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46.長い長い一日7

 

 斥候のトラ平が戻って来たが、無言で首を左右に振る。

 ライオン族と虎族の長と豹族の前長、それに猛獣人族にその獣人ありと言われるヒョウ華といった面々は硬い表情で路地の向こうの館を見つめる。


「フェレ人は動く気配なし、か」

「本来はもっと早いうちに開始するはずだったからな」

「仕方がない。こちらもイレギュラーが発生したんだ」

 長ふたりと前長が言うのに、トラ平が合図用のアイテムを取り出す。これを打ち上げて館の上空で破裂音を響かせることによって、フェレ人への合図とする予定だった。


「ちょっと待て、」

 今にも魔道具を使いそうなトラ平に、にい也が待ったをかける。

「にい也、にゃん太なら、」

 ヒョウ華が言いさすのを、にい也は否定する。

「いや、そうじゃない。なにか聞こえないか? それに、これはなんだ? 地面が揺れている」

 そこで、猛獣人族たちも意識を凝らす。


「うん? 確かに」

「なんだあ? 巨人の大群でもお出ましなのかよ?」

 虎太郎があいまいに首を傾げ、トラ平も目を丸くする。


「中にいるのは大蛇だろう?」

「そうだ。それも一条だけだと聞いている」

 シシ雄にヒョウ次が答える。


「トラ平の冗談口が冗談ではなくなったようだな」

「へ? 俺?」

 いち早く気づいたにい也に、トラ平がより一層目を見開く。


 地響きが地面を伝わって、恐怖となって足元から這い上がって来る。そこにいた猛獣人族の重鎮ですら、本能を揺さぶる恐怖に、気づかないふりをすることはできなかった。


「な、なんだあ?」

「象族だ」

「大群だ」

「巨体なのは間違いないな」

 トラ平が弾かれるように路地から走り出て、他の面々も身を乗り出して周囲を見渡し、状況を把握する。


 自分たちが描いた図に沿ってすべてが進むとは思ってはいなかった。読み違えたのではない。誰が予測し得ただろう。象族が暴走するなど。

 しかし、そう知ったからにはその先を読むのはたやすい。


 象族の群れの暴走はすさまじい破壊力だ。すべてをなぎ倒す。止めることなど、できない。彼らの目的を果たすことだけが唯一の結末だ。

 砂埃をたて、地響きを起こす象族の群れに、周辺の家屋敷からも人や獣人が飛び出て来て、すわ何事かと騒ぎが生じ始めている。

 事態を迅速に収束させる必要があった。


「あれか、にゃん太を聖獣人視しているからか!」

 以前、一族の若者が象族とトラブルを起こした際、象族によるにゃん太の評判を存分に思い知らされた虎太郎だ。


「ということは、連中、にゃん太が掴まったのを聞きつけて暴走しちまったんでしょうかね」

「にゃん太の無事な姿を見ないことには、収まらないだろうな」

 トラ平の言葉に、ヒョウ次は両前脚を汲む。


「にゃん太が無事じゃなかったら?」

 虎太郎が阿呆を見る目をトラ平に向ける。

「そんなの、象族を待つまでもない。にい也が動く」

「俺たちもそっちに加担する」

「なら、壊滅だな」

 しらりと付け加えるヒョウ次に、ヒョウ華がにやりと笑う。


 にい也と猛獣人族、そして暴走する象族の群れ。なにと戦おうというのか。ドラゴンか。

「なんにせよ、もう静かに事を納めるのは無理だな」





「なんだよ、これ、なんだよ、これ!」

 狐吾郎は路地に積まれた木箱の向こうに身体を押しやりながら、膝が笑って立っていることができずに、その場にへたりこんだ。


 目指す館のすぐ傍の路地に、猛獣人族が集まっているのが見えた。様子を窺っていると、しっかりとそのうちのひとりと視線が合ったので、早々に見つかっていることに気づいた。しかし、こちらがじっとしていると、目こぼしなのか、特段なにもされなかったし、言われなかった。これから始めることの邪魔をしないのなら容認してやろうということか。


 狐吾郎は猛獣人族が冒険者ギルドの依頼を受けて、誘拐犯を捕まえに来たのではないかと予測した。

 ならば、ここで猛獣人族が動くのを待って、隙を見て、狐七とにゃん太をなんとか救助できないかと考えた。


 本来ならば、今すぐにきびすを返して逃げたい。

 けれど、狐七は身内だ。そして、にゃん太は工房に盗みに入った自分や巨パンの量刑を軽くするように口添えしてくれた。狐七や小パンダを始めとする幼い獣人たちを孤児院に預けてくれもした。大恩がある。


 事を起こす直前の猛獣人族のひりつくような緊張感に、毛皮を炙られる心地になりながらも、必死に耐えた。

 ところが、地響きがしたと思いきや、特徴的な鳴き声が聞こえてきた。猛獣人族たちが動き始めたのかと思って覗いてみると、象族が大挙せんとしていた。リス族から話には聞いていたが、こんな迫力だとは想像だにしなかった。


「なんだよ、これ、なんだよ、これ!」





 うさ吉は熊五郎に抱えられながら指し示した。

「あっちだ!」

 にゃん太誘拐の噂を聞きつけ、職人ギルドを動かしたは良いものの、居ても立ってもいられず、象族の群れとやらを探しているところに、同じことをしていた熊五郎と遭遇し、こうした方が早いと言われて仕方なしにその太い片前脚に抱えられることを了承したのだ。


「熊五郎さん、うさ吉さん!」

 そう呼びかけながら走り寄って来る。ずいぶんあちこち奔走したようで、よれよれだが、少し前までの暗く淀んだ雰囲気は、今はない。

 うさ吉は安堵した後、無性に腹が立って来た。


「羊彦じゃねえか! てめえ、知っていることがあったら、洗いざらい吐け!」

「うさ吉さん、乱暴だぞ」

「熊五郎の旦那、こいつはな、ちょっと前から変だったんだ。今回の騒動について、なにか知っているんだろう?」


 いっしょに<パンジャ>という素晴らしい魔道具を作る仲間だと思っていた。なのに、羊彦はなにか鬱屈を抱え込み、ひとりで欝々と悩んでいたのだ。あれこれ声を掛けてもまったく届かなかった。でも、今は違う。うさ吉は雰囲気が変わった羊彦に、そう断じた。


 その予想は外れていなかった様子で、羊彦は躊躇しながらも、実は、と話し出した。

「脅されていただァ?!」

「なんでもっと早く言わなかったんだ! しかも、フェレ人もいっしょに掴まっているなんて、」


 なお、羊彦はポチ丸という名前を出さずに説明したため、熊五郎は自分にも接触があったのだということを知るのはもう少し後のことである。判明した際、自分も網にかけられようとしていたのだとうそ寒い心地になった。


 他人事ではなく我が事のように親身になるうさ吉と熊五郎に、羊彦は凝り固まったものが解けていくのを感じた。同時に、疲労も押し寄せて来る。いや、まだだ。ここで立ち止まっているわけにはいかない。


「よし、あの象族たちの群れを追いかけるぞ」

「うさ吉さん?」

 気持ちが落ち着かなくて、起きていることを把握しようと現場に向かっていたが、うさ吉が違う意味を持って行動しようと言うのに、熊五郎も羊彦も戸惑う。


「あいつら、にゃん太が掴まったことに腹を立てているんだろう? なら、ひと悶着もふた悶着もある。その隙に、俺たちでにゃん太やフェレ人を助け出そうぜ」

 素直に心配しているとは言わず、うさ吉はそんな風に表現してにやりと笑う。これほどまでに大勢の獣人を集めることができるにゃん太をすごいと思いつつ、自分もまた衝動に突き動かされるように奔走しているということに、なんだか照れくさくなったのだ。


 熊五郎と羊彦は顔を見あわせて、頷き合った。

「そうだな。俺が肩車したら、羊彦とうさ吉さんを塀の向こうへ押しやることができるだろう」

 金持ちの館というのはとかく高い塀に囲まれている。熊族の巨体の上に立てば、相当な高さになる。


「僕とうさ吉さんで、にゃん太さんとフェレ人を背負ってでも連れ出してきましょう」

 生きてさえいれば、自力で歩けることができないような状態でも、なんとしてでも、救出しよう。

 羊彦もまた、必ずそうしようと決然と頷いた。





 ケン太とハム助は象族の群れを見つけるも、その激しい勢いに、近寄れずにいた。

 道幅に沿って並走する巨体の数を増減させながら、奔流は留まることを知らない。商店の軒先を跳ね飛ばし、店先の木桶を踏み潰し、ずんずんと進む。

「なにする————ヒィッ」

 誰かがいたずらで破壊したのかと顔を出した店主が慌てて引っ込む。


 市民の通報によって駆け付けた警邏も、手を出せずに遠巻きにしながら、巻き込まれる者が出ないように注意を促すほかなかった。


 さて、すでに巻き込まれ、奔流に飲みこまれている者は、必死になって声をあげていた。

「と、止まってぇぇぇぇ」

「おち、おち、おちついてくださいぃぃぃぃ」

 カン七とリス緒が荒れ狂う象族にしがみつきながら、流れに乗っている。


 一方、象族と並走するケン太とハム助はタイミングを見計らっていた。

「ケン太さん!」

「来たか!」

 後ろから羽音がする。複数が少しずつブレて、濁った音が波打つ。


「ハム助さんはそのまま脇を走って!」

 ままよ、とばかりにケン太は象族の群れの中に飛び込んだ。

「ご無事で!」


 ケン太は象族の中を隙間を縫って走る。

 特別な栄養剤をかけられた【遠くまで香るクローブ】は本領発揮とばかりに香りを辺りにまき散らす。象族の上げる砂煙に香りが混じる。そこへ、昆虫が突っ込んだ。一匹、二匹、点々としたものが、次第にかさを増していく。

 ハム助ははらはらしながら見守った。


 羊彦から聞いた館は、もうすぐ目の前だ。





 ティーア市の市民はその出来事を遠巻きに注目していた。

 巻き込まれないように距離を取りながらも、目を離せないでいた。

 市でも立派な館が建つ区画に、象族の群れが大挙し、まるで迎え討つかのように複数の猛獣人族が佇む。


 ごくり。

 どこからか、生唾を飲み込む音が聞こえた。


「なんスか、あれ。一体全体、なんの全面戦争ですか」

「あー、ティーア市が沈むくらいで終わるかなあ」

「下手したら、ユール国が半壊するんじゃね?」

「なんなんだ、なにが起きているんだ、一体?!」


 すわ、一触即発か、と大勢のティーア市民が固唾を飲んで見守る中、象族の群れが黒い靄に包まれる。

「なんだあ?」

「うげ、虫だよ、あれ、虫だ!」

「はあ? あんなに大量の虫がどこから、なんで、飛んでくるんだよ!」


 ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくように、象族の群れの最後尾から包まれて行く。

 怒り心頭で我を忘れていた象族たちも、虫の大群にたかられてはたまらない。次第に勢いは衰え、ついには、行進が止まる。


 その象族たちの中から転がり出てくるカンガルー族とリス族、犬族がいる。並走するハムスター族が、遅れて駆け付ける羊族、熊族、兎族、路地からそろそろと出てくる狐族がいた。


「なんだあ? ずいぶんいろいろ集まったなあ」

「これ、全員にゃん太を助けに来たのか」

 トラ平が呆れたように言い、さすがの虎太郎も腰が引けている様子だ。


 象族たちはしきりに身を揺すり、虫を払い落そうとする。隔てるもののない外では匂いは拡散され、靄のような大群の虫たちは霧散する。

 それを、集まった者たちは呆然と見送った。奇しくも、みなが同じように空を見あげていた。上空に浮かぶ雲の峰々を朱色に際立たせ、端々からは紫紺色の勢力が増してきている頃合いだ。


 にい也は感慨深かった。

 立派なことを言うものはたくさんいる。けれど、それを実践に移している者は少ない。理想論を話しはしても、それを実現できるだけの力や知恵、技術を持つものはわずかだ。

 にゃん太が言うことは立派であり、理想論であった。でも、それを実践に移し、なおかつ実現させ得る知識や技を持っていた。


 にゃん太はそれはじいちゃんやアルルーンが教えてくれ(アルルーンに関してはにい也は知らないが)、なおかつ、周囲が協力してくれたり助けてくれたりするからだと言うだろう。

 その通りだ。だが、そうやって教え導き、助力をしてくれる者がいるということこそ、にゃん太の力である。

 にい也は、そのことを今、まざまざと思い知らされていた。





 部屋の外から慌ただしい靴音がしたかと思うと、けたたましい音をたてて扉が開いた。

 物々しい恰好をした人族が大勢入って来る。険しい表情に、狐七がびくりと大きく身を震わせる。にゃん太はそっと薬作成をしていた器具を、床に乱雑に転がった他の物品に紛れ込ませる。


 人族たちはにゃん太や狐七を見て驚く。

「なんだ、無事なのか?」

「腹が減っていないのか? まあ、良い。連れて行くぞ」

「デカブツ、出ろ!」

 狐七はひゅっと息を呑んだ。


 蛇朗は嫌がった。

 人族の男達に短槍や剣を突き付けられても、鎌首を鋭利にもたげ、口を大きく開き、牙を見せつけて抵抗した。


「や、やめて!」

「なんだあ? もしかして、このデカブツとオトモダチにでもなったのかあ?」

 思わず声を上げた狐七に、人族が嫌な笑いを浮かべる。


「おい、オトモダチがどうなってもいいのか?」

 言いながら、にゃん太と狐七に短槍の穂先を突き付ける。にゃん太は狐七を抱きかかえ後退する。その腕の中から顔を出す狐七の必死の表情に、蛇朗の勢いがやや落ちる。


 大蛇よりも猫族と狐族の獣人の方が与しやすいとばかりに、「おらおら」と短槍で突き刺す仕草をする。

「こいつらがどうなってもいいのか!」

 蛇朗としては、にゃん太と狐七を盾に取られては、従う他なかった。


「ちょっと、外にいるやつらを片付けてくれるだけでいいんだ」

「なに、そのデカイ姿を見せつけてやれば、連中も怯えてろくろく動けやしまいさ」

 そう言って、追い立てられて行く。


 にゃん太と狐七は自分たちが足かせになって、蛇朗が便利遣いされるのがとても悔しく、心臓が握りつぶされる心地だった。

 夢中で連れて行かれた蛇朗の後を追うが、鼻先で扉を閉められてしまう。

「止せ! 嫌がっているだろう!」

「蛇朗を放せ! 蛇朗! 蛇朗!」

 懸命に扉を叩くも、鉄製のそれはびくともしなかった。


 なんてことだろう。

 あんなに穏やかで優しい蛇族を、自分たちの代わりに戦わせるのだ。ただ、身体が大きいから、力が強いからと言って、都合よく利用するのだ。


 悲壮に喉を鳴らす狐七を抱きかかえながら、にゃん太はあらためて、この館の者たちへの怒りを募らせた。自分の都合によって、獣人を可愛がったり、戦わせたりするのだ。本人の意思はそこにない。

 可愛がると言っても、自由を奪い、自分本位に愛でるだけだ。戦わせるということは、誰かを傷つけ、本人も怪我をするということだ。


「どうやって手なずけたんだあ?」

「デカブツに食われるずにいるなんてなあ」

 扉が閉まる前にそんな風に言っていた。彼らからしてみれば、獣人には尊重すべき個性ではないのだ。

 連れて行かれた蛇朗がどんな目に遭うのか、酷いことになりませんように、と祈らずにはいられなかった。





 見慣れた厨房なのに、どこかよそよそしく感じられた。それが自分が弱気になっているように思え、たま絵は猛然と料理に取り掛かった。


 す、と横に立つ者がいる。

「これ、皮を剥きますね」

「みい子さん。———そうね、お願いね」

「こんなに使うんですか?」

 たま絵が憤然と抱えてきた食料に、みい子が遠慮がちに尋ねる。


「そうよ。あの子たち、帰って来たら、きっとお腹を空かせているわ。余ったら明日に回しても良いし、父さんたちに食べてもらうのでも良いし」

「そうですね。きっとみんなお腹を空かせて帰って来るでしょうね」


 きっと帰って来る。

 だから、たま絵もみい子もみなを迎え、その空腹を満たすために、料理を作る。


「ねえ、みい子さん、もしかして———」

 リズミカルな音をたててどんどん野菜を刻んでいくたま絵が言うのに、みい子は自分でも驚くほど静かな気持ちで答えることができた。

「そうなんです」


 そうだ。みい子の心はとうの昔に決まっていた。なにをぐずぐずと迷っていたのだろう。枝葉末節に捕らわれていたら、大切なものを見失うことなど、いくらだってあるのだ。




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