54.特別じゃない日々5
錬金術師組合や薬師組合、そしてその他の組合は獣人たちの力を認めていた。純粋な力だけではなく、技術力や知識、知恵だ。それらでティーア市を運営する仲間だという認識が生まれつつあった。けれど、それらは漠然としたものだった。
彼らを動かしたのがアルルーンであり、にゃん太である。にゃん太はアルルーンの守護者であるのだから。にゃん太がそう認められたのは彼の発明品によるところが大きい。
薬の臭いをなんとかしようと思い立ち、また、移動が大変な小柄な獣人族を助けようとした。にゃん太は錬金術師であるから、薬や魔道具を作ってそれらの不便を解消した。にゃん太が作りだした物は、人族にも恩恵を与えた。人間もいやな臭いを忌避していたし、物の運搬をすることが楽になった。うさ吉が作りだしたホイールは強靭かつ自在に動き、テーブルは伸縮が可能である。
じいちゃんとアルルーンはいつだってにゃん太を助けてくれる。そして、にゃん太は獣人族のためになにかしようと思った。その考えは次第に、人族にもなにかしたいという思いへ変化した。形のないものが巡り巡っていく。
そんなにゃん太が愛玩獣人愛好家に強制的に連れ去られた。愛玩獣人という言葉自体がすでに獣人の権利を無視している。錬金術師組合や薬師組合、その他の組合は彼らに強く反発し、抗議した。彼らは首尾よく立ち回り、国を動かした。
事を有利に運ぶように奔走する彼らに、またぞろ猫の錬金術師が新商品を売り出したという情報が舞い込んだ。
「<撥水布の合羽>? 撥水性の高いマントのことか。なんとまあ、次から次へと」
「しかも、いずれも有用性が高いというのがとんでもないですね」
「ティーアの猫の錬金術師は金の卵を産むガチョウだ。その活動を邪魔されたらかなわん」
愛玩獣人愛好家なんていう私欲にまみれた者に害される前に救い出されたことから、象族を始めとする獣人たちには感謝している。多少の無茶など、帳消しにして余りある。
愛玩獣人愛好家たちの下には各地から集めた珍しい物品があったらしく、そのひとつににゃん太が興味を持って譲り受けたいという申し出があった。組合長はひどい目に遭ったにゃん太を慰労する意味で、快くティーア市に掛け合い、見事勝ち取って来た。
なお、その植物が撥水性の高いマントの素材になったとは知らない。だから、アルルーンがせっせとその植物を育て、株分けし、増やしていることも。
「今回は獣人だけでなく、人族用のマントも作るらしいですよ」
「旅人がこぞって欲しがるな」
「多少値が張っても、荷馬車の覆いに使いたいという商人も出てきそうですもんね」
これは各組合が目の色を変えるに違いないと錬金術師組合長は今から頭を悩ませる。つい先だって、<パンジャ>の注文窓口になったばかりだ。
「あ、新商品の特許登録と合わせて、猫の錬金術師さんから【妖精の翅】の大量注文が入っていますよ」
「それと、従業員が増えたと言う報告も入りました」
「あの工房はなにかと活発だなあ」
あれから、いろいろあった。後から後から出てくる問題をひとつひとつ片付けているうちに、時間はあっという間に過ぎて行った。
だからと言って、にゃん太はみい子に告白したことを忘れていたわけではない。ただ、返事を急かすのはなんだか格好悪いし、それで気分を害しても、と思っていたのだ。
そして、色んなことが片付いた今、みい子から返事をもらったにゃん太は、ふわふわとした足取りになっていた。
「んーにゃっにゃっ、んーにゃっにゃっ(ワルツ調)」
作業場には大勢の者たちが働いているというのに、ついついワルツ調のハミングが出ていた。たま絵が浮かれっぷりに呆れてみせたが、途中からいっしょになってハミングしていた。ハム助、みい子、狐七が顔を見合わせて、彼らもそのワルツ調に合わせて動く。
作業場の開かれた窓から聞こえてくるハミングに合わせて、アルルーンが緑の葉を揺らす。
狐七が初めて挑戦する錬金術はこれがいいというので<しゅわしゅわレモン>の作り方を教えた。
狐七はにゃん太を始めとする工房の面々に文字を教わり、レシピ帳や錬金術素材一覧を少しずつ読めるようになっていた。
狐七の<しゅわしゅわレモン>が出来上がったとき、にゃん太が「にゃにゃにゃーん」と、雄たけびを上げた。作った弟子よりも、師匠の方が喜んだのである。
工房は笑いに包まれた。
畑でも一斉に葉を揺らすアルルーンに、畑仕事をするケン太とカン七が顔を見合わせて笑い合う。
これが、猫の錬金術師の特別じゃない日々だ。ずっと続いていく、後から振り返ってみてかけがえのないものだと思える、大切な日々だ。
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
ティーア市を出入りする大勢の商人たちや職人たちは獣人たちの素晴らしさ、必要性、有用性を熟知していた。だから、生粋のティーア市民ではない短期滞在者や新参者たちが獣人たちに加勢した。人族が獣人側についたことによって、ティーア市の人族たちの勢いは衰える。自分たちはもしや間違っていたのではないかと、非があったのではないかという考えが芽生えたのだ。
大通りには馬車や荷車が通り、商品が並ぶ店や工房が連なる。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。たどり着く前にパンや果物といった身近なものを売る日常使いする店がある。
一番賑やかな場所から少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。
そこは猫の錬金術師の工房だ。
工房の持ち主の猫族のにゃん太は茶トラ白だ。ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白い茶トラ柄だ。肉球や鼻の色がピンクなので可愛らしい容貌ではあるが、「ティーア市の猫の錬金術師さん」と言えば、伝説の植物アルルーンを育てている他、数々の発明品を生み出した偉大な錬金術師のひとりである。
錬金術工房は露地沿いの正面玄関を入れば、客対応するためのカウンターと棚のある店となっている。店番の狐族の獣人の子供がいっしょうけんめい、客の質問に応えようとがんばっている。
「えっと、これは、お腹が痛くなくなるやつです!」
「こっちは、塗るやつでね、怪我が治るの! 飲んじゃダメ!」
「じゃあ、飲むやつをもらおうかしら。それと、これも」
客である人族のおばちゃんがにこにこ説明を聞き終え、お駄賃だとカウンターにあるクッキーを買い取って、狐族の獣人の子供に渡してやる。
「今日はふたりなのね? 他の子は?」
「掃除している子と洗いものしている子がいるよ!」
「みんなで分けてね」
「うん! あと狐七っちゃんとにゃん太とケン太と———」
「あらあら、ひとつじゃ足りないわね?」
言って、おばちゃんは太っ腹にも、もうひとつお買い上げしてくれた。狐族の獣人の子供たちはぴっかぴかの笑顔でお礼を言う。その顔を見て満足した客は、買わされたと思うことなく、また来ようと考える。狐族の獣人の子供たちは、なかなかのやり手店員に育ちつつある。
店の奥の部屋は大きな間取りとなっているが、錬金釜や台、炉、すり鉢やすり棒、ふるいなどといったさまざまな器具が置かれているので、広さは感じられない。壁一面に棚があり、錬金術を行使するために必要な素材が並んでいる。
火にかけた釜に溶液や薬草、鉱物を入れてそれをかき混ぜているのはにゃん太の弟子の狐七だ。先だって、初めて行使した錬金術が成功した。みなで飲んだ<しゅわしゅわレモン>の味は格別だった。
パン七など、飲んでいる途中で泣き出して、ろくに味がしなかったのではないだろうか。蛇朗はまた作ってほしいと言っていた。
弟分たちが「狐七が初めて錬金術で作った<しゅわしゅわレモン>」のことをしつこく何度も話したせいか、親代わりの狐吾郎がへそを曲げた。後から巨パンがあれは自分も飲みたかったのだとこっそり教えてくれて、撫でおろした胸がなんだかほかほか温かかった。
狐七がその狐吾郎と同じくらい尊敬している師匠であるにゃん太は、台の上でレシピ帳を開きながら、「んーにゃっにゃっ、んーにゃっにゃっ(ワルツ調)」と鼻歌を歌っている。
カン七が気にしているようだから、口に出さないようにと言わずもがなことを教えてくれた。カン七と同じくらい気が回るみい子はわざわざそんなことは言わない。ちょっとばかり斜めに構えてみるものの、結局、狐七はパン七と同じくカン七のことが大好きだ。
みい子はせっせと機織り機を操っている。
その傍らでハム助が糸巻き機の回し車を回している。ハム助は狐七とパン七が初めて会ったときから<パンジャ>を見事に操るすごい獣人だ。身体の大きさは力の強さとほとんど比例する。小柄な獣人というのはそれだけで見下されがちだ。だが、それを覆すのが<パンジャ>の存在だ。それを意のままに操るというのは、もうそれだけで尊敬に値する。あの獣人冒険者フェレ人と同じように。
なお、この工房はそんな<パンジャ>を発明した猫の錬金術師の工房だ。今もまた、新しい商品を発明し、注文が殺到しているのでみんな忙しい。
この工房の者たちは初見から狐七やパン七に優しかった。一部例外もいるが、喋り方も柔らかい。下町ではなかなかいない者たちだ。
「<吸臭石>の次は<パンジャ>で、それから<撥水布の合羽>ですって! んもう、いつになったら、美容商品を作ることができるのかしら。【エレガントなフリージア】やバラが枯れちゃうじゃない!」
カン七はそんなことを言いつつ、前足がいつも高速に動いている。それに、その心配は無用だ。アルルーンがいる限り、畑の植物はいつも元気に育っている。
この工房で最も重要視されている不思議植物アルルーンは畑におり、その面倒を見ているのがケン太だ。いつも元気で爽やかで、狐七の弟分たちも慕っている。でも、弟分たちは畑には立ち入らないように言われている。
狐七はアルルーンのことを弟分たちはもちろん、パン七や蛇朗にも話さないように言い含められている。まだ小さい子供たちだから、悪いやつらに情報を聞き出そうと狙われては大変だからだ。
そこで少しばかり優越感を覚えてしまい、後ろめたさを感じた。でも、そうやって秘匿すべきことを黙っていることも、錬金術師として必要な事柄なのだろう。
そして、工房で一番の強権を持っているのがたま絵である。たま絵は薬師となって、さらに主補佐として権威が増した。工房の主はにゃん太だが、たま絵は時には弟を叱りつけることもある。工房の誰も敵わない。時折やって来る有名な猫族冒険者のにい也ですらも。
にい也はにゃん太とたま絵の父親であり、ふたりにはとても優しい。というか、甘い。
にい也の他、いろんな猛獣人族たちがやって来る。そして、差し入れをする。みんなにゃん太には敵わない。そして、そんなにゃん太はたま絵に形無しだ。つまり、たま絵が一番怖い。
夕方になれば、蛇朗がやって来て、定期健診を行う。蛇朗の調子に合わせて処方された薬を服用する。そのころにはすぐ近くのパン屋で働くパン七もやって来る。そして、後からやって来た狐吾郎と巨パンとで、賑やかな夕食となる。大人数なので、交代制だ。
そして、みんなでいっしょに帰る。
一時期は孤児院にいたこともあった。そこではちゃんと食事も出されたが、いつまで経っても「居候」という立場で、冷たくそっけない雰囲気で肩身が狭かった。弟分たちから何度もいつ家に帰ることができるのかと聞かれ、答えられずに困ったものだった。
だから、みんなでいっしょに家に帰る道すがら、弟分たちがスキップするのを見ると、本当に良かったと思う。
満腹になって眠ってしまったパン七を巨パンが負ぶった。ほかの小さい弟分は狐吾郎と蛇朗が負ぶった。のこりのふたりは狐七を真ん中にして両前足をつないだ。両側の弟分がスキップするので、狐七の両前足はあちこちてんでに引っ張られる。前脚をぐいぐい引っ張られているというのに、狐七はなぜか笑い声が出てしまう。
狐吾郎の興した事業は順調だった。日雇いで下町の獣人を雇うようになった。仕事が安定してきて、雇っていた獣人も次第に定着してきたことから定期雇用に踏み切った。徐々に仕事も増えて行く。
ある日、狐七は狐吾郎に相談を持ち掛けられ、もろ手を挙げて賛成し、ふたりで蛇朗を説得することにした。
「俺が錬金術師に?」
「そう。俺の弟弟子だよ」
「まあ、にゃん太さんがなんて言うか分からないけどな。頼んでみるさ」
言われてみて、蛇朗はあの日のことを思い出す。
閉じ込められ、頭に靄がかかったり、痛くなったりする日々をやり過ごしていたころ、唐突に現れた獣人ふたり。今では蛇朗の一番大好きな獣人であるにゃん太と狐七だ。
ふたりは蛇朗にいろんなことを教えてくれた。いっしょにあれこれ作った。とても楽しかった。しかも、それは蛇朗のための薬を作るために行っていたことだ。
閉じ込められていてもいろんなことができて、楽しいのだと知った。
そのにゃん太は実はすごい錬金術師で、狐七はそんなにゃん太に教わっている。そして、蛇朗たちに<しゅわしゅわレモン>を作ってくれた。
なんてすごいことだ。
狐七ならばこそだ。
蛇朗は狐七といっしょにあれこれした楽しさを忘れられなかった。狐七が今日はどんなことをしたと話すのを楽しく聞きながら、うらやましく思っていた。
でも、自分ができることでがんばって、暮らしている。だから、今の仕事も大切なものなのだ。
それが今、狐七と狐吾郎が蛇朗にも錬金術師になってみないかという。
「俺、いいのかな?」
「いいんだよ。当たり前じゃないか。お前はなんにだってなれる。もちろん、そのためにはしっかりいろいろ頑張る必要があるけれどな」
戸惑う蛇朗に、遠慮など必要ないと背中を押す。そんな狐吾郎が、血がつながらない幼い同族たちのために悪いことをしていたとも聞いている。きちんと刑罰を受け、再出発したのだとも。身近で見ていたから、彼が懸命に家族のために働いているのを見てきた蛇朗は、狐吾郎もまた好きになっていた。
「蛇朗はどうしたい? 錬金術師になりたい?」
自分はどうしたいかと狐七が聞く。
「うん、俺、錬金術師になりたい。また、狐七とにゃん太といっしょに色んなものを作りたい」
蛇朗の美点は自身を偽ることなく率直であることだ。
狐七と狐吾郎は破願した。
にゃん太もまた、狐七といっしょに興味津々であの切り離された半地下室で錬金術の手伝いをした蛇朗の様子を覚えていた。
そうして、猫の錬金術師の弟子はふたりとなった。
「俺にもいつかほら、なんだ、あの<しゅわしゅわレモン>とかいうやつ、作ってくれよ」
狐吾郎はそんな風に言って見せた。彼もまた変わった。どこがどうと言われれば困るが、思っていることをするりと口にするようになった。たぶん、肩から力が抜けたというやつだ。
「蛇朗、いっしょに工房で働けるんだね」
「蛇朗の<しゅわしゅわレモン>、俺たちも楽しみにしているね」
弟分たちは蛇朗に会った当初は怖がったものの、すぐに慣れた。今ではその蛇体を枕にして眠っている。
「えぇ、みんな錬金術師の工房で働くの?」
俺だけのけ者だ、とパン七がしょんぼりする。
「パン七ちゃんのパン屋もすぐ近くじゃないか」
「パン七ちゃん、元気だして」
弟分たちに慰められてようやっとパン七は気分を持ち直した。
そうして、蛇朗は今までお世話になった者たちにいつか<しゅわしゅわレモン>を作ることを目標に励むのだった。
「俺も、猫の錬金術師工房の一員だ!」
嬉し気に言う蛇朗に、にゃん太はアルルーンを紹介しつつ、その蛇体をそっと撫でた。初めて出会った時と同じようににゃん太の前足がひんやりと滑らかな蛇体を労わるように撫でる。
「がんばろうな、蛇朗」
にゃん太はいつだって、そうやっていろんな者を受け入れてきた。様々な者たちのために、錬金術を行使してきた。
そして、猫の錬金術師はみなとともに、特別ではない日々を送っている。
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錬金術は世界の神秘を解き明かす学問だ。
錬金術師よ、忘れるな。
「錬金術師の心意気」、「錬金術師の意地」そして、「錬金術師の誇り」を。
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以上をもちまして、「猫の錬金術師の特別じゃない日々」は完結です。
お付き合いいただきありがとうございました。
●参考資料
・ひみつの薬箱 中世装飾写本で巡る薬草の旅 ジュヌヴィエーヴ・グザイエ グラフィック社
・修道院の薬草箱 ヨハネス・G・マイヤー/キリアン・ザウム/ベルンハルト・ユーレケ フレグランスジャーナル社
・不思議な薬草箱 西村佑子 山と渓谷社
・魔女の薬草箱 西村佑子 山と渓谷社
・奇妙で美しい石の世界 山田英春 ちくま新書
・これだけ知っておきたい世界の鉱物50 松原聡 宮脇律郎 サイエンス・アイ新書
・トコトンやさしい機械力学の本 三好孝典 日刊工業新聞社
・化学大図鑑 株式会社ニュートンプレス
・図解教養辞典 心理学 ニッキー・ヘイズ&サラ・トムリー 横田正夫監訳 田中真由美訳 株式会社ニュートンプレス