45.長い長い一日6
リス緒が駆けて行くのを見送った後、たま絵がカン七の加勢に出かけようとするのを、ケン太が留める。
「ちょっと待って、アルルーンがなにか言いたいことがあるみたいなんだ」
ケン太は棚へ近寄り、アルルーンを抱えて台に戻ろうとするも、書架の方を根っこで指し示す。
「うん? なんだ?」
「本を取るように言っているんじゃないでしょうか。ほら、にゃん太さんに必要に応じてレシピ帳を示して見せていたように」
ハム助はそう言いながら、<パンジャ>を操って書架の前に移動し、高低を調節しながら、適当に一か所を指し示してみる。
「この辺りですか?」
アルルーンはわさわさと葉を横に振る。
「ちょっと待っていな」
ケン太はアルルーンを抱えたまま書架に近寄る。
そうして、アルルーンが指定するレシピ帳を抜き取って来る。
「あれ、これ、」
「前に作りましたよね」
ケン太とハム助がアルルーンが根っこで開いたレシピ帳を読んで声を上げる。
「そうね。【遠くまで香るクローブ】にかけた栄養剤だわ」
「これを作るようにと言うことなんでしょうか?」
たま絵も見覚えがあり思い出し、みい子が困惑する。
にゃん太はアルルーンがじいちゃんのレシピ帳でもっと危険な煙を出すページを読んでいた。
じいちゃんのレシピ帳の中でも「禁秘の書」と銘打った書物の中にあったものだ。それもじいちゃんはにゃん太とアルルーンに教えてくれた。けれど、にゃん太はなんとなく、それをみなには知らせなかった。錬金術師でないとその危険性を分からないだろうと思ったからだ。そして、後に、アルルーンがその薬を作らせなかったことに安堵した。
「だとしても、これは錬金術のレシピだわ。せめてわたしが薬師だったら」
たま絵はへの字口を硬く閉ざす。錬金術と薬の調合は似て非なるものだ。必要素材やその処置は似ていても、作製過程が異なる。しかし、同じ材料を用いて同等の薬効を持つ薬を作ることができることもある。
「今は錬金術師も薬師もいないわ」
せっかく、アルルーンがなんらかのアドバイスをしてくれたとしても、それを作り出すことができる者が不在なのだ。
たま絵は自分の力の無さを突き付けられる心持ちになる。
「仕方がないわ。わたし、カン七のところへ行って、交代して来る」
「待ってください。これ、レシピを書き写して、素材といっしょに錬金術師工房に持ち込めば、作ってもらえるのではないでしょうか?」
ハム助がそう言ってたま絵を止める。
「そうだな。カン七さんだって薬師だ。確実に作れるとは限らないものな」
「それに、すぐに取り掛かった方が良いでしょうし」
ケン太とみい子も賛同する。
「ただ、なぜこれが必要なのかと聞かれるかもしれませんが、」
発案したハム助がアルルーンの意図が分からないことから、どれだけの必要性を訴えかけ、早急に作らせることができるかどうか、と懸念する。
「じゃあ、わたしが行ってくるわ。大丈夫。適当に言いくるめて作ってもらってくる」
たま絵の言葉に、居合わせた者たちは彼女以上に巧みにそうできる者もいまいと賛同する。
たま絵が出かけて行った後、ハム助が頭を悩ませひねり出した案に、ケン太は同意する。それを聞いていたみい子は自分では力になれないので、できることをしようと提案する。
「じゃあ、わたし、簡単に食べられるものを作ります。にゃん太さんも狐七さんも、きっとお腹が空いているだろうから」
「わたしは誰かが来たときのために、ここに残っていますね」
みい子が厨房へ行き、ハム助は作業場で留守番をする。
ケン太はアルルーンのひと株を抱えて畑へ向かう。
ケン太はにゃん太の次にアルルーンの取り扱いに長けていた。ハム助が提案したことを実現させるには、まずはアルルーンに畑から離れて危険がある場所に連れていくことを承諾させる必要があった。けれど、ケン太には勝算があった。「にゃん太を助けるために協力してほしい」と言えば、アルルーンはそうするだろうと思っていた。果たして、その通りだった。そうしてケン太は外へ出ても良いというアルルーンひと株を持ち出した。なお、他のアルルーンたちが我も我もと言ったのを宥める方が大変だった。
「みんな連れていけないんだ。危ないかもしれないんだぞ」
もう戻って来られないかもしれない。そんな危険にアルルーンをさらすことは、にゃん太自身が嫌がるかもしれない。
けれど、ケン太もハム助も、他のみなも、にゃん太のために最善を尽くそうとしていた。
たま絵は宣言したとおり、すぐに戻って来た。
錬金術師組合で作ってもらった栄養剤を【遠くまで香るクローブ】にかける。
アルルーンたちはわーっさ、わーっさ、と右に左に大きく葉を揺らし、香りを送って昆虫を呼ぶ。いつぞやと同じだった。
そして、待つほどもなく、昆虫たちは集まって来た。どんどん来る。それは黒い靄のようであった。
「一匹は小さくても、群れになったらこんなに怖いんだなあ」
「あっ!」
ケン太が暢気に言うも、ハム助は息を呑んだ。
「どうしたの?」
「なにかあったんですか?」
たま絵とみい子が尋ねる。ハム助は自分の想像に蒼ざめながらも、なんとか口を開く。
「もしかして、これで、象族たちを足止めするということではないでしょうか?」
「「「————ああ!」」」
大群には大群を。
雲霞のように集まって来る昆虫を見ながら、居並ぶ獣人たちは遠い目をするのだった。
栄養剤をかけられた【遠くまで香るクローブ】を抱えてケン太は駆ける。
必死だった。今生で最速で走った。
となりを<パンジャ>に乗ったハム助が並走する。
最初、いっしょに行くというハム助を、みなが止めた。しかし、ハム助は今、にゃん太の力になれなければ、自分はずっと後悔することになると言い張った。
「それに、アルルーンを連れ出すという案を言い出したのはわたしです」
アルルーンを連れ出す案には、後から聞いたたま絵も賛成した。
「後々のことを考えたら、最善かもしれないわね」
「ただし、にゃん太さんは嫌がる手法です」
なのに、自分は安全な場所で漫然と待っていることはできないと言い張ったのだ。
「それに、ケン太さんは【遠くまで香るクローブ】を持っているのだから、アルルーンは運べないでしょう?」
<パンジャ>を乗りこなすハム助ならばこそ、運ぶことができる。
「分かった。でも、危なかったら、俺を置いて行ってくれ。とにかく、ハム助さんはアルルーンをにゃん太の下に運ぶことを第一に考えてくれ」
「分かりました」
そんなやり取りをして、さあ、走りだそう、という段になって、工房にまたぞろ駆け込んでくる者がいた。
「待ってください! にゃん太さんの居所が分かりました!」
このときばかりは、狐吾郎の機転に感謝すべきだろう。リス緒が来るものとばかり思っていたが、駆けこんできたのは羊彦だった。
錬金術師工房を出たリス緒は失態した分を取り戻そうと必死だった。走って、走って、走った。
身体が小さい獣人だからこそ、隙間を縫って、ショートカットを駆使した。今このとき、<パンジャ>があれば。そうは思うも、ないものは仕方がない。
たどり着いたときにはぜいぜいと荒い息を繰り返し、言葉をすることも難しい状態だった。毛並みは埃や泥で汚れていたが、気にしている暇はない。
下町にやって来たリス緒は、目当ての獣人が狐族の獣人と羊族の獣人のふたりとで話しているのを見つけた。リス緒はマナー違反だと知りつつ、その小ささを活かして、こっそり近づいて耳をそばだてた。
ある予感があったのだ。この三人の会話を聞かねばならないという気持ちになった。そして、その予感は当たっていた。
狐族の獣人が言葉巧みに聞き出したのは「連れ去り」をする獣人たちのことだった。つまり、狐族の獣人は誘拐犯のことを尋ねていたのだ。羊族の獣人はどういう立ち位置なのかは知らないが、あまりしゃべらない。
リス緒は最大限に注意を払って、狐族の獣人と羊族の獣人の後を付けた。ふたりは誘拐犯とおぼしき獣人たちを見出し、締め上げた。ペンは剣よりも強しを標榜するリス緒としては、看過できないことであるが、堪えた。
「お前たちには理解できないことかもしれないがな、俺たちは正しいことをやっているんだ。一見、悪いことかもしれない。けれど、長い目で見たら、正義はこちらだ」
「大勢の者を救うためにやったんだ」
だから、誘拐は致し方がないことなのだと獣人は言う。そんな彼に、それまであまりしゃべらなかった羊族の獣人が低い声で問う。
「大勢を助けるために、他者を無理やり犠牲にするのか? それが正義なのか?」
「あんたになにが分かる! 目先のことしか見えていないから、下町の獣人たちはいつまでたっても地べたをはいずることになるんだ!」
痛いところを突かれて激昂したのではなく、分からず屋、理解が及ばない者にじれったそうにする。
リス緒は話を聞きながら、耳を疑う。誘拐犯たちはまったく自分たちは悪いと思っていないのだ。
「だったら、なんで、お前が犠牲にならない? 他者を犠牲にせず、まず自分がなればいい」
「俺たちじゃあ、用を足さないんだから、仕方がないだろう」
羊族の獣人に、事情を知らないくせに、と冷笑する。誘拐するのは愛らしい容貌の獣人だ。そうでなければ需要がない。
「亀之進さんは自分の金を俺たちのために使ってくれている。それでいてなお、手が回らないことはいっぱいある。その及ばない部分をなんとかするために、仕方がないことなんだって」
誘拐犯の獣人たちは考えが及ばない。自分たちが特定の個人名を出してしまったことを。狐族と羊族の獣人は要領よく、気づかないふりをしていたからだ。
リス緒は話を聞きながら息を呑んだ。亀之進は獣人でありながら、成功者であり、資産家でもあり、篤志家でもある名士だ。以前から慈善活動に積極的に取り組んで来ていた者だ。
リス緒はどこか腑に落ちている自分の感情の動きに気づいていた。亀之進の家人が下町にやって来て獣人たちと接しているのを見たことがある。これほどにまで、心酔されているのであれば、動かすのは簡単なことだっただろう。
あるいは、この誘拐犯たちが言うとおり、困窮する獣人のために腐心する亀之進の心根は真実、獣人の地位向上のためだったかもしれない。
けれど、善行をするために、悪行をするのでは本末転倒である。
必要悪とはそういう意味ではない。
リス緒にはそれが分かる。
けれど、教育を受けていない獣人たちにはそれが分からないのだ。
善い行いをした亀之進側の陣営は正義だと思っている。正しいことをするために、少々の悪は仕方がないと思っている。けれど、誰がその大小を決めるのか。現に、獣人にとって侵さざる自由を奪われているのだというのに。もっと大きな正義を貫くためには、仕方がないことだと、加害者が思いこむ。
リス緒がそんなことを考えている間にも、事態は動いていた。
にぶい音がして、獣人が膝をついている。誘拐犯のひとりだ。仲間が怯えた様子で後退るのを、狐族の獣人が退路を塞ぐ。
羊族の獣人がもはや言葉は通じないとばかりに実力行使に出たのだ。
「な、なにをするんだ!」
「あんたらは自分の信じる正義のために悪いことをしたんだろう? それと同じだ。俺は自分の信じる正義のために、自分が守りたいもののためになら、なんだってやる」
淡々とした声音だった。特に誇ることも自身の行為に酔うこともない。ただ、早く白状しろと迫るだけだ。
弟フェレ人が消えた。羊彦がそれを知ったのはポチ丸が現れ、フェレ人を返してほしければ、と嫌な笑いを残していったからだ。
羊彦は決断を迫られた。
それでも、最後まででき得る限りのことをしようと思った。ポチ丸の要求は飲めたものではない。ポチ丸はよりによって、にい也を売れと言った。
「あんた、にい也のダチだって? なら、弱みのひとつやふたつ、分かるだろう?」
笑ったようだが、嫌らしい表情に反吐が出そうになる。
にい也は以前、荒れていた羊彦でさえ、圧倒される力を持っていた。そんな者でも、大切にする者がいて、その話をするときには柔らかい表情をする。それが自分に重なって思えた。同じなのだ。どんな者でも守りたい者がおり、そのために、力を尽くす。
フェレ人のために、いったんはにゃん太を連れて来るという「体裁」を整えろと強いられ、羊彦はのらくらと返事を保留にした。それがにい也の逆鱗であり、フェレ人を失うことを避けるのと同じくらいしてはならないことだと知っていた。フェレ人を取り戻したとしても、今度はにい也に追われることになる。
念のため、自宅や冒険者ギルド、親交のある者たちを当たってみたが、返事は芳しくない。冒険者ギルドの依頼を受けたのではないと聞いた。
一刻も早く、フェレ人を助け出さなければならない。気ばかりが焦る。そんな羊彦を見かねたように、虎族の冒険者がフェレ人は潜入捜査をしているのだと教えてくれた。彼もまた、忙しそうにしており、すぐに立ち去ったが、その前に羊彦は食い下がって聞き出した。こと弟が絡むといつにない力を発揮する。
「よりにもよって、獣人誘拐犯の大本だなんて」
ポチ丸のいやらしい顔が脳裏にちらつく。
しかし、羊彦にはフェレ人を捨て置くという選択肢はない。
羊彦は羊彦で独自に動くことにした。そして、下町にやって来て手当たり次第に聞いて回った。弟が誘拐されたことにして、誘拐犯を探した。そして、狐族の獣人の手を借りて見つけ出すことができた。
その静かな気迫に誘拐犯たちは呑まれる。暴力を振るわれた方ではなく、それを見ていた方が、慌ててしゃべる。自分も痛い目に遭わされてはたまらないと、知り得る限りのことを話す。しゃべるというよりは、ひたすらわめいている。そうなったら、仲間だけが助かるのは業腹だとばかりに、もう一方も洗いざらいぶちまける。
唖然とするリス緒は、死角から忍び寄る者に気づかなかった。
「きゃっ」
唐突に首の後ろが引っ張られ、浮遊感を覚える。
「痛い、痛い!」
「盗み聞きなんて、悪いやつだなあ」
狐族の獣人がいつの間にかやって来ていて、リス緒の首根っこを掴んで宙づりにされていた。
「す、すみません」
いつから気づいていたのか、という疑問を口にする隙はなかった。
しゃべるだけしゃべって、這う這うの体で逃げ出した獣人たちを他所に、羊族の獣人がこちらにやって来たからだ。
今度は、リス緒が全て白状する番だ。ところが、素直にしゃべったことが功を奏した。
「にゃん太さんを探しているんですか」
羊族の獣人はにゃん太と知人であるそうで、リス緒の話を聞いて底知れない瞳が穏やかな光を灯す。
「それにしても、象族が暴れ出しそうだって?」
「そうなんです。先回りして、ああ、でも、色んなところに情報を届けないと、やきもきしているでしょうし、」
狐族の獣人に、リス緒は厄介なことを思い出し、慌て出す。それに鼻息をふんと鳴らした狐族の獣人が羊族の獣人に言う。
「羊彦、お前が錬金術師工房に知らせに行け」
「でも、弟が、」
「お前は今、冷静じゃない。このリス族の嬢ちゃんのようにな」
失敬な、とリス緒は憤るも、なんと、羊彦はこちらに視線を向けて、不承不承頷いた。
「その通りです。それに、にゃん太さんたちにはいろいろお世話になっている」
「おい、嬢ちゃん。嬢ちゃんはその象族を止めているカンガルー族に誘拐の大本のことを知らせてやりな」
「あ、あなたはどうするんですか?」
「俺か? 俺ぁ、まあ、これ以上、厄介ごとに首を突っ込むのもなあ」
先行して現場に行くんだな、と思ったリス緒がちらりと羊彦に視線をやると、彼もまた同じことを考えた様子でかすかに苦笑してみせた。なんだかんだと理由をつけてリス緒や羊彦を別のところへ向かわせて、自分が危険に飛び込もうというのだ。そういう考え方が慣れているように思われた。
「じゃあな。小さいんだから、象どもに踏み潰されないようにしろよ」
「小さいは余計です!」
気にしていることをわざわざ言われて憤慨するリス緒に、狐族の獣人は背を向けたまま片前足を振る。
「では、僕も行きます」
「あ、はい。お気をつけて」
「そちらも」
誘拐犯の獣人たちへの冷酷さはどこへやら、羊彦はリス緒を気遣う言葉すら残して去って行った。
目まぐるしく色んなことが起きて、数瞬、呆然となるリス緒だったが、はたと正気に戻って走り出した。
目指すは、カン七だ。もしかすると、たま絵がもう口八丁で説き伏せ、鎮静化しているかもしれない。けれど、妙に胸騒ぎがした。
リス緒はふたたび駆けた。今日はよく走る日だ。でも、たまにはこういう日があっても良いかもしれない。ネタだけを探して奔走するのではない。
そんな風に思っていたというのに、小柄な種族ということがここにきて祟った。
「あれ?」
下町を抜け出るかどうかというときに、脚が動かなくなった。ふいに操り人形の糸がきれたかのように、あるいは魔道具の内臓魔石の魔力が切れたかのように、ふらふらしたかと思うと、その場にへたり込む。
「こんなときに———」
リス緒は地面にしりもちをつく格好でしばし呆然とした。いつの間にか、息も荒い。ふう、と吹いてきた風が心地よく、額や首筋にかいていた汗をさらっていく。ふと見上げれば、ついさきほどまで青空だと思っていたのが、大分日が傾いている。
リス緒は心地よさに誘われるままに少し目をつぶった。そのままじっとしていると、今まであったことが脳裏を駆け巡る。
生物には自然回復力が備わっている。リス緒もそうして、ほとんど機能停止状態に陥り、体力の回復を行った。
ぱちりと目を開けた次の瞬間には、立ち上がっていた。
「よし、急ごう」
若さゆえか、職業柄か、体調が改善したとたん、動き出す。
後にリス緒はこの日のことをよくよく思い出す。記事にするためだ。ティーア市を揺るがす大事件の最中にあり、奔走した記者として、臨場感たっぷりの記事を書いてみせた。そして、大スクープを物にし、ティーア市獣人新聞は売れに売れる。獣人だけでなく、人族もこぞって読みたがったのだ。あのとんでもない騒動は一体なんだったのか。多くの者の注目を集める事柄であった。
「うおぉぉぉぉぉ」
「うなれ、俺の筋肉ぅぅぅぅ!」
「押せ! 押せ! 押し戻せぇぇ!」
「もう、アンタたち、うるさいわねえ! 押される一方じゃない!」
カン七は気焔を吐く兄弟たちに呆れる。ぐいぐいと、と言うよりは、ずんずんと押されているが、兄弟たちは意気盛んだ。その点だけは頼もしい。
「まったく、抑止力になっていないけれどね!」
それでも、怒涛の勢いはなんとか食い止めている。大挙した勢いのままぶつかっては、館の塀も、壁も打ち壊され、中にいるにゃん太すらも押しつぶされかねない。
「そうなったら、たま絵もにい也さんも怖いわよお」
窮地に立たされっぱなしのカン七は正常な思考を手放しつつあった。なぜなら、正確な目的地が分かっていないのだ。このままでは無関係のお宅が被害に遭いかねない。
「カン七さん!」
「リ、リス緒ちゃん。嫌だわ、嫌な予感しかしない。———ねえ、ちょっと、落ち着いて!」
疲労著しいカン七ではあったが、このときばかりは察しが良かった。十全に懲りたというのもある。
しかし、リス緒は混乱の最中にあって、慌てる一方であった。
「にゃん太さんの居所がわかりました!」
リス緒が告げた場所は、正確には候補であり、誘拐された獣人が連れて行かれた館であるだけだ。
しかし、すっかりそう思い込んでいる。
カン七に知らせなければ、という一心だった。そしてそれはしっかり伝わった。もちろん、カン七たちが押しとどめようとする象族たちにも。
「うおぉぉぉぉぉ」
今度は、象族たちが雄たけびを上げる。
「そこに、そこに聖獣人が!」
「待っていてください、すぐに駆けつけます!」
「みなの者、急ぐぞ! 早く助け出さなければ!」
「「「「「「おうっ」」」」」」
「—————あ!」
リス緒は遅ればせながら、口に前足を当てた。実に、時すでに遅しである。
象族たちは勢いを盛り返し、駆けだした。
しかも、彼らはふだんしない四つん這いになった。日頃からは考えられないような猛烈な勢いに、視る者は度肝を抜かれた。特に、日常的に象族を鈍重だと見下していた人族は腰を抜かす羽目になる。
「うわぁぁぁぁ」
「ぎゃーっ」
「おぐわぁぁ」
カンガルー族兄弟が吹き飛ばされる。それで良かったのだ。ここで踏ん張っていれば、粉砕されただろう。吹き飛ばされたくらいなら、打撲程度で済む。
象士郎やパオ蔵を始めとする制止する象族たちをすら、一時的にしのぐ勢力となる。制止する者たちをも伴って、それは、ティーア市を震撼させる一大勢力となって、実際に地面を揺るがしながら進んで行った。
「お馬鹿ァァァ!」
心の底からそう叫びながら、カン七はリス緒とともに象族の群れの中、流されて行くのだった。