1-2
「はい、お待たせー」
お盆に麦茶を注いだコップを四つ載せて、リビングに運ぶ。
長方形のテーブルに一つずつ並べていくと、マミと言ったか……黄色リボンのメイドが、申し訳なさそうにこちらを見る。
「ごめんねお兄さん、もうすぐ終わるから」
そう言って、忙しなく動くゲーム画面を一瞥した。
「ちょっと、子供じゃないんですから早く終わらせて下さい!」
「そんなこと言うもんじゃないよ。村の人々は魔王軍の襲撃に怯えながら、毎日を暮らしているんだよ? なら勇者が救わなきゃ」
「村も魔王も勇者も、この世界にありません! 私たちが救うのは、もっと別のものです!」
「す、救う? あの、こちとら何も理解してないんだけど……」
「あなたは黙っていて下さい……!」
「は、はい……」
横槍を入れた俺を、鬼の形相で睨みつける青色リボンのメイド。
まだ根に持っているのか? 下着のこと。
「ほら、いつでも出来るんですから。一旦メニュー開いて、コントローラー置くっ」
「ちぇー」
そこまで言われてようやくゲームを中断した、赤色リボンのメイド。
「いや、いつでも出来るって言ってるけど、それウチのゲーム機だよね?」
勝手に私有化しないでほしい。
「あの、どうでもいいんで、さっさと説明始めてもらえるかな?」
村の襲撃より前に、我が家への襲撃に対しての解説を求めたい。
俺が急かすように告げると、まず口火を切ったのは青色メイドだ。
「まず私達をここに呼んだのは、この家の以前の持ち主……あなたのお爺様です」
俺の爺ちゃん。婆ちゃんが他界してからも、一人でこの家を守り続けていた。しかし。
「爺ちゃんは先日、亡くなったはずだ」
幽霊みたく化けて現れ、この三人を呼び込んだとでも言うつもりか。
「死人に口なし。当然亡くなる前に頼まれた、君のお爺様に」
俺の思考を読んだように、話に割って入った赤色メイド。
「君は両親に告げられ、ここに引っ越しに来たんだよね?」
「ああ」
「それは君のお爺様の意向でもあるんだ」
「爺ちゃんの意向? そもそもお前ら、爺ちゃんとどういう関係だ」
俺が問うと、赤色メイドは少し悩んだ。
「恩人……に近いかな」
恩人。それにしては年の差が離れている。
「そんなお爺様の頼みだ。なら受けてやるしかないのさ、どんな内容でも」
つかみどころのない雰囲気を醸し出している赤色メイド。しかしその口調は、確固たるものだった。
「そ、その頼みってのは……」
俺は生唾を飲んだ。
「頼みとは……」
前のめりになる赤色メイド。青色メイドが、何故か頬を紅潮させている。
「お兄さんと一緒に暮らすこと!」
「……え」
無邪気な黄色メイドの一声に、リビングが瞬間、無音になる。
「お兄さんと一緒に暮らすことっ!」
「いや聞き返したんじゃなくて……え?」
オニイサント、クラス?
新種の動物か? オニイサントクラスか?
「うん、そんな動物いるわけないよな……えっと」
「動物?」
黄色メイドが可愛らしく小首を傾げた。
「一緒に暮らす⁉ 何言ってんだよ! 付き合ってもない若い男女が、そんなこと許される訳ないだろ!」
「おわおわおわおわ、やめてぇーっ」
俺は黄色メイドの肩を揺らす。胸がぶるんぶるん暴れているのにも構わずに。
「落ち着け、マミの言っていることは本当だ」
「本当だぁ? 本当ならそれはそれで、落ち着いてたら不自然だろうが!」
「確かにそうだ」
「納得しないで下さいっ、それでも最年長ですか! あなたも一旦マミさんから離れて!」
赤色メイドにツッコミを入れる青色メイド。今、最年長と呼んだか?
「ほわわぁー……」
俺が手を離すと、酔っぱらいのように頭を振る黄色メイド。
「な、何なんだよお前ら……マジで何者なんだ」
熱を拭いきれない頭で、必死に思考を回転させる。
額を押さえる俺に、メイドたちが向き直った。
「長女の磐城ハジメ、十八歳」
赤色メイドが勢いよく両手を挙げる。
「じ、次女のツバサ、十六歳」
青色メイドが釣られるように告げた。
「……目がまだ回ってるらしい。三女のマミ、十五歳」
赤色メイド……ハジメとやらが代弁する。
「決めるぞ……我ら三人、美少女メイド三姉妹っ」
しーん。
「えっと……」
長女のハジメが作り出した静寂に、俺の熱は気味が悪いほどに冷めていく。
「おい我が妹たちよ、何故黙りこくる。これでは赤っ恥だ」
しかし全く意に介していないような表情で、淡々と告げる長女のハジメ。
え、この一番小さいのが長女? 三女じゃなくて?
「そんな恥ずかしい文言、口に出来るはずありません!」
顔を赤らめるツバサとやら。しっかりしていそうな長身のメイドが次女らしい。
「えへへ、あのセリフ、ダサいよね」
いつの間にか復活していた三女のマミ。お構いなしに、ストレートな言葉を長女にぶつけている。
「あの、名乗りは分かったから。冷やかしならもういいから。そうじゃなくてだな……」
「失礼だな君、これではご主人様として敬ってやることが出来なさそうだ」
腕を組んで不服そうなハジメ。
「ご主人様だぁ?」
「君も頭が固いな。メイドが一緒に暮らすって言ってるんだから、主従関係ぐらいは分かるだろうに」
「勝手に忍び込んでゲームしてた奴に言われたくないわ!」
眼前の三人は、俺のイメージする従順なメイドとはかけ離れている。
「そもそもこんな広い家を、君一人で使えるなんて本当に思っていたのか?」
「いや、お前たちこそ現家主の許可なしに、勝手に住めると思っていたのか?」
俺は岡寺の長男であるから、この家を任されている。親にもそう説明された。
だが現に俺の知らない場所で、どうにも解し難い話が進行しているみたいではないか。
「勝手に住むなんてとんでもないです。メイドと名乗っているのですから、あらゆる家事は我々が担当します」
「関係ないって。そもそも独り暮らしの男の家事を三人で分業するって、変じゃないか?」
ツバサがフォローを入れているが、仮に住ませるとしても、仕事の取り合いになりそうだ。
「そんなことありません、きっと生活が豊かになります」
「四人分の生活費捻出してたら、少なくとも金銭面は豊かじゃなくなるよね?」
そう言えばおかしいと思っていた。
この家だけでなく、爺ちゃんが貯めていた多額の預金のほとんどが、俺の元に転がり込んだ。
「可愛い孫の為の貯金って訳じゃなかったのか……」
譲り受けた全ての遺産を四人で運用するというのは、確かに納得がいく。
人生、そう簡単にイージーモードへと移行してはくれないのかも。
「でもなー、何の説明もないのはムカつくし、やっぱ親に一回電話するかぁ?」
突然年の近い三人の女の子と暮らせと言われても、正直困惑する。
俺、まだ十七歳。心の準備ぐらいさせてくれよ。
「ねぇお兄さん、まだ何か不満なの?」
スマホの通話ボタンを押そうとした瞬間、マミが口を開いた。
「そんなもんお前、理由もなしに突然赤の他人と一つ屋根の下って言われたら、普通困るだろ?」
「あまり深く考えない方がいいんじゃない? イメージしてみてよ、マミたちとの同棲生活を」
「ど、同棲……」
それだけ聞くと、かくも甘美な響きだ。男が憧れる最高のシチュエーションで……。
「あ、因みにスケベな事とかは何も発生しないからな」
「考えないようにしてたんだよ!」
ハジメが俺の妄想を妨害した。
「くそ、三人が否定的じゃないから、こっちも否定する気がまるで起きなくなるんだけど……」
爺ちゃんの遺産使い放題は最高だが、複数の女の子と一夫多妻生活ってのも、考えれば悪くないよな……。
思考が金色から桃色に塗り替わっていく。
「マミがぁ……毎日起こしてあげよっか?」
俺は画面を切ったスマホを机に置いた。
「仕方ないなお前ら、許可してやる」
「決め手が不純すぎるんですけど……」
ツバサが顔を引きつらしているが、俺が施してやる側なので何も効かない。
「ついては三人の部屋だが……」
「二階にある部屋を、各々一つずつ使います」
ツバサは二階に自分の荷物を置いていた。最初からそのつもりだったのだろう。
「家事は担当してくれるんだよな? 掃除とか洗濯とか料理とか。そこらへんは任せていい?」
「はい、しかし料理についてですが……」
ツバサは言葉を詰まらせながらマミを見た。
「お兄さんの好みの問題もあると思うから、一度全員の料理を食べてもらってから決めよっかなって。ちょっとした料理バトル!」
「いいぞ、舌を破壊しない料理が作れるならな」
「あー酷い! 絶対ビックリさせてあげるんだから!」
はしゃぎながら提案するマミ。対決とか好きなのかな。
「後決めとくことってあるかな? またその都度決めればいいか」
俺がそう言うと、ハジメとマミがこくりと頷いた。しかしツバサは考えるように、顎に手を当てている。
「何かとても大事なことを、伝え忘れているような気が……」
「実は俺もどこか、消化不良感はあるんだよな……」
聞くべきことがまだあったはずだ。根本的な何かが……。
「あ」
思案に耽る俺。思い出したように口を開いたのは、ハジメだった。
「君をどう呼ぶか決めてなかったよ」
「それだ!」
「絶対違うよね?」
何故かマミが納得している。そんな下らないもんな訳あるか。
「やっぱり君はご主人様って呼ばれたい? こちとらメイドな訳だし」
知った風な口を利くハジメ。悔しいがその通りだ、こちとら主人な訳だし。
「しかしなぁ、君は十七歳だろう。年下の人間に様付けは違うんだよなぁ……」
「お前さぁ、メイドの風上にも置けない発言してない?」
ずっとメイドって自称してる癖に、そこは譲れないのかよ。
「やむを得ないな。折衷案でご主人と呼ぶことにするよ。その代わり君も、ハジメと呼んでくれて構わない」
「決定権がこちらにない……別にいいけど」
どうやら自分が納得できるギリギリのラインで戦っていた様子。提案したのはお前だろうに。
「悪いねご主人。代わりにツバサがご主人様ぁ、と甘い声で呼んでくれるらしいから」
「適当な事言わないで下さい! 普通の声で、ご主人様と呼ばせて頂きます!」
基本敬語のツバサ。ご主人様のハードルは低かった。
「じゃ、じゃあ呼んでみてくれよ」
なら早速喋ってもらうとしよう。俺は少し気恥ずかしさを感じながらも、提案してみた。
「え、えぇ?」
「ご主人様ってさ……あ、やっぱお帰りなさいませご主人様で」
「難易度上がってますが!」
「水色のブーメラン……」
「わーわーわー!」
両手をぶんぶんと振って、俺の言葉を遮るツバサ。
「スイカ包み機……」
「言います言います! 分かりましたから! ハジメさんとマミさんが興味を示したら、どうするんですか!」
ツバサが二人を指さす。からかいすぎたかもしれない。
「我が妹よ、生憎二人共とっくに興味津々だ」
「お兄さん、スイカ包み機って何ー?」
残念ながらもう手遅れだった。
「あぁそれはだな……」
「答えたら殺す……!」
「ころっ……スイカを包む機械だ。他意はない」
「いやご主人、そんなものこの世に存在しないだろ」
ハジメの意見はもっともだが、殺されてしまうのだからこの回答で勘弁して頂きたい。
「二人ともまた今度教えるから……」
「今何か囁きましたか……!」
「いえ、何も!」
先程からツバサの視線とドスの利いた声音に、刺されまくっている。精神的にはとっくに俺は殺害済みだ。
「ツバサちゃんダメだよ、怒っちゃうことで、さっきまでのご主人様呼びのくだりを有耶無耶にしちゃ」
「バレてる……核心を突かないでほしいです……」
今度はマミが真顔でツバサを刺していた。思いの外、鋭いことも言えるらしい。
「そうだな、早く言った方がいいぞ。楽になれる」
羞恥は時間が経てば経つほど増幅するものだ。
「お……」
俺が促すと、ツバサは覚悟を決めたように口を開いた。
「お帰りなさいませ、ご主人様……っ」
「…………」
誰も口を開かない。各々がツバサの渾身の一撃を味わい、ゆっくりと咀嚼し、やがて……。
「我が妹よ、ちょっと甘い声出てるじゃないか」
「っっっっ!」
ツバサはテーブルに顔を埋める。きっと茹でダコのような表情をしているのだろう。
「案ずるな我が妹。初日にして、君のこの家における立ち位置が確立されただけじゃないか」
「こんな立ち位置嫌です! いっそ殺して下さい!」
顔をこちらに向けず、ポニーテールを揺らしながら答えた。まるで意志を持って動いているみたいだ。
「ありがとうな、大火傷までしてさぞ辛かっただろうが、もう無茶ぶりしないから。流石に俺達も反省するから」
彼女のお陰で、四人の距離が少し縮まった気がする。これは名誉の負傷なのだ。
「うん、ツバサのレアボイスも聞けたことだ。マミはどうしようか」
ハジメの興味の対象は、既に別の人物に移っていた。
「マミはねー……じゃあご主人君で。ご主人様はちょっと違うかも」
あまり聞き馴染みのない単語だ。ご主人、ご主人様と来たので気を使っているのだろうか。
「あの、別に一人一別称って訳じゃないぞ? 姉同様ご主人様でいいぞ?」
「そうです、マミさんもご主人様呼びで火傷すればいいんです」
いつの間にかツバサが復活していた。襟を正して、最年少を道連れにしようとしている。
「火傷はツバサちゃんだけだよ……そうだなぁ、どっちでもいいんだけど、様って付けるのは変な気がして」
「別に変じゃないぞ? 俺はご主人様の方が嬉しいかも」
「嫌だ! ご主人君がいい!」
彼女なりの妙なこだわりがあるのかもしれない。俺は疑問に首を傾げた。
「ご主人君って呼ばせてくれないと、おっぱい見るの禁止だよ?」
「どうかご主人君でも豚野郎でも好きにお呼び下さい天使様!」
「おっぱいを人質にしないで下さい! まずそもそも、おっぱい見ないで下さいご主人様!」
マミに完全に弱みを握られている気がする。俺がおっぱいキャラになったら、どうするつもりだ。
「すっかりご主人様呼びが板についたじゃないか、ツバサ」
ハジメが感心したように頷く。
「今日はヤケクソですよ! その内きっと慣れます」
そんなに嫌なら言わせるつもりもないが、本人が望むのであれば、経過に任せる他あるまい。
「さて、呼び名も決まったことだご主人。今日はこれからどうする?」
「そうだな、今日はもう……」
他に聞くべき大事なことがあったはずだがいずれ思い出すだろう。俺が今日この後の予定について考えていると。
ぐぎゅるるるるる……。
どこからか腹の鳴る音が聞こえた。
「おい、さっき麻婆豆腐食べてたろ。もう腹減ったのか?」
「え、マミ? マミじゃないもん!」
驚いた様子のマミ。印象で勝手に決めつけたが違うようだ。
勿論俺でもない。他の二人を見ると、ハジメがニヤニヤしながらツバサの横腹を突いていた。
「我が妹よ、これ以上恥を上塗りするつもりか? 確かに君は大食漢だが、お姉ちゃんは少し心配だ」
「マジか……ちょっともう何も言えないわ」
この調子じゃ明日には退職届出てるんじゃないか? 凄く可哀想になってきた。
「何なんですか今日は! もうっ!」
ツバサは天井を仰ぎ、叫んだ。
「ご主人、ツバサの腹時計も夕飯時を示しているみたいだし、そろそろご飯にしよう」
古びた壁掛け時計を確認すると、時刻は十九時を指していた。
「確かに腹減ってるわ」
「よし、今日は寿司の気分だ。早速出前を取ってくれご主人」
「分かった、じゃあ電話番号を……じゃなくてーっ! 危なっ、まんまと高価なモン買わされるところだった」
危うくハジメの口車に乗せられるところだった。スマホをポケットにしまい込む。
「たった今から、裕福な生活とはおさらばする羽目になったんだよ」
初日から寿司で歓迎会とか正気か?
「寿司が食いたいなら、総菜で我慢しろ。幸い今なら半額だろうし」
この時間から手料理を振舞わせるのも忍びない。
「えーっ」
ハジメとマミが声を合わせて不満を漏らした。
「料理バトルうんぬん言ってた奴どこの誰よ?」
「だってぇ、一度くらい歓迎会的なことしたいんだもん」
マミの意見はもっともかもしれないが、こんな成り行きで決行するものではないだろう。
「今日は作らなくていいから、ほら立て三人とも」
俺は膝を伸ばすと、指をくいっと振って彼女たちに立ち上がるよう合図をする。
「ご主人様も来てくださるのですか?」
「え? お前らスーパーの場所知らないだろ?」
「あぁ、そうでした」
納得するとツバサが立ち上がる。それを見た残りの二人も、渋々重い腰を上げてもらえた。
「ち、ちょっと待てよお前ら」
リビングから出ようとする三人を止める。馴染みすぎて忘れていたことがある。
「その服で行くの?」
「あ」
三人は忘れていたとでも言わんばかりに自分の恰好を改めた。
「き、着替えてきますね」
こんな衣装で往来を歩いていれば、イベント帰りだと疑われる。
「仕方ない、じゃあ買い出しに出発だ。大事な話はタイミングが来たら言うよ」
「大事な話?」
「さ、小用モードに変身しようか」
最後に後味の残ることを呟いていったハジメ。彼女たちは二階へ姿を消した。