5.新しい販路
豊かな国ユールの地方都市ティーアでは人や獣人族がいっしょに暮している。獣人族は人と動物の両方の特性を持つ。二足歩行し、器用に前足を操ることができ、言葉も交わす。
大通りには馬車や荷車が通り、商品が並ぶ店や工房が連なる。そこから一本入った筋をさらに進んで角を曲がった先に錬金術師の工房がある。たどり着く前に良い匂いのするパン屋やつやつやした果物を売る店があって目移りする。
一番賑やかな場所から少し離れているから、敷地は広く、裏手に畑を持つ。
そこは猫の錬金術師の工房だ。
工房の持ち主の猫族のにゃん太は茶トラ白だ。鼻筋と口から顎、胸と四肢が白く、ほかは薄茶色の毛並みにオレンジ色のトラ縞が入っている。耳や鼻、への字口がピンク色である。
錬金術工房は露地沿いの正面玄関を入れば、客対応するためのカウンターと棚のある店となっている。
そこでは看板娘と認識されつつある、ぴんと先がとがった三角耳、鼻筋と腹や足が白くその他は灰色の毛並みをした猫族の美女が出迎える。
「こちらはどうですか? 最近、人気の<ハツラツ・ハーブクッキー>です。しゃっきりしますよ。こちらの<さわやか・ハーブティ>もおすすめです」
勧められるままに、本来の買い物の他に、ひとつふたつ買っていく客もいた。
<さわやか・ハーブティ>は【爽やかカモミール】を使った安眠を促すハーブティだ。
「わたしも食べたんですけれどね、うっかり夕食の後につまんじゃって。元気いっぱいで弟たちと大掃除しましたよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、たま絵さんが身をもって効果のほどを味わったんだね」
文字通り、美味しく味わって効果も実感した。
「ハーブティの方は寝る前にお勧めです」
クッキーはやめておいた方が良い。
そのうち、<ハツラツのミントの栄養剤>を使ったハーブに変化が見られるだろう。にゃん太はそれらを観察しているうち、ふだん作る回復薬や解毒薬といった薬をもっと使いやすくすることができないかと考え始めたのだと言っていた。
「臭いがきついからさ。もうちょっとましになったら、みんな喜ぶよね」
獣人族は人と獣の特性を併せ持つ種族だ。だから、鼻が利く者が多い。傷を癒したり、毒を除去するという必要不可欠な薬ならば、臭いがきついとはいえど、使わないわけにはいかない。
それらの薬は、外傷を治す、毒の成分を中和するといった必要不可欠な役割を果たす素材以外を加味すれば、とたんに本来必要とする効果が低下するのだという。
既存の商品の改善点を見出し、あれこれ試そうというのだから、物づくりにたずさわる者としては立派なものだ。
さて、その弟のにゃん太は錬金術師組合に納品に出向いていた。この錬金術師工房は前の持ち主から器材と畑込みで譲り受けたため、無借金である。素材も潤沢にあるが、使えばなくなる。
そこで、納品しがてら素材を購入して来ると言って出かけて行った。にゃん太が工房の跡を継ぐ重要な条件のひとつとして、貴重な植物であるアルルーンの素材を錬金術師組合に納品するということになっている。
そうでなければ、短期間弟子入りしたくらいで、獣人のにゃん太が錬金術師になることはできなかっただろう。大抵はもっと長い間、弟子としてこき使われてから独り立ちすることが許される。その際には親方の推薦状を必要とする。これを手にするのが難しい。まだ、根強く獣人族に対する差別が残っている。豊かな国ユールののんびりした地方都市ティーアででもそうなのだ。
工房を開くには資金が必要になる。工房を得るのと、開店許可税をティーア市に支払う必要がある。そして、錬金術を行うのに必要不可欠なのが機材と素材だ。取り扱う物によっては、その総額は土地建物よりも高くなることもある。
では、にゃん太がどうやって錬金術師となれたのかと言えば、工房の前の持ち主である錬金術師のじいちゃんが組合に掛け合ってくれ、免許取得が可能となったのだ。さらには、にゃん太ならばアルルーンたちを育成できると太鼓判を押し、工房の引継ぎの承認をもぎ取った。なかなかにやり手のじいちゃんである。
組合でもしっかり現状を把握しておきたい様子で、アルルーンを組合の査察官に定期的に見せるように言われている。報告だけでは済まされない。それだけアルルーンは希少であり、貴重なのである。なお、その素材は自然と抜けた葉や根っこであり、アルルーンたちが自らにゃん太に差し出して来る。それらを組合に納品する。
たま絵はそう聞いており、にゃん太の帰りをやきもきしながら待っていた。
「ただいま~」
暢気そうな声に、安堵する。
「どうだったの?」
「うん、今までと同じ値段で買い取ってくれた!」
品質の維持を認められたと聞いて、改めてたま絵は胸をなでおろす。
「でもさあ、アルルーンが鉢からなかなか出て来てくれなくて。査察官が猫なで声で話しかけるのがちょっと面白かった」
にゃん太はアルルーンひと株植木鉢に入れて組合に連れて行っていた。
査察官は無理やり引っこ抜くことはなかったが、ぐるぐる植木鉢の周りをまわり、そっとつついたりしていたそうだ。
「終いには、アルルーンが気味悪がっちゃってさ。いきなりずぼっと出てきて、根っこで俺にひしと抱き着いたんだ」
査察官は難しそうな表情を浮かべながら、元気に動くことができることと、工房主を非常に信頼している様子が分かったと言ったそうだ。
「あら、良かったじゃない」
「うん。でも、ごめんな、アルルーン。知らないところで知らない人に会って、疲れたよな」
にゃん太は植木鉢を顔の前に掲げながら、アルルーンの緑の葉を眺めた。
「畑に植え替えたら、栄養剤をやるからな」
ふるふるふる、と嬉し気に葉が揺れる。
「大丈夫よ。元気そう」
「うん。ちょっと畑に行って来る」
心配していた組合の納品と査察も無事に終わった。たま絵は今日の夕飯は少しばかり豪勢にしようとメニューを考え始めた。
そのことで頭がいっぱいになったから、言い忘れただけだ。みい子が独立の相談に来たことや、工房運営についてあれこれ聞いて行ったということを。
なにしろ、にゃん太がみい子に淡い恋心を抱いているなど、たま絵はつゆほども知らないのだから。たま絵に知られれば絶対にからかわれる、と言ってケン太にもかたく口止めしていたからだ。
たま絵は交友関係が広い。たまに、どうやって知り合ったのか、という者とも友誼を結んでいるのだ。
そんなたま絵を訪ねてきた者がいた。カンガルー族だ。けだるげな表情だ。筋肉もりもりだ。
本名はカン三郎だが、カン七を名乗っているのだという。
「だって、カン三郎よ? カ・ン・ザ・ブ・ロ・ウ。そんなごつい名前、嫌だわあ」
筋肉もりもりのカンガルー族特有の姿でそう言う。にゃん太はなんと言って良いか分からないので、への字口ににゃむっと力を入れておいた。
「弟のカン四郎が「あれ、俺、兄ちゃんの兄ちゃんになったの?!」って言っていたわあ。お馬鹿な子でしょう?」
そんな風に言いつつも、表情は優しい。
「てことは、カン七さんには兄ちゃんがあとふたりいるのか。兄弟の中には拳闘士とか走高跳びの選手とかいそう」
「うちの弟もお馬鹿だわあ」
たま絵がにゃふんとため息をついた。今度はにゃん太のへの字口は違う意味で力んだ。姉には口で敵わないと知っているから反論をへの字口の奥に閉じ込める。
カン七は猫族の姉弟を微笑まし気に見ている。いつも目を細めているからそう思えるだけかもしれない。細目なのに、そう見えないのは上下のまつげがふっさふさだからだろう。
カン七の兄はカン太郎、カン次郎、弟はカン四郎だという。
「筋肉もりもり兄弟よお」
屈託なく笑って言うカン七は語尾がおっとりと間延びしていて、これはこれで、やわらかい雰囲気を出しているな、とにゃん太は思う。
カン七は幼いころから美容になみなみならぬ興味を抱いており、一番初めに就職したのが美容商品を開発する薬師工房だったという。そこで、同じ新入徒弟のたま絵と出合い、意気投合して友誼を結び、今に至る、というわけだ。
「カン七は独立して、美容商品を扱う店を持つに至ったのよ。薬師工房で働いていたときにあちこちに作った伝手で、素材を仕入れて自分で調合したものを扱っているのよ」
「へえ、すごい!」
にゃん太も工房の主だが、じいちゃんからそっくりそのまま引き継いだだけだ。いちから自分の力で店を持ったカン七は尊敬に値する。純粋な視線を向けられ、カン七はありがとう、とこそばゆそうに笑う。
「小さい店だけれどね。大切なアタシのお城よ。たま絵もねえ、あんなことがなかったら、アタシといっしょに共同経営者になってもらいたかったわ」
たま絵は行き過ぎたファンに付きまとわれ、工房にまで被害が及んだので辞めざるを得なかったのだ。気が強いたま絵は毅然としていたのを、にゃん太は覚えている。逆に、父や母の方が怒り心頭だった。
にゃん太の父母は冒険者だ。特に父は猫族の中でも強い。なんなら、猫科の猛獣族の中でも一目置かれている。ちなみに、父は怜悧な美貌の持ち主で、母は可愛い容貌だ。たま絵は父に似て、にゃん太は母似だ。逆だったら良かったのに、と何度となく思う。
父にい也はひとり娘のたま絵を可愛がっており、一時はストーカーと化したファンの身が危ぶまれた。だから、たま絵が引くしかなかったのだ。
父は母に惚れきっているので、その母似のにゃん太も可愛くて仕方がない風だ。じいちゃんの工房に通うようになってから、人族の下へ通うなんてと渋面になったし、工房を引き継いでからは、心配で近くをうろついた。たま絵が工房を手伝うようになってからは、安心した様子で、今は元気に冒険者稼業をしている。
なお、母は始終マイペースである。
「たま絵がいっしょなら安心ね」
そう言いつつも、たま絵が工房で働く前となんら変わりはない。
そんな風だから、にゃん太の家族の中ではしっかり者のたま絵が実権を握っている。発言権もある。
たま絵の行き過ぎたファンは別件で逮捕され、国外追放となったと聞いて、にゃん太は青ざめる。とんでもない者だった。
たま絵もカン七も、今は安全だと笑っていられる胆力が単純にすごいと思う。
「そっちの件が片付いたんだから、アタシの店が軌道に乗って来たことだし、いっしょに働かないかなって思っていたんだけれどねえ」
そして、やさしく微笑む。
「でも、可愛い弟君の工房を手伝っているって聞いてね。実際様子を見たら、活き活きと働いているじゃない」
「そうよ。にゃん太に任せていたら、不備が多いのだもの! わたしがしっかりしないと」
ここでいつものにゃん太なら、かちんとくるかもしれない。でも、たま絵の言うとおり、にゃん太では気づかないところ、手が回らないところ、掃除や器具をきれいにしておくということや、客対応から素材の処理まで手伝ってくれている。実際、とても助かっているのだ。温かい三度の食事を摂れることも大きい。
「うん、姉ちゃん、いろいろやってくれていて助かっているよ」
素直にそう言うと、むにゃにゃとたま絵は口ごもる。
「ま、まあ、この工房も流行っているからね。人手はいるのよ。結構忙しいの」
「あ、そうそう、姉ちゃん、いろいろやっているから、前足(の毛並み)が荒れてきたって言っていただろう? 人族のハンドクリームみたいなのを作ったんだ」
「あらあ!」
にゃん太が工房から取ってきたものに、カン七の方が盛大な興味を持つ。
「人族は手荒れにクリームを塗ると聞くけれど、アタシたち獣人にはちょっと、という声が多いのよね」
美容商品を取り扱うだけあって、カン七はマーケティングリサーチを行っている様子だ。
「そうそう。毛がべったりと固まっちゃうのよ」
「うん、だから、さらりとしたオイルタイプにしてみたんだ」
たま絵が言う点を改善できないかと、あれこれ試した結果、できあがったものだ。
「うふん、良い匂い」
カン七がうっとりとした表情をする。
「ラベンダーの香りだよ。リラックス効果もあるし、肌にも良いんだ」
庭で栽培するハーブからエッセンシャルオイルを抽出し、さらりと使えるように調合した。
「いいわ! これ、良い! うちの店にも置かせてちょうだい!」
「そうさせてもらったら? カン七の店だったらこういうものを求めるお客さんが多いわ」
たま絵が、新規顧客はこうやって別種の工房に物品を置くことによって得られるのだと言う。
「ああ、じゃあ、これ、カン七さんにもプレゼントするよ」
「わあ、嬉しいわ! ありがとう」
使用感を教えてくれと頼むと、カン七はにこやかに請け負う。
「はい、姉ちゃんも」
「わたしにも?」
「そうだよ。元々、姉ちゃんにプレゼントしようと思って作ったんだから」
そう言いつつ、鍛冶屋のうさ吉に小瓶を作ってもらっていたことを思い出す。
うさ吉は垂れた耳に丸い可愛い顔をして、でっかい槌を操る腕の良い鍛冶屋だ。一部では炎を制するウサギと呼ばれている。錬金術師も炉の調整は重要事項だ。同じく炎を扱うことから意気投合した。最近、あれこれ新しく薬を作っていることや、資金に余裕があることから、試作品として容器をいくつか作ってもらっていたのだ。
「あ、ちょっと待って。せっかくだから瓶に入れるよ」
ふたたび工房に取って返して棚から瓶を持ってくる。
その間に、「若いのにしっかりした錬金術師さんじゃない」「そりゃあね、工房の主なんだから、自覚を持ってもらわないと」などとカン七とたま絵がやり取りしていたが、にゃん太はあずかり知らぬことだ。
なんだかんだ言いつつ、たま絵はにゃん太を認めており、そのことをカン七は微笑まし気に感じていた。
「あらっ、可愛い小瓶! にゃん太ちゃん、分かっているじゃない。そうそう。こういう容れ物も重要よね」
にゃん太「ちゃん」?!と目を白黒させつつも、今は商談の最中だ。たま絵の言うとおり、専門店に商品を置いてもらうことで、新たな顧客層開拓ができる。
「じゃあ、うさ吉さんに頼んで同じような瓶を作ってもらおうか?」
「いいわね、いいわね! そうしましょう」
とんとん拍子に話が進む。最初の納品数はどの程度か、金額は、と話し合っていく。
「商品名はどうするの?」
「そうね、たま絵スペシャルはどう?」
「えぇー」
カン七の提案に反射的ににゃん太が否定の声を上げる。
結局、<グラウ・ヴァイスのオイル>となった。グラウは灰色、ヴァイスは白色だ。つまりたま絵の毛並みから取った名称になった。ちなみに、オイルはエールであるが、そこは一般的な意味合いでオイル、ということに落ち着いた。
「たま絵は美しいし、同年代の女子たちの憧れなのよ?」
姉ちゃん、なにやったの?!と青くなりつつも、にゃん太は口をつぐんでおいた。
「ってことで、他にも作ってもらわなくちゃね」
「そ、そう言われても」
展開が速すぎてついていけないにゃん太は目を白黒させる。
「商売はね、速度が重要よ! 人気があるうちに次を打ち出さなくちゃ」
カン七は自分の力で開店させただけあって、その言には頷けるものがある。
「手伝ってくれて手荒れしちゃったお姉さんのために作ったオイル。その後にもいろいろ出て来るでしょう」
「で、できるかなあ」
「気長に待つから、良いわよ」
そのうち、おいおいね、と言いつつ、嬉しそうに笑うたま絵を見ていると、まあ、一年に一回くらいはなにか考え出しても良いかなあと思うにゃん太であった。
後にこのやりとりを聞いたケン太は頭を抱える。
「俺の最大のライバルってにゃん太じゃあないか!」
可愛い上に姉のために新商品まで作ることができる有能さ。勝てる気がしない。
猫族、犬族に続いて登場したのはカンガルー族です。
カ・ン・ザ・ブ・ロ・ウ。
「カン七よ、カン七!」
カンガルーの画像検索をしてみてください。
けだるげです。
ちなみに、たま絵は「猫」「灰白」、ケン太は「柴犬」です。
みんな違って、みんな可愛い。
そんな獣人たちがわいわいきゃっきゃうふふするお話です。