第43話 大呪術師ボーディス―前―
――16日目
広大な穀倉地帯があるギムナ。
東西には森、北には湖がある。どちらも広大で肥沃な大地であることを象徴するようであった。
湖を一望することができる広い空間。
木や背の高い植物が切り開かれて草しかない。そんな自然豊かな場所には似つかわしい物が存在していた。
石碑。
墓石にも似た石碑が鎮座していた。
自然の溢れる場所にあったことで不自然極まりない。地元の人間も、その不気味さから寄り付くことがない場所。
そんな場所が今は多くの人で溢れていた。
「こんな場所があったとは……」
「領民の中には知っている者もいたみたいですよ」
テーブルクロスが敷かれたテーブルの前に座るギムナの街を統治するダルキス・ヴァーエル。
本来なら街で今日から行われる豊穣祭で忙しいはずの領主だが、この場所で起こることの方がヴァーエル家の当主としては重要だ。豊穣祭で領主が必要な案件には後継者である息子が対応することになっている。そろそろ引継ぎを考える年齢であるため、家臣からもおかしく思われることはなかった。
問題は今いる場所だ。
緊張からテーブルに置かれた紅茶に手を伸ばす。
「あの石碑に大呪術師ボーディスが封印されているんだな」
「その通りです」
エレナがダルキスの言葉を肯定する。
ギムナは大呪術師を大地に封印し、その力を土地に与えることで肥沃な土地にすることができていた。
その事実はヴァーエル家の当主にのみ伝えられ、封印は屋敷の地下に存在する空間にある、と伝えられていた。
だが、口伝は誤りだった。
本当の封印は別にあり、領主にはダミーが伝えられて情報が漏れてもいいように策を講じられていた。
その対策は一定の効果を持っていたが、本当の緊急事態においては対処を難しくする要因となっていた。実際、本当の封印の位置を知らずに過ごしていた世界においては北からの以上に対して有効な対策をすることができなかった。
現在は――異常が発生する少し前。太陽が頂に到達しようとしていた。
「俺が知っているのは全てが解決してからの報告だけなので、今回においては絶対の保証はありません」
「いや、この数日の件で君の言葉は真実だと信用している」
「ありがとうございます」
ダルキスが周囲を見て信頼していた執事がいないことを確認する。このように重要な場なら隣にいてもおかしくない信頼していた執事だったが、彼を警護する騎士が数人いるだけだ。
執事アグニス。
信頼していた執事は、カインによって瞬く間に聖剣で首を斬られて絶命した。本当に一瞬の出来事で、警戒すらしていなかったアグニスは自身の死の原因を知ることなく意識を失った。
信頼していた執事は大呪術師ボーディスの眷属だった。
カインの言葉はアグニスの正体を暴いただけで終わらない。街の中に潜伏していた全ての眷属を暴き、屋敷の地下にあった封印が偽物まであることまで明らかにしてしまった。
娘が連れて来た人間、というのもある。それ以上に正解を言い当てるカインの言葉は信頼を通り越して不気味さを覚えるほどだった。
いったい、なぜ言い当てることができるのか。
当然ながら気にならないはずがない。
使徒であることをカインは告げ、この場所へとやって来た。
「封印から解放されたボーディスは俺がどうにかしてみせます」
できなかったとしたら何かが不足している。
今回も街に足を踏み入れた瞬間に記録されているため、失敗したなら何度でも挑戦するつもりでいる。
「あ、見て!」
貴族を前に所在なさげにテーブルに座っていたシアが気付いた。
石碑から黒い靄が溢れ出て、人の形になろうとしていた。これまでに貯め込んだ人の負の感情が力となって肉体を構成しようとしている。
数分ほどの時間が経過して長い黒髪をした男性が目を開ける。痩せているもののスラッとした長身に目を開けた顔は多くの者を惹き付ける美貌があった。
「……どういうことだ?」
周囲を見て挑発の男――大呪術師ボーディスが戸惑う。
眷属を通して街の様子を確認していた。しかし、数日前から眷属からの反応が消え、予想していなかった突然の出来事ということもあって状況を把握することが全くできていなかった。
気付いた時には全ての眷属からの反応がなくなっていた。
「さて、それはどうしてだろうな」
ボーディスの疑問に回答しないままカインが対峙する。
手にした聖剣から白い稲妻が迸り、それを目にした瞬間にボーディスを警戒させ体から魔力を放出させたことでマントが翻る。
敵の行動に警護を担当している騎士が身構える。
「止めておいた方がいいです。あなたたちではどうすることもできない」
「なっ……!?」
彼らは騎士であることを誇りに生きてきた。カインの言葉は、その誇りを踏みにじるようなものだ。
もっともカインにあざ笑うような気持ちはない。
「あいつが大呪術師だっていうことを忘れてはなりません」
ボーディスの討伐方法についてある程度は説明をしている。
「事前に準備をしてきたようだな。まさか眷属たちを片付けたのもお前か」
「そうだと言ったらどうする?」
「封印されていた私があれだけ用意するのにどれだけの苦労をしたと思っている!」
数年前からボーディスの封印は弱まっていた。その状態でなら適性のある人物にのみ力を与えると共に眷属とすることができた。
どれだけ凄い呪術師だったとしても制限がある。
数年の時間を掛けて数十人の眷属を作り上げた。
そんな努力がたった数日で無に帰してしまった。
「ヴァーエル家の人間はもちろんだが、誰一人として生かして帰すつもりはない!」
ボーディスが両手を広げた。
その両手には魔力が集まり、弾けると周囲に黒い球体がいくつも浮かび上がる。人間が使用する普通の魔法とは違う。
「あれが呪術ね」
エレナも初めて大呪術師の呪術を目にする。
呪術師が扱う簡単な呪術なら賢者候補であるエレナも目にしたことがあったが、大呪術師の呪術は規模が全く違う。
膨大な力を持つ大呪術師のみが使用可能な呪術。
「苦しみながら死ぬといい」
魔力の塊が投げつけられる。その向かう先の一つはカインだが、ダルキスを護衛する為にいる騎士たちにも向けられている。
醜悪な笑みを浮かべたボーディスは勝利を確信する。大呪術師の扱う呪術を防ぐには上級クラスの魔法が必要であり、ボーディスにとって魔力の塊は連続で放つことができる程度の簡単な攻撃でしかない。
そんな笑みもすぐに凍り付いてしまった。
ボーディスが投げた魔力の塊が中空で白い稲妻によって搔き消されてしまったからだ。天から降り注ぐ自然の雷ではない、薙ぎ払うように放たれた雷。
魔力の塊など最初からなかったかのように跡形もなく消滅している。おまけにそれだけでは終わらなかった。
「お前……!」
ボーディスが白い雷を放ったカインを睨み付ける。
攻撃を防がれただけでなく、ボーディスの肩には火傷のような跡があった。
「油断している間に頭でも吹き飛ばせればよかったんだけど、そこまで都合よくはいかなかったか」
警戒しようとするボーディスだったが、意識を改めるには遅すぎた。
「っっ!?」
一瞬で肉迫したカインによってボーディスの左腕が方から切り落とされていた。
あまりに一瞬の出来事で何が起こったのか理解することもできなかった。
「今まで遠くから呪術で人を苦しめるばかりで自分が戦いの場に立ったこともないんだろ」
呪術師の本領は知覚することもできない遠方から対象を呪うこと。
このように攻撃してくる者と肉迫することなど大呪術師であってもなかった。
「消えろ」
白い稲妻を放ちながら聖剣を振り下ろす。
今まで感じたこともない殺気にボーディスの体からは冷や汗が溢れる。ボーディスは魔力で盾を作りながらカインから距離を取る。それは大呪術師として多くの者から崇められた時からは考えられない後退だったが、ボーディスにはそんなことを気にしていられる余裕すらなくなっていた。
生み出した盾は瞬く間に消滅し、地面の草木が焼け焦げている。
「いい加減に決着をつけようか」
「私は……! お前と会うのは初めてだ!」
黒い靄が集まり、ボーディスの手に鞭が現れる。
遠距離から鞭でカインに仕掛ける。
しかし、カインはボーディスの攻撃を軽々躱して一撃を見舞う。なんとか鞭を放り捨てることで直撃は免れたボーディスだったが、予想以上の威力の攻撃に思わず怯んでしまう。
いや、威力そのものよりも相性が圧倒的に悪い。
「まさか……それは聖剣なのか!?」
「準備してきたって自分で言っていただろ」
呪術が人を呪い、絶大な力を発揮するのは穢れているからだ。
ボーディスが鞭で叩いた地面をカインが見る。
稲妻によって焼け焦げたのとは違うように黒く変色していた。鞭が触れて穢されたことによって大地が呪われて生命力を一瞬にして奪われていた。
呪術による攻撃は触れるのすら危険だ。
「勇者……? いや、誰であっても関係ない。私の前に立ったことを後悔させてやろう!」
そう言ってボーディスの背から10本の黒い触手が突出してくる。
触手が襲い掛かり、カインは聖剣で切り払いながら前へ進む。10本の触手から同時に攻撃されているせいで思うように前へ進むことができずにいた。
「これは……」
「俺たちが介入するのは無理だな」
騎士たちが白い稲妻と弾かれた黒い魔力が荒れ狂う光景を見ながら呻いた。
最初に任務内容を聞かされた時は馬鹿にされたと思っていたが、実際に目の当たりにすると足が竦んでしまった。
「貴方たちの仕事はお父様の護衛よ」
「お嬢様」
「アレはヴァーエル家の人間である私がどうにかしなければならない相手で、私の依頼を引き受けてくれた彼がどうにかしてくれようとしているだけよ」
エレナの目はカインとボーディスの戦闘に向けられていた。
だが、視界の端には常にシアを捉えていた。
「あっち」
シアの顔が離れた場所へ向けられる。
その方向へ魔力弾を飛ばせば途中で爆発が発生した。
「……!?」
その光景にボーディスが息を呑んだ。
「なぜ、わかった!?」
「何度も言わせるな。こっちは万全の準備をしてきているんだよ」
「見えていなかったはずだ!」
この場にはボーディスの魔力が充満している。封印された状態だったが、封印の外に干渉できるほど弱くなっていたおかげで準備をすることができていた。
空気中に漂う魔力を圧縮して魔力弾を生成する。誰に気付かれることなく相手を呪うことができるボーディスにとって【魔力感知】を持つエレナを欺いて攻撃することなど造作もなかったはずだ。
標的はダルキス。
カインを放置するのは危険だが、ボーディスにとって最も憎い相手はヴァーエル家の人間だった。
「まだスキルの扱いに慣れていないせいで集中する必要があるみたいだけど、あいつがいてくれるおかげで俺はお前の相手に集中することができる」
「あの小娘がっ!」
ボーディスの殺意がエレナにも向けられる。
しかし、隠されたボーディスの攻撃を見抜いたのはエレナではない。彼女に感知できるタイミングで迎撃していたのでは無事に済むことはなかった。
攻撃を見抜いたのはシア。
彼女が新たに得たスキル【天啓】。
自身と味方が受ける攻撃や悪意を事前に察知することができる。今は集中している必要があるが慣れれば無意識に察知することができるようになる。
このスキルを得たことを知ったブランディアの感想は、『女神の加護を受けた使徒の仲間に相応しいスキルね』と喜んでいた。シアも『知らない場所の案内に役立つ』とスキルを受け入れていた。
「必要だからついてきてもらったけど、付き合ってもらうなら無傷で帰したいからな。あの人たちの安全は俺たちが保証するさ」
触手を切り払いながら進んでいる間にも魔力弾による攻撃を何度も繰り返していたが、悉く危機を察知したシアにとって見抜かれてしまい、エレナによって防御されてしまった。
ボーディスの前まで辿り着いたカインが聖剣を振り下ろす。風の力も加わったことで右肩から左わき腹にかけて斬られたボーディスは木々を薙ぎ倒しながら森の中へと吹き飛ばされた。
「やった!」
騎士の一人が口にしたのをカインは耳にした。
だが、警戒を解くことはない。
「聖剣による致命傷と言っていいレベルのダメージだ。起き上がるのは簡単じゃないだろう」
呪術師に対して圧倒的な力を発揮するだけではない。呪術による肉体の再生を阻害する効果も持ち合わせていた。だからこそ聖剣の力が大呪術師の相手をするのに不可欠と言えた。
だからこそボーディスも相手が聖剣を準備しているとわかった時点で次の策を用意しておいた。
「さっさと本来の姿に戻れ」
ボーディスの吹き飛んだ方にある木々が内側からの力によって薙ぎ倒される。




