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43.長い長い一日4

 

「ええい、パンダ族ではないではないか!」

 主は珍しいパンダ族の子供を手に入れたいと思いついたのだ。そう考え始めたら、もう掌中に納めなければ気が済まない。もしかすると、ほかの同好の志に近々手入することができそうだと話したのかもしれない。自分の欲を満たすことと面子をつぶされることが重なって、よりこだわっているのだ。

 しかし、そのことがさらわれてきた者たちにとっては幸いに働いた。


「猫族なんぞ、珍しくもなんともないわ。しかも、子供ではない!」

 狐族の子供も頑是ない少年期から青年期に育とうとしているところである。愛玩獣人愛好家の中にはこのくらいの過渡期のころあいに魅力を感じる者もいるという。主はそれに当てはまらなかった。


「こんなもの、いらんわ! ふたりまとめて閉じ込めて置け!」

「ああ、では、ちょうどよいので、あのデカブツの餌にしてしまいましょうか」

 ポチ丸の提案に、主はひるんだ。なにを今さら、と鼻で笑いたくなる。捕まえ、勝手に連れて来るのも相当にひどい仕打ちだ。大したことがないとでも思っているのか。


 獣人たちが自身の行動を阻害され自由を奪われることをなにより嫌うことを、彼らは知らない。下の者の事情などどうでもいいことなのだ。

 あくまでろくに食べることができない獣人たちの中で見目良い者を選別し、保護してやっているつもりなのだ。いわば、良いことをしているくらいのつもりなのかもしれない。それがどこまで本気なのか、自己保身なのかは分からない。特に主の思考回路を知りたいとも思わない。


 主は生餌にするということを躊躇した。自分は残酷なことをしたくないのだ。それでいて、最近、姿を消しがちで用がある時にすぐにやってこないポチ丸に腹をたて、言うことをきかせるために、生餌にするぞと脅していた。

 そんな者に配慮してやる必要がどこにあるというのか。


「そ、それはわたしが考えることではない。わたしは例の猫族冒険者が奪いに来るのを迎え撃つ準備があるのでな」

 ややこしいこと、怖ろしいことはみな人任せにしてしまえば良いと思っている。ポチ丸は主があのデカブツに丸のみにされるのを想像して溜飲を下げた。


「そうだ。あの猫族はあの忌々しい猫族冒険者と関りはないだろうな?」

 主は珍しく鋭いことを言う。けれど、ポチ丸が否定しておけば、あっさり興味を失った様子だ。

 ポチ丸はほくそ笑みながら、逃げる算段をつける。




「ご主人様たちはな、連れてきた獣人を何度も失ったことから、外国から獣人を取り寄せたんだ」

 にい也が話したことと一致するとにゃん太は心の中でつぶやく。

「そうそう。ものすごい金貨を積み上げたらしいぜ」


 にゃん太と狐七の前後を挟んで歩く人族の男たちは自慢げにしゃべる。情報を引き出そうとにゃん太は黙って耳を傾けていた。後になって、生かしておくつもりはなかったから、好き勝手話していたのだと分かる。

「見たら驚くほどのデカブツだ。その巨体を飼いならすために、苦労したんだぜ?」


 でっぷり太った人族と会った部屋から大分離れた、屋敷の中でも奥まった廊下の突き当りの扉をくぐり、階段を降りる。その先に頑丈な鉄の扉の鍵穴に鍵を差し込み、開錠する。

「ほらよ、入れ」

 鉄の扉を少しだけ開ける。最後尾にいた人族の男がにゃん太と狐七を押し込むようにして中へ入れる。


「デカブツには先々、元気でこの屋敷を守ってもらわにゃならん。せいぜい、活気を取り戻す生餌の役目を全うしてくれよ」

 扉が閉まる前に、げらげらと笑う声がした。不愉快な声は、鉄の扉に遮られる。


 にゃん太と狐七が連れて行かれたのは半地下の広々とした部屋だった。ジャンプして届くかどうかという高さに格子が入った明り取りの窓があり、その先には地面が見える。天井はもっとずっと上にある。元は物置部屋だったのか、壁際にいろんなものが置かれている。


「な、なあ、デカブツってなにかなあ」

「あいつらの話からすると、大柄な獣人族を護衛に雇ったということだろうけれど」

 にゃん太にしがみついてくる狐七の肩をなだめるように撫でながら、にゃん太は注意深く室内を見渡す。


 彼らはにゃん太と狐七を生餌にすると言っていたが、となると、その獣人は腹を空かせているのだろうか。すでに他の獣人の血肉の味を覚えてしまっているのだろうか。もし、そうだとしたら、この状況はかなり危険だ。

 にい也から話を聞く限りでは、可愛がられるくらいだと高をくくっていた。にわかに命の危険にさらされることとなった。

 鼓動が早鐘のように激しく打つ。両前足がふるえる。にゃん太がかろうじて立っていられたのは、狐七がいたからだ。


 どうしよう。

 どうすればいい?


 明り取りの窓がある。あの格子を取り除いて、なんとか、狐七だけでも外に出せないだろうか。そして、助けを呼びに走らせる。

 そう考えてみて、にゃん太は首を振る。それでは外に出ることができるだけだ。勝手を知らない場所だ。敷地を出る前に、狐七が見張りに見つかる可能性は高い。見つかったとたん、暴力を受けたら? 打ち所が悪くてひどい怪我を負ったら?

 悠長に考える時間は与えられなかった。


「あ、あそこ、なにか動いたよ?」

「え、どれ———」

 狐七がおそるおそる指示した方へ目を向けると、巻かれた絨毯だと思っていたものが動いている。


「蛇だ———」

 一抱えもある太さの、にゃん太の身長の何十倍もの長さの蛇だった。

 にゃん太は息を呑んだ。狐七がぎゅっとしがみついてくる。


 がらがらと音をたてて、長大な身体の上に乗っていた物が落ちる。蛇体がうねりながら出てくる。

 猫も狐も、蛇の被捕食者だ。本能的なおぞけが足元から這い上がってくる。


 気が付いたら走っていた。狐七もいっしょだ。安堵する。

 部屋は広かった。けれど、蛇体は長大だった。本気を出して追いかけられればすぐに間合いに入る。閉じ込められた空間で逃げ回ってもいずれ終わりが来る。

 にゃん太は必死にどうすれば良いか考えた。


 周囲に視線をやる。ころがった物品は様々で、貴族の館に飾られていそうな甲冑や剣、槍といったものから、箍が外れた桶や欠けたランプ、脚が取れた椅子といったものまであった。

 その間に、何か砂状のものが積み上げられていた。にゃん太が気づいたのは、狐七がそれを掴んで蛇に投げつけたからである。追い詰められて目つぶしによくそうしていたのだろう。けれど、ここは逃げ場がない。しかし、意味がないわけではなかった。


「薬、いや、薬、いや!」

 蛇体をくねらせ、蛇が嫌がったのだ。

「砂じゃないのか。これ、なにかの薬か?」

 蛇族の獣人が嫌がるので、狐七はもう一度掛けてやろうとするのを、にゃん太が止める。


「あたまがいたい。いたい。ねえ、だれ?」

 脈絡のない言葉に、それでもにゃん太は答えた。答えたらどんな反応をするのか観察しようと考えたのだ。

「お、俺はにゃん太だ。猫族だ。この子は狐族の狐七」

「にゃん太? 狐族?」

 ひょい、と鎌首が持ち上がる。真円の目がきょろりとこちらを見やる。


「俺は猫族だ。狐族はこっちの狐七」

「ふうん。———あたまがいたい」

 にゃん太の訂正に鎌首を少し後じさりさせた蛇は、痛みを訴えかけながら尾で床を叩く。狐七の肩が跳ねる。


 しかし、にゃん太は蛇族と意思疎通ができそうなのを見て取って、打開につながらないかと考えた。身体は大きいが、ずいぶん、子供っぽい話し方をする。もしかすると、本当に子供なのかもしれない。

 もちろん、一概には言えない。

 強いフラストレーションにさらされた場合、あるいは解決困難な状況に遭遇したとき、人格的な独立性を失う。つまりは、精神退行が起き、一時的に幼児のような振る舞いをすることがある。


「頭痛がするのか? ここで薬が作れたら良いんだけれどなあ」

「えっ」

 狐七がこんなときになにを言うのだと驚いてにゃん太を見上げる。


「薬?」

 蛇族の獣人が反応する。

「うん。気分をよくしてくれるものだよ」

「薬なら、ここにもあるよ。でも、薬、いや」

 蛇族は尾を器用に操って、大きな木彫りの器をずずと、押しやる。結構豪快に床を移動して来るのに、狐七がにゃん太の身体に顔を押し付けて見ないようにする。先ほど男たちが言っていたことを思い出し、嫌な物が入っているのではないかと考えたのだろう。


 にゃん太はこんなところで登場する「薬」とやらに興味を持った。前かがみになるが、器までには距離がある。尾が器から離れて行ったのを確認し、一歩二歩ゆっくり進む。狐七は後ろに残して来ようとしたが、にゃん太と離れることのほうを嫌がり、しがみつきながらいっしょに着いて来る。

 蛇族が間合いを縮めるためにやったのだとは考えられなかった。閉じ込められた室内で、そんな手間を取る必要もない。どれほど距離を取っても、すぐに追いつかれるだろう。


 にゃん太は器の中をそっと覗き込んだ。

「あれ、これ、」

 器の中には様々な薬草で作ったのだろう粉末があった。処方が粗く、粉末になり切れていない葉や根が残っている。そして、それは部屋の隅に積み上げられていたものと同じだとにゃん太は見て取った。

 おそらく、この蛇族の身体が大きいから、適当な処理でも良いだろうと考えたのだろう。なんて浅はかなのか。


 にゃん太は器の中の粉末を、指の先でずらして葉や根の切れ端を確認する。

「たぶん、そうだ」


 以前、にい也がたま絵のために手に入れてきた禁秘の書に近い薬師のレシピ帳に載っていた向精神薬の中毒性に用いられる薬を作ったことがある。

 向精神薬は精神機能に影響を及ぼす薬だ。治療薬のこともあれば、幻覚剤のこともある。つまり向精神薬の中毒性に用いられる薬も向精神薬の一種なのだ。薬師のレシピ帳が珍しく、ひととおり目を通していた。その中に、この粉末がどんな意味を持つのか示す手がかりがあった。


 にゃん太たちをここへ連れてきた人族の男たちが言っていたではないか。飼いならすために、苦労したんだと。つまり、指示を守らせるために、薬漬けにしたのだ。

 なんていうことだ。


 治療薬と毒となるものは非常に似通っていた。粗い処置の素材が残っていたことも手伝って、にゃん太にそれがどんなものなのかを察することができた。


 じいちゃんは錬金術のことを教えてくれた。錬金術は魔道具の他、薬を作る。そのため、病状のことも知っておく必要がある。少なくとも、じいちゃんはそう言って、にゃん太に色々教えてくれた。その中には、薬に精神を侵された者のことも含まれていた。


 じいちゃんは額を指で指し示しながら言った。

「脳内のある物質がすくなくなると、この骨の奥にある辺りの脳が正しい働きをしなくなるのじゃ」


 やらなくても良いことをし続けてしまうのだという。たとえば、喉が渇いたら、コップ一杯の水を飲む。

「お代わりをするくらいで、十分じゃろう?」

「うん。じいちゃんがいつもくれるフルーツミルクは美味しいけれど、一杯めが美味しいんだよ。もう一杯もらったら、飲んでいるとちゅうでお腹いっぱいになるかなあ」

「そうじゃろう? とろこがの、脳が正しく働かないと、バケツ一杯の水を飲んでなお、もっと飲もうとするのじゃよ」

「そんなの、身体が破裂しちゃうよ!」

「そうなのじゃ。そこが恐ろしいところなのじゃよ」

 正常に脳が働かなくなるということの恐ろしさを、にゃん太は知った。


 じいちゃんは言った。問題なのは、必要ないのに、「欲しい」と思い、そのまま行動し続けるということだ。

「これが依存というものじゃよ」

「やめられないだけで、欲しい、美味しいとは思わないんだ」

 なんということだろう。そして今、眼前の子供のような物言いをする蛇族は、閉じ込めた人族によって、その状況に陥らせられている。


「にゃん太?」

 狐七が不安げににゃん太を見上げて来る。


 にゃん太は、そっと蛇族に近づいて片前足をゆっくり上げる。蛇族はじっとにゃん太がなにをするのだろう、と見つめていた。にゃん太の前足が蛇の身体に触れる。尾の先がぴくりと動くが、鎌首は傾げられたままだ。

 ひんやりして滑らかだった。その身体を労わるように撫でる。


「あのな、この薬はよくないものなんだ」

「うん、薬、きらい。あたまがいたくなる」

 だったらどうして飲むんだ、と狐七は不満そうな顔つきになる。


「じいちゃんが言っていたんだ。薬のせいで脳———頭の中が正しく働かなくなるんだ。それで、喉が渇いていて水を一杯飲むんだけれど、ふつうはそれで十分だ。でも、頭の中が正しく働かなくなると、ずっと水を飲み続けてしまうんだよ」

「えっ?!」

「そうなの?」

 狐七はそんなことがあるのか、と驚いて目を見開き、蛇族は傾けていた鎌首を逆の方に傾ける。それがどこか可愛らしく無邪気な様子に見て取れた。


「頭が痛いだけじゃなく、ぼんやりしたり、なにか変なものを見たりすることはないか?」

「ある! なんかねえ、虫がいっぱいうじゃうじゃと尾の先から這い上がって来るの」

「うわあ」

 蛇族の獣人がにゃん太の問いかけに応え、その内容に狐七が身を震わせる。


「それが頭の中が正しく働かなくしている証拠だよ」

「にゃん太、なんとかならないの?」

 怖がっていたはずの狐七が思わずそう問いかける。


「うん。頭をすっきりさせる薬を作ってみようと思う」

「ここで?」

 狐七は錬金術のことはよく知らないが、にゃん太の工房にはいろんなものがあった。物知りの狐七は職人というのは道具や素材がいるということを知っている。


「じいちゃんはな、すごい錬金術師なんだぞ。器材や素材がなくても、代用品で薬や魔道具を作れるように教えてくれたんだ」

「れんきんじゅつし?」

 今度は、蛇族の獣人がオウム返しに言う。


「にゃん太は錬金術師なんだ。魔道具や薬を作るんだよ。俺やパン七にしゅわしゅわする美味しい飲み物を作ってくれたんだ」

 だんだん慣れて来た狐七は自分から蛇族の獣人に話しかけて見た。

「へえ! しゅわしゅわかあ」


 にゃん太と狐七は知らなかったが、蛇族は長らく閉じ込められ、嫌な感じのする薬———しかも葉や根の残骸がある粉末で飲みにくいことこの上ない———を与えられ、頭痛や意識の不明瞭さ、幻覚に悩まされていた。それが嫌で全部飲まずにこっそり隠しておいた。


 そこへやって来た獣人ふたりは、他の者とは違って自分を大仰に怖がることなく、あるいは暴力で従わせようとせず、会話をすることができた。蛇族の獣人の個性を尊重してくれたことから、久々に「自我」を強く意識することができた。

 これが幻覚剤から蛇族の獣人は一時離れることを可能にした。


 にゃん太はそれを見て取り、狐七と蛇族の獣人にそう説明した。

「俺は薬を作るための道具や素材をこの部屋から探す。だから、狐七はこの蛇族が自分自身を取り戻すことができるように話していてくれ」

「え、そんなの、どうやるの?」

 狐七はとたんに不安そうににゃん太を見上げる。


「さっきやったようにすればいいだけだよ。ほら、パン七といっしょに飲んだ<しゅわしゅわレモン>のことを話しただろう? それをこの蛇族は興味を持っていた。そうやって、いろんなことを話してみて。それと、できればでいいんだけれど、以前に住んでいた暮らしのことなんかを聞いてみてほしい」

「分かった」

 聡い狐七はいっしょうけんめい頷いた。ここが踏ん張りどころだと知っているのだ。


「無理なら、ティーア市のことを教えてやってよ」

「ティーア市の? でも、俺、下町のことしか知らないよ」

 狐七がもじもじと両前足を握り合せる。

「もちろん、それでいいんだ。ほら、俺たちと市で会って、案内してくれただろう?」

「そんなのでいいの?」

「そういうのがいいんだよ。パン七や仲間たちといっしょにいっしょうけんめい暮らしていたときのこととか、狐七が興味があることなんかを教えてやってよ」

 こっくりとうなずく狐七の背中を軽く叩いたにゃん太は、蛇族の方を向いた。


「そう言えば、なんて名前なんだ?」

「なまえ? ううん、」

 蛇族は鎌首の角度をさかんに入れ替える。

「思い出せないのか。よし、じゃあ、狐七、名前をつけてやることから始めよう」

「えぇ?! だって、その、いいの?」

「思い出せないんだから、しょうがない。いいんだよ。ここでの呼び名だ」

「じゃあねえ、ヘビ太、ヘビ三郎、ヘビの介、ヘビ朗———」

 思いつくままに候補を挙げ始めた狐七は、名づけに気を取られて恐怖を一時忘れているらしい。


 獣人は人でありつつ、獣の性質を持つ。獣の種族の特質に左右される。猫や狐からしてみれば、蛇は大いなる脅威である。

 それでも、獣人は人の性質をも持つ。そして、知性と理性がある。


 今、狐七は長大な蛇族と笑いながら会話をしている。下町で生き抜いてきた胆力と智恵の持ち主の狐七は、柔軟性をも持っていた。



 ひと口に薬草と言っても、その中には香草ハーブも含まれる。薬草のうち、毒を持つものは使用許可が必要だが、野や山で採れるハーブなどは誰でも使う。料理にアクセントを与える。肉や野菜の種類によって組み合わせ、ちょうど錬金術のレシピと同じく、料理のレシピができあがる。

 いっしょに用いる食材に合わせて組み合わせを変え多様な味わいを得る。


「やっぱり、料理って錬金術と似ているよなあ。前にさ、姉ちゃんが今日はなんとかのハーブがないから、かんとかのハーブで代用しようって言っていた。錬金術でも同じように代用することができるんだな」

「そうじゃよ。しかし、錬金術はより厳密に特定成分を抽出する必要があるのじゃ」

「ふうん。じゃあ、錬金術の方が料理よりもすごいってこと?」


「そんなことはないんじゃよ。逆もまたしかりなんじゃ。錬金術の素材として代用は出来でも、料理の素材としてはふだん使っている者たちからしてみれば、まったく違ったものだと感じられるのだそうじゃよ。わしらは自分たちが必要とする効果や成分だけに注意を向ける。それでいて、世界の神秘を分かった気になっておる。それが積もり積もって、全能であるかのように思えてしまうのじゃよ。気を付けねばのう」


 そう言って、じいちゃんは他者への尊敬の念を常に抱いていた。たとえば、農夫だ。暦の読み方を知らなくても、親から子へ、またその子へと連綿と教え続けられた知識によって、この季節にはどういう方角から大風が吹くとか、この季節には大雨が降るとか、この季節には日照時間はどのくらいとか、そういった情報が伝わって行く。そうして、自然と共存しているのだ。


 人や獣人の生は短い。けれど、社会性のある生きものだから、まっさらな状態で一から学ぶ必要はない。特に日常生活に関する知識、つまり生きるための情報は成長するにつれ爆発的な勢いで、それでいて自然と身について行く。


 そんな中、自然はほぼ一年ごとにサイクルを迎える。それらを読み取ろうとすればどれほど時間を必要とすることか。

 一日のサイクル、一季節のサイクル、一年のサイクル、といった情報を、親から教わった農夫たちは次の世代に伝えて行く。その中で、便利な器具が登場し、科学的な新発見がなされることによって、新たに情報を加えて、次代に渡していく。

 そうすることで、農夫たちも自然との付き合い方を学んでいくのだ。それら知識は農夫たちの宝であり、収穫を得るためのなくてはならないものである。


「ああ、それで、錬金術師の弱点か」

「そうじゃ。素材と器材じゃよ」

「それがなければ、錬金術は使えないもんなあ」

 いくらたくさんのレシピを知っていても、素材と器材がなければ実現することができない。

 でも、じいちゃんは弱点を分かっているのなら、克服すれば良いと言った。そして、にゃん太に代用品について教えてくれた。


「焚き火では、炉のような高温を得られないじゃろう?」

「うん」

 じいちゃんはそういう時の代替の魔道具を作ったのだという。

「でも、これがない場合はどうするの?」

「似たようなものを作るのじゃよ」

「その場で?」

「そうじゃ。そこにあるものを使ってな」

「つまり、この魔道具の仕組みを理解するだけじゃなく、他のいろんな素材の仕組みを知っておかなくちゃあならないのか」


 なにがどう作用するのか、どれとどう組み合わせるとどんな風な事象が引き起こされるのか、知っておく必要がある。それらを必要に応じて抽出し、結合させる。もちろん、知っているだけではいけない。実際に処理する技術も必要だ。


 覚えること、習得する技がいっぱいあるなあ、と道のりの遠さにため息をつくにゃん太に、じいちゃんは目を丸くする。

「にゃん太はときおり賢者のようなことを言うのう」

「へ? 賢者? どんなことが?」

「おや、自覚がなかったのか。一を聞いて三も四も考え出すのにのう」

 面白いのう、とじいちゃんは喉を鳴らして笑ったものだ。


 ここにはいくつもの炉、錬金釜といった定番錬金術アイテムの他、台やはけ、ヘラなどといったさまざまな器具も、所狭しと置かれた素材もない。

 けれど、じいちゃんが錬金術師の弱点を補う術を教えてくれていた。まるで、にゃん太がこんな窮地に立たされるのを知っていたかのようだ。


「じいちゃんのことだから、案外、知っていたかもしれないな」

 じいちゃんはすごいのだ。アルルーンが土の領域のことを良く知っているのと同じように、雨も風も温度も陽光も、必要なものを必要なだけ取り揃えていたくらいだ。それはアルルーンを守る術だ。それを、にゃん太に伝えてくれた。ならば、にゃん太はアルルーンを守らなければならない。そして、にゃん太はにゃん太の道を行く。アルルーンに教わり、ケン太たちみんなと、いろんな者の役に立つ物品を生み出していくのだ。


「錬金術は生活を便利にするものだからな」

 そして、今、にゃん太の目の前には自由を奪われて難儀している大蛇がいる。


「治療しよう」

 にゃん太は、錬金術師なのだから。





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