラバラになるはずだし。というか舌の位置って」
「……なにひへる?(なにしてる?)」
「うわぁっ!?」
風変わりな歯の構造に興味を抱いて色々探ってたらアレクトラがパチッと目を覚ました。慌てて指を引くと、彼女は寝ぼけたままボーッと僕を睨んできた。
「人の口の中に指なんか突っ込みやがって。しょっぱいやろが、なんのつもりだ変態」
「ごめんごめん! 見た事ない歯の形してたから気になって!」
「悪かったなガチャ歯で。んだよ、ロリの口ん中探るのが趣味か?」
「そういう趣味は持ってないよ! これはあくまで知的好奇心というかっ」
「あっそ。……なんでもいいけど唾液拭いとけよ。それ、放置すると指が干枯らびるぞ」
「へ? 干枯らびるって」
「俺の唾液は魔力と水分を枯渇させる働きがある。まあ指先ぐらいなら干からびても水に浸しとけば元通りになるけど、萎びて変色した自分の指を見るのは嫌だろ」
「そ、そうなんだ。……え、なんで? なにその働き」
「知らねーよ。知らねえけどそうなるからそうなの。なに、気になるの? なら全身舐めてやろうか?」
「え、遠慮しておくよ」
「遠慮すんなよ、知的好奇心くすぐられるんだろ。ほれ、ディープキスしてやるからべろ出せ、ミイラにしてやるよ」
「ごめんって! 勝手に口元に触れたことについては謝るよ……」
もう一度しっかり謝罪するとアレクトラは呆れながらも今までの行為を不問にしてくれた。あまり見知った仲でもないのに口元に触れるとか、普通に考えたら殴られてもおかしくないのに。
よかった、彼女に殴られたら骨折どころの騒ぎじゃないもんな。命拾いした。
「んっ、んーぅっ……! ふう、しっかしよく眠れたぜ。やっぱ人間たるもの、睡眠を取るならベッドの上が一番だよなー。久しぶりに腰、背中が疲れない寝床につけた気がするわ」
アレクトラはベッドの上で伸びをして再び仰向けに寝転がった。慌てて目を背ける。
「だからその格好で不用意に動かないでって! 見えちゃいけないものが見えかけたぞ! 危ないなぁ」
「あぁ? あー……そういえばまだ下に何も履いてないんだったな」
「分かってるならその姿勢やめてください、危なっかしいから」
「へいへい」
「まったく……って違う! 足を組むんじゃなくて! それだとこっち視点なんにも変わってないから!!!」
姿勢を変えてくれた気配がしたので視線をあげたら足が組まれただけで普通に肌色が丸見えだった。女性としての恥じらいを持ってないのかこの子は!?
「普通に座ってください!」
「えー。やだね、ベッドにありつけたの久しぶりなんだもん。寝転がるの気持ちいいや」
「君ねぇ……僕が君みたいな小さい子に欲情する様なやつだったらどうするのさ?」
「の場合は昨日の時点でエロ同人展開突入してただろ。そうなってないなら安心安全」
「そうかなるほど、とはならないの! 僕は男、君は女! もう少し考えて行動してくれないと困るんだよ!」
「しらね〜。俺は別にあんたに何を見られようが困らないもん。減るもんでもなし、勝手に見てればいいだろ」
「き、昨日あんなに恥ずかしがっていたのに!?」
「そりゃ大衆の面前に布一枚の姿を晒せって言われたら恥ずかしいに決まってるだろ。打ち解けた相手一人だったらなんとも思わねーよ。ふわぁ……」
呑気にあくびしてるし。なんかもう色々とすごいな、この子。ここまで無防備なのによく今まで一人で生きてこれたものだと逆に尊敬の念が湧いてくる。
「あとあんた童貞っぽいし? なよついてるから裸を見られてもなんも思わねーんだよな。俺もこの肉体になった以上それなりの羞恥心は備えてるから、そこに反応しないってのは結構なレアケースだと思うぜ。享受しろよ、ラッキースケベを」
「……この部屋、向かいの建物から中が丸見えだからね」
「だから?」
「窓、空いてるよ?」
「ッ!?」
俊敏な動きで布を取りアレクトラが自分の体に巻く。よし、見える肌面積がかなり減った。
「……ちゃんとカーテン閉まってるじゃねえかよ」
「さて。とりあえずこれからだけど」
「てめぇ。人の休息の邪魔しやがって、蹴飛ばすぞ」
「やめなさい。寝起きの機嫌すこぶる悪いな君……というかなんで勝手にベッドに上がってきてるのさ、びっくりしたぞ」
「床固かったんだもん」
「だから昨日、代わりに僕が床で寝ようかって提案したじゃないか」
「それだと悪いだろ。気を使って床で寝たはいいものの、全然眠れないしなんかちっこいアリみたいのが歩いてるしで床で寝るの無理ってなったから上がらせてもらった。いいだろ別に、美少女と添い寝出来たんだから。喜べよ」
「自分で自分の事を美少女と呼ぶかね……」
「だって美少女じゃん。昨日初めて鏡で自分の姿見たけど、俺だったらこんな美少女と添い寝するなんて願っても叶わない夢のまた夢だぜ。むしろ感謝してほしいね」
「歳があともう少し高かったらなぁ……」
「はい出た高望み願望。いいだろうがロリでも、何が不満なんだよ。こんなんでも女の肉体なんだから胸も尻もミリの膨らみは備えてるんだぞ? 触ったら殺すけど、目の保養にはなるだろうが」
なんで自分でそんな所を売り込んでいるんだ。やはり娼婦の仲間入りをした方が稼げるんじゃなかろうか、そっちの方が向いてそうだよ。
「とりあえず服をどうにかしないといけないな、君は。その格好でギルドになんて行くものじゃない」
「ドレスコードでもあんのか?」
「ドレスコード以前の問題でしょ。それ、冒険者登録する時に後ろからお尻丸見えになっちゃうよ。まずいでしょ」
「それもそう、か。うーん……でも俺、金無いし」
「はあ……」
僕の懐も決して暖かくはないんだけど、まあ、声を掛けてしまった手前何もしてあげないのは酷い話だしね。
「お金出すよ。ただし、あまり高い服は買えないし必要最低限の物しか用意させてあげられないけど」
「え!? ま、まじすか。何から何まで……うわー、はよ稼いで借りた金返さないとだ」
「それはいい。関わり合いになるのは今日で最後だろうし、運が良かったと思って忘れてくれて構わないよ」
「なんで??? 同じ冒険者になるんだったら今後も関わる事になるでしょーよ。どんだけ排他的なんすかあんた」
「それが僕の信条なんだよ。他者とは過度に馴れ合わない、僕は一人で生きていくって決めてるの」
「えぇ〜? かっこよ、まじで長生きする人の信条じゃんそれ。人生つまんなそ〜」
「褒めてるの? それとも喧嘩売ってる?」
なんか時々この子僕に対してチクチク言ってくるんだよな。なよついてるだのもやし野郎だの、初対面から今までずっとほんのり馬鹿にされてる気がするし。やっぱり見捨てようかな。
「かっこいいと言えば、なんでピックスさんって寝る時もメガネつけてんの? 普通外さん?」
「……いいだろ別に」
「いいけどさ。フレーム歪むよ〜? てかほら、ちょっと歪んでんじゃん」
そう言ってアレクトラが不意に僕の眼鏡に手を伸ばしてきた。
指が眼鏡のフレームに触れる直前にその手を叩く。思った以上に強く叩いてしまったせいで彼女は「いたっ!?」と言って手を引っこめ、叩かれた所を撫でている。
「ご、ごめん。強く叩きすぎた」
「こだわり強すぎ〜! 何も叩くことないだろ! びっくりしたわ!」
「ごめんって。……あまり、眼鏡の事は気にしないでくれ」
左右色の違う瞳が僕に訝しむような目を向けてくる。……というか、彼女だってそんな変わった瞳をしているのだからもう少し。もう少し、周り様子とか見て気にするべきだと思うんだけどな。
「……あ、それと。親切心で一つだけ忠告しておくよ」
「なんすか。人様のメガネに勝手に触んなですか?」
「それもそうだけど。その、今の名前にこだわりや愛着が無いのなら、名乗る名を変えた方がいいと思う」
「名乗る名を? アレクトラって名乗るのはやめといた方がいいって事すか?」
「うん」
「それはなんで?」
「単純な話だよ。アレクトラという名前を聞くとどこの国でも恐ろしい邪神を連想する人が多い」
「はあ? そんなもん仕方なくないですか? 名前被りなんてどうしようも無いでしょ」
「そうだけど、アレクトラを信仰している宗教や組織は信仰の特性上、邪教だったり犯罪組織である場合が多いんだ。もしそんな連中のいる場で君が自分の事をアレクトラと名乗ったら、どんな目に遭うか分からないだろ?」
「あー……思想強めなキリスト教徒の前で自分の事をサタンって名乗るのはまずいって理屈か。なるほどなるほど、日本には無い視点だなそりゃ」
「頭のおかしいカルト宗教に、アレクトラの生まれ変わりだと思われたらそれこそ人身供養の依代にされてもおかしくはない。親につけてもらった名前だって事で愛着があるのも分かるけど、ここは安全策をとって改名した方が」
「分かりました」
「理解が早いね。その名前に愛着ないの?」
「ないっすよ? 俺、この世界に親なんていないし」
「世界……?」
度々意味の分からない事を言うけど、今のは更に意味が分からなかったな。この世界にって言うのはどういう意味なのだろう? 気になって尋ねてみるも「なんでもないです」と誤魔化されてしまった。……? 不思議な子だな。
「でも改名か。いざそう言われてみると何も思いつかないな。アレクトラ……アレク?」
「男の子っぽいね」
「ですよね。レク。レラ。クトラ。クレオパトラ。トラ。タイガーアンドバニー……」
「レラっていいじゃん、可愛いと思うよ」
「口が気持ちよくないっす。俺滑舌悪いんで、ら行壊滅的でしょ」
「確かに」
「確かにって言うなそんな事ないって言え。歯の構造上舌使って発音するの苦手なんすよ!」
「名前、何にしようねぇ」
「無視するなし。レクトラ。アレクト。アクトラ。アクライト鉱石……」
「鉱石になっちゃってるよ。人の名前を考えてるんでしょ」
「全然良いのが思いつかない。なんかないっすか? 俺にぴったしなイカした名前」
「うーん。君的には、元の名前からあまり乖離しない名前の方が好ましいのかい?」
「そりゃまあ、改名するとは言っても元の名前をすっぱり忘れるのはなんか悪いかなって気がするし」
誰に対してそう思うのかは分からないけれど、そうか。元の名前から離れすぎない名前が良いのか。
「……セーレというのはどうだろう」
「セーレ? なんで」
「アレクトラの源流は月の女神エレクトラから来てるって言われてるからさ。月に恋した悲恋の物語のヒロインから取ってセーレ」
「月に恋した悲恋の物語ってなに??? え、水に映る月目掛けてダイブでもしたの?」
「正解! セーレという乙女は恋する月に手が届かずその恋を諦めかけてたけど、水面に移る月を見て『今なら抱き締められる』と信じ飛び込みそのまま溺れてしまった。最初に入水自殺したと言われている女性だよ!」
「ねえ。ロマンチックではないよそれは。底抜けの馬鹿女じゃんかセーレ。なんでこんな当てずっぽうが当たってしまうのかね」
「要点だけ纏めるからそう思うだけで、ちゃんと物語を読んだら感動すると思うよ!」
「しないよ。間抜けさが勝つでしょ。そんな間抜けな女の名前を名乗るのかよ」
「お気に召さない?」
「俺は水面の月なんか見ても飛び込まないしな……」
彼女は腕を組みうーん、うーんと体を傾けて悩む。良い名前だと思うけどなぁ、響きも綺麗だし。
「それか、桃色の髪をしてるし甘いお菓子の名前から考えてみる? 桃系のさ」
「それこそ安直すぎて間抜けだからいいや、セーレにしますわ。ちょっと女の名前感が強すぎてムズムズするけど」
「女の名前感が強すぎるって、困ること無くない? 実際君は女の子なんだし」
「実は俺男ですよって言ったらどうします」
「……見ちゃってるからなあ。それは無理あるよ」
「変態め」
呆れた顔で睨まれた。そんな顔をされても、見たくて見たわけじゃないし仕方ないでしょ。
「どうだ! 似合うか!」
宿から出てすぐ近場、繁華街からは離れた拾い物の市場を散策してようやく見つけた子供用の衣服を身にまとったアレクトラ改めセーレが僕の前でターンする。
拾い物の割には小綺麗なワンピース。セーレが着替えている間に店主から話を聞いたところ、先日病で亡くなった少女の私物らしい。遺品整理の業者が横流しした物品の一つとの事だ。
本人はご満悦そうだが、その背景を考えると素直に褒めていいものなのか分からなくなる。まあ、そういういわく付きの服だからこそ僕でも手が出せるほど安価になっているんだろうけど。
「えいっ」
「ぐわっ!?」
急に足を踏まれた。痛いよ。
「なぜ足を踏む!」
「新品の靴を足に馴染ませるために?」
「そんな事のために人の足を踏むのか!? 孤児だから知らないのかな、他人の足を無闇に踏んじゃいけません!」
「知ってるよ。足、踏まれると痛いよな」
「ならなぜ踏む!?」
「てめぇこそ何こっちが可愛らしく似合うかどうか聞いてんのにシカトカマしてんだ? あ? 耳掃除必要か? ほら、そこに寝っ転がれ」
「水溜まりの上で寝っ転がれるか! てか耳掃除って、そんな木片で耳掃除したら耳の穴ズタズタになるだろ!?」
反論するとセーレは歯と歯を合わせて「イ゛ー!」と奇声を上げて僕に抗議してきた。意味が分からん。
「女心の分からない奴め。あのな? 一人で生きていくのが信条だっつってもあんただって人間なんだからその内恋をするかもしれないだろ。どうするんだよそういう時、今みたいな対応してたら恋が成就する事なんて天地が裏返っても有り得ねえぞ。女の子ぷんおこ激怒だぞ」
「何の話……?」
「分からん? 難しいかな。恋心なんて抱く予定は無いとかそういう寒い厨二セリフはやめとけよ? 現実だとあんま居ないからな、恋愛感情を生涯抱くことなく死ぬ人って」
「いきなりなんで恋愛の話になったのかが理解出来ないのだけれど。今その話ってなにか関係ある感じ?」
「ねぇよ! ねぇけど! なんつーのかなぁ、美少女だって自認識持ってるとこう、全く意識されないのクソほどムカつくんだなって今気付いたんだわ!」
「はあ」
「そのムカつきを正当性を以て糾弾に昇華させたいから、どうすればあんたを一方的に説教出来るか考えてみたんだよ。とりあえず『お前そんなんだとモテないぞ』って文言ならどこからでも殴れることに気付いたから殴ってる所存だ」
「厄介な当たり屋だなそれは。僕視点どうやっても回避できないじゃないか」
「回避しちゃ駄目だろう俺がムカついてんだから。似合うかどうか聞いてシカトするってもう喧嘩売ってるようなもんじゃん。買ってやったんだからちゃんと傷つきなさいよ」
「はあ」
めんどくさいなあ、女の子って。そんな事でへそを曲げてしまうのか。服なんて何着ても可愛い人は可愛いに決まってるだろうに。
「服なら似合ってるし可愛いと思うよ。だからそんな怒らないでよ」
「なんだよ藪から棒に」
「そっちがそう言えって言ったんじゃないか」
「そう言えとは言ってないな。話をちゃんと聞け、シカトすんなって言ってる」
「うん。だから服は似合ってるよって」
「そう言えばいいって思ってるだろ」
「そりゃあ「いや誤魔化せや!」元が可愛いんだからどんな服着ても可愛いよ。よほど変な服を着ない限り違和感なんて感じるはずもないでしょ」
「……ふむ。なるほど?」
途中一瞬だけ声を上げたセーレだったが、僕の言葉を聞いているうちに彼女は腕を組んで落ち着いた様子に戻った。
「よほど変な服を着ない限り、か。ちゃんとこちらの意図を汲んだ答えだな。そしてさりげなく本人の容姿を褒めるとは。やるじゃん!」
そう言ってセーレが片目をつぶり口角を上げて僕に親指を立てて来た。なんかムカつくな?
しかし、彼女の体に合うサイズの服を探していたら無駄に時間を費やしてしまった。ギルドの場所だけ教えて別れようと思っていたけど、その前に昼食を取った方がいいな。
「セーレ、この後だけど」
「あ!」
「?」
突然セーレが大きな声を出したので何事かと振り返る。突然立ち止まったからか、想像よりもすぐ後ろを歩いていたセーレが僕の背中にぶつかった。
「いてっ! 急に止まるなよ!」
「いやそっちが大きな声出すからさ……」
「あぁごめん。服の腰の部分にキモめの虫がついてて」
「人騒がせな……」
そんな事か、たかだか虫が居た程度で大袈裟だな。そんなに虫が嫌いなのによく正気を保って水没林を彷徨えたものだ。
「その虫は? 取ってあげるよ」
「大丈夫っす。握り潰して捨てたんで」
「ん? ……虫、嫌いなんだよね?」
「大っ嫌いっすね。芋虫も蝶も蜘蛛も蜂も、アリですら肌の上を歩いてたら癪に障る。全部の虫が嫌いですわ」
「なのによく潰せたね?」
「? そりゃ、嫌いなんだから潰すでしょ。当たり前では」
「えぇー……」
そういうものでは無いでしょう、虫嫌いって。触るのも嫌とかじゃないの普通。生きてるのが憎くて許せないってこと? 怖いよ、なんか。
「すごいね。だから水没林も歩けてたのか」
「はい?」
「いや。他の人ならさ、虫を見たら気持ち悪いって言って触ろうとしないし見ようともしないでしょ? 虫嫌いな人からしたら水没林なんて地獄みたいなものだよ。それなのに君が正気を保ててたのは、嫌いは嫌いでも殺したいとかそういう嫌いだからなんだなーって」
「別に殺したいとかは思ってないですけど。噛まれたりしたらムカつくし、殺した方が手っ取り早いでしょ」
「殺す必要も無いと思うけどな」
「殺さないとまたくっついて噛みつかれるかもでしょ?」
「なるほどねぇ……」
「見た目がキモくて近寄れないってのはあんまよく分からないですけどね。キモい部分は逆に笑えるし。こんな見た目なのに本人達は互いを普通だと思い込めてるんだろうなー、滑稽だなーみたいな」
「うん、よく分からない」
虫達がどう思って生きてるのかなんて考えたこともない。というか、気持ちを想像しながら生きてるのにその相手を躊躇もなく殺すのって残酷じゃないか? 殺される時にどう感じるのかってのも勝手に想像してるってことでしょ……?
……あまり関わってはいけない人物と出会ってしまった気がする。早い内に昼食を終えて別れた方が良さそうだ。なんかこの子、異様な不気味さを感じる。
「さ、気を取り直して街の方にっ!?」
「おわっ!?」
前を向いて歩き出そうとしたら何者かにぶつかりよろけてしまった。相手は男二人組、どちらも冒険者だ。片方は酔っ払っているのか足取りが怪しい。
「す、すまんすまん。大丈夫か兄さん……ん?」
「うぇっ。どうしたー、ゼイド。そいつがなにか……」
酔っていない方の男が僕を介抱しようと近付き、彼と目線が合うと男は硬直した。続けて、僕にぶつかってきた酔っ払いもこちらの顔を覗き込んできて一気に不快感を示す表情になる。
「おいおいこりゃあなんの冗談だァ? なんでこんな所にシープス族がいやがんだ?」
「ッ! 眼鏡がっ……」
ぶつかった時に眼鏡が落ちて瞳を見られてしまったのか。クソッ……!
「実際に見たのは初めてだが……想像よりずっと醜い瞳してるんだな。悪魔の末裔ってのは」
「なるほど? この眼鏡で目を隠して生活してんのか」
「っ、やめろ!!」
「おっと。触んなよ汚物ッ!」
酔っぱらいの男が僕の眼鏡を踏みつぶそうとし、それを阻止しようとしたら相方の男に殴られてしまった。
……ここまで、来たのに。故郷から遠く離れたこの地までやってきたのにここでも何も変わらない。ここでも、この瞳を持つだけで人々に疎まれ虐げられるのか。
このまま暴行を受け続けて動けなくなったところで金銭と、金目の物を奪われるのか。眼球を抉られて売り払われる事もあるかもしれない。そうなる前に……でも、冒険者同士の私闘は禁止だ。そして僕は立場の低いシープス族の人間、相手は不問になって僕だけ責任を問われるかもしれない。
……クソ、こんな事久しぶりすぎて何をすればいいのか分からない。何が正解だ、今の僕に出来ることは……。
「えいっ」
「ぐえっ、ぼへぇっ!?」
眼鏡を踏みかけてた男の体が少し浮いて地面に落ちた。彼の立っていた場所には右足を伸ばしきったセーレの姿があった。
「うがっ、あぁぁ金玉がっ!? おでの金玉ぁ……!?」
「ぎゃはははっ!!! キレーに入ったもんな〜、ざまあみろ! ぎゃはははははっ!!」
「このガキ!? なにしやがる!」
「おっ? やるかやるか?」
セーレは斧刃に巻いていた包帯をシュルシュルと解くと、刃が剥き出しになった巨大な斧を持ち上げて残った男の肩にトンっと優しく置いた。男は腰を抜かしその場に尻もちをつく。
「お友達はちんちん蹴り上げられちゃった。あんたはどうする? この斧を落として、ちん皮に切れ目でも入れてみるか? 栗みたいにプルっと金玉外に出せるかも〜」
「や、や、やめろ! なんでそんなやつを庇う! ソイツは悪魔の末裔でっ」
「知らね〜よ〜。差別されるような終わってる人種と赤の他人にいきなり喧嘩ふっかけるような終わってる個人。キモさで言えば余裕で後者の方が終わってんだろ。だからボコす〜」
「待っ、セーレ! 冒険者同士の私闘はっ」
「俺はまだ冒険者でもなんでもないっ」
妙にウキウキした口調でそう言うとセーレは斧を振り上げて「しねーいっ!」と叫んで振り下ろした。
鉄の塊が勢いよく男の頭蓋を砕こうとした瞬間、急に斧が減速した。頭頂部に斧刃が軽く当たりコツンっという軽い音が響いた。
男の口から泡が溢れて、そのまま彼は背中から倒れ気絶してしまった。
「ひ、ひいいぃ人殺し!」
「殺してねぇわ。おい金玉プチ男、逃げるなら友達連れてけよ。一人で尻尾巻いたらこの斧ぶん投げて当たれば即死ゲーム開催しちゃうからな」
セーレの脅しを受けて気絶した男を担いだ酔っぱらいが逃げていく。二人を撃退した後、セーレは斧を地面に刺して眼鏡を拾い土を落とした。
「はい、ピックスさん」
僕の目をしっかり見た上で、少しも表情を変えずにセーレは眼鏡をこちらに差し出してきた。
……目の前でしゃがむもんだから、下着を履いてないせいで見えてはいけないところが見えてしまっている。これで何度目なのだろうか、最早何も言えず僕は目を逸らした。




