32.愛玩獣人愛好家3
ギャリギャリッというホイールが地面を激しく擦る音に、リス緒は振り向く前に道の端に寄る。風が吹く。<パンジャ>が勢いよく進んでいく。音だけで分かる。街中で見かけるようになってから、リス緒はずっと注意を傾けてきたからだ。
「ありゃあ、制限速度ぎりぎりだな」
リス緒とは違い、身体が大きい獣人の情報屋は悠々と身体をずらすだけで避けることができた。
「乗っていたのは小柄な獣人だったから、嬉しくて仕方がないんでしょうね」
気持ちは分かる。リス緒とて、いつか<パンジャ>に乗って事件を追ってみたい。ティーア市を横断するスピードは段違いに速くなることだろう。
お金を貯めて、いつか、きっと手に入れる。
身体が小さいことがハンデとなって、今まで大きな仕事を任されることはなかった。だから、独自で情報屋を使って窃盗犯を追っている。自分にもそういった少々危険が付きまとう記事を書くことができるのだと証明したかった。それで、下町で見かけたおかしいなと思うことを追いかけるという無謀なこともした。
玉石混交とは言うが、実に情報というものは眞僞顚倒しやすい。まことしやかにささやかれても、情報精査する必要がある。
「大蛇なんて眉唾なネタじゃなくて、もっとなにかないの?」
情報屋は今まで、リス緒に様々なことを教えてくれた。もちろん、見合う代金を支払う必要はあったが。
曰く、猫の錬金術師がした発明によって、獣人の地位が向上している。
これは非常に嬉しいことで、ティーア市獣人新聞としても、錬金術師組合に言われなくても率先して取り上げたいネタである。今まで獣人は劣っていると人族からみなされていた。特に知識や技能においては顕著だ。力ある獣人には人族はどうしても敵わないことから、そうでない分野では憂さを晴らすように見下してきた。そうした精神は心無い行動として現れる。悲しいことに。そして、それは連鎖する。やられた獣人側も面白くなくて、溝が深まる。
にゃん太の取り組みによって、風穴があくのではないかと期待を寄せている。だいたいにおいて、人族は猫族には好意的だ。そして、獣人族は困窮する獣人たちに慈善活動を行うにゃん太を認める向きがある。獣人なのに人族と親交を持つなんて、という目で見られにくくなる。
にゃん太は双方の同調圧力から離れ、その行動を純粋に評価される存在になりつつあった。
「その猫の錬金術師さんだがよお、」
「にゃん太さんがなにか?」
リス緒は今や最も注目されている者のネタに食いついた。
「ティーア市の錬金術師組合と薬師組合は、やつらが手を組む有力者たちに少しずつ強気の交渉を持ちかけているらしいぜ」
ここで、にゃん太の話ではないのかとがっかりしているようでは、記者は務まらない。にゃん太は錬金術師なのだ。情報屋が話すということは相応に関係していると見て良い。
リス緒の予想通りだった。
ふたつの組合が双方駆け引きを仕掛けているようにみせかけ、裏で手を組んでいる。
「そうして、有力者を転がしているのね。上手い手を使っているものだわ」
しかもその有力者というのが、ティーア市だけではなく、ユール国中枢にも及んでいるという。
「それもこれも【神秘のアルルーン】という伝説とも言われる素材があるがゆえだろうなあ」
錬金術師組合に独り占めされないために、薬師組合は励んでいる。そのため、かの工房に薬師が務めることを大いに賛成し、また、かの工房主の姉が薬師の免許を取得するとあって、欣喜雀躍しているという。
「錬金術師組合の方はと言えば、アルルーンの生育を順調に行い、さらには査察係を入れて組合員が実際に植えられている状況を目にしていること、アルルーンから素材を渡されたことに感激でいっぱいになっているそうだぜ」
「ほとんどファンの域じゃない」
つい呆れた調子が声に出たリス緒は、それにしても、この情報屋は見てきたように言うが、どこまで信ぴょう性があるのかとこっそり値踏みする。
「自分たちの代で伝説の植物に、素材の状態じゃなくご対面できるんだから、まあ、そうなるわな」
「そして、そのアルルーンに、工房の者たちが信頼されている様子を目の当たりにしている」
リス緒も取材に訪れたことがある。工房には温かい雰囲気が流れていた。にゃん太は二度目の取材に出向いたリス緒の体調不良を知り、薬を調合してくれた。素晴らしい効き目であったし、なにより、リス緒の症状をよく聞き出し、状況をかみ砕いて説明してくれたのも嬉しかった。たま絵とカン七にいたっては、プライベートで美味しい食事をする仲である。
彼女たちから、従業員全員が文字を習い、薬草について学んでいると聞いている。一丸となって素晴らしい発明を立て続けに行っているのだ。そういった姿勢も、組合は非常に高く買っているだろう。
「まあ、錬金術師組合としても、単独では手ごわい相手を、薬師組合とタッグを組むことで攻略にかかることができるってんだろうなあ」
情報屋は前の話題に戻る。
「そういう事情によって、にゃん太さんたちの保護壁となっているのなら、良いことだわ」
アルルーンという希少な植物には様々な思惑が絡みつく。それが上手く作用しているのであれば良い。大体において、欲得づくというのはあまり好ましい結果をもたらさないのだから。
「ティーア市獣人新聞の敏腕記者さんもずいぶん肩入れしているもんなあ」
情報屋がにやつく。面白がられているのがありありと分かるが、ここで取り乱しては相手のペースに乗ることになる。
「今回はそれだけ?」
「それがよお、とっておきがあるんだ」
にやにや笑いが深くなり、リス緒は顔をしかめる。
「なによ、もったいぶるわね」
「あのにい也が追っている連中の尻尾がもう少しで掴めそうなんだ」
にい也はトップ冒険者だ。猫族の獣人であり、隠密行動に秀でている。そんな者がまだ捕まえ切れていない連中ということは、相当なものである。この情報屋が以前から追っているネタなのだとリス緒は直感で見抜いた。相手はにい也だ。情報屋も慎重を期しているだろう。それが射程距離に入って来て、気分が高揚しているのかもしれない。
なお、リス緒も情報屋もにい也がにゃん太やたま絵の父親であるということは知っている。そして、にい也は自分が原因で家族になんらかの影響があることを嫌うということも知っていた。トップ冒険者はこと家族のことになると修羅と化す。触らぬ神に祟りなし。だからこそ、聡いものはにい也の家族に下心を持って近づこうとはしない。
情報屋は以前から、にい也が人知れず動いているのを察知して、それとなく探っていた。リス緒は自分の予想が正しかったことを知る。
「これが骨が折れる」
そうぼやいた。まず、あのにい也に悟られずに探るのは無理だ。至難の業とかではなく、できないのだ。ならば、どうするか。
にい也は家族以外のことに対してはあまり関心を向けない。なんなら、自分のことを過小評価されても、「それがどうした」という態である。関心がないことを逆手にとって、にい也の妨害をしないことをアピールしつつ、なにをやっているのかを突き止めようとした。
「もちろん、最大限の注意を払ったぜえ。調べ始めてすぐににい也に嗅ぎまわっていることを勘付かれたから、こっちから、協力を申し出たのさ」
「はあ?」
出し惜しみするこの情報屋から、あの手この手で情報を引き出し、なんとか経費内で納めようと四苦八苦するるリス緒は素っ頓狂な声を上げた。
「まあ、まずは最後まで聞きなって。「俺は情報屋だ、トップ冒険者がなにを探っているのか、単純な興味がある。それを教えろとは言わない。こっちで探る。その代り、にい也さんが追っている者に気取られるようなヘマはしないし、なんなら、俺が入手した情報を無償提供する」って言ったんだ」
「なるほどね。邪魔をしないし協力をするとまで言われたら、にい也さんも————」
リス緒が言葉を止めたのは、情報屋が片目をすがめ、肩をすくめたからだ。
「いや、鼻で笑われた。不要だってさ」
しびれる。
孤高のにい也は誰の手も必要としないというのだ。
「冷徹のにい也がなんで多くの冒険者たちから好かれているのか、分かった気がしたよ」
そう言いながらも、情報屋の顔はにやけていた。彼もまた、にい也に骨抜きにされたのだ。恐ろしいことに、にい也はそんな信奉者たちのことなど、どうでもいいのだ。あちこちで好かれていても、無関心を貫いている。
「まあ、俺も情報屋だ。そこで引き下がっているようじゃあ、食っていけない」
そんな風に言うも、単ににい也に興味を持ち、彼のことをもっと知りたいという気持ちから、あれこれ調べるようになったのだという。
「気を付けてよ」
とっさに出た言葉だからこそ、心情がこもっており、情報屋は茶化すことなく「ありがとうよ」と礼を言った。
それが、彼を見た最後になるとは思いもよらないリス緒は仕事に忙殺され、合間に、たま絵とカン七に誘われ、新しくできたというレストランにでかけた。美味しいものを堪能すると、このために仕事を頑張っているという実感が湧く。その際、ふたりにあの手この手であれこれ喋らされる。流して良い情報と伏せておくべきものの線引きはしっかりしておく。ここにも強固なにゃん太の保護璧がある。そう思えば、リス緒としても伏せなくても良い情報は出し惜しみしたくはない。
「あらあ、薬師組合と錬金術師組合ってそんな感じだったのねえ」
「上手いことやっていますよね」
頬袋をふくらませながら、リス緒はカン七が新しい工房で頼りにされている風なのを知って安堵した。たま絵が薬師をふたたび目指すと聞いた時、カン七の存在が良い作用をもたらしたのだと悟った。禍を転じて福と為す。一度駄目になっても、新天地で新たな機会を得ることはできるのだ。
生きづらい獣人たちの環境に、ここにも希望の光が差し込むのを見出した気持ちになる。
「おかげで、うちも安泰だわ。アルルーンも元気いっぱいに増えているし」
「そうなんですか?」
たま絵も目標ができたせいか、一層活き活きし、美貌に磨きがかかっている。リス緒も負けていられない。
「ええ。アルルーンのお陰で、うちの工房やふたつの組合ばかりじゃなく、ティーア市自体が守られるようになるかもしれないわね」
たま絵の言葉に、あながち大げさなことではないかもしれないとリス緒は考えた。
そして、真実、そのことは間違っていなかったのである。
そんな風に美味しい食事を気の置けない友だちと楽しんだリス緒は、ある日、出社した際、先輩に耳打ちされたことに驚いた。
リス緒が頼りにしていた情報屋が死んだ。
「ど、どうしてですか?!」
元気そうに見えたが、事故にでも遭ったのか。もちろん、世の中には数日前にはぴんぴんしていた者が、風邪をこじらせて———というのは、ままあることだ。
「さあ、俺もよくは知らないんだ」
危ないことには関わっていないのか、と心配する先輩に、リス緒はろくに答えることはできなかった。
ぼうぜんとしつつも、仕事は待ってくれない。
その日、なんとか職務をまっとうして、さすがに早々に帰路に就いた。家には手紙が届いていた。
「———っ!!」
それは情報屋からだった。リス緒は慌てて封を切って中の紙片を読んだ。そして、部屋から出て夕食の支度をしていた母に尋ねる。
「これ、この手紙は誰が届けてくれたの?」
珍しく早く帰ってきた娘の剣幕に驚きつつ、母親はふつうに郵便配達人から受け取ったと言う。
リス緒は食欲がないと言って部屋へ戻った。帰宅時間が早かったことといつもは旺盛な食欲をみせる娘の異変に母親が心配するも、今はそれどころではない。
リス緒は改めて、手紙を頭から目を通した。
そこには、情報屋が最後に会ったときに触れていた、「にい也が追っている連中」のことについて書かれていた。
「そうなの、にい也さんは誘拐犯を追っていたのね」
それも、獣人に狙いを定めた連中で、集団であるらしい、とあった。構成員についてなにか掴んでいそうだが、明言していない。けれど、彼らの手足となって動く者を突き止めたので、会って来るとあった。
「ポチ丸———」
果たして、情報屋はそのポチ丸なる存在に会うことができたのか、はたまた……。リス緒は唇を噛んで胸にごちゃごちゃと入り混じる感情が落ち着くのを待った。
荷車を牽く熊五郎は羊彦に頼まれていた軽くて水に強い木材が見つかって、喜々として採取してきた。おかげで、いつにも増して車が重い。
「でも、俺が伐採してきた木材であの<パンジャ>の乗り心地が決まると言われちゃあなあ」
そもそも、<パンジャ>を発明したにゃん太を羊彦に紹介したのは熊五郎である。あれよあれよという間にとんでもない発明をした。今も、えっちらおっちら荷車を牽く熊五郎の傍を、<パンジャ>が抜き去ろうとした。
「熊五郎さん、重そうですね。手伝いましょうか?」
「ああ、フェレ人だったのか」
ティーア市のあちこちで<パンジャ>に乗った者を見かけるようになったが、その実、高価な魔道具だ。しかも、伝説の植物アルルーンの素材を用いられているものだ。値はどれほどにでも吊り上がるだろう。それでも、身体が小さい獣人にとっては素晴らしい魔道具である。なにしろ、素早く移動することができるだけではないのだ。上下の高さも調節することができる。
「にゃん太さんはとんでもない錬金術師だったんだなあ」
フェレ人が乗った<パンジャ>を見て、熊五郎は目を細める。そう言えば、そのにゃん太とともに出会ったハムスター族のハム助もまた、<パンジャ>に乗っていると聞く。なにしろ、そのハム助や眼前にいるフェレ人が難儀したり不利を強いられていることを解消しようと発明したのだ。
「もしかして、それ、<パンジャ>の素材ですか?」
フェレ人が荷車に積んだ木材を覗き込む。
「そうだ。お前の兄さんがどんどん注文をつけるから、高品質の素材を探すのにひと苦労さ」
「そんな高品質の素材を見つけ出して来るなんて、さすがは熊五郎さんですね」
フェレ人は如才なく褒める。あながちお世辞ではないのか、それとも、<パンジャ>の良い素材が見つかったのが嬉しいのか、フェレ人は目を輝かせて熊五郎を見上げる。<パンジャ>に乗っていてさえ、熊族とフェレット族の身長差は激しい。三分の一ほどしかないのだ。
こんな風に全幅の信頼を籠めて見上げられては、羊彦が可愛がるのも分かる気がする。
「うさ吉さんもどんどん部品を改良させていくって意気込んでいるからな。俺もあのアルルーン素材を用いた魔道具に関われるなんて、職人冥利に尽きるってものよ」
<パンジャ>の素材を採取するようになってから、羊彦にうさ吉と引き合わされた。気風の良い職人気質の獣人だ。熱に強い樹脂のことなどを話すと、興味を持ってあれこれ質問された。代わりに、うさ吉は伐採に使用する斧の研ぎ方を教えてくれた。
「みなさん、頑張ってくれていますものねえ」
「まあ、お前さんもハム助さんも、存分に試乗してその結果を伝えれば、にゃん太さんたちとしても使用データを得られるってものさ」
熊五郎にはよくわからないが、特にうさ吉などは、部品はほんの少し削るだけ、わずかな角度を変えるだけで、結果が違ってくるという。それらが、他の部品にどんな風に作用するかをデータに取る。そうして、試作に反映させていく。新しい物を生み出すのはその繰り返しなのだという。
「発明はものすごい閃きが必要だ。それと同時に、根気強くひとつひとつ試していくことも重要だ」
そう話すうさ吉が、熊族の自分よりも大きく見えたものだ。
「手伝いは良いから、先に行って、お前の兄さんに木材が届くと伝えてくれ」
フェレ人が<パンジャ>に乗ったまま後ろから荷車を押そうとするのを止め、熊五郎はそう言った。
にゃん太と知り合ってから、熊五郎も忙しくなった。兼業のハチミツ採取も卸先きが増えた。錬金術師工房ひとつ増えただけだと思いきや、その量たるや。店に置く木の実をハチミツで固めたものだけでなく、個人消費をする他、研究にも使うのだという。
「美容商品にもハチミツが使えるとはねえ」
「あらあ、うちの商品がヒットしたら、熊五郎さんもさらに忙しくなるわよお」
おっとりした喋り方をするのはにゃん太のところの工房に最近務め出した薬師のカンガルー族のカン七である。
「それにしても、にゃん太さんのところはまたぞろ獣人が増えたなあ。前は人族の工房だったんだろう?」
「にゃん太ちゃんは困った者に手を差し伸べるのを、ふつうにやってのけるからねえ」
聞くところによると、カン七はもらい火によって自分の店を失ったのだという。
「でも、ここの畑はすごいわよ。しかも、工房主は従業員の自主性を尊重してくれるの。こんなに良い環境で働くことができるなんて、薬師冥利に尽きるわね!」
獣人の職人はたくましくなくてはやっていけない。カン七も不慮に遭遇したものの、前向きに頑張っている。
「羊彦もうさ吉さんもにゃん太さんに触発されているし、猫の錬金術師さんは色んなものに影響を及ぼしているんだなあ」
そして、自分にも。
熊五郎は今まで、身体が小さい獣人が難儀しているなどと、意識を向けたことはなかった。獣人が種族の違いによって身体つきが異なるのは当然のことだった。それをなんとかしようなどいう発想など持ち得なかった。でも、にゃん太は違った。自分が恵まれた環境にいて良かった、という考えに留まらなかった。
熊五郎は知らなかった。考えたこともなかった。けれど、他の者の言動で知った。考え始めた。
ならば、どうするか。
熊五郎は漁で採れた魚や採取したハチミツなどを孤児院などに寄付してみることにした。
その日も、羊彦に納品したその足で、孤児院に向かう。
「あ、熊のおじちゃんだ」
「おじちゃーん」
「ハチミツのおじちゃん!」
すっかり甘味のとりこになった子供たちに大歓迎される。熊族は力があることから、猛獣人族と並んで、他種族の子供たちからは怖がられることが多い。それが、熱烈歓迎されるものだから、定期的に訪れるようになった。
ハチミツは手軽に食べられる。パンに塗るだけ、ヨーグルトに混ぜるだけ、なんなら、そのまま舐めても良い。その上、美味しくて栄養価も高い。子供が好むのも当然である。
「なあ、熊五郎ってのはあんたのことだろう?」
孤児院を出て、空になった荷車を牽きながら、充実感を覚える熊五郎に声を掛けてきたものがいた。
「そうだが、あんたは?」
その者を見て、否定しようかと警戒した熊五郎は結局肯定した。それよりも、自分を知る者の正体を少しでも掴みたいと考え直した。
「俺? 俺はポチ丸って呼ばれているよ」
そう言って、皮肉気に口元を歪めた。熊五郎はポチ丸と名乗った者に、唖然とした。