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リンの導線

わたしの博士の破れたノート

作者: リン

漢女(おとめ)なら三作品の恋愛要素を当てることは容易い

「すまない。先方に連絡を忘れた」

 何を忘れたのかと言うと、わたしが就職を希望していた魔石工房への連絡だ。

 魔石とはこの世界で採掘される不思議な鉱石のことだ。

 簡単に言ってしまえば、これを使うと魔法のようなことができてしまうという代物だ。

 そして魔石工房とは、魔石を使って新たな使い道を開発する工房のことである。

「すまないって、それですむような話ではないですが」

 間の抜けた教授に、わたしは困惑していた。

「すまない代わりと言ってはなんだが」

「なにか他に行くあてがあるのですか?」

「キミにぴったりの工房があるのだよ」

 教授は悪びれることもなく、新たな提案をしてきた。

「それはどこなんですか?」

「なんと、国学博士の魔石工房だ!」

 この国には、国学博士制度があり、現在四名の魔石工学研究者が国学博士を務めている。

 その中で三名は御用衆として、国王の側に仕えている。

 残りの一名が工房を持っているわけなのだが、不思議と評判を全く聞かない。

 何をやってるのかすらわかっていない。

 国学博士の魔石工房といえば、名誉といえば名誉なことだが、研究者にとってはそんなことより大切なことがあるものだったりする。

「まさか、その工房に行けと?」

「そうだ。博士が助手を欲しがっていてね、じつはキミをもう推薦しておいたんだ」

「は?」

 強引とも言える手際の良さに、わたしは呆れた。

「博士も喜んでいてね、この国で博士に逆らえばどういうことかわかってるよね、キミ」

 国学博士は学術界の最高峰の地位にいる。それに逆らえばわたしの魔石研究の道も自動的に絶たれてしまう。

「もう決定事項なんですね、行くしかないと」

「そういうわけだ。頑張ってくれたまえ」

 ガハハと教授が笑う。いったい誰のせいでこんなことになってるのか、小一時間、問い詰めたい。

 魔石工学を学んで六年。わたしは首席で国立学校を卒業した。

 にもかかわらず、この仕打ちときた。

 他の学生等はもう就職先が決まっていて、昨日酒場で祝の酒を酌み交わしたところだった。

 みな第一希望の工房へと行き、わたしも希望していた工房で魔石の持つ治癒系の研究をするはずだった。なのに、教授のど忘れのせいで、理由のわからないところに配属されるのか。

「そこは治癒系の工房なんてことはないですよね?」

「ないな。技術系の工房と聞いてはいる」

 わたしの研究意欲は潰え、研究対象は明後日の方へと方向転換を余儀なくされたのだ。でも、ここは耐えるより仕方がない。

「もう悔いても後の祭りだから、これ以上は何も言いません。でも、どんな研究をしてるのかくらいは教えていただけないでしょうか」

「ワシも知らん。あの女、学校に顔を出さないからな」

 教授はふんぞり返って、至極当然といわんばかりだ。

「博士ってどんな女性なんですか?」

「ワシは気に食わんな。まあ、明日、会ってみればわかるだろう」

 教授が一枚の地図を渡してきた。丸く印の付いているところが、博士の工房のようだ。

 わたしは教授の研究室から退室した。

 もう二度とここへ足を運ぶことはないだろう。



 一日が経って、心の準備は一応できはした。これも運命のようなものだと思って、成り行きに任せようという気になっている。

 女性で国学博士ともなれば、相当な経験と知見をもった人物であるのは確実だ。おそらく老女だろう。白髪の老博士といったところか。

 教授が気に食わないと言っていたから、偏屈な性格の持ち主かもしれない。

 道すがら、そんなことを推測しながら、地図の印のある場所へと向かっている。

 途中、可愛らしい金髪の少女がわたしを追い抜いて同じ方向へ走り去っていった。

 もしかしたら博士の孫か何かかもしれなかった。

 偏屈な婆さんでも可愛らしい孫には優しく接するのだろうか。

 などと考えていたら、目的地らしき場所に到着したようだ。

「ここが国学博士の魔石工房か」

 そこは巨大な倉庫のような建物だった。博士の工房というから、さぞかし立派な建物かと想像していたが、全く違っていた。簡素な作りだった。

 建物前でひとの姿が見える。

 立っていたのは、白髪ではなく、短めの金髪。偏屈ではなく、元気そうな。老女ではなく、若々しい十六・七の少女であった。

 ん?さっき通り過ぎた少女か?

「ま、待ったよ。キミが助手になってくれる人であってるのかな?」

 少女はやや息を切らせながら、わたしに声をかける。

「今度、ここに赴任することになりました。博士はどちらに?」

「博士?博士はここだよ、ここ」

 少女が胸を張る。

 この年端もいかぬ娘が国学博士?そんなことがあっていいはずもない。

「ええと、博士は、、、」

「ここだって言ってるだろ!ボ・ク・が、その博士!」

 わからず屋に言い聞かせるかのように少女がダメ押しする。

「ずっとキミが来るの待ってたんだから、他に誰が博士と言うんだ?」

 何かおかしなことが起こっているようだ。待ってもいなかった少女がじぶんが博士だと言ってきかない。

「すまない。わたしはここに仕事に来たわけで、遊びできたわけでは」

「遊びじゃないって!ホントにボクが博士なんだ。若すぎてゴメンね。これでも頑張って、ゆっくり成長したつもりなんだ」

「本当に博士?」

「そう、ホントに博士」

「わたしを待っていた?」

「助手に来てくれるって言うから、ワクワクしながら、ずっと待っていた」

 それは思いっきり嘘だな。信用してはいけない。

「じゃあ、博士。さっき道で通り過ぎたのはどうして」

「あー、あー、きこえなーい」

 少女が両手で耳を塞いで聞こえないふりをする。

「ボクはね、ずっと助手が欲しかったんだ。でも、ボクの研究を理解してくれる人が国立学校にいなくて、なかなか人を寄越してくれなかったんだ。それで、今日やっと、待ちに待った助手が来てくれるから、こうして工房の前で待ち構えてたってわけ」

 どうやら博士というのは嘘ではない感じがする。待っていたというのは完全に嘘っぱちだが、おそらく興奮して長いこと眠れずに寝坊して来たというところだろうか。

 少女が博士というのが本当であるなら、ここは話を合わせたほうがよさそうだ。

「ええと、博士、お待たせしてすみませんでした。よろしくお願いします」

 わたしは少女に頭を下げる。

 少女、もとい博士はニヤニヤしていた。

「こちらこそ、よろしく頼むよ。助手くんには期待してるんだから」

 こうして博士と助手のわたしの初の出会いは開幕した。



 博士はわたしを建物内に案内した。

 すぐに目についたのは巨大な二つの歯車だった。歯車同士が噛み合いながら動いている。

 歯車は鋼鉄製だろう。魔石より採掘できない鉄鉱石をふんだんに使ってるこんな巨大な部品なんてどこの魔石工房でも見たことがない。

 国学博士の魔石工房というのは伊達ではないというのが一目で理解できた。

「えへへ、おっきいだろう」

 二枚の歯車を自慢する。よほどのお気に入りなのか、愛するもののような眼差しを歯車に送っている。

「この歯車はずっと動いているんだ。ここを動力として、この建物全部の工作機械を動かしてるんだよ」

 巨大な二枚の歯車の中段には、木組みの板が張られていて、上に登って油などを差したり、整備点検できるようになっていた。

 そこへ博士はヒョイッと登る。

「ここがボクのお気に入りの場所なんだ」

「お気に入りなのはいいですが、下からスカートの中が見えてますよ」

「助手くんには何色かわかるかな?」

「薄いピンク」

「当たりー!」

 博士は腰に手を当てて股下を開いてみせた。

 見せられても全然うれしくはなかった。そもそも博士はわたしの趣味とはズレている女性だった。

「つまらないことしてないで。第一そこは危ないですよ」

「わかってるって。いつもここでは注意してるから大丈夫」

 博士は歯車の中段の板から飛ぶようにして降りる。

「ここで作業するにはこの格好では駄目だから、作業着に着替えないといけないんだ。いつも応接室で着替えてるから。こっちに来て」

 二人して応接室に入る。

 そこで博士は急に服を脱ぎだした。

 わたしは慌てて応接室を出る。何を考えてるんだ。

 しばらくして作業着に着替えた博士が出てきた。

「なんで外に出ちゃうの。一緒に着替えようよ」

 博士はつまらなそうだ。

 そんな博士を無視して、わたしは応接室に入る。

 テーブルにわたし用の作業着が置いてあった。

 さりげないことをすると思った。

「サイズは少し大き目だけど、腕と脚をまくれば問題ないか」

 応接室を出ると、博士は値踏みするようにわたしの作業着姿をしげしげと見つめる。

「サイズ、ちょっと間違えちゃった」

「構いませんよ。これでも大丈夫だと思います」

「それは駄目。工作機械は危ないから、だぶついてるのは巻き込む危険性があるんだ。ボクの髪の毛が短めなのもそう。だから、服屋に新しいのを注文しとくね」

「わかりました。博士の言う通りにします」

「それで宜しい。今日は工作機械はいじれないから、機械の説明とかだけに留めておこう」

 それから建物内に幾つかある工作機械の用途についての話を受けた。

 とりあえず、それ以上することもないので、開発で使う鋼材の整理整頓を二人ですることになった。

 二人で重い鋼材を持ち運ぶ。

「助手くんの専門って何?」

「治癒系の研究をしていました。特に毒消しが専門ですね」

「そかそか。じゃあ、技術系の知識とかは?」

「全くと言っていいほどないですね。同級生がそっち専門だったので、ちょっとは話に聞いた程度ですね」

「その子とは仲が良かったの?」

「そいつだけじゃなくて、みんな仲が良かったですよ。みんな悪友みたいな連中でしたね」

 博士はわたしの学生生活に興味津々のようだ。なぜだろう。

「ふうん」

「博士は学生時代どうだったんですか?」

 質問し返したら、プッと博士に笑われた。

「この歳みて、学生生活なんてあったと思う?ありえないでしょ」

 そう言われてみれば、そうだ。博士の身分にしては若すぎるのだ。

「ボクはね、七歳のときには、助手くんの通ってた国立学校のテキストを全部履修してしまって、国王と国学博士たちに驚かれて、十歳で強制的に国学博士にされちゃったんだよ。だから学校には行ってないんだ」

「じゃあ、学友とかは、、、」

「そんなのもいないよ。ボクはいつだって一人ぼっちなんだ」

 博士は寂しそうに呟いた。ずっと孤独だったのか。頭が良すぎるというのも問題なんだな。

「同情はしなくて良いよ。だって、ボクは一人のときも好きだしね」

「でも、助手は欲しかった、と」

「話し相手が欲しかったわけじゃないよ。ボクの研究には一人だと限界が来てしまって、困ってたんだ」

 それにしては、よくわたしとしゃべってる気がする。博士は寂しいじぶんの気持ちに気づいてないのか。

「とにかくわたしは助手としてここで一から頑張るつもりです。ですからガンガン教えて下さい」

「言われなくても、ガンガンいくよ~。いっちゃうんだから」

 博士の口が少し軽くなった。今日半日でけっこう親睦は深められた感じだ。

 鋼材を全て運び終わると、もうすることがなくなって、仕事はこれで終わりとなった。

 まだ昼前だったが、昼食休憩となった。

 わたしは街に戻って飯屋に向かうつもりだったが、なんと博士がわたしの分の昼食まで作って来てくれていた。

 どれだけ助手を待ち望んでいたんだ。

 博士と助手のわたしは建物外のベンチに腰掛けて昼食をとる。

「博士、今やってる開発ってなんですか?」

「もぐもぐ、もぐもぐあもぐもぐ」

 口に食べ物が入っているせいで何を言ってるのかさっぱりわからない。

「な、なんて言ってるんですか?」

「ゴクン。ああ、ゴメンゴメン。今やってる開発ね。魔石型ジェットエンジンだよ」

「魔石型ジェットエンジン?それはどこで使うエンジンなんですか?」

「空だよ空」

 博士は天を見上げて指さした。

「空ならプロペラ式がありますが、それとは違うものなんですか?」

「まったく違うね。プロペラ式はごおおって飛ぶけどジェットエンジンはギュイーンって飛ぶんだ」

 擬音から推察するに速さが違うようだ。

「要は速く飛ぶと」

「そそ、すっごく速く飛ぶんだ。プロペラ式なんて目じゃないくらいに、ね」

「その魔石型ジェットエンジンの開発状況はどれくらいなんですか?」

「うーんと、ゼロ」

 博士はあっけらかんとしていた。

「ゼロ、ですか、、、」

「まだアイデア段階なんだ。アイデア自体はいっぱいあるんだよ」

 わたしの反応に博士は少し不服そうに解説する。

「アイデアの中で目下のところ、最有力なのは魔石型ターボジェットエンジンかな。空気中のエーテルを圧縮して、魔石燃料と混ぜて噴出させるんだ。それから、」

 専門外のわたしには何を言ってるのかさっぱりだった。

 ぼーっとしているわたしに気づいたのか、博士はすまなそうに弁明した。

「ちょっと難しかったね。でも、そのうちわかるようになるから安心してついてきてよ」

 昼飯を済ますと今日はこれで仕事が終わってしまった。

 明日、わたしの無知に合わせて、技術系の講義をすることに決まった。



 新しい作業着が届いた。既にあれから二週間が経過している。

 真新しい作業着はサイズがピッタリになっていた。

 それを見て博士もご満悦のようだ。お気に入りの二枚歯車の中段から見下ろすように眺めている。

「今日は黒ですか」

「いいでしょ。気分転換に黒にしてみたんだ」

 なぜか博士のパンツ視認が日課になってしまっている。

 これもコミュニケーションツールといえば聞こえは良いが、なんだか独特ではある。

「さあ、今日は待ちに待った工作機械の実習だよ」

「テキストで頭には叩き込んでいますが、実際動かすとなると難しそうですね」

「慣れれば、大した事ないよ。でも危険と隣り合わせだから、指とか落とさないように気をつけながらやらなきゃいけない。安全第一が工作機械操作の基本だよ。技術の向上はそれからでもいいよ。どうせ5年後にはみんな同レベルになってるのが技術の世界の常識だからね。物覚えの早さなんて、そんなには役には立たないよ」

 そう言って博士はボール盤の卓上に右手を添えて、寄りかかるようにして立っているが、ボール盤のドリルが手のすぐ横でグルグル回っている。

「博士、そこ危なくないですか?」

「あはは、ボクくらいになると安全に避けられてるから良いの!」

「良くないに決まっとるだろ!」

 野太いおっさんの怒鳴り声がした。見ると、ベテラン技術者らしき人物が建物内に入り込んできていた。

「あ、親方」

 博士が親しげに声をあげる。

 一方で親方と呼ばれた技術者は腕を組んで、博士を睨めつけている。

「基本を忘れるなと、あれほど言っただろう!」

「ごめんなさーい」

 博士が子どものように謝っている。

 まるで親子みたいな関係だな。

「この人はボクの親方で工作機械の使い方を教えてくれた先生なんだよ。今回、ボクだけだと心もとないんで、来てもらっちゃった」

「なるほど。よろしくお願いします、親方」

 わたしは親方に挨拶する。

「おまえが新入りの助手かい。俺はこいつの師匠で短期間で工作機械の操作一切を教えた。おまえも同様にしてやるから覚悟しとけよ」

「が、頑張ります」

 わたしは強面の親方に少しビビっていた。どんな訓練が待ち受けているのやら。口先だけでもと思って出た言葉だった。

「よおし、その意気だ。ビシビシいくぞ」

 わたしの内心を他所に言葉通り受け取って、親方はやる気満々だ。

 親方はボール盤から始まり、旋盤・研削盤などなど基本操作の実演をしながら、わたしに実際に触れさせた。

「まあ、初心者の初ってところだな」

「ボクが初めて触ったときよりかは下手だね」

 酷い言われようである。

「技術系自体初めてなんで」

 言い訳するしかない自分がやるせない。

「ま、気を落とさないことだな。まだ始まったばかりだ」

 親方は正直者で心根は良い人のようだ。

「どう?すぐモノになるかな。ボク早く作りたいものがあるんだ」

「そりゃ、無理だな。初心者に無理に高度なものを作らせるのは危険だからな」

「そっか。地道にやるしかないかあ」

「すみません。至らなくて」

 今は臥薪嘗胆のときだ。

「気にしなくていいよ。ゆっくりやってこ」

 博士は急かしたことを気にしたのか、やさしく声をかけてくれる。

「若いんだし、これからだな。良いものを作れるようになるには時間がかかるってことだ」

 親方の言葉が身にしみた一日になった。



 それからは毎日、工作機械の扱いと手入れ、そして博士のパンツを見ることとなっていた。

 あっという間に一ヶ月が過ぎ、さすがに疲れが出ていたので、博士の提案でその日は、まる一日中央広場で過ごすこととなった。

 中央広場は首都で一番の広さを持つ公園だ。

 ちょうど花祭りの真っ最中だった。広場の花壇には色とりどりの花々が咲き誇り、見た目も美しい。

 博士は花の種類には疎いらしく、様々な色彩と形の花に興味津々だ。

「花が笑ってるね」

 博士がおかしなことを言う

「笑ってる?咲いてるじゃなくて?」

「うん、ニコニコしてるから」

 博士ってロマンチストなところがあるのか

「あっ、この花怒ってる!」

 前言撤回。

「この花は泣いてるね。こっちは叫んでる」

 博士の頭脳がわからない。

 花はどれも華やかで、美しくまた可愛らしい、としか見えない。

 花に感情があるわけない。博士の脳内はどうなっているのか。不思議な構造なのだろうか。

「みんなきれいだけど、感情はいろいろだね」

「そ、そうですね」

 まったく理由わからないけれど、話を合わせるしかない状況だ。

 ひとしきり花壇を見て回った後、帰り道でビッセルを連れた飼い主に出会した。

 ビッセルとは、ある国でしか生息しない大人しい従順な動物で、ペットとして珍重されている。

 所有しているのはだいたい上級貴族か大金持ちだ。

 博士が突然わたしの左腕にしがみついた

「あのビッセル、裸だぞ!裸体で恥ずかしくないのか」

 何を言うかと思ったら、またぞろおかしなことを言う。

「ビッセルは裸が普通なんですけど、動物だし」

「首輪に繋がれている!なんて屈辱的な!」

「いやペットですし」

「縄で引っ張られてる!可哀想に」

「飼い主に連れてかれてるだけかと」

 博士が変なことをのたまわりながら、ビッセルと飼い主を見つめてるので、相手の方も怪訝にこちらの様子をうかがいながら、すれ違う。

「もう、こっち見られてるじゃないですか。変な人かと思われちゃってますよ」

「あの飼い主はビッセルとそういうプレイが好きなのか?好きなのか?」

 完全に変な人である。

 わたしにとって博士との中央広場での一日は、一生忘れられないものとなった。



 いよいよ魔石型ジェットエンジンの機構の一つ、圧縮機の製造にとりかかる。

 わたしはまだ技術不足なので、周辺の手伝いしかできないが、博士は数あるアイデアの中から、これといった機構を見出していて、それを製作する。

 巨大な歯車が回るすぐ横にある大きな旋盤で博士が手際よく操作している。

 その後ろで親方が腕を組んで様子を見守っている。やはり年端もいかない博士が心配なのだろう。

 博士は時折ノートを見ながら作業している。

 ノートにはおそらく博士が考えた機構について描かれているのであろう。

 上手くいっているか逐一確認しながら慎重に形作っていく。

 博士の集中力は相当なものだった。いつもの元気で陽気な姿は影を潜め、真剣そのものだ。

 ぶっ通しで十時間くらい経ったころ、親方がストップをかけた。これ以上やれば操作ミスを誘発するおそれがあるからだろう。

 とりあえず、この日はここまでになった。

 終了の合図とともに博士は脱力したようだった。

 博士に飲み物を渡し、手軽に食べられる肉サラダパンを小さくちぎる。

「はい、あーんして」

「あーん」

 子どものような博士の口にちぎったパンを放り込む。

 博士はもぐもぐしながら、作りかけの圧縮機を眺めている。

 まだまだ完成には程遠い。親方がしげしげと圧縮機になる予定の鋼鉄の塊を確認している。

「モグモグ、親方、あとどれくらいでできそう?」

「このペースだと一週間てところだろうが、少しやりすぎだな。ペースを落として精度を確保してやった方が確実に上手くできるぞ」

「なるほど、じゃあ10日くらいを目安に完成させる」

「それがいい」

「これから、これがどんどん圧縮機の形になってくのって、ワクワクしちゃうな」

 博士は目を輝かせている。

「上手くいくと良いですね。どんな物になるんだろう」

 わたしの想像力ではどんな機構になるのかは、まだまったくわからない。

「ええとね、これ見て」

 博士がノートを開いて、わたしに見せてくれる。

 わたしは博士と肩をくっつけて覗き込むようにしてノートを見た。

「これは、、、相当複雑じゃないですか」

「そうでもないよ。考えた中ではこれが一番シンプルなんだ」

 博士がページを捲って他のアイデアの機構も見せてくれる。

「どれも作るのが難しそうですね」

「でしょ。今のが一番簡単で確実に空気を圧縮できそうなんだ」

「これ全部、博士が考えたんですか?」

「そうだよ。でも、頭の中はもっとたくさんのアイデアの圧縮機があって、いつもどれを候補にしようか迷っちゃう」

 わたしからみれば、贅沢な悩みである。博士の脳内はどうなってるんだろうと、いつも思ってしまう。

「旋盤である程度作ったら、他の工作機械で仕上げてくるつもり」

 博士の現在の頭の中は今後の予定で詰まっているようだった。



 遂に圧縮機が完成した。

 博士は嬉しさのあまり、製作終了と同時に大の字になって跳び上がった。

 そしてコケた。

 着地のことは考えてないようだ。

「ようやく日の目を見ましたね」

 わたしは感激していた。

「まだまだだよ。あと圧縮できるか測定装置を作らなきゃ。やることはまだ残ってるんだ」

「それならもう残ってないぞ」

 親方がいつの間にか工房に来ていた。

「あ、親方」

「暇だったんで、測定装置なら、俺が作っておいた」

 親方ほどの技術者なら仕事で埋まってるはずなのによく言う。

「親方~、ホントにありがとう」

 博士が涙ながらに感謝してる。

「博士を見てたら、俺もちょっと作ってみたくなっただけだ」

 本当は博士が心配で何か役に立てることはないか考えたんだろうが、漢らしい親方らしい言い方だ。

 早速、測定装置を使って、圧縮機の性能を確認してみる。

「いい感じじゃないか」

 親方がメーターを見ながら感想を言う。

「う~ん。ちょっとだけ期待値より低いかな」

 博士は難しい顔をしている。

「そうなんですか?」

「ホントはもっと良い結果が出るはずなんだけど、目標値は上回ってて、どうしようか悩みどころ」

「ここの精度がちょっと甘いから、そこをもう一度磨いてみれば、良くなるんじゃないか」

 親方が指さした場所だが、わたしにはまったっくもって他との精度の違いがわからない。

「確かに。そうかもしれない。もう一度磨き直してみる」

 博士は真剣そのものだ。すぐに工作機械に備え付けて、作業を始めた。

「これで上手くいくと良いですね」

「そうだな。上手くいくさ。きっとな」

 親方と二人で博士の様子を眺める。

 博士は小さな体を縦横無尽に動かして、作りの甘い該当箇所と他の場所の精度を上げていく。

 仕上がった圧縮機を今一度測定装置に取り付けて再確認する。

「メーターが上がった!」

 わたしは喜びのあまり叫んでしまった。

「うんうん、いい感じ。やって良かった。教えてくれてありがとう、親方」

「俺は思ったことを言ったまでだ。大したことじゃない」

「そんなことないよ~」

 博士と親方は本当に互いを思いやっている。

 これで魔石型ダーボジェットエンジンの一部が姿を現した。



 魔石型ターボジェットエンジンは三段階目の機構を作り終えて、四段階目に入っている。

 一つの機構を作り終えるごとに博士は大の字で大ジャンプしていた。

 それを見ると、嬉しくなってしまうじぶんがいる。大して手伝えてはいないのだが。

 親方は要所要所で当たり前のように工房にいるようになっていた。

 そんなある日、いつものように博士がノートとにらめっこしながら、四段階目の機構を作っているところ、知らない男がやってきた。

「はじめまして、博士」

「だーれー?」

「私は国立学校で助教をしている者です。博士にちょっとお耳に入れておきたいことがありまして」

 博士は何事かと作業の手を止めた。不思議そうに相手を見る。

「耳に入れておきたいことって何?」

「悪い教授についてちょっと、、、」

 助教はこの場では話しづらそうにしてるように見えた。

「ここではなくて応接室で話してはどうでしょうか」

 わたしは気を利かせる。博士も察したようだ。

「んじゃ、応接室に来てくれる?」

「お願いします」

 博士は助教を応接室に案内した。

 奥の長椅子に博士とわたし、手前側に助教が座り、話が始まった。

 それは悪い教授が博士について悪い風評を流しているという情報だった。

「それは事実なんですか?」

 博士のことが心配になって、つい話に割って入ってしまった。

「ええ、事実です。調査したので」

 助教は淡々と話す。

「ふうん」

 博士は関心があるのかないのか、いまいちわからない反応だった。 

「それでなんですが、わたしの上司にあたる良い教授も悪い教授から同様の風評被害にあっていまして、できれば博士と一緒に不実の払拭に協力していただけないかと思いまして、こちらに来た次第です」

「なるほどね~」

 博士はどこか他人事のようだ。

「お願いできますか。一緒に悪い教授から国立学校を守りましょう」

 助教は少し熱が入ったように説得してきた。

「うん、保留」

 博士ははっきりとそう言った。

 博士の答えはわたしにとって意外なものだった。何故風評被害を野放しにしておくのか。わからなかった。

「保留?それで本当にいいんですか?」

 助教が詰め寄る。

「保留だよ。今後こちらから連絡してくるまで来なくていいからね」

 なんか突き放している言い方だ。

「・・・わかりました。博士から連絡をお待ちしております」

 博士が立ち上がり、話の終わりの態度をとると、助教も立ち上がり、別れの挨拶をして退室していった。

「さて、助手くんはどうする?」

「どうするも何も、学校内の風評被害って厄介なんですよ。このまま博士の立場が悪くなったら、かなりまずいですよ」

「ボクはね、実際のところを悪い教授に直接聞こうと思ってる」

 博士がとんでもないこと言った。

「直接って、助教の言ったことを信じてないんですか。調査して事実だったって」

「うん、信じてないね。だって彼、話がうまくて中途半端に頭が良いんだもの」

 いったいどういうことだ?中途半端に頭が良いとは何のことなんだろう。

 博士が作業着を脱ぎ始めた。普段着に着替えるつもりだ。わたしは慌てて部屋を出る。

 博士が普段着に着替え終えて部屋を出た後、わたしも応接室で通常着に着替える。そして今日の作業は中断にして国立学校へと向かった。

 学校内の悪い教授の研究室には悪い教授が一人だけいた。何かの専門書に目を通しているところだった。

「やあ、久しぶり」

 博士が軽い挨拶をする。

「誰かと思えば博士様かい。私に何か用でもあるのか」

 皮肉とぶっきらぼうな言い回しだ。さすが悪い教授と言ったところか。

「んとね、率直に聞きたいんだけど、ボクの悪い噂って何?」

「なんだそりゃ」

「教授が博士の悪い風評を流してる件なんですが」

「いったい何のことだね」

 話が噛み合わない。いったいどういうことだ。

「教授ってボクに恨みとかないよね」

「ないね。そもそも関心がない」

「ボクに関してなんか情報とか記憶とかないの?」

「昔、博士の研究結果に誤りがあったから批判したことはあるな」

「それだけ?」

「他になにもないが、、、」

 悪い教授は少し困惑しているようだったが、冷静に答えてはいる。

「わかった。まあそうだよね。そんなことだろうと思った」

 博士はすっきりしたように陽気ないつもの博士になっていた。

「そういえば、最近、助教からその昔の博士の研究について聞かれたことがあったが、そのときも批判はしたな」

 調査した事実とはこのことだったのか。

「ありがとう。忙しいところ、ごめんなさいね」

「ああ、私は研究に忙しいんだ。用が済んだらさっさと帰っておくれ」

 わたしと博士は国立学校を出て、近くの中央広場のベンチに腰掛けて、これまでの事情を整理した。

「助手くんは悪い教授のことどう思った?」

「コミュニケーションの取り方には難がありそうですが、悪い教授には見えませんでした。むしろ是々非々で語る正直な人だと」

「ボクもそう思うよ。だけど助教にはそう見えてない」

「どういうことなんです?助教はなんで本人に聞いたらすぐバレる嘘をついたんでしょう?」

「嘘じゃないよ。彼の中ではね。彼の頭の中ではあれが事実なんだ。中途半端に頭が良いから」

「中途半端に頭が良いって何なんですか?」

「中途半端に頭が良い人は物事を考えるのに優れていて、じぶんなりの考えを持ってる人のことだよ」

「それって良いことなんじゃないですか」

「だけどね、じぶんにバイアスが掛かってることには気づいてない人」

「本当に頭の良いボクなんかは事実関係をフラットに考えてて大丈夫なんだけど、中には自分の頭の良さに自己満足をおぼえて、バイアスが掛かったまま事実を見る中途半端に頭の良い人って世の中にいっぱいいるんだ」

「へえ、わたしはバイアスが掛かってる方なんですか?」

「助手くんは凡庸だから、ふつう。フラットだね」

 酷い言い様である。これでも国立学校首席卒業なんだけどな。

「そんなわけで、悪い教授は良い教授だった。逆に、」

「良い教授は悪い教授でしょうね。あんな助教使ってるくらいだから」

「そういうこと。たぶん良い教授は悪い教授と争ってて、ボクを使って追い出したかったんだろうね。そんな利用されるのは嫌だから、もう関係ない話だね」

「それがいいですね。本来、わたしたちに無関係な争いに関わるなんて普通じゃないですし」

「助手くん、よくわかってるね。でも、良い教授と助教は口が上手いし、学内では優位にいるっぽいから、学校のみんなは騙されそうではあるね」

 なんか嫌な予感をさせる発言だ。

 それはしばらくして現実のものとなった。

 悪い教授が国立学校から追い出されたとの情報が親方からもたらされた。

 良い教授は助教だけでなく他の教授連中と組んで、目障りな悪い教授の追い落としに成功したのだった。

 その日一日、博士は不機嫌な顔を見せなかったものの、ずっと黙りこくって作業するだけだった。心のなかでは怒りが渦巻いていたにちがいない。

 この後、良い教授のグループは国立学校で盤石な地位を手に入れて学内を牛耳っていくことになる。



「この部分さ、助手くん作ってみない?」

 四段階目の機構で初心者でも作れそうな部分を見つけて、博士はわたしに製作を依頼した。

「いいんですか?もし失敗でもしたら、、、」

「そんなことは気にしなくていいよ。そうしたらまた最初から作るから」

 それだと申し訳なさすぎて、逆にできない。

「やっぱ遠慮します」

「遠慮しない。これはボクと助手くんの製作にしたいんだ」

 わたしを魔石型ターボジェットエンジンの開発の一員にしてくれるつもりなんだ。

 博士はどこまで考えがやさしいんだ。

 博士の期待に応えたい。わたしは思い直して、製作することにした。

「やります。やらせてください。絶対、成功させてみせます」

「そう、その意気込みが大事なんだ。人生は踏み込んでいかないとね」

 なぜか人生論になる。

 早速、制作途上の高鉄の塊を旋盤に取り付けて作業を開始する。

 まだまだひよっこレベルの技術だが、これくらいできなければ技術者として先に進めない。

 わたしの工作過程を博士は真顔になって見つめているのが背中でわかる。博士はそういう人なのだ。

 一通り、わたしの作業工程は終わった。

「どうですか?」

「まあ、合格で良いんじゃないかな。とりあえずね」

「とりあえずですか、、、」

「そう、とりあえず。もっと上手くなれば、もっときれいにできるようになる。これからは美感を意識しながら、作業していくと良いかもね」

「美感?技術に美しさって求められるものなんですか」

「人にはわからないだろうけど、じぶんにはわかる美しさってあるんだよ。それを大事にしながら作ると楽しいよ。親方に教えてもらった受け売りだけどね」

「親方、最近来てないですね。何かあったんでしょうか」

「今、親方の奥さんが病気でその看病してるらしいよ」

「そうだったんですか。知らなかった。結婚できてるとこ」

「そこ?」

 博士が笑う。

「親方はね。ああ見えて女子技術者に大人気なんだよ。すごく心がこもってるって」

「人は見かけによらないんですね。ひょっとしたら博士にもファンがいるかもしれないですね」

「いないいない。ボクにそんなのいるわけないよ」

「まあ、そうですよね。いるわけない、でした」

 博士はムッとした。

 最近、博士に対して冗談を言えるまでに仲が深まった。

 四段階目の機構はもうすぐ終わる。

 そうしたら、次は最後の機構を残すだけとなり、それを組み合わせたら魔石型ターボジェットエンジンができあがる。

「じゃあ、代わって。あとはボクがやるよ」

 わたしは博士に作業を引き継いで、博士の技術力を見学することにする。

 その二日後、四段階目の機構は完成した。



 最後となる五段階目の機構については案出しの段階で止まったままだ。

 博士はお気に入りの二枚歯車の中段で、ノートを開きながらうんうん唸っている。

 そんな博士をわたしはずっと下から眺めている。白である。それをずっと眺めている。

「助手くんちょっといい?」

 呼ばれたので二枚歯車の中段によじ登る。

「ここのところ、助手くんはどう思う?」

 博士はノートに描かれた五段階目の機構の候補について見せる。

「わたしに聞いてもわかりませんよ」

「人の意見を聞いてみたいんだ。率直な意見で良いんだ」

 わたしは博士の肩に身体を寄せて、ノートを覗き込んだ。

「ちょっと複雑すぎて、わたしにはさっぱりですね」

「だよね。ここのところをもっとシンプルにできないかと考えてて、でも良い案が思い浮かばないんだ」

 そういう理由だったか。

「参考になったよ。ありがと」

 わたしの役目は終わったので、二枚歯車の中段から飛び降りる。

 そしてまた、下から白いパンツの見える博士を眺める。

 結局、その日一日中、五段階目の機構の案出しだけで終わることになった。

 仕事の終了時刻が来たのでわたしは帰ることにしたが、博士はまだ考えていたいと残ることになった。

 次の日の朝、いつものように自宅から博士の魔石工房へ通勤する。

 魔石工房の近くまで来ると人だかりがする。

 何事かと思って様子を伺いながら近づいていくと、国の衛兵たちだった。

 衛兵の一人がわたしに気づいて走り寄ってきた。

「あなた、ここに勤めている方ですか?」

「そうですけど、何かありましたか?」

「じつは、博士が事故でお亡くなりました」

 なにを言っている?事故?

「そ、それはどういう意味なんですか!」

「博士は魔石工房内の巨大な歯車に挟まれた状態で発見されました」

 そんなはずは、あるわけない。あの博士が亡くなるなんて。

 わたしは衛兵の制止を振り切って、急いで魔石工房に入ろうとしたが、衛兵が何人も集まってきて、わたしを捕まえる。それでも抵抗していたら、縄で縛られてしまった。

「博士!博士は今どこに!?」

 この場の責任者と思われる衛兵長が騒ぎを聞きつけてやってきた。

「博士は今、お見せすることができません。できれば、元気なお姿のままの記憶でいてください」

「なにを言ってるんだ。博士はどこだ?!まだ工房内にいるんだな!」

「それをお教えすることはできかねます。とにかく一旦落ち着いてください」

「落ち着いている!博士に早く会わせてくれ!」

「できかねます」

「なぜだ!?」

「博士のことを知っておられるのなら、そのお姿を大事にしていただくほかありません」

 なんてことだ。博士はもう見る影もないというのか。

 わたしの頭のなかで博士の記憶が駆け巡る。

 淡い風景のなか、博士が短い金髪を風になびかせて、陽気に笑顔を振りまいている。

 そして、わたしになにかを語りかけようとしてくれている。

 それがもう現実ではないということなのか。

 信じられない。信じることができない。信じられるわけがない。

 博士が心配だ。なんとしてもどんな姿になろうとも博士のもとに行かなければ。

「この縄を解いてくれ。博士に会いたいんだ!」

「駄目です。この方を一旦、守衛所にお送りしろ」

 衛兵長がわたしに縄をかけている衛兵に命令する。

 わたしは無慈悲にも守衛所に引き連れられて、監禁された。

「しばらくここで頭を冷やしてください」

 衛兵は守衛所内の椅子にわたしを座らせて、そのまま監視体制をとる。

 わたしは呆然としていた。

 頭の整理がつかない。

 博士がわたしを必要としているはずだ。なのになぜこんなところで縛られていなければいけないんだ。理不尽すぎる。

 博士のことで頭がいっぱいになるじぶんがいる。

 博士のためにわたしのできることはなんだ?博士のしたいことがわたしもしたい。

 博士と魔石型ターボジェットエンジンを開発するのを目標に今まで頑張ってきた。

 それがこんなことで終わりだっていうのか。

 博士、わたしはどうしたらいい?

 なにをすれば博士の期待に応えられる?

 博士の元気な姿がもう一度見たい。

 博士が語ってくれなければ、なにも始まらないっていうのに、博士はもうこの世にいないのか。

「博士、、、」

 誰もなにも答えることはない。守衛所は静かなままだ。

 昼すぎまで、わたしは放って置かれた状態でいた。

 ようやく守衛所にあの衛兵長がやって来た。

「事故の現場調査が終わりました。博士は今後、棺に入れられて、それでお会いすることができると思います」

「棺だと?それは博士じゃない!」

「それでも、わかっていただくしかありません。博士のことをお思いになるのであれば、尚更です」

 悔しさが込み上げてくる。博士と一緒にいた時の流れが止まったのを感じた。

「もう、博士には会えないのですね、、、」

「残念ながら」

 わたしの心に穴が空いた。

「この後、数日は事故調査に時間がかかると思います。ですので、その間は自宅で待機してもらいます」

「・・・わかりました」

 わたしは自宅に帰された。

 翌日、博士の葬儀が執り行われた。

 わたしはもちろん参列した。だが、親方の姿はどこにも見当たらなかった。現実をまだ受け入れていないのだろう。酒浸りになったと噂で聞く。

 博士の棺が掘られた穴の中に入れられ、少しずつ土がかけられていくのを見守りながら、博士のご両親が肩を寄せ合い泣いているのを眺めながら、博士の終わりを見届けた。

 それからのわたしは抜け殻のような生活を送った。なにもする気が起きない。

 髭ものび、髪もボサボサになり、幾日も着替えてない服を着たまま自宅に籠もっていた。

 事故から六日目になって、魔石工房に行って良いと許可が降りた。

 博士の遺品が魔石工房に届けられているとのことだった。

 さっそくわたしは魔石工房へと向かった。工房内には誰一人としていなかったが、遺品が工作用のテーブルの上に並べられている。

 一つ一つがありふれた博士の小物ばかりだった。

 そんな中に博士のノートがあった。

 わたしはそれを手にとって捲ってみた。

 わたしには理解不能な機構の数々の案が描かれていた。

 何ページか捲ってみたところで、ページの端に走り書きをみつけた。

 今日助手が来た。身近に博士と呼んでくれる人ができた。うれしい。

 わたしが初めて博士に会ったときの博士の感想だ。あのときニヤニヤしてたのはそんな理由があったのか。

 博士のノートは一枚が大きく破れて損なわれていたが、幸いなにも描かれていない新しいページだったようで安心した。

 博士のアイデアは全て無事だった。

 全てのページを捲ってみて、わたしは悟った。

 今のじぶんの知識では博士のアイデアすら理解できないと。

 一度、国立学校に戻って、自然の力の原理を理解する必要がある。

 博士と同レベルの知識を身に着け、このノートに描かれている機構の全てを理解しないといけない。

 でなければ、博士の頭脳は埋もれたまま歴史の片隅にも残らないで、棺のように暗い土の中で誰にも知られることのないものになる。

 それだけは絶対に阻止しなければならない。

 わたしは国立学校に戻り、二度と会うまいと思っていたあの教授に頼み込んで、学内に一室を設けてもらうことにした。

 教授は私に対して偉そうではあったが、その実、良い教授グループの腰巾着となっていた。

 兎にも角にも、国立学校でのわたしの研究は始まった。



 国立学校での研究に戻って二年が経とうとしていた。

 浸食を忘れて研究に打ち込んだ結果、わたしは学内でも一二を争うくらいの知識の持ち主となっていた。

 そうして、わたしは博士のノートに描かれた機構の一部については、いくらか理解できるようにもなっていた。

 国立学校は良い教授を筆頭にその取り巻きたちが大手を振って歩く空間と化していた。

 だが、わたしには関係のない話だ。あいつらとの挨拶を無視して、関わりのないようにしながら、研究を続けている。

 時折、博士の魔石工房へと赴いては、じぶんの工作技術の修練もしている。

 技術といえば、あれから親方には一度も会っていない。もう疎遠になっている。

 そんなあるとき、教授から驚くべき知らせを受けることとなった。

 わたしを一研究者から教授に昇格させるという話だった。

 良い教授グループによる懐柔かとも思ったが、そうではないらしい。

 わたしの知識量が国王の耳に届いたらしく、国王直々に昇格の話をしたという。

 幸運なことではあったが、嬉しくはなかった。

 そういった感情は博士の棺と一緒に土に埋めてしまっていた。

 教授の辞令を受け取った日も、いつものように研究に没頭する。

 休む時は博士のノートを眺めて、思考する。いったいどういうアイデアでどういった仕組みなのかの確認をする。

 わたしの感想としては博士は天才であった。

 突飛そうなアイデアに見えるが、実は理にかなった考えをもとにしている。

 博士はアイデア自体はもっとあると言っていた。ノートに描かれたのはその有力候補に過ぎないと。

 わたしはまだ博士の足元までしか見えていないのだ。

 だが、視点を変えてみれば、博士の頭脳の一端を理解できたということでもある。そのことだけでも良しとするほかない。

 教授となったわたしに助手が就くという話が舞い込んで来たのは、それからしばらくしてからのことだった。

 あの教授がわたしに耳打ちした。

 助手となる学生はじつは国立学校の学生ではなく、国王の愛娘、第三皇女であるとのことだった。

 だから粗相の無いようにしろとの忠告を受けた。

 一研究者では助手を取れない。だから、じぶんを教授にしたわけだ。

 助手となる第三皇女とは、博士の魔石工房で会うことにした。

 魔石工房の入口でわたしは皇女を待っていた。

 一人の女性が現れた。あれが第三皇女か。

 驚いたことに博士より髪を短く切って、銀色の髪を短髪にしていた。凛々しい雰囲気の若い女性であった。

 女性はじぶんが皇女であることがバレてるとも知らず、国立学校で専門にしていた研究などの話をした。

「私は、学校では農作機械のエンジンについて研究しておりました。ここでジェットエンジンの研究をしてるとの話を聞いて、矢も盾もたまらず助手になることを志願いたしました」

「国立学校では農作機械のエンジンなんて研究はなかった気がするが」

「えっ?」

 第三皇女の表情が驚いたまま固まる。

「まあいい。助手として、これから頼むよ。第三皇女さま」

「知っておいででしたか」

 諦めたように皇女は白状した。

「じつはこれまで御用衆を勤めている三博士から技術系の魔石研究の手ほどきを受けていました。ジェットエンジンの話も三博士からうかがいました」

「なるほど、それではこちらも言わなければならないことがある。じつはジェットエンジンの開発は既に亡くなった博士の研究によるもので、わたし自体は博士の残したアイデアを再現させようとしているにすぎない。別に大した研究者でないことは承知しておくように」

「でも、教授は国立学校一の博識と伺いましたが」

「博士の方がずっと博識だった。わたしなんか足元にも及ばないよ」

「わかりました。それでも手伝わせていただきたいのです。私も一研究者としてじぶんの探究心に従って一生を捧げたいと考えています」

「そういうことであれば、こちらも大歓迎だよ。助手さん」

「はい!よろしくお願いします」

 わたしはまず助手さんの工作機械の技量を測りたいと考えていた。魔石工房には幾つもの工作機械がある。それを触らせてみようというわけだ。

 博士が亡くなって以来、わたしが利用するとき以外、ほとんど動かしていない二枚歯車の動力を起動する。

 機械特有の音で満たされていく。止まっていた工房内が生まれ変わったような感覚がした。

「試しに旋盤を使って好きなものを作ってくれ」

「はい、教授」

 助手さんは素直な性格のようで安心した。国立学校ではなく三博士のもとで育てられたため、まっすぐ成長した感じだ。

「できました。どうでしょうか?」

 助手さんの作ってみた成果物を確認する。

 どれも正確に削れていて、しかもわたしでもわかるくらいにきれいだ。はっきり言ってわたしよりも技量は上だった。

「ま、まあまあだな」

「まあまあですか。精進します」

「それでは他の工作機械も見てみるぞ」

「はい!」

 結果、助手さんは熟練工並の実力があることが判明した。わたしの立つ瀬がないことも判明した。これからは製作自体は助手さんに任せた方が良さそうだ。

「助手さんの実力は把握できた。ただ博士の考えた機構を理解できるようになるまでは工作機械を使う予定はない。なので今後は国立学校での研究に勤しむことになるが、それでもいいかな」

「是非、お手伝いさせていただきます。私もジェットエンジンの仕組みを理解したいと考えていたので、ご一緒させてください」

 そんなわけで教授となったわたしは第三皇女という助手さんと共に博士の魔石型ターボジェットエンジンの研究を進めることになった。



 今日はわたしにとって特別な日だ。

 かつて博士とわたしが中央広場で散策した日、つまり花祭りが開催されている日である。

 毎年この日だけはかかさず花祭りを見に行っている。

 今年は助手さんを伴って中央広場へ向かった。

 各所の花壇には色彩豊かな花々が咲き誇っている。

「今年も花が笑ってるな」

 わたしは博士のことを懐かしみながら口にする。

「笑ってる。ですか?」

 助手さんは不思議そうな顔をした。

「そう、笑ってる。怒ったりもするし、泣いたりもする。叫んでいるのもある」

「笑ってるというのは、なんとなくわかる気がします。が、怒ってるとか泣いてるとかはまったくわかりかねます。まして叫んでるというのは、花がなにか訴えたいことでもあるんですか?」

「えっ?」

 そう言われてみれば、その通りである。わたしは博士の感性をじぶんのもののように思い込んで話してしまったことを後悔した。

「どういうことか説明していただけませんか?私知りたいです」

 助手さんの探究心に火をつけてしまった。

「え、ええと、なんとなくかな?」

 上手くは誤魔化せていないが仕方がない。

「なんとなく、ですか」

 いささか納得しかねているようだが、これで納得してもらうよりほかない。

「そんなことより、きれいなものを見て心が洗われるようじゃないか」

「そうですね。これまで研究室に籠もりっきりの日々だったので、いい気分転換になりました」

 わたしと助手さんは中央広場の花壇を見渡した。家族連れ、カップル、老夫婦など様々な人々のなかにわたしたちもいる。花祭りは花々とごった返す人々のにぎわいで初めて完成された作品となっているように感じた。

「私、花祭りは初めてなんです。理由は知っての通りなんですが、こんなにきれいだとは思いませんでした」

 助手さんは感激しているようだ。

 助手さんの素直に感動している表情を見ていると何かが溶けていくような気がする。

 それはかつて博士と一緒にいた頃には当たり前のようにあった感情だった。

 博士のいなくなったことでできた心の穴が少しだけ塞がったのだろうか。

 花祭りからの帰り道、向こう側からビッセルを連れた大金持ちに出会した。

 上級貴族だと不味いと思って、わたしの後ろに隠れていた助手さんがほっとしたように、わたしの横に戻る。

「ビッセルか、珍しいな。見かけるのは博士と花祭りに来たとき以来かな」

「珍しいんですか?ビッセル」

「珍しくないの?ビッセル」

「我が家には十四匹のビッセルがいるので、、、」

 助手さんが気まずそうに言う。

「じゅ、じゅうよん?!」

 さすがに王家である。おそらく贈答品として受け取っていたら、そんな数になってしまったのだろう。交配して増えた分もありそうだ。

「ま、まあ、そういうこともあるかもしれないことを想定できなければ、博士の着想には追いつかないから、いい訓練になるよ」

「なんか無茶苦茶な理屈に思えますが、そういうことにします」

 助手さんとはこれから国立学校に戻って、博士のノートに描かれた機構の理論について語る予定でいる。

 助手さんが研究熱心な性格でだいぶ助かっている。

 議論することで、博士の考え方が整理でき、また自分では思いもよらない視点から話を聞くこともある。

 助手さんがいてくれて博士のノートの研究が捗っているのは確かであった。

 

 

 毎日のように助手さんとノートの機構案について議論している。

 そして昼休みになると応接室で向き合いながら、食事を摂る。

 助手さんの家が王家であるためメイドが二人分の昼食を毎回作ってくれていた。

 今日も助手さんと普通に食事をしていた。

 わたしは行儀は悪いが、ノートを片手に眺めながらパンをかじっていた。

「教授って、今も博士に恋してるんですか?」

 急に助手さんが妙なことを言い出した。

「な、なにを言ってるんだ。そんなことないよ」

「だって、いつもノートを手放さず食事してます。わたし知ってます。それって恋です」

「わたしは博士の功績を無にしたくないだけで、好きとかそういう感情でやってるわけでは、、、」

「教授が気づいてないだけだと思います。教授は博士に恋をしてます。でなければ片時も博士のことを忘れないのを説明できません」

 助手さんは理路整然としていた。しかし、間違っている。

「博士はわたしにとって大事な人ではあったけれど、恋愛感情なんてもったことない。第一タイプではなかったし」

「じゃあ、教授はどんなタイプの女性が好みなんですか?きっと博士のような女の子がタイプに決まってます」

「決めつけは良くないよ。そうだな、強いて言えば、助手さんみたいに真面目でハキハキした女性が好みかな。博士は少しふざけた元気っ子だった。年齢的にも少し離れてたし、恋愛対象ではないよ」

「えっ?」

 助手さんがなにかに驚いたような反応をする。何かおかしなことを言ったか。

「わたしは博士と一緒に魔石型ターボジェットエンジンの開発に携わっていたから、博士がいない今、どうしてもそれを形にしないとじぶんが許せない。ただそれだけなんだ。恋とか愛とかでは語れないよ」

 わたしの説明に助手さんは心ここにあらずといった感じで聞いている。どうしたんだ?

「助手さん?」

「えっ、あ、はい。何かありましたか?」

「いや、助手さんがぼーっとしてたから」

「私、ぼーっとしてましたか?そんなことないですよ」

「だって、ちぎったパン、テーブルに落としてるのに気づいてないし」

「えっ、ああ!」

 助手さんは慌ててパンを拾った。いったい何があった?

「私、どうかしてたみたいですね」

 助手さんが気落ちしたように言う。

「研究に根を詰めすぎたのかもね。でも、助手さんがいてくれて助かっているよ。本当に」

「本当ですか?私、研究が楽しくて熱中してるだけなので、よくわかってません」

「第三段階目までの博士の案を全部理解できたのは、助手さんのおかげだよ。じぶんだけでは思いもつかなかったこともある」

「そう言っていただけると、嬉しいです。私、教授の足を引っ張ってるんじゃないかって、考えているところあったので」

「足を引っ張るどころか、どんどん研究が先に進めて、わたしの方こそ嬉しく思ってるよ」

「本当に、教授ってやさしいですね」

「やさしいって、本音を言っただけだよ。研究に恋とか、助手さん面白いこと考えているんだね」

「そうですか?私の勘ってけっこう当たるんですが」

「勘なら、外れることもあるってことだよ。今回は外れたね」

 わたしはいたずらっぽく言った。

「残念」

 と言うものの、助手さんはあまり悔しそうではない。話してて楽しかったのだろう。

「さあ、午後から第四段階目の博士の案が待ち構えているぞ」

「はい、がんばりましょう」

 わたしと助手さんは意気投合した。

 

 

 第四段階目の博士の案も全て理解することに成功した。

 これで第五段階目のみを残すことになる。いよいよ製造段階に入る。

 気晴らしで、久しぶりに助手さんと中央広場に散策しに出かけていたら、珍しい人に出会した。

 親方である。日中から花壇の端に腰掛けて、くたびれたように飲んだくれていた。

 立ち止まってじっと眺めていると、親方の方からわたしに気づいた。

「よう、助手。元気か?」

「教授はもう助手ではありません。私が教授の助手です」

 助手さんが酔っ払いに食って掛かる。

「おお、そうらしいな。偉くなったもんだ」

「この時間から飲んで、仕事はどうしたんですか?」

 心配になってわたしは親方の現状を尋ねる。

「仕事?そんなもん、やってるわけねーだろ。博士がおっちんじまって、何もする気が起きない。わかるだろ?」

「教授は博士の遺志を受け継いで研究を続けてるんです。あなたとは違います」

 助手さんが不服そうに正論を述べる。

「研究?なんの研究だ?」

「博士の残したアイデアノートの研究を今やってるところで、ようやくジェットエンジンの五段階目の機構のアイデアについて、考察研究してるところです」

 わたしの方の現状を親方に報告した。

「まだ、ジェットエンジンの研究を諦めていないのか」

「ええ、博士のやりたかったことを形にしないと、何も報われないと思って」

「おまえって、ヤツは、、、」

「あなたはどなたか知りませんが、博士の知り合いなら、そのままで飲んでていいんですか?」

 助手さんがズケズケ言う。

「今度、博士の最初のアイデアの機構を試作する予定でいるんですが、良かったら、参加してくれませんか?」

「おれを、誘ってるのか?」

「もちろん、親方の技術力が必要なんです」

「こんなおれで、いいのか?」

「いいに決まってるでしょ。親方は博士の師匠なんだから」

「博士、、、おれもジェットエンジンの研究を手伝いたい。おれの力で博士の思いを叶えたい」

 親方の心に火が灯ったようだ。

「だったら、その酒臭いのをどうにかしてもらって、さっぱりしてから来てください」

 助手さんは手厳しい。

「三日待ってくれ。それまでに酒を抜いてくる」

「では、一週間後試作しましょう。それまでに鈍った腕を鍛え直しておいてください」

「わかった。待ってろ」

 こうして志半ばで果てた博士の研究に親方が再び戻ることになった。

 

 

 親方も参加した第五段階目の候補の試作は上手くできたが、測定自体は期待した成果をあげられなかった。

 みんなで悔しがったそんなときだった。

「教授、明日、王城にいらしてください。王様が面会したいとのことです」

 助手さんからちょっと気になる報告を受けた。

「王様が?何の用だろう。研究の中止とかでなければ何でも良いけど」

「何でしょうね。私もわかりかねます」

「おまえ、王様に面会できる身分になったんだな。時間とはあっという間に経っていくものだな」

 翌日、わたしは王城に出向いた。

 王城内に入ると、それなりの身分らしい文官から案内されて、応接の間に足を運んだ。

 国王が玉座で既に待ち構えている。その脇では皇女と化した助手さんの姿があった。無感情でこちらを見つめている。わたしは指定の位置まで来ると跪いた。

「王様、ご機嫌麗しゅうございます。今日はどのようなご用件でしょうか」

「気を楽にしていいぞ。とりたててすごい話でもないでな」

「はい」

「じつは三博士から推薦があってな、そなたを国学博士に任ずる」

「はい?」

「国立学校でそなたに勝る見識を持つ者がおらんそうではないか。今日からそなたは博士じゃ。さらなる研究に励むが良い」

 わたしが国学博士?博士と同じ身分に?

 わたしの頭が混乱している。

 王様の脇の皇女さまが無感情から済まし顔に変わっている。さては知ってたな。

「ジェットエンジンの研究に励んでるそうじゃな。良い結果を期待しておるぞ」

「ははっ!」

 王命を肝に命じて、わたしはわたしの博士の工房へ戻った。

 工房では助手さんが先回りしていて、国学博士就任のお祝いをしてもらった。

 親方は信じられないような感じだったが、褒めてくれた。

「じぶんが博士となったからには、研究ノートの機構を全て試してみて博士の夢をなんとしても実現するつもりだ」

「その意気だぜ。あの世の博士もきっと喜んでるだろう」

 親方が麦酒の代わりの麦ジュースの入った盃を掲げる。

 わたしたちの研究もあと少しだ。

 だが、この後、絶望を知ることになる。

 

 

 第五段階目のノートに描かれた全ての試作をしたが、全て目標値を下回っていた。思ってもみない結果だった。

「最後の試作品も駄目なのか。もうどうしたらいいか、わからない」

 わたしは厳しい現実に打ちひしがれていた。

「博士、まだ希望はあります。試作品の良いところを全部組み合わせてみてはどうでしょうか」

 助手さんは必死になってわたしを励まそうとしてくれるが、それは無駄な話だ。

「お嬢ちゃん、それは複雑すぎて、おれでも作れないぜ」

「じゃあ、どうしろと」

「どうって、おれに聞かれてもわからないってもんだぜ」

 場の空気が悪いせいで、二人が口論になりかけている。なんとかしないと。

「とにかく、結果を受け入れて、次を考えよう。わたしの博士のことだ。何かあるはずだ」

「何かといえば、少し気になることがあるんですが」

 助手さんには何か思うところがあるようだ。

「気になること?なんだそれは」

「博士、ノートを貸してください」

「わかった」

「・・・ほら、ここの破れたところの切れ端に、わずかですが黒いシミのようなものがあります。たぶんこのページにも何か描かれていたんじゃないでしょうか」

「おれに見せてみろ」

 助手さんがノートを親方に渡す。

「・・・確かに、なんか薄く黒い部分があるな」

「それは本当か。見せてくれ」

 わたしは親方から奪うようにわたしの博士のノートを手に取る。

 わたしの博士のノートは一箇所だけ大きく破れている。その切れ端の部分を何度も見返す。

 それはにじみのようなものだった。わずかに紙の繊維にうっすらと黒い箇所がある。

 なにもないと思いこんでいたが、ここにもわたしの博士のアイデアがあったのか。

 そうか。そういうことか。

 当時、わたしの博士はお気に入りの二枚歯車のところでアイデアを練っていた。

 そして何気に思いついた第五段階目の機構の案を描き込んだのだ。

 しばらくそれを眺めていたら、それが正解の機構だと気づいた。

 気づいた途端、嬉しさのあまり、いつものように大の字に跳び上がってしまった。

 その拍子で。せっかく描いたばかりの部分も巻き込まれて。

 「博士、、、機構のアイデアに成功していたのか」

 わたしの博士はいつもそうだった。とんでもないことを平気でやらかす。なにを考えているかわからい頭脳の持ち主だ。

「ここに博士のアイデアがあったことはわかりましたが、全部失われていて、どういう機構だったか、きっかけすらありませんね」

「博士のことだ。きっと突拍子もない理にかなった代物だろうな」

 わたしはわたしの博士のノートを全て把握した。

 わたしの心は決まっている。わたしの見識と想像力の全てをかけて、わたしの博士の創造力に挑戦する。それがなにかわからなくてもだ。

「ここのアイデアを、わたしは再現してみせる」

「やろうぜ、おもしろい」

「やりましょう。博士ならきっとできます」

 みな気持ちは一緒のようだ。やる気がみなぎってくるのを感じる。

「そうと決まったら、善は急げだ。国立学校に戻って研究するぞ」

 わたしたちはわたしの博士の工房を後にした。

 

 

「メーターが目標値を遥かに上回ってます!動作も安定。成功です!」

 測定装置を見つめる助手さんが叫んだ。

「せいこうしたのか、、、」

 わたしは半信半疑になる。これまで四度失敗していた。その度に助手さんや親方から励まされてやり直してきていた。

「やったじゃねーか。これがあの世の博士のアイデアか。すげーな。気持ち良いくらいメーターが唸っていやがる」

 わたしの博士ならきっとこうするだろうと考え抜いて出した答えが遂に実を結んだ。

「やった。やった。博士。やったよ、うううう」

 わたしはノートを抱えたままうずくまり、感極まって声にならなくなる。

 そんなわたしに優しく包み込むように助手さんが抱きしめてくれた。助手さんのすすり泣く声がする。

 親方は全力で雄叫びをあげていた。

 わたしの博士の魔石工房で三者三様で感動を分かち合う。

 この姿をわたしの博士に見てもらいたかった。わたしの博士の頭脳にぎりぎり手が届いたことを褒めてほしかった。

 この後、五個の機構は組み立てられ、魔石型ターボジェットエンジンの真の姿が露わとなった。

「かっこいいじゃねーか」

「すごくごついです」

「これが博士の作りたかったターボジェットエンジンなんだ」

 ターボジェットエンジンを起動する。

 物凄い轟音が魔石工房の外で響き渡る。

「博士。ギュイーンじゃありませんでしたよ。でも、凄い音だ。心臓にまで響いてきています。聞こえますか、博士」

 わたしは天国のわたしの博士に語りかける。

 魔石型ターボジェットエンジンは飛行機を製造している工場に持ち込まれ、話題をさらった。

 すぐに対応する飛行機が作られ、この国の大空を飛んだ。

「これで隣国の大型飛行機に怯えずに済むわい」

 飛行機を眺める国王がほっと胸をなでおろしている。

 魔石型ターボジェットエンジンを積んだ飛行機はジェット戦闘機と名付けられた。

 まったく新しい飛行機の誕生である。

 わたしの博士の発明したジェットエンジンがこの国を救う救世主となるとは誰も思いもしなかった。純粋に開発が楽しかったからだ。そうしてくれたのはほからならぬわたしの博士である。

 名義上ジェットエンジンの発明者はわたしということになり、各所で講演することが多くなった。

 しかし、わたしは正直に本当の発明者はわたしの博士であることを説明した。

 講演が終わると、あざとい人が必ずと言っていいほどいて、発明はわたしの博士の成果ではなくわたし自身だとおべっかを使ってくる。わたしの博士が以前説明した中途半端に頭の良い人だ。

 そんな人達をわたしは無視することにしている。相手は不機嫌になるが知ったことではない。わたしの博士の頭脳を疑うような奴は無視するにかぎる。

 あれから助手さんは他にも研究成果をあげて国学博士となった。

 夫婦で国学博士となるのはこの国始まって以来の偉業だそうだ。

 妻のお腹の中には今ちいさな命が宿っている。

 男の子が生まれるか女の子が生まれるか、まだわからないが、男の子だったら申し訳ないことになる。

 なぜならわたしは女の子の名前しか考えていないからだ。

 二人の間に子が生まれたら、この名前にすると決めていた。

 そう、わたしのはかせのなまえは

ご一読していただきありがとうございました。いかがでしたでしょうか。本作はリンの言葉シリーズの宣伝用小説となっております。第一弾として「聖女なぼく」があります。第二弾として「先生と紙飛行機」、本作が第三弾となります。ぜひリンの言葉シリーズにもお越しいただいて軽い気持ちで感想などいただければと存じます。さて、三作品の恋愛要素ですが、答えを言いますと、聖女なぼくが聖女の罰、先生と紙飛行機が貴族の最期の悪戯、わたしの博士の破れたノートが博士本人ではなく博士の頭脳に恋をした主人公となっております。全問正解できましたか?かなりやさしい問題だったかと思います。気づいた方もいらっしゃると思いますが、三作品は他の作者さんの異世界恋愛物にありがちな要素は敢えて抜いた詩人ならではの創作料理となっています。美味しかったでしょうか。気に食わなかったでしょうか。是非是非ご感想などいただければと思います。

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