23話『遭遇』
冒険者の朝は早い。
定職に就かず魔獣退治や素材収集で生計を立てる冒険者の大半は信用に傷がついた荒くれ者か、表沙汰に出来ない事情を抱えているか、後ろ盾もなくツテも持たない下級市民の出であるかの三択に絞られる。
ごく稀に"冒険者"という肩書きに夢を抱いてギルドの門を叩く変わり者もいるが、そういった人は大抵ひと月もしない内に冒険者を辞めていく。
冒険者に割り振られる仕事は、一般人であれば近寄ろうともしない危険な場所で生成されている植物の採取や魔獣の死骸の回収、危険度の高い魔獣の討伐が主となっている。それ故に依頼をこなした際の一個単価は他の職業に比べたらそれなりに高いものの、身の危険と隣り合わせになっている為安定して稼ぐのは難しい職業と言えるだろう。
そして、比較的楽にこなせる依頼というのは早い時間に張り出される場合が多い。当然、冒険者の多くはそういった死亡リスクの少ない報酬を狙っているため早くから動き出さないと危険な仕事を選ばざるを得なくなってしまう。
「採取系の依頼は……」
冒険者を初めて半年、まだまだ未熟者ではあるけど心得のようなものは大体覚えた。今日はいつもより早めに起きたから少しはマシな依頼が残っているはずだ!
「うげっ!」
こ、こんなに早く起きても駄目か〜!? 植物や鉱石採取系の依頼は残っておらず、魔獣の討伐依頼しか掲示板に張り出されていない。下に重なってる依頼書がないか確認したけどそれもないっぽい……。
「ちょっと。邪魔なんだけど!」
「ひっ! す、すいませんすいません!」
依頼書を吟味していたら後から来た剣士職らしき女性冒険者に怒られてしまった。お、女なのに剣を使うとか凄いな……。
ビリッ。
「あっ」
やってしまった。焦って退こうとしたら依頼書に指をひっかけて破ってしまった。
一度掲示板から剥がした依頼書は必ず受注しなければならないという暗黙の了解がある。内容は……『ピュアスライムの討伐及び体液の回収』!?
ス、スライムかぁ。何度か戦ったことはあるし倒した経験もあるけど苦手なんだよな……。
基本的に物理攻撃は効果が薄いし、特定の属性に対して高い耐性を有してるから使用する魔術は慎重に選ばなくてはならない。
水と水の派生系の属性は完全無効化。地系統も効果が薄くて、火と風に類する属性攻撃なら効果はある。雷か氷あたりが使えると安心して戦えるかな……?
「はぁ……」
僕が持つ魔力属性は地系統だから持ち前の能力だけで戦うのは厳しいな。仕方ない、比較的操作がしやすい氷の簡易術式発動用紙片を買っておこう。
依頼書を受付嬢に提示し、依頼証を発行してもらいギルドを出る。
ピュアスライムか。ピュアスライムってどこに出没するんだろう?
「ピュアスライムが出没する地域……」
冒険者になりたての頃、先輩の冒険者にぼったくり価格で売りつけられた魔獣図鑑を開いてピュアスライムの項目を探す。
「ラトナ水没林かラトナ地底湖、それからヌトスの腐海……腐海は論外。地底湖は魔獣との遭遇率は低いけど、チームを組んでる冒険者と鉢合わせして金銭を要求されるかもしれない。もう何度も金を絞られたからなぁ、ギルドの人達も証拠がないからって全然取り合ってもくれないし。となると……」
残るのはラトナ水没林、か。
水没林かぁ。毒消しのスキルは覚えてるから大抵の魔獣はどうにかなるけど、生理的に嫌な造形の魔獣がめっちゃ居るんだよなー……。
ここらで一番虫型魔獣が出るってのも嫌すぎる。ダメだ、一回街に戻って虫除けの魔道具を買っておこう。あと蛇除けと寄生型魔獣除けも。
水没林に着き、用意していた魔獣除けの魔道香具を全部振りかける。……臭いっ! でもこれで当面、蛇型と虫型、寄生型の魔獣は近寄ってこないだろう。
ピュアスライムの生息地は水場だからラトナ河の周辺を歩く。
近寄ってはこないけどやっぱりここは虫が多いな。こんな奇妙な造形の虫型魔獣が多い中、わざわざ足を運ぶ人間なんてそうそう居やしな……。
「助けてっ、助けてーっ!!!」
……居たわ、人。というか少女。
何をやっているんだ? アレ。なんで自分から足場を崩して溺れようとしている? 馬鹿なのかな。木の根を足場にしたら良くない?
「あっ、そこの! そこのなんかなよついた顔面のモヤシみてぇな兄ちゃん!!! 助けて、溺れちゃう〜っ!!!」
「モヤシでごめんね。他を当たってね」
「ごめんって!? ごめんなさい!! きちんと謝るから助けてお願い! おねがーーーーい!!!!」
はあ……どうせ好奇心でここまで遊びに来た街の子どもだろう。放っておいたらその内、冒険者ギルドに捜索依頼が出されるかも。そうなったらお金にはなるけど、もし他の冒険者に生きたまま発見されたら僕は薄情者として糾弾されるかもしれない。
「あ、あんま暴れないで! 泥がこっちに飛んでくるから!」
木の根を足場にし、必死にもがく少女に手を伸ばす。彼女は泣きそうな顔になりながらもようやく僕の手を掴めた。よし、一気に引き上げ……。
「……君、重くない?」
「!? はああぁぁぁっ!? 重いわけあるかよこんな華奢なんだよ!? 自分が力ないからってテキトーな事を言って諦めようとするな!」
「見た目は確かに細い……? いや、肩より下が沼に浸かってるからあんまり分からないな」
「あ、斧があるから重くなってるのかも。よいしょ」
「斧? 斧ってどぅええええっ!?」
突然沼の中から恐ろしく巨大な斧が出現した。
何これ、刃の部分絶対この子よりも大きいでしょ! これを持ちながら泳いでいたの!? そんなの上がれないに決まってるでしょ、むしろなんで溺れないんだよ!?
少女は軽々と斧を持ち上げた後、僕が足場にしているのとは別の木に斧を刺して手を離す。す、すごい腕力……人間にしか見えないけど変わった瞳や髪色してるし、亜人種なのかな?
「これで軽くなったでしょ! 引っ張ってくれ!」
「わ、分かった」
確かにさっきと違って少しの力で少女の体が持ち上がる。結構小さい子なのかな? この子自身の体重だけだとヒョイっと持ち上げられそうだ。よーし、このまま引きずり出し……。
ボチャン。
「いやなーんで!? なんで急に手を離す!? 嫌がらせかなぁ!?」
「嫌がらせというか!? なんで裸なんだよ君!!!」
「それはかくかくしかじかなんですよ! 要は俺も分かってないというか!!」
「意味が分からない! 服くらい着なさい!」
「着たいがぁ!? 当たり前に衣服を着用したいが!? でもポップ時点で裸だったから仕方ないでしょ! いいから引き上げてよ!」
「ひ、引き上げるのはいいけど! そ、その……体、見えちゃったら」
「気にしねぇわそんなもん! いいから助けて、もう足疲れてるんだって!」
「……あ、後から文句言ったりしないでよ?」
「しないわ!?」
助け出してから裸を見られたと騒がれては敵わないので先に予防線を張ってから少女を引き上げる。……やっばい、少しだけ胸を見てしまった。
「ご、ごめん!」
「いやーまじで助かった! もう二度とこんな場所でジャンプなんかしねぇ!」
「ジャンプ? ……この河を飛び越えようとしたの? えーとね、人の脚力っていうのは」
「違う!? こんな川幅を飛び越えられるとは思ってない!? そうじゃなくて! ……って、こんな事説明しても仕方ないか」
「てかそんな事よりだよ! そのままだとロクに会話出来ないから! ふ、服っ! 着なさい!」
「いや。着ろと言われても、着る服がないのだが」
「なら僕の服を一枚貸してあげるから!」
「まじ!? やったーラッキー!」
全裸の少女に着ていた服を一枚だけ手渡すと、彼女はそのままその場で着替え始めた。……出来れば物陰に隠れて欲しい。他の誰かに見られたら僕、社会的に死んでしまうのだが。
「いやー助かった助かった! 一時はどうなる事かと思ったよ! あんたは命の恩人だ、肩もみくらいならしてやれるぜ!」
「いらないよ。それより君、なんでこんな」
「あ、斧刺しっぱなの忘れてた。よいしょ」
話の途中なのに少女は僕から背を向けて巨大な斧を軽々と木から引き抜いた。
……いやいや。ツッコミどころ満載だ。どうしてそんな細腕でそんな巨大な鉄の塊を持ち上げられる? 角が生えてないから鬼人種ではない……って!?
「こ、こら!」
「うぉっ。なに?」
「あ、あまり前屈みにならないで! お尻見えちゃってるから!」
「はあ。そうすか」
「えっ」
なんだその反応? 男の人に尻を見られたんだぞ? 下着すら身につけていない尻を。余程小さい子でもそんなの恥ずかしがるよね?
……うーん。歳は多分、10歳前後くらい。だからお尻なんて見られよう物なら恥ずかしがるか怒るのが一般的。
というか、引き上げてからまじまじと見つめるとすごい容姿しているな。桃色の頭髪に左右異なる色の瞳、右目が黒で左目が紫色……? 片方だけか、もしくは両方異なる魔眼になってるとかかな?
……すっごい美人だな。自分より歳下の、年端もいかない少女に対して美人と形容するのも変だけど、正直造形の美しさで言ったら今まで見てきた人たちの中でも断トツで綺麗だと言える。溺れかけてる時は表情が必死すぎて気付かなかった。
「君ってもしかして、貴族のお嬢様とかだったり?」
「え? いや全然。貴族だったらこんな姿勢で座らないでしょ」
「ちょっ!? 胡座はまずいって!?」
馬鹿なのかなぁ!? なんで僕の正面で胡座になる、それだと服がめくれてその……見えちゃうだろ!!!
「その座り方は駄目! 姿勢変えなさい!」
「へいへい」
「立膝も駄目! というかこんな所に座るな!? 地中から魔獣に襲われたらどうするのさ!?」
「確かに。てかそんなに俺の下半身が際どいって言うなら、あんたのその穿き物貸してよ」
「こっちが下着になっちゃうから駄目に決まってるだろ!」
「ほな全裸痴女から露出狂に変わっただけじゃん俺。死にて〜」
少女はそう言うと気怠げに立ち上がり斧を肩に担いだ。小柄な少女が巨大な斧を背負ってる、奇妙な絵面だ。
「なんていうか、男勝りな性格してるね」
「そうか?」
「うん。自分の事"俺"って呼ぶし、少し変わってるなって。ドワーフ……は見た目的に違うとして、男兄弟が多かったとか?」
「いや。俺は生まれついての一人っ子だよ」
「そうなんだ。親には一人称とか矯正されなかったの?」
「矯正……? あー……」
素朴な質問を投げてみると少女は難しい顔をして考え込み始めた。あまりこういうプライベートに踏み込むような質問はするべきじゃなかったかな。
「ごめん、今の質問は無かったことにして。それより、君はなんでこんな所に居たのさ?」
「なんで? なんで……うーん……」
これも駄目な質問だったか!? む、難しいなぁ子どもとの会話! 子どもと言っても多分自分と十個も歳違わないけど!
「ご、ごめんごめん! 今のも気にしないで! それなら、君の出身って」
「出身??? ……うーん……」
「これも駄目なのか!?」
「うわっ!? な、なんだよいきなり大声出して。脅かさないでよ!」
驚かされてるのはこっちだよ! 何を聞いてもうーんって悩むじゃん、出身がどこか聞くくらいは別にいいでしょ! この近辺って街とか集落がいくつも存在してるし、どこの出身なのか分からないと送り届けられないじゃん!!!
「出身……この場合、出身はロドス帝国になるんかな」
「え? なんて?」
「ロドス帝国。知らない? めちゃくちゃ戦争大好きなイカれてる国」
「い、いや。知ってるけど」
「おー、それなら良かった良かった。そこ出身だよ俺。こっから近いの?」
「近いというか……ロドス帝国って、もう十五年も前に滅んでるよ」
「……ふぁっ!?」
なんだ今の。変な声。
「すごい歯してるね、それって自前?」
「いやいや待って待って! 滅んでるってなに!? 十五年前!?」
いきなり少女がすごい剣幕で僕に掴みかかってきた。へ、変な事を言っただろうか?
「ロドス帝国出身なのだとしたら最低でも15歳以上は確定するんだけど、絶対そんなに歳いってないよね君」
「それは今はどうでもいいや! 詳しく聞かせて、ロドス帝国滅亡の件!!!」
「わ、分かったよ。でもここは危険だから、安全地帯に移動してから話そう」
よく分からないけど、落ち着いて話が出来ればそのままどこに送り届ければいいのかというのも話せるかもしれない。とりあえず水の近くは魔獣の巣窟になる確率が高いので、近くの冒険者キャンプまで移動する事にした。




