7.素材採取2
にゃん太は今でも時折、じいちゃんの温かさやにおいを思い出す。
老人特有の柔軟性の低いにぶい硬さが、残り時間の短さを否応なく突きつけてきて切なくなったことがある。にゃん太のまだ成獣となっていないやわらかさとは真逆だ。思わずぎゅっとしがみつけば、「ほっほっほ」と跳ねる音で笑う。じいちゃんに自分の柔軟性を少しでも分けようとして、ぐいぐいと頭を押し当てた。
一方、じいちゃんは頭突きをされて驚いた。にゃん太に嫌われたのかとあたふたする。
「月刊 ザ★猫 ~今月号はねこじゃらしの付録付き!~」という雑誌を買ってきて、頭をこすりつけるのは親愛の表現だと知って、胸をなでおろしていた。
そして、「親愛じゃって!」と、ほほを紅潮させるじいちゃんに、アルルーンは根っこ二本を持ち上げて横に広げて肩をすくめる仕草をしてみたり、わっさと緑の葉を揺らして頷き合ったりしていた。
じいちゃんを大好きなアルルーンたちは、にゃん太をも好んだ。
日向で丸まって眠るにゃん太の周りに大勢のアルルーンが転がった。そんな時、じいちゃんは神がかったペンさばきでスケッチした。これが、後に役に立ったのだ。にゃん太に工房を畑ごと引き継がせる際、当然のことながら、アルルーンたちの貴重さゆえに錬金術師組合では難色を示した。じいちゃんにアルルーンを育てる許可が下りていたのも、アルルーンたちに懐かれていたからだ。同じくらい懐かれていると示すのに、スケッチを見せて説き伏せた。そのスケッチは、組合に飾られている。つまり、一人ではなく多くの組合員が、「にゃん太なら」と認めているのだ。
ちなみに、じいちゃんの模写力はレシピ帳でも発揮されている。詳細なイラストに「葉のこの部分が三つに分かれていたら、それは有毒の証」など有用なメモが事細かく記されている。
「有毒かあ。毒のせいでみっつに分かれちゃったのかなあ」
「どうだろうなあ。というか、そういう考え方もできるのか」
「処理するのに、気をつけなくちゃいけないわね」
わさわさっ。
じいちゃんのレシピ帳をのぞき込みながら四者四様に首をひねる。
猫族と犬族と緑の葉の植物と。種族は違えど、協力し合ってなにかを成そうとする。
後から思い返してみれば、頭を突き合わせてああでもないこうでもないと話しているのも楽しかった。
にゃん太はじいちゃんのようにあれこれできる錬金術師ではなかったけれど、いろんな者たちの力を借りることができた。いっしょに工房を運営している姉たま絵や悪友のケン太、そしてアルルーンたちだ。
そして、今、にゃん太は彼らの力を借りて、素材採取にやって来ていた。念のためにとあれこれ薬を持って出てきた。
<魔物避けの香>
魔物が近づいてこなくなる。
<回復薬>
外傷を癒す。飲み薬とぬり薬。いやあなにおいがする。
ぬった後しばらくはすれ違っただけで、あ、あいつ、つけているなと分かる。
<虫よけ薬>
虫が嫌うぬり薬。素材としてジョチュウギクが用いられる。
「女子みたいだ」
「えぇ、だって虫に刺されたら大変だぞ」
かぶれたり化膿したりすることもある。
にゃん太は家族の中では一番戦闘能力が劣る。けれど、猫族であるから、運動能力は高い。
なお、たま絵もそこそこ強い。
たま絵から世話を焼かれるにゃん太は、彼女のファンたちから邪魔な存在だと邪険にされてきた。そんな男たちに、たま絵はこっぴどくやり返した。
街を出て、緑野を歩いていると、生命力旺盛な濃い花の匂いがする。つんと鼻の奥にまで届く、可憐ながら逞しい香りだ。
草むらからぴょこんと魔獣が飛び出してきた。魔獣は瘴気をまとった動物であり、強い魔力を帯びる者はたまに魔法を放ってくることもある。魔獣が獣の姿をしているから、人族は獣人を蔑み忌み嫌うのだと言われているが、人型の魔獣もいるので、こじつけであろう。
四足のひと抱えできそうなくらいの大きさの獣が牙を剥いて飛び掛かって来る。
「よっと」
ケン太は背負った鎌を、弧を描いて引き抜く。ここにじいちゃんの錬金術の技が籠められている。鎌の刃の部分は危険なので、普段、あつらえた鞘に仕舞われている。それを、背負ったままで引き抜くことができるのだ。そして、抜いた途端、ぐぐぐっと刃も柄も伸びる。ケン太の身長と同じほどの長さになる。
ケン太は半円を描く刃を大きくスイングする。真っすぐに飛び掛かってきた魔獣はその勢いが仇となる。横合いからするりと滑るように迫る刃は避けようもなく、切り刻まれる。
「あいかわらず、すごい切れ味だな」
「本当になあ」
ふつうの鉄ではこうはいかない。それでも、いかなじいちゃんの錬金術が付与されているとはいえ、この遠出から帰れば、鍛冶屋に研ぎに出さなければならない。
「ついでにうさ吉さんと新しい小瓶の話を詰めるか」
「忙しいねえ」
「おかげさまでね」
そんな風に話しながら、ふたりはのんびりと歩いた。
街道を逸れて森に入り、河原へ向かう。その道中にも見つけた薬草を採取していく。スコップに剪定バサミ、ナイフは必需品だ。
【西方のハシバミ】、【瑠璃蝶のロベリア】、【まよけのナナカマド】といった錬金術になくてはならない素材を採取する。
じいちゃんが器材とともに残してくれた大容量かばんには、見た目よりもたくさん入る。腕の良い錬金術師だったじいちゃんはこれに軽量化の特性も付与しており、にゃん太愛用のかばんである。
たま絵いわく、そのかばんひとつでひと財産を築けるので、盗難に遭わないように、と言われていた。だが、じいちゃんは抜かりなく、「そんなに貴重そうには見えない」認識阻害効果をつけている。至れり尽くせりだ。
だから、ケン太に女子のようだとからかわれつつも、あれもこれもと入れてしまう。ケン太こそ、たま絵のお弁当を入れているのだからその恩恵にあずかっているのに、とにゃん太のへの字口はにゃむっとすぼまる。
「あ、【西方のイソノキ】だ」
「これはなんに使うんだ?」
「いろいろあるけれど、駆虫剤としても使えるんだ」
「じゃあ、畑に役立つな」
にゃん太はケン太への不平はどこへやら、ふたりでせっせと樹皮を採取する。
「おお、【エレガントなフリージア】!」
今度はケン太が目を輝かせる。緑の細長い葉に黄色いラッパ状の花を咲かせている。
「なんだ、それ?」
「ハーブの一種だよ。その名の通り、良い香りの香料が取れるんだけれど、あまりにも繊細で、水蒸気蒸留法は使えないんだ。にゃん太、なんとかならないか?」
「うーん、じいちゃんのレシピ帳にあったかなあ」
にゃん太は腕組みして首をひねる。
「でも、アルルーンもいるから、なんとかなるだろう」
下手な考え、休むに似たり。悩むのをあっさり放棄したにゃん太は、ケン太といっしょになってしゃがみながら、畑に植え替えようと根っこの周囲の土ごと持ち帰ることにした。
あれこれ採取して、にゃん太もケン太も目的地にたどり着く前にほくほくだ。
そんな気持ちを吹き飛ばすことが起きた。
「なあ、あれってシシ姫じゃないか?」
「えぇ?!」
鼻が利くケン太がにゃん太よりも早く気づいた。ケン太が出した名前に、にゃん太は思わず顔をしかめる。
ケン太が指し示す方、森の木々がまばらになった向こうの方を見れば、たしかにライオン族の女性がいる。魔獣が出る街の外にひとりで行動しているのは不自然ではない。なぜならば、そんじょそこいらの魔獣など蹴散らしてしまえるほどに、ライオン族は強いのだ。女性であってもそれは変わらない。
「本当だあ」
にゃん太はがっくりと肩を落とした。
シシ姫はにゃん太になにかと風当たりがきついのだ。たま絵よりも少し年上で、ふたりは仲が良い。ならばなぜにゃん太にはきついのかと言えば、シシ姫はにゃん太の父にい也が大好きだからだ。父が愛する母にそっくりなにゃん太を敵視しているのだ。
猛獣人族の若い女性に熱を上げられるにい也は、家族以外には冷淡な対応をするのだそうだ。それでも、シシ姫のような者が一定数いる。
「遠回りして行くか」
にゃん太の近くにいることで、とばっちりを受けることもあったケン太がそう言う。
「待って、なんだか、様子がおかしい。……怪我したのかな?」
シシ姫は立ち尽くして片前足を持ち上げてしげしげと眺めている。
そこで、にゃん太は回復薬をケン太に持って行くように言ったが、ケン太は渋った。なぜにゃん太自身が行かないかと言えば、けんもほろろな対応をされるのは火を見るよりも明らかだからだ。
「えぇ、嫌だよ、俺がいじめられる!」
さんざんにゃん太の巻き添えをくってきたケン太に、それ以上を強いることはできず、さりとて、無視して通り過ぎることはできなかった。
「怪我したのか? 薬は持っているか?」
にゃん太は意を決して近づき、そう声を掛けた。
はっと顔を上げたシシ姫は顔を歪めた。T字に並んだ両目と幅広の鼻は常に淡々とした厳しさをたたえており、冗談口を言えば白けた表情をされそうな感がある。
「にゃん太か」
ご挨拶な言葉ではあるが、にゃん太は他のことに気を取られた。
「ああ、もしかして、ウルシに触ってしまったのか?」
ケン太はちょっと見ただけでよく分かるものだなあ、と内心感心していた。こういうときは、可愛い外見をしていても、様々な症状に合わせて薬を調合することができる錬金術師なのだと実感する。
「あんたには関係ないわ」
予想通り、つっけんどんな言葉が返って来る。それでも、片前足をもう片方の前足で抱え込むようにする。
「ウルシかぶれは甘く見ない方が良いぞ。待っていな、俺、【きらきらキランソウ】の煎液を持って来ているんだ」
にゃん太かばんの中をごそごそやった。
「そんなものまで用意していたのかあ」
ケン太の呆れ半分、感心半分の言葉に、にゃん太ははっとする。
これは「これにはこの【きらきらキランソウ】の薬を使うと良いですよ(キラァン)(キランソウだけに)」という、にゃん太が妄想——————もとい、憧れたシチュエーションではないか。まさか、苦手なシシ姫にすることになるとは、現実とはままならないものである。
まあ、でも、そういうものだよな、と自分を納得させつつ、容器を取り出す。
「これを塗っておくと良いよ」
シシ姫はうさんくさげににゃん太の顔と差し出す容器を見比べた。
「なんだよ、俺、こう見えても、ちゃんと錬金術師として修業を積んだから、調合できるんだぞ」
変な薬だと不審がられているのかと思い、にゃん太は不満な気持ちがへの字口に現れる。
後からケン太が、さんざん嫌がらせをした者に優しくされたからばつが悪かったのだろうと聞き、そういうものかと納得したが、そのときは信用されていないのかと感じた。
「はい」
にゃん太はシシ姫の無事な方の片前足を取って、そこへ容器を乗せる。
「こんなにはいらないわ」
「いっぺんに使うんじゃないんだ。様子を見ながら時間を置いて何度も塗り直すんだよ」
かぶれがひどくなるようだったら、使うのをやめて医者に見せた方が良いと言って、にゃん太はそそくさとその場を離れた。
「親切にしてやったのに、なんでこっちがあたふたしなくちゃならないんだ」
とは言っても、苦手意識があることに加え、戦闘能力は向こうの方が上だ。
「いやあ、でも、女子からしたら、にゃん太、さっきのは格好良かったと思うぞ。きゅんきゅんしちゃう!」
ケン太にからかわれつつも、にゃん太は当初の目的地の河原に向かった。
シシ姫がお礼を言おうと口を開閉させるも、声が出なかったのは、ケン太の言うとおり、ばつが悪かったのだというのに、にゃん太は気づくことはなかった。