10話『人類にとって最も有益な行為、その名を侵略』
「なんたってこんな非常事態にコイツを運び出さなきゃならんのだ!?」
「敵に奪われる可能性を考慮してるのだろう! ごねるのはのは後にしろ、重装兵達が抑えている内に護送を終わらせるぞ!」
ロドス帝国北部、アレクトラが幽閉されていた霊園跡の休閑地にて。全身の拘束の他に眼帯と口枷を着けられたアレクトラを牢屋屋敷から連れ出した兵士の集団が声を荒らげながら馬車の停められている馬繋場まで移動する。
5人目の子供を出産した直後のアレクトラは極度の疲労により半分寝かかっており、特に何も思考しないまま普段とは違う周囲の様子に耳を傾ける。
全方位から聴こえてくる戦火の音。人々の叫び声、猛り戦う男達の声。時折聴こえる爆発音、それに伴う砂塵の感覚。そのどれもがアレクトラの記憶にある、戦場で体験したものと合致していた。
ここはロドス帝国の領土内の土地である。という事は、キリシュア王国が攻め入ってきたのか。そう考え至る事は必然であり、であるならば。二年前に別れたあのロットとかいう男は殉職し、戦力が低下してしまったが故に敵の侵攻を抑えられ無かったということなのだろう。
確証はなかったが、なんとなくの思いでそこまで予想したアレクトラは口が塞がれたままため息を零す。彼女には戦争の勝敗など最早どうでもいい、都合のいい話し相手が居なくなってしまったことに対する憂鬱な感傷しか抱いていなかった。
これから大勢の人が死ぬ。戦う力のない女や子供は、もしかしたら殺されずに済むかもしれない。だがもしそうだとしても、敗戦国の市民を手厚く保護し人権を与えて自国の市民と平等に扱う事など無いのだろう。
この世界は未だに奴隷を労働力として酷使する事に疑問を持たない。同じ人間であろうと国の違い、人種の違いで道具扱いする。差別なんて生易しい、そもそも生物として扱われない。単なる部品程度にしか思われず、命尽きるまで利用した後はゴミのように棄てるだけ。
アレクトラにとって、そんな事が常識として横行している世界でどの国が勝ってどの国が敗けようと大した差はなかった。
馬車に着き、荷台に雑に放り込まれると嘶きと共に車輪が回る音が聴こえてきた。車体が揺れる。時折、車輪が人や物を踏んで大きく車体が揺れた。目を開ければきっとかつて賑わっていた道には数多の死体が転がっているのだろう。
まだ自我が目覚める前の、抜け殻になっていたアレクトラが目にした街の景色が脳裏に浮かぶ。
この国は、帝国などという仰々しい名を付けているにしてはほのぼのとした国だった。エリザヴェータの趣向なのだろうか、街の景観は建造物と自然が同居しさっぱりとした景観が保たれていて、公園や噴水広場には子供達で賑わっていた。
戦争中にも関わらず重苦しい空気は感じられず、兵士に囲まれた無感情なアレクトラにぶつかってきた少年はお詫びにアイスを分けてくれた。
その時のアレクトラは、一切の感情表現を封じられていたにも関わらず自分に対してそのような行いをした少年に驚き、生まれて初めて食べるアイスの味に目を丸くしていた。
周囲の兵士達は自分を人間扱いしていない癖に、食べ方が分からず口の周りを汚していたアレクトラに食べ方を教え、手拭きを出して口の汚れを拭ってくれていた。
誰にだって善と悪は平等に存在する。誰かにとっては悪人でも、誰かにとっては善人なのだ。そんな当たり前の事、人類を滅ぼそうとした邪神ですら理解しているのに当の人間達はそれを理解せず、ただ己の支配欲や権威を示す為に戦う。
ーーそんな奴ら、いっその事滅ぼしてしまおうって考えても不思議じゃないでしょ?
アレクトラの中から声が聴こえてくる。それは今世の、本来のアレクトラの声だった。
(なんでそこで滅ぼそうってなるんだよ。意味分からん。全員が善人でもあるんだって言うなら、滅ぼしちゃダメだろ。やってる事、あんたの嫌う人間と大差ねぇよそれ)
聴こえてきた声に対して自分なりの考えを返すも、女神からの言葉は返ってこなかった。
今のもまた記憶なのだろう。いつの記憶なのかは定かではないが、かつて邪神と呼ばれ嫌悪されていた時代のアレクトラの記憶だ。
彼女の声は嗤っていた。でも本当に彼女は愉しくて嗤っていたのだろうか。そういうニュアンスではない。彼女はきっと、憎んだ上で人間を愛していた。自分に言い聞かせていたのだ。
誰彼からも憎まれる共通の悪になることで、自分以外の皆が憎み合わずに済むように。
(……性格悪い癖にそんな自己犠牲をしようと思うかね。軸がブレすぎだろ。皆の為にとか、馬鹿じゃねえの。気持ち悪っ)
かつてのアレクトラに悪態を吐く。直後、凄まじい爆音が鳴り響きアレクトラの身体が宙に投げ出された。
敵国の魔法部隊に急襲され、アレクトラを運んでいた馬車に乗っていた兵士達の肉体が四散する。爆発の直撃を免れたアレクトラは建造物の外壁に激突し、その衝撃で彼女を拘束していたX字型の磔台が粉砕される。
眼帯が焼き切れ、アレクトラに視界に光が齎される。それまで無抵抗だった彼女は初めて口枷を噛み砕き、大きく息を吸った。
「……外に出ても地獄とか。終わってんな、この世界」
アレクトラの目の前に拡がっていたのは、想像した通りの惨状だった。
地面にはおびただしい数の兵士と騎士の死体が転がっており、離れた広場には積み重なった女や子供の焼かれた死体の山がある。すぐ近くでは痛みに苦しむ男の叫びが響いており、アレクトラの前方では兵士と騎士が今まさに剣戟を交えている。
「くっ!? アレクトラの拘束まで解かれた! このままでっ」
立ち上がったアレクトラの存在に気付いた兵士が首を剣で貫かれ絶命する。足元に転がってきた兵士の死体を無表情で眺めた後、アレクトラは彼を殺害した騎士に目を向けた。
「なんだ、この少女は。……封魔の刻印か?」
騎士はアレクトラの手首に刻まれた刻印に着目すると、目の前の少女が何かしらの力を秘めていると察し剣を構える。
「……殺す直前に、あんた笑ってたよな。楽しいのか」
「何?」
「楽しいのかって聞いてんだ。人を殺す事が」
「何の話をしているのか分からんな。とりあえず、子供よ。その場で這い蹲れ」
「……」
アレクトラは騎士の言葉に従い、その場で膝をつき床の上に伏せる。
「ぐ、が……っ」
「……」
うつ伏せになったまま顔を横に向けると、自分と同じようにうつ伏せで倒れている兵士が血反吐を吐きながらアレクトラの方を見ている事に気付く。
何故、彼は自分に対して逃げろと言っているのだろうか。何故、恐怖と憎悪の対象であるアレクトラが生き延びることを願っているのだろうか。淀んだ瞳で思考を巡らせたあと、アレクトラの視界に騎士の足元が映る。
「まだ生きていたのか。しぶとい奴だな」
騎士がそう言うと、虫の息だった兵士の頭蓋が剣によって突き潰される。
「はっ。他愛もない。この程度の戦力で我らに楯突こうとは。まったく、剣聖が出る幕もなかったな、これでは」
「……愉しいんだな」
「? また意味のわからぬ事を喋るか、子供。気味の悪い奴だな」
アレクトラの方へ振り向いた騎士が彼女のふくらはぎに刃を落とす。
「叫ばぬのか? なんとも面白みのない。他の子供は軽く指を落としてやっただけで泣き叫んでいたぞ」
「……」
「ああ。叫ぶと言えば、勇ましく戦っていた兵士どもが女子供を盾にした瞬間何も出来ぬ様には驚かされたな。はははっ、蛮族の癖して一丁前に自らの命を差し出し解放することを願っていたが……お笑いとしては傑作だった。目の前で女の首をはねた時の、奴らの絶望した顔! ははははっ!」
「……」
「どうした、怖がらぬのか? 泣いてもいいのだぞ? 口が開かぬのであれば切り開いてやろうか? 子供は子供らしく」
「悪辣だなぁ。前に喰ってやった騎士連中はもう少しマトモな神経してたぜ。あんたが特別イカれてんのかな」
「なに? 喰ってやったって、貴様何を……っ」
アレクトラの背中を踏んでいた騎士の口が止まる。彼は立ったまま膝を折り、その場に崩れるように倒れる。
騎士はアレクトラが尾てい骨から骨を増殖させた『骨の尾』で後頭部を強打され気を失ってしまった。相手が沈黙したのを確認すると、アレクトラは自ら尻尾を引き抜きその場に捨て置く。
爆発の衝撃である程度自由を得たアレクトラだが、まだ彼女には首の枷と手枷、それに封魔の刻印が残っている。
両手さえ自由になれば力を込めやすくなるほどそれらを強引に外すことも可能だが、指、手首、肘を拘束されているため力を込められず彼女の怪力でもそれらを破壊することは叶わなかった。
「はあ……」
ため息を吐きながらアレクトラが剣を器用に脇に挟み、ギュッと脇を締めて木に剣を突き立てる。若干刃が刺さるも不安な刺さり具合を見兼ねて柄頭を叩き、しっかり刺さった事を確認するとアレクトラは刃の真上に両手を合わせた。
一思いに刃に向かい腕を振り下ろす。
戦いによって切れ味が損なわれていた刃だったが、少女の柔らかい肉を切る機能はまだ残っていた。しかし骨を断ち切ることは適わず、アレクトラは骨の周辺の肉をギコギコと腕全体を揺らす事で削り、一度肉から刃を離しその場にしゃがんで地面に何度も腕を打ち付け始めた。
「刻印さえなけりゃ、枷をどこかにぶつけるだけで済んだのにな……」
無心で何度も何度も地面を殴打する。地面が抉れ、腕が切れ目に反ってへし折れる。
折れた手先を足で踏み、立ち上がる事で完全に腕を切断する。アレクトラは手枷と刻印が自身の腕から外れた事を確認すると、今度は自分の首を刃に添えて顔を左右に揺らし始めた。
ゴリゴリと不快な音が彼女の顎下の肉から響く。ある程度まで刃が首に食い込むが、やはり頑強な首の骨は切断できない。だが、脈を切ることには成功した。アレクトラの首から鮮血の飛沫が飛ぶ。
刃から首を離したアレクトラがその場にへたりこみ、絶命する。停止した彼女の心臓がゆっくりと動きを再開し、おびただしい魔力が肉体から溢れて失われた両腕と首の断面が時間を巻き戻すかのように再構成された。
死した肉体に再度命の熱が宿る。完全蘇生と自己再生を終えたアレクトラは自身の腕に目を落とす。
「ここまでやったのに……物理的に切り落とすだけじゃ解除できないのかよ、コレ」
未だ封魔の刻印が機能している事に気付き肩を落とす。が、魔力を射出する系統の能力を封じられているだけで全ての能力が使えなくなったわけではない。
自身の状態を確認したアレクトラは、とりあえず自身を護送していた馬車の様子を見に歩く。彼女は出産直後であり、馬車には今朝方に産んだ赤子が乗っているはずだ。
「……まあ死んでるわな」
あれほど喧しく泣きわめいていた赤子が物言わぬ肉塊になっているのを確認し、深いため息を吐く。
もし生きていたら、この子はなんて名前をつけられていたのだろうか。帝国の兵士として扱われる事は確定しているが、それはそれとして自分なりの幸福を見つける事は出来ただろうか。友達を作ったり、恋をしたり、また家族を作ったり、そういったありふれた人生を送る事は出来たのだろうか。
色んな思いがアレクトラの脳裏を駆け巡る。だがそこに怒りはない、あるのはただただ哀れみと、人間に対する侮蔑の感情のみだった。
「人間は醜いって言説、嫌いだったんだけどな」
ロドス帝国もキリシュア王国も、本音を言ってしまえばどうでもいい。誰が正しくて何が間違ってるだとか、彼女が考える事でもない。
彼女は記憶を頼りにある場所に向けて足を動かし始める。
向かった先はロドス中央修道院。アレクトラが産んだ子供達が保護される手筈になっていた修道院であった。




