34.愛玩獣人愛好家5
予想より早く、男はやって来た。
断り続ける羊彦に、男は手を変え品を変え、言い続けた。フェレ人がどうなってもいいのかと。
「あんたの弟、フェレット族ってなあ、可愛いもんだなあ。俺が思うくらいだ。小さいころはさぞかし人さらいに遭わないかって心配したんじゃないか?」
羊彦は自分の顔色が変わるのが分かった。男は今日もにやついていて、その笑みが深くなる。それが無性に腹立たしかった。
男が言うとおり、フェレ人は誘拐されそうになったことがある。それも何度もだ。一度は、トラバサミを仕掛けられ、怪我したことすらある。あわや捕まえられそうになったこともある。それで、羊彦はナーバスになった。
捕まえられそうになったことがあるからこそ、<パンジャ>のような体力を温存しつつ高速移動することができる装置があることが、フェレ人の「自由」を守る道具のように思えた。
フェレ人本人も愛玩獣人となるのを嫌がることを知っていた。可愛いと言われるのを、実は嫌っていたからだ。そして、なにより自由を愛している。あんな親でも、自分を愛玩獣人愛好家に売らなかったことだけは感謝していると言ってもいた。
にい也には話すことはできなかった。こと、にゃん太に関しては狭量かつ頑強となる。フェレ人のことは二の次にならないとも限らない。特に、男が匂わせるものが拙い。にい也の逆鱗に触れそうな気がするのだ。
翻って、フェレ人に相談すれば、単独で解決しようとしてしまいかねない。これはこれで非常に危険だ。
羊彦の周囲にいる冒険者は非常に頼もしいのだが、どうも妙な風に悪いように作用しそうで打ち明けることができないでいた。
なんとか、穏便に、被害を最小限に食い止めたい。
降ってわいた災難に、落ち着いて対処しようと言う気持ちが、正常性バイアスの働きにつながった。そうして心の安定を保とうとしたのだが、誰にも相談できないという事態に陥っていた。
羊彦は次第に追いつめられていった。ただ、ひとつ収穫はあった。男はポチ丸という名だ。なんとかこれを足がかりに、情報を引き出すことができないだろうか。手遅れになる前に。羊彦は焦る気持ちで手立てを考えた。
うさ吉は早い段階で鍛冶の仕事に興味を持った。それで、今の工房に頼み込んで徒弟にしてもらった。運の良いことに、鍛冶屋は自分の性に合った。これはなにかと不便の多い獣人としては、実に幸運であると言える。
思えば、うさ吉はツイていた。兎族は非常に警戒心が強い。そして、獣人は獣の特性を強く持つことから、火を恐れる。そんなうさ吉が、炎を制すると言われるようになったのだから、自分でも不思議なものである。もちろん、うさ吉も他の獣人と同じく炎を恐れる。けれど、むやみやたらに怖がったりはしない。
大きな力も、使い方によっては非常に力強い味方となるのだ。
強運の持ち主であるうさ吉も、ときに大きな選択肢に悩むことがあった。工房の親方から後を継ぐことを打診された際もそうだ。そのとき、うさ吉はまだ職人になってから年数を経ておらず、先輩職人を押しのける形になって親方になることに、さすがに困惑した。もう少し、後だったらうさ吉も自信を持って引き受けただろう。
獣人として、そうそう転がり込んでこない絶好のチャンスでもあった。
そうして、うさ吉は前足を伸ばした。なんなら、届くように目いっぱいジャンプもした。兎族の素晴らしい跳躍力でもって、うさ吉はチャンスをものにした。
もちろん、順風満帆とはいかなかった。年下の職人、弟弟子のうさ吉の下に今さらつけるか、と辞めて行った者は幾人もいる。残った老練の職人は、この歳では他所でやっていけない、という事情があっただろう。うさ吉は必死になって、そういった職人たちから技術を教わった。自分だけでなく、他の職人や徒弟を育てるように仕向けた。
いくら自分が親方だとはいえ、学ぶことは多い。年かさの職人たちの意見に耳を傾け、なにごとにつけ相談をして工房をなんとか運営した。
そんなある日、辞めて行った職人が、他所で上手くいかず、戻ってきたいという申し出があった。ふつうならば、断っても良い事案だ。けれど、仲立ちしたのが老練の職人で、うさ吉を孫のように可愛がり、率先して親方として立ててくれた者だった。戻って来たいという職人もそれを分かっていて、彼に相談を持ち掛けたのだろう。うさ吉はいろんな感情を呑みこんで、受け入れた。その後も他の職人と区別することなく、仕事に励んだ。
しかし、ふたたび、その職人は工房を去った。そのときには、売上金とともに消えた。うさ吉は自分の迂闊さを呪った。もっときちんと金銭の管理をしておくべきだった。
うさ吉以上に悔いたのは彼の仲立ちをした老練の職人だ。ひどく自身を責め、憔悴して工房を辞した。うさ吉は懸命になって引き留めた。でも、老練の職人はすっかり気持ちが落ち込んで持ち直すことができなかった。このままでは炎の前で作業することは難しいのは、誰の目にも明らかだった。鍛冶は苛酷な仕事だ。気持ちを強く持たなければ大事故を引き起こしかねない。
持ち逃げした職人は裏切っただけでなく、重要な人材を失わせる原因を作った。うさ吉としては、金銭を失うよりもそちらの方が痛手だった。
それでも、諦めず、うさ吉は働いた。なにより、鍛冶の仕事が好きだった。
うさ吉は武器だけでなく、小さな部品を作ることも好む珍しい職人であった。たいていはなにがしかの専門分野に特化する。うさ吉は、ときに、獣人冒険者が自身の不利を補う武器を作ってくれというオーダーに頭を悩ませ、ときに、魔道具の部品を改良することによって、劇的に使い勝手をよくなることに喜んだ。そうすることで、より一層仕事にのめり込んだ。
「気分転換や思考の切り替えにちょうど良い」
そう言って、仕事を選ばず励み、多くの職人から学んだ。同時に、過去の失敗を糧に、後進を育てた。
腐らず、いっしょうけんめいに働いていれば、日の目を見ることもある。高名な錬金術師から仕事を持ちかけられたのだ。しかも、人族だ。獣人族でも仕事ぶりで評価してくれたのだという。
それが、かのアルルーンという伝説の植物を育てる錬金術師だった。高齢の錬金術師との付き合いはそう長くはなかった。彼の後を獣人が継ぐと聞いて、驚いた。まずは錬金術師組合がよく許可したものだと思った。
「そこはそれ、蛇の道は蛇、じゃよ」
錬金術師は高名であるにもかかわらず、偉ぶることなく、茶目っ気があって、そのときもうさ吉にそう言いながら片目をつぶってみせたものだ。
錬金術師はなによりアルルーンを任せられる存在なのだと話した。だから、後任者を頼まれ、もちろん引き受けた。
アルルーン生育は錬金術師組合としても重要課題とみなしているだろうから、それでにゃん太は錬金術師として認められたのだろうと思っていた。しかし、違った。
うさ吉とあれこれ小さな取り引きをしているうち、いきなりすごい発明品を作り出した。しかも、立て続けに二度もだ。その二度目の部品作成の話をうさ吉の工房に持ち込んできたとき、身体がふるえた。
うさ吉は兎族の跳躍力を活かし、移動するのに苦労しない。けれど、身体が小さい獣人たちはなにかと不便がある。それを解消する魔道具だ。しかも、あまりお目にかからない素材を用いているし、移動だけでなく、高低差をつけることができる。さらには、この発明品にはアルルーンの素材を用いているのだという。
猫の錬金術師はとうとう、アルルーン素材を用いた新発明をしてのけようとしているのだ。
うさ吉はがぜんやる気になった。木工職人の羊彦も交えて、三人であれこれ話し合い、そして、<パンタグラフ式ジャッキ付き移動置装>、通称<パンジャ>は完成した。
「うさ吉さんが前から考えてくれていたメカナムホイール、あれはすごいね」
「あのお陰で、少々の段差は苦になりませんね。しかも、左右の移動のとてもスムーズです」
それまで独自で開発していた研究成果が、<パンジャ>で存分に活かされている。それを、にゃん太も羊彦も大いに認めて褒めてくれる。うさ吉が苦心して作り出した部品が、多くの獣人たちが愛用する魔道具の重要な役割を担っている。
それまでやってきたことを、認められた気がした。
にゃん太も羊彦も、もっと実情に見合ったものを作ろうと改良を重ねている。にゃん太はフェレ人に冒険者稼業に用いられるのを実際に見て、聞き取り調査したという。羊彦は熊五郎に細かい注文をつけた木材を手に入れ、あれこれ工夫を凝らしているという。
その羊彦が最近、なんだか様子がおかしい。
溺愛する弟のフェレ人の不利を解消する魔道具だというだけあって、うさ吉を超える熱意を注いでいたのが、心ここにあらずというか、なんというか。
「なにか、心配事でもあるのか?」
「え? ど、どうしてですか?」
うさ吉はあれこれ考えず、直接羊彦に聞いたみたところ、あからさまにうろたえた。
「なんの話をしていましたっけ。ああ、そうそう、<パンジャ>のホイールの見事さに感銘を受けた人族の商人から注文が入るようになったんですっけ。良かったですね。うさ吉さんの腕ならば、きっと人族の商人も満足する物を作ることができます」
明らかに話を逸らそうとする羊彦に、追及することなくうさ吉は頷いた。
「そうなんだよ。俺もにゃん太のように自分ができることをしようと思ってさ」
「にゃん太さん?!」
羊彦が素っ頓狂な声を上げる。
「本当に大丈夫なのか?」
「え、ええ、もちろん。それで、うさ吉さんはどんなことをするのですか?」
「まだ具体的にこれってのはないんだが、その人族の商人の仕事を受けるのをきっかけにしたいと思っているんだ」
人族の商人に認められるようになったのは<パンジャ>のおかげだ。
にゃん太は動いた。自分はどうするか。
人族が獣人族の技能を認めるのは珍しいことだ。かの高名な錬金術師が投げかけてくれた幸運を、うさ吉は掴んだ。だったら、今回もそうしようと思う。もっと人族と親交を深め、自分がちょっとした橋渡しをしようとなれれば良い。
「まあ、にゃん太のようにとはいかないだろうけれどな」
「うさ吉さんはうさ吉さんらしくやれば良いですよ」
「まあな。俺にはそれしかできないからな」
羊彦は別れる前に、人族の商人にそれとなく聞いておいてほしいと言った。
「どんな情報でもいいから、聞き出してみてください」
いつになく、不安や焦慮、困惑が入り混じった様子に、うさ吉は請け負った。
「ポチ丸かあ。名前からして、犬族かな」
人族でもいいから、商人という交際範囲が広そうな者に聞いておいてほしいのだろう。
「親方ー」
「おう、今行く」
作業場へ向かううさ吉は気持ちを引き締めた。炎の前では、生半可な気持ちでいてはいけないからだ。
にい也はたいていの魔獣を倒すことができる上、経験を積んだ冒険者だ。そのため、難易度の高い仕事を引き受け、高額の報酬を得る。最近では冒険者稼業は間遠となっていた。
冒険者稼業というのは間尺に合わないもので、報酬額と依頼の難易度、そして武器防具の破損度とアイテム消費量は比例する。つまり、儲けはそう出ないのだ。いくら報酬額が高くても、そこから武器防具のメンテナンスとアイテム補充を行えば、それほど多くは残らない。しかし、例外もある。にい也は被弾することなく、最小限の攻撃で魔獣を屠るため、武器の摩耗も少ない。よって、使用アイテム数も少ない。
だから、そんなに冒険者稼業に精を出さなくても事足りた。その余った時間で、独自で調べていることがあった。そこに、たま絵が持ち込んだ話から、放火犯をもその調査範囲に含めるようになった。
もちろん、対象を絞らず、多様な情報を得る。その上で精査する。そうやって様々に集まって来る情報の中で、最近、増えだしたものがあった。
「大蛇、ね」
根拠があいまいな不明な話であると切って捨てたが、ここにきて、架空の物語ではなさそうだと思い直した。
放火犯は誘拐犯でもあった。彼らは単なる実行犯で、指示を出す者がいると踏んで調査を進めていた。同時に、誘拐された者が監禁されている場所に忍び込み、助け出すことも引き続き、行っていた。
ことごとく誘拐して来た獣人を奪われ続ける愛玩獣人愛好家たちは焦れた。そこで諦めれば良いものを、自分たちのお楽しみが邪魔されるのに憤ったのだ。とんでもない身勝手な考え方であるが、そうでなければ、他者を力づくでさらって好き勝手するなどという暴挙に出ないだろう。
彼らは強固な守護者を置くことを考えた。そうして、誘拐して来た獣人を奪い返されないようにしようとした。しかし、にい也は鼻の利く番犬たちの間をすり抜け、力ある護衛たちを切り伏せ、誘拐された獣人を救助した。住む者がいなさそうなひっそりとした館ですら、突き止められたことに連中は驚き、地団太踏んだ。
彼らは躍起になった。より強い力をもってして、自分たちのお楽しみを奪う大罪人を罰しようとした。
「完全に頭に血が上っている。俺を消しにかかってくるだろうな」
おそらく、次の誘拐でおびき寄せるつもりだろう。なにかしら策をたててくることは容易に予想がつく。
となれば、大蛇などという存在が、夢物語ではなく、現実味を帯びてくる。
そこで、にい也は大蛇の情報を集めた。実際にいるらしいということまで突き止めた。しかし、館の外から出てこない。大蛇というだけあって、人目に付けばすぐに噂になるだろう。
そして、なんだか、行動がおかしい。
それに、にい也の周辺でも妙な動きが散見される。いや、にい也の周りというか———。
「きな臭いな」
異変を察知し、いつも以上に慎重に行動するにい也の前に、人族が現れた。ひと目でいけすかないと感じたにい也はいつもの通り、冷淡な態度で相対した。
にもかかわらず、妙になれなれしく、自分と手を組もうと言う。冷然と断ると、「それでこそにい也だ」と嬉しそうである。
にい也は冷静に人族を観察する。調査対象が増えた。
家族に手を出せば、地の果てまで追って行き、地獄に叩き落す。だが、もっと重要なのは、そうならないことだ。事を未然に防ぐのが肝要だ。